生まれ変わったら
「へえ、それじゃあロイドはそのアリナさんの元に帰るつもりなの?」
「そりゃあ勿論。そう約束もしたしな」
シンシアに連れられる形で、ロイドは集会所の食堂にいた。昼時を過ぎた今は、本来なら人もまばらな時間帯だ。しかし、今日に限っては好奇の目で覗き見る者が何人もいた。
その理由は、まさにロイドの目の前のお嬢様だった。常人離れした美貌と、見るからに職人仕立てのドレス。今ほど給与が良くなかった頃、戦士も魔導士も装備に稼ぎの大半を吸われ、ほつれだらけの服を我慢して着続けるのが当然だった時代だ。そんな中で埃一つない、オーダーメイドと思しき衣装をまとったご令嬢が現れれば、未知の生き物に遭遇したような顔をするのも、無理もない。
さて、自分が見世物のような目線を向けられているにも関わらず、シンシアのした事と言えば、何ということのない世間話、身の上話だった。周囲の目などどこ吹く風とばかりにロイドの話に耳を傾け、楽しければ素直に笑う。本当にただ好奇心が強い子供の相手をしているようで、その何てことの無さが、逆にロイドの胸を騒がせる。
しかし、彼女には一点、普通でない部分があった。
「ねえロイド。約束って大事なこと? 守らなかったらどうなるの?」
ストレートに言えば、道徳心が欠落していた。箱入り娘だとしても、世間知らずの域を超えている。身なりからして保護者がいるのは間違いないのだが、金と物を与えているだけなのではないかと疑いたくなる程だ。
「えっとな……シンシア。例えば、お金があるだろ?」
「そうね」
「お金で物を買うってのに、金だけ取られて物はやらないってなってみろ。どうなる?」
「そんなことしたら、誰もお金を使わなくなるわ。使っても信用出来ないもの」
「よしよし、そういうことだ。大事なのは信用だ。信用が崩れたら、人と人は繋がれなくなる。そうなりゃ強いもん勝ちの奪い合いの世界だ。……いやまあ、ついこの間までのヴァンドラムは、割とそんな感じだったんだが」
エイリーク・ブランシェットが新たにトップに立ち、共和制国家として再建されたヴァンドラムだが、そうなる前は酷かった。最初は元貴族・王族の生き残り連中が間抜けにも威張り散らしていたが、やがて権力ではなく物理的な力が強い者がのさばるようになった。ロイドらはまだ運良く心ある大人に守られたから良かったが、そうでない者たちは地獄を見ただろう。
そうでなくとも、ロイドは母から『筋を通せ』と何度も言われて育った。凡そ真面目な人間ではないことは自覚済みだが、それでも筋だけは通して生きる事を心に決めている。
とはいえ、力で生きた連中はエイリークの武力でぶちのめされているので、ある意味筋を通された、と言えるかもしれない。
「この国は流通関連がしっかりしてるから、そうはならなかったみたいだけどな。クライン商会なんてでかい商会が生き残ってるし、国民もたくましい。良い国だよ、ホント」
「そうなのね。リズリーの外の事は知らないから、もっと聞きたいわ」
こうした形で、リズリー滞在中、ロイドは毎日のようにシンシアと会い、話をした。或いは、道徳心の欠けた彼女に教育している気分になる時も少なくなかったが。
「……シンシア。前から思ってんだけど、お前、親とか保護者はいるのか?」
「親? 保護者?」
「父親とか母親。それか、身の回りの面倒を見てくれる人か……」
「お父様はいないわ。お母様は今何処にいるのか分からないけど、必要なら向こうから来るでしょうね。後はお兄様が二人、いるみたい」
「会った事はねえのか?」
「ええ、向こうも会いたいとは思ってないでしょうし」
「そりゃあまた……随分と複雑な家庭だなオイ」
いよいよロイドは、シンシアの生育環境が心配になってきた。このご時世、家族がいるだけマシなのかもしれないが。
「ロイドにはいる?」
