バレずに光れ私のニセ魔力
――聖堂院リュミエール・魔導館
聖堂院リュミエールの“魔導館”は、前世でいうところの体育館を少しコンパクトにしたような造りだった。広さはそれなり。天井は少し高いくらいで、声がちょっと響く。床はつるっとしていて、靴下で走ったらたぶん滑る。
……うん、ほぼ体育館だ。
ただし、決定的に違うところがある。壁も床も、“魔障石”と呼ばれる青い石でびっしり覆われているのだ。
昼に見た時も思ったけど、近くで見るとかなり独特だった。表面はつるりとしているのに、奥の方だけ少し濁って見える。石というより、青いガラスと鉱石の中間みたいな質感だ。魔法学校の実習室としてはかなり雰囲気がある。ただ、この時点ではまだ「おお、青い体育館だな」くらいにしか思っていなかった。
ここでは簡単な運動はもちろん、魔法実習や学年集会まで行われるらしい。つまりこの場所、学校イベントのだいたい全部を背負わされている。
便利だな、魔導館。
「クロノちゃん、見てこれ! ちょっと冷たい!」
ミーナが、壁の魔障石をぺたぺた触っていた。私もつられて近づき、指先で軽く叩いてみる。
とん、とん。
硬い。でも、ほんの少しだけしっとりしているような、不思議な感触があった。
「ほんとだ、冷たい」
「ねー! しかもきれい!」
ミーナはすっかり探検気分である。でも、その気持ちはちょっとわかる。初めての魔法実習だし、こういう場所に来るとやっぱりワクワクする。
……するんだけど。ワクワク半分、不安百二十パーセントなんだよなあ。今回も、ちゃんと準備してきた。昨日、マークと散々作戦会議をして、赤い光を手の中に隠す練習もした。やれることはやった。……やったはずなんだけど、本番直前になって、急に思う。
レーザーポインターで魔力操作をごまかすって、冷静に考えたらだいぶ正気じゃなくない?そんなことを考えていたら、入口の扉がぎいっと開いた。
ディディエ司祭が姿を現す。
今日も、これといって強烈な特徴はない。怖くもないし、陽気でもない。しいて言うなら、話が少し長い。あと名前が長い。今日は名乗ってないけど、私の中ではまだ“名前が長い先生”のままだ。
ディディエ司祭は中央まで歩み出ると、パンッ、パンッと手を打った。
「えー、まだ来ていない方はいませんね?」
その問いに、前の方から勢いよく声が返る。
「確認しましたけど、大丈夫ですわ!」
リリスだった。
元気いいな。しかも返事が早い。こういう時に一番に反応できるの、たぶん素で育ちがいいんだろうな。
ディディエ司祭が穏やかに笑う。
「リリスさんは何事にも積極的で、大変よろしいですね」
するとリリスは、見るからに嬉しそうに胸を張った。
わかりやすい。
……こいつ、褒めればすぐ調子に乗るタイプでは?
期待されると全力で応えにいくタイプなのかもしれない。案外、“リリス様さすがです〜”って言えば仲直りも簡単かも?
……いやでも、その後毎朝「本日のわたくしの素晴らしい点を三つ述べなさい」とか言われたら終わるな。
やめとこう。私がそんな失礼な想像をしている間に、ディディエ司祭は隣の小部屋へ入っていった。
次の瞬間、館内がふっと暗くなる。
「おお……」
あちこちから、小さく声が漏れた。壁が、淡く光った。いや、壁だけじゃない。床も、柱も、魔導館を覆う魔障石のひとつひとつが、内側から淡い青をにじませるように光り始めていた。さっきまで、ただの青い石だと思っていたものが、まるで水の底から月明かりを返すみたいに、静かに輝いている。
うわ。これは、ずるい。さっきまで青い体育館だった場所が、一瞬で別のステージになった。
海の洞窟。
海底遺跡。
海神の眠る神殿。
私の中のRPG脳が、勝手にマップ名をつけ始める。
