フォスティエ商会、強盗団襲撃事件
――栄都セレスティアの昼下がり
聖堂院が休みの日。
私は母さんとマークに連れられて、栄都セレスティアの中央通りまで買い物に来ていた。
相変わらず、人が多い。石畳の道は買い物客でぎゅうぎゅうで、左右には屋台がずらっと並んでいる。果物、焼き菓子、干し肉、香辛料、よくわからない瓶詰め。見ているだけでお腹と財布が忙しくなりそうなものが、所狭しと積まれていた。
「焼きたてだよー!」
「今日の果実は甘いよ!」
「見ていっておくれ!」
うるさい。いや、活気がある。活気があるって言い換えると、急にいい感じになるのはなぜ?
私は両手に食い込む袋の持ち手を持ち直した。重い。重いを通り越して痛い。袋の中身は、分厚いベーコン、脂の照った腸詰め、抱えるサイズのチーズ、砂糖まぶしの揚げパン、見るからに罪深そうな蜂蜜パイ。しかも母さんは「マークが好きだから」で、蜜漬けナッツと干し果物まで追加していた。
ラインナップがもう“健康”にケンカ売ってる。
横を見ると、母さんの手にも袋が下がっている。当然ながら私より多い。そのさらに横では、マークが母さんの袋からベーコンを一切れくすねて、もぐもぐ頬張っていた。
おい、九歳男児。手ぶらの身分で、袋から略奪するな。
てか、まだ家に着いてもいないのにベーコンを食い始めるな。そもそも焼いてないけど大丈夫なのか? どこの原始人だお前は。
「……ねえ母さん、これ絶対買いすぎだって。チーズに干し肉にポテトにジュースの瓶って、どう見てもデブ装備なんだけど」
「マークが食べたいって言ったからよ」
甘すぎんだろ。弟補正、つよつよすぎでは?
しかも当の本人は、まるで会話に関係ありませんとばかりにベーコンを食べ続けている。お前、そこは少し申し訳なさそうにしろ。
「マーク、歩きながら食べるの危ないからやめな」
「姉ちゃん知らないの? 歩きながら食べれば太らないんだよ!」
「じゃあなんであんた、もう“歩く燻製肉”みたいになってんのよ」
「家では座って食べてるから!」
「そんな理屈で痩せられるなら、世の中みんな立ち食いしてるわ! あんたは食っちゃ寝しすぎなんだよ!」
「つまり今の僕は、痩せる努力中ってことさ」
マークはもぐもぐしながら、なぜか得意げだった。口が立つのが腹立つ。口の端なんか油でつやつやしてるし。
母さんはそんな私たちを見て、ふっと笑う。
「はいはい、歩きながら喧嘩しない」
「喧嘩じゃない、教育的指導!」
「姉ちゃんの教育、大げさなんだよね」
「内容は正しいでしょ!」
母さんはもう慣れているのか、特に止めるでもなく、少しだけ楽しそうに前を歩いている。完全に私だけが騒がしい子みたいになっている。納得いかない。
そんな不満を胸に歩いていた、その時だった。
「きゃああっ!」
通りの向こうから、鋭い悲鳴が響いた。
空気が変わる。威勢のいい売り声が一瞬でざわめきへ変わり、人の流れが揺れた。何人かが立ち止まり、何人かが後ずさる。
私は袋を抱え直しながら、背伸びするように人だかりの先をのぞいた。
数人のごろつきが、剣を振り回していた。
うわ、ガチだ。
剣を抜いて、商人たちを脅している。通りの一角が、完全に凍りついていた。
標的になっているのは、立派な四階建ての商館だった。白い壁。大きな看板。入口には見覚えのある紋章。
……あれ?