「お袋は死んだよ。今は親父のところにいるんだけど……そもそも最近まで生きてるとは知らなかったから、まだ親父って感じはあんまりねえんだよな」
「ねえ、お母様ってもしかして、あの日で……?」
「ああ」
「……そうなのね」
そこでシンシアは初めて、喜と楽以外の表情を見せた。もっと他にその顔をするべき場面はあっただろうという気持ちもあったが、シンシアにも道徳心が芽生えたという気持ちが勝ち、笑いが込み上げた。
「そんな顔するなよ。別に珍しい話じゃねえんだからよ。つーか、俺の親父は普通にいい人だし」
「でも、帰るつもりなんでしょう? アリナさんとの約束のために」
「まあ、そりゃあな。アイツは不器用だし、自分で相棒探してコミュニケーション取るなんて、難しいだろうしな」
「ならやっぱり戻らなくていいんじゃないの? アリナさんのところに戻りたくないなら」
「いや、こういうのはな……やっぱいいや、言わせんな」
ロイドは気恥ずかしさに目を逸らした。
「でも私は……ロイドには、行って欲しくないわ」
「へえ、そりゃあなんで?」
「寂しいもの。話し相手がいなくなっちゃうわ」
「へえ、お前にも寂しいって思うことがあるのか」
「失礼ね、ロイドって。私だって繊細な乙女なのよ?」
「乙女、ねえ……」
ロイドが怪訝な目でシンシアを見る。彼女と共に行動をしていた時、シンシアが見せた身体能力だ。彼女は誰が見ても体術の訓練など受けていないうえ、衣服からして運動にはまるで向いていないロングスカートを着ていることが殆どだ。にも拘わらず、彼女がふとした時に見せる動作が、明らかに常人離れしている。それこそ戦士になろうとある程度の訓練を積んでいたロイドの背筋が凍るほど、鋭いものを。
例えばそれは、偶然強盗に遭遇したとき。周囲の動揺を察知したシンシアは、ロイドが目を離した隙に強盗に近寄り、倒していた。彼女は『助けようと必死だった』と誤魔化していたが、ロイドは確かに、強盗の後頭部にハイキックを叩き込んだ瞬間を目撃していた。恐ろしいほど、流麗な一撃だった。
「強盗をノックアウトする乙女なんて聞いたことねえ。お前もしかして、とんでもない上流階級なんじゃねえの?」
ロイドは聞いた後で、無駄な質問だったと思った。彼女は、その身の上の核心に迫るような問いに対しては決まってこう答えるからだ。
「さあ……どうかしら?」
人差し指を唇に当てて微笑む姿が、大人にも子供にも見えた。
*
リズリーを見て、シンシアと交流するうちに、ロイドは当初の予定を超えて三週間滞在した末、ヴァンドラムへの帰国を決めた。
「帰るのだね、ロイド」
「ああ。世話になったな。短い間だけど、アンタの事は割と好きだったよ。けど……向こうには、手の掛かる『家族』がいるんでな」
丁度日が昇り始めた頃、ロイドは父の邸宅を出立した。当初の予定より長いした以上、早いうちに戻っておきたかったからだ。
黙って出てきてしまったから、アリナは相当お冠だろう。まずは馬車の中で、彼女の機嫌を如何にして取るかを考えるのが、ロイドのやるべき事だった。お土産にきれいな貝殻なりを集めておいたが、どれだけ役に立つかは未知数だ。
「こっちに来たら、いつでも訊ねてくれ。今度は……『家族』の顔も見たいしな」
「……癖がクソ強いからなあ。連れて来られたら来るわ」
アリナはともかくヴィルハルトが素直について来るイメージが出来ず、ロイドは苦笑した。
そうして別れの挨拶も程々に父の元を去り、馬車の発着場に向かった。海沿いのリズリーは、朝方だろうと人の流れが弱まらない。あちこちから盛んに、人と人がやり取りする声が聞こえる。発着場までもうすぐか、といったところで――彼女が現れた。
「シンシア」
相変わらず可憐な衣装で着飾った彼女は、ロイドを怪訝な顔で見つめていた。