青い光が壁に沿ってゆるく滲み、床にも淡く反射している。人の影までなんか幻想的に見える。普通の実習のはずなのに、演出が強い。
これもうイベント会場でしょ。
ミーナも目をきらきらさせていた。
「すごい……!」
後ろの方では、シャーロットちゃんが「わあ……」って小さく声を漏らしていた。かわいい。この子の“わあ”には癒し成分がある。
一方でアルガスは、最初こそ「へえ」みたいな顔をしていたけど、すぐに「で、早くしろよ」みたいな顔に戻っていた。せっかちだな。もう少し雰囲気を楽しめ。
エルヴィンはというと、光っている壁をじっと見ながら、なにか計算でもしていそうな目をしていた。なに考えてるの、この子。維持費とか? この魔障石、一枚いくらするんだろうとか考えてない? やめて。ロマンが急に見積書になる。
やがてディディエ司祭が戻ってきた。そして何もない掌を、みんなに見せるように広げる。
「では、まずは私がお手本を」
その言葉と同時に、ふわ、と茶色の光が現れた。司祭の掌の上に、やわらかい茶色の魔力が浮かんでいる。土っぽい色。でも土というより、あたたかい光の塊って感じだ。光はゆっくり揺れ、空中で形を変えながら漂っている。
ディディエ司祭はそれを、伸ばしたり、縮めたり、くるんと回したり、小さく跳ねさせたりして見せた。
すごい。普通にすごい。
これが本物の“魔力操作”か。魔法が使える生徒たちにとっては、たぶんチュートリアルみたいなものなんだろう。
『魔力を動かしてみよう!』
『形を変えてみよう!』
『うまくできたら次のステップへ進めるよ!』
うん。
ゲームなら最初に出てくる基本操作だ。ただし私のコントローラーには、魔力操作ボタンが存在しない。
詰みである。
「今日は魔法の“緻密な操作”を練習します。形、距離、速さ、大きさ……自在にコントロールできるようにしてください。ただし、実物化・実体化は禁止です」
最後の一文、私に刺さるんだけど。実物化・実体化は禁止。いやもう、まさに私の能力ピンポイントで封じに来てない? もちろん偶然だ。偶然なんだけど、タイミングが悪すぎる。なんかこう、私だけ開始前から縛りプレイをさせられている感がある。私の唯一のチート、初手から禁止カード扱い。女神さま、バランス調整が雑です。
先生は最後に魔力を手元へ戻し、ふっと消した。
「はい、では皆さんもやってみましょう」
来た。来てしまった。
周りの子たちが一斉に手を前へ出す。すごい。みんな普通に始める気満々だ。リリスは自信満々。アルガスは気合い全振り。ミーナは楽しそうで、シャーロットちゃんは小動物みたいに両手を丸めている。エルヴィンだけは無言で周囲を観察していた。
……みんな反応が違いすぎる。でも、ちゃんと始める気でいるのは同じだった。そして私はというと。
うわー、みんな手ぶらでやってる。
誰ひとりとして、魔法実習に小道具を持ち込んでいない。えらい。いや、普通か。本来、魔法ってそういうものだから。でもこっちは、すでにマークとの作戦会議を経たうえで、手のひらサイズの秘密兵器をこっそり持ち込んでいる。
制服の内ポケット。そこに、レーザーポインターを忍ばせてきた。使わずに済む方法はないものか。いや、もう完全に使う前提で持ってきたんだけど。じわっと手のひらに汗がにじむ。作戦は単純だ。手の中に隠して、赤い光をそれっぽく漏らす。それだけ。
……それだけのはずなんだけど、難易度が妙に高く感じる。
よし。今のうちだ。私はそっと内ポケットに手を滑り込ませた。指先に、小さな筒の感触が触れる。作戦開始。
ニセ魔力、起動――
「おい」
「ひょわっ」
変な声が出た。今のは令嬢として、かなりアウトだったと思う。声をかけてきたのは、アルガスだった。
「入学の時みたいに、また目立とうとするなよ」
は?