目を凝らす。あの印、見たことがある。
看板には、フォスティエ商会の紋章が掲げられていた。
あっ。
エルヴィンのところじゃん。
同級生の、あの金勘定大好き商人脳男子。将来は父の後を継いで大商会の主になる予定です、と入学早々に言い切っていたあいつの家だ。
しかもちょうど入口のところで、エルヴィンとその父親らしき人が顔面蒼白で追い立てられているのが見えた。
「金を出せ! 早くしろ!」
「逆らうな、殺されたくなけりゃな!」
やば。ほんとに強盗だ。
こういうのって物語の中では突然起きるものだけど、現実に目の前で見ると、想像以上に胃が縮む。剣、抜いてるし。刃物、光ってるし。こわ。
母さんが、一歩だけ前に出た。
空気が、少し変わる。
え、母さん、まさか――。
でも母さんは、剣を振り回す男たちではなく、私とマークを見た。張りつめていた気配が、ふっと消えていく。
次の瞬間、母さんは持っていた買い物袋を道端へどさりと置き、私たちの手をつかんだ。
「来なさい」
短い一言。それだけで、逆らってはいけないやつだと分かった。
母さんは私たちを引っ張り、人混みから少し離れた路地の角まで一気に移動した。
「クロノ、マーク。あなたたちはこのまま家へ帰りなさい。絶対に戻らないこと」
声は静かだった。でも、いつもの余裕のある母さんの声ではなかった。
「母さんは騎士団の詰所へ知らせてくるわ。いい? 二人とも、必ず帰りなさい」
「……うん」
思わずうなずいた。逆らったら怒られるやつだった。
母さんはそれを確認すると、人混みをかき分けて走っていった。速い。さすが元聖女。いや、元聖女というか、今の走りは普通に現役だった。
残された私とマークは、その場に立ち尽くした。
「……帰る?」
マークが聞いた。
「帰る。帰るべきだよ。母さんにも言われたし」
そう言いながら、私は一度だけ通りの方を振り返った。人混みの隙間から、商会の入口が見える。フォスティエ商会の紋章。そして、その前で顔を青ざめさせている少年。
「……エルヴィン」
足が止まった。
帰るべきだ。分かっている。でも、同級生が剣を持った男たちに囲まれているのを見て、そのまま背中を向けられるほど、私は割り切れない。
「ねえ姉ちゃん」
マークがベーコンを咀嚼しながら、なんでもないことみたいに言った。
「刃物で脅してるし危ないね。でも……姉ちゃんならどうにかできるんじゃない?」
「はぁ!?」
「だって、煙でビビらせて、ドローン飛ばして、上から変な音を鳴らしたら――」
「待って。発想が完全に悪の組織なんだけど」
ドローン。前に私が出した、空飛ぶ小型機械だ。マークは一度それを操作して以来、妙に気に入っていた。ラジコン感覚で動かせるのが楽しいらしい。それはいいんだけど。
強盗相手に使う前提で語るな。
「ビビって固まったところを姉ちゃんが遠くから仕留める」
「仕留める!? 物騒すぎない!?」
「じゃあ、逃げ道を作る」
「急に言い換えが上手い!」
マークはもぐもぐしながら、真面目な顔で考えている。いや、ベーコン食いながら作戦を立てるな。緊張感どこ行った。
でも、正直、その発想がまったく役に立たないわけでもなかった。
煙。音。空から飛ぶ正体不明の何か。騎士団でも魔法でもない、見たことのない現象。
たしかに、怖い。私でもちょっと嫌だ。
今日はまだ限界具現の残り回数もそこそこある。朝の時点で二十回以上は見えていた。この世界にはない道具ばかりなら、全部“謎の魔導具”で済む可能性が高い。
市民は怯えて動けない。エルヴィンたちは袋小路。騎士団が来るまで待っていたら、その間に何が起こるか分からない。
なんのためのチートだ。こういう時にこそ、活かすんだ。
私は深く息を吸った。
「――よし、やるか」
マークはベーコンを飲み込むと、小石で地面に図を描き始めた。
「ここが商館。ここに悪いやつ。ここに人だかり。で、びっくりしてるうちに――」
「あんた、まじやばくない? でもそうか。向かいの建物の二階に上がれれば、射線は通るな」
位置取りは悪くない。強盗団は正面とドローンに意識が向くはずだ。一瞬でも視線と足を止められれば、崩せる。
私は商館の前をもう一度見た。
エルヴィンが、父親をかばうように一歩前へ出ている。震えてるのに、逃げていない。あいつ、口は達者だけど、踏ん張る時はちゃんと踏ん張るんだな。
エルヴィンは命がけで頑張ってる。なおさら失敗できない。
「マーク」
「ん?」
「ドローン、飛ばせる?」
「いっぱい練習したからいける」
「その自信、頼もしいような怖いような」
「でも姉ちゃんよりは上手いよ」
「……それは認める」
悔しいけど認める。私は具現化できても、操作は別だ。細かい動かし方は、こいつの方が向いている。
「じゃあマークは人混みに紛れてて。商館には絶対近づかない。小型無線機と片耳イヤホンマイクを渡すから、私が合図したら動く。それまでは待機」
「了解。置いてきた戦利品も任せろ」
「買い物袋を戦利品って言うのやめなさい」
私はもう一度だけ息を吸った。
怖い。そりゃ怖い。でも、今さら引き返すのも違う。
限界具現の残り回数、敵の位置、逃げ道、見物人との距離、高所の位置、風向き。頭の中でそれらを並べながら、ざっと配置を組み立てる。
煙で揺さぶる。空を使って視線を奪う。音で混乱させる。その隙に、逃げ道を作る。
細かい順番は、動きながら決めるしかない。
私は建物の陰に身を寄せ、服の袖を軽くまくった。頭の中で必要な道具を並べながら、ひとつずつ限界具現で形にしていく。
小型無線機。
片耳イヤホンマイク。
煙幕。
小型ドローン。
閃光弾。
異世界の強盗事件に、現代の道具でこっそり介入しようとしている私たち姉弟。
……うん。字面だけ見ると、だいぶ終わってる。
でもまあ、こうなった以上。
やるしかない。