びっくりさせないでよ。しかも、なんだその言い方。かなりむかついた。アルガスが気の強い子なのはわかっている。けれど、こっちも今は余裕がない。心臓が跳ねている状態で、そんなことを言われたら、さすがに黙っていられない。だから、私はあえて強気に出た。
「は? それ、心配してくれてるの?」
「え」
アルガスの眉がぴくっと動いた。たぶん、想定外だったんだと思う。私のことを、入学式で水晶を粉砕した“なんかすごい令嬢”くらいには思っていたのかもしれない。けれど同時に、大人しそうで、言い返してこなさそうだとも思っていたんだろう。
残念。中身はわりと口の悪いオタクである。
「し、心配なんかしてねぇよ」
「じゃあ、ただの嫌味?」
「ちげぇよ!」
「なら、静かに見ててくれる?」
「……っ」
一瞬、アルガスが言葉に詰まった。
おお。効いてる。
「気に食わねぇ言い方だな」
「そっちが先に絡んできたんでしょ!」
言い返した瞬間、アルガスの目がほんの少しだけ丸くなった。すぐに眉を吊り上げてごまかしていたけど、見逃さない。今、ちょっとビビったな? 意外と小心者なのか? 小声でぴしぴしやり合っていると、前方から今度はリリスの声が飛んだ。
「静かになさいませ。授業中ですわよ」
うわ出た。正論で殴るタイプ。
……でも、助かった。
今なら逃げられる。獅子と獅子は勝手にやり合ってもらおう。私はうさぎ。私は空気。私は壁。私は魔力。いや、最後のは無理だった。
私はリリスの声を聞こえなかったことにして、しらーっと二人から距離を取る。思ったとおり、二人の獅子はすぐにそっちで火花を散らし始めた。
「そもそもあなた、始まる前から態度が悪すぎますわ」
「負け犬にだけは言われたくねぇんだけど?」
「なんですって?」
「なんだよ」
「負け犬? 結構ですわ。少なくとも、吠えるだけのあなたよりは品がありますもの」
「なんだと!?」
「あ、あの……」
間に入ろうとしたのは、シャーロットちゃんだった。でも声が小さくて、誰にもちゃんと届いていない。
その横でミーナが、なぜかすごく楽しそうに二人を見ていた。
「リリスちゃんとアルガス君、もう仲良しさんだね!」
「どこがですの!?」
「どこがだよ!」
二方向からツッコミが飛んだ。
ミーナはけらけら笑っている。陽キャつよい。火薬庫の真ん中でお茶できるタイプだ、この子。そしてその騒ぎの中、ディディエ司祭のやわらかい声が飛んだ。
「皆さん、まずはご自分の魔力に集中してくださいねー」
やばい。ほんとだ。騒いでる場合じゃなかった。私はこほんと小さく咳払いして、もう一度自分の手元へ意識を戻した。
周囲では、ぽつぽつと色が生まれ始めていた。先生が言っていた四大属性――紅蓮、蒼氷、翠嵐、剛岩。その光が、青く薄暗い魔導館のあちこちに浮かび上がっていく。
赤。
青。
緑。
茶。
うわ。普通にきれい。これもう、授業というより光の展示会では?最初は四色だけだと思っていたけど、よく見ると水色っぽいものや、黄色寄りの茶色、紫がかった青まである。同じ属性でも、色味や濃さにはかなり個人差があるらしい。
こういう“同じ属性でも個性が出る”やつ、設定としてめちゃくちゃ好きなんだが。ゲームだったら「推しの魔力色考察」とか絶対流行る。
そんな中で、ひときわ目立っていたのはアルガスの紅蓮色だった。
とにかくデカい。
色の鮮やかさもすごいけど、それ以上に、最初から出力がおかしい。ボン、って感じで出ている。繊細さ? なにそれ食べられるの? みたいな魔力だ。
雑で強い。勢いでどうにかしようとしている。でも実際、それでなんとかなっているから少し腹立つ。
一方で、リリスの手元には透き通るような蒼い光が浮かんでいた。細く伸びたり、輪になったり、小さく回転したりしている。技術としては、たぶんかなりすごい。
ただし、この魔導館は壁も床も青い。
つまり、蒼氷の魔力色と背景が完全にかぶっていた。同化。見事なまでに同化。背景が味方しすぎている。あっ……これ、青属性には地味に不利ステージだ。
珍しくリリスが「ぐぬぬ……」みたいな顔をしていた。ステージ相性で負けている。環境って残酷だな。
ミーナの魔力は、薄くて淡い緑だった。ふわふわしている。本人っぽい。ただ、他の子たちに比べると少し頼りない。形も安定していないし、風に流される綿毛みたいに、ふよふよ揺れている。
「見て見て、なんかクラゲみたい!」
「たしかに」
「かわいくない?」
「かわいい」
この子は楽しみ方がうまい。本人も言っていた通り、魔法はあまり得意じゃないらしい。でも、失敗を「できない」じゃなくて「変な形になって面白い」に変えられる。
強い。別方向にメンタルが強い。
シャーロットちゃんの手元には、小さくて頼りないけど、やわらかい白い光が浮かんでいた。え、白?
なにそれ。白ってありなんだ。ちょっと聖光っぽくない?
本人はおどおどしているのに、魔力だけレア演出っぽい。ガチャで言うなら、控えめな演出から急に虹が出るタイプである。
エルヴィンは、ディディエ司祭と似た茶色っぽい光を細くまっすぐ伸ばしていた。うわ、上手。変な派手さはない。でも安定している。無駄がない。こういう堅実タイプ、後半で絶対頼れるやつだ。
そして私はというと。
ミーナの魔力を「すごいね〜」とほのぼの眺めていた。いや、アルガスに絡まれているうちに、完全に出遅れてしまったのだ。しかも今のところ、誰も私を見ていない。
……これ、このまま見学で乗り切れるのでは?
そんな甘い期待を抱いた瞬間、横からズバッと声が入った。
「クロノはやらねぇのか?」
アルガスだった。
うわ、来た。
「この前の試験での実力、ぜひ見せてもらいてぇんだけど」
でっかい紅蓮の魔力を、これ見よがしに揺らしながらの言い方。完全に煽りである。
さらに前から、ミーナまで振り返ってきた。
「クロノちゃんのも見たい! きっとすごいんでしょ!」
ミーナ……声でっか!
本人に悪気がないのがいちばんタチ悪い。その全力笑顔で言うのやめて。断りづらいから。
案の定、周囲の視線が一斉にこっちへ集まった。
うわあ。来た。来ちゃった。
リリスまで、背景に埋もれながらこっちを見ている。やめて、その“当然やるんですわよね?”みたいな目。私のポケットの中には、希望と絶望が両方入っているんだけど。
観念しろ、私。ここで逃げたら余計目立つ。やるしかない。昨日、マーク相手に何度も練習した。
“はい、姉ちゃんもう一回!”
“もっと魔法っぽい手つき!”
“今ちょっと見えた! ちゃんと隠して!”
……みたいな、地味に傷つく特訓の成果である。
私はなるべく平然とした顔で、そっと手を前に出した。それっぽい呼吸。それっぽい所作。いかにも集中しています、という表情。袖の内側に指を滑り込ませ、手の中の小さな筒を隠す。そこから、魔力を集めている風を装って、指先をゆっくり動かした。大丈夫。自然に。あくまで自然に。そして私は、手の中でスイッチを押した。
――ぽつん。
遠くの壁に、小さな緑の点がくっきり浮かんだ。
……緑?
あっ。やばい。赤じゃない。緑だ。昨日、マーク用に出した緑のレーザーポインターを間違えて持ってきちゃったあああああ!
なんでそっち持ってきてんの、私!
みんなの魔力とは、やっぱり質が違う。小さいのに存在感がある。しかも暗いし、緑色のせいで、思ったより目立つ。むしろ小さいからこそ“圧縮されてる感”まで出ている。
周囲が「おお……」とどよめいた。
うそでしょ。
このサイズでも目立つの?
ディディエ司祭が、感心したように口を開く。
「ほう、翠嵐属性ですか」
違います。
「魔力をまったく感じさせず、遠くまでぶれずに圧縮し、魔障石の壁に当てても消えない。圧縮、分離、維持……どれも見事です」
ディディエ司祭は、そこで一度言葉を切った。そして、感心したように目を細める。
「……さすがクロノさん。これは、素晴らしい技術ですね」
ちょ、やべぇ……!
いや、そんな分析される!?
もっとこう、「へえ、変わってるね」くらいで済まないの!?
私の内心は完全に土砂崩れだった。
マークと赤と緑で実験していて、間違えて緑を持ってきちゃっただけなのに。地味で終わると思ったら、まさかの大評価である。
また目立っちゃうじゃん!
なんで私のハッタリ、毎回評価だけ本物になるの!?
リリスが唇を噛んだ。ほんの少し、自信を削がれたようにも見える。
「あなた……紅蓮魔法だけではなかったのですね。まさか、双属性持ちだったなんて……」
いや、違う。
違うんだって。
私は双属性どころか、無属性というか、無魔力というか、とにかくそっち側なんだって。
でも説明できない。この状況で「それレーザーポインターです」なんて言ったら、今度こそ全部終わる。
視線が集まる。
リリスは私を見ている。アルガスは妙に燃えた顔をしている。ミーナは純粋に目を輝かせている。
まずい。
誤解が、ものすごい勢いで公式設定になろうとしている。
私は手の中の小さな黒い筒を握りしめた。
魔法じゃない。奇跡でもない。
ただの、緑に光る文明の点である。
その時だった。
「ディディエ司祭」
アルガスが、まっすぐ手を挙げた。
ま、まさかバレた?
心臓が、嫌な音を立てた。