彼女が不機嫌そうな理由は察せられた。帰るとは言ったが、今日帰るということは言っていなかったので、その点では悪い事をしたかもしれない。とはいえ、帰る日を言ったら引き留められそうなので、それならば後腐れなく別れた方がいいと思ったのだ。
「本当に……帰っちゃうのね?」
寂しげな声に、自分の気遣いが間違っていなかったと思ったロイド。
「ああ。元気でな」
それだけ言って、彼女に背を向ける。その次の瞬間――
「じゃあ……仕方ないわね」
腹に灼けるような痛みを感じた。見ると、鋭い刃で裂かれたような傷と共に、鮮血が溢れ出している。
振り返ると、右手をこちらに翳したシンシアがいた。彼女に纏わりつくように、風が吹き荒れている。
「この国にいるなら問題なかったのだけれど……特にヴァンドラムにまで私の事が知られたら大変だもの。こうしたくは無かったのだけれど……口封じするしかないわね」
シンシアが右手を振ると、再びロイドの身体に鋭い傷が刻まれた。彼女の手には、刃物らしきものは握られていない。魔術だとしても、これほど攻撃力のある魔術は聞いたことがない。
「シンシア……お前は一体……」
失血による脱力感に膝を着きながら、ロイドは目の前の少女が口元を歪めたのを見た。
「ごめんなさい、ロイド。私としては本当に貴方を殺したくはなかったのよ。だからこそ、リズリーから帰らないようお願いしたのだけれど……。私のことを知られる訳にはいかないから」
ロイドに近寄り、その手を握るシンシア。この時初めて彼女に触れたロイドだが、彼女の手は死人の冷たかった。
そうして、理解した。自分は恐らく、直感的にこの少女を恐れていたのだ、と。だからこそ声を掛けず、見つからないように別れようとしたのだ。
彼女と話すたびに嫌が上にも思い知らされていた。文字通り人間離れした異質さ、特異さに。最初はそれが面白いと思っていたのだが、それも度が過ぎると恐怖となる。
「けどね、ロイド。貴方は素敵な友達だったわ。それこそ私が今まで出会った人間の中で、一番。だから貴方にだけは、本当の事を教えてあげる。私はね……貴方たちが言うところの魔物。いえ……もっと言うと、魔将っていうものね」
「なっ……!」
何を馬鹿な、と一笑することは出来なかった。
彼女が人間でないとした時、その正体として最も考えられるものが、魔物だったからだ。それに先程の魔術のような何か。アレもまた、人間の及びもつかないモノだとしか思えない。
つけられた傷が、ジリジリと痛む。毒のように、身体の中に異物が入り込むような痛みだった。
「と言っても、私は魔物を従えたりとかそんなことはしないし、機能自体が無いんだけれどね。私の機能は、人間の状態を確認して、お母様に伝えること。だからこうして本当の事を話したのは、貴方が初めてなのよ」
「それを話すって事は……見逃してくれる気はないんだな」
「申し訳ないし、私も悲しいのよ。リズリーにずっといてくれるなら……こんな事をしなくて済んだのに」
シンシアの声音は、本当に残念そうだった。その声が、ロイドが聴いた最後の声だった。
*
だが、ロイドは目を覚ました。
瀕死の彼は病院に運び込まれ、父グレゴールが治療費を出し、一月もの間眠り続けていた。目を覚ました後も完治し、ヴァンドラム行きの馬車に乗る事が出来たのは、更に四か月も後の話だった。入院して鈍った身体を戻すのにも三か月掛かり、結果ロイドが戦士になったのは、当初の予定より九か月も遅れた。
「そういう話だったのね……」
「そういう訳だ。だからまあ、あん時は悪かったよ。許してくれ」
「あのねアンタ……そういう話ならアタシだって最初から何も言わなかったわよ」
呆れ顔でため息を吐くアリナに、ロイドは悪戯な笑みを向けた。
「それで、だ……」
ロイドは改めて、シンシアと向き合った。ハルバードの刃先にいるシンシアは、全身がひび割れて崩壊寸前だ。
「聞いていいか、シンシア」
強化されたロイドはシンシアを圧倒し、瞬く間に腹部の核の大半を破壊。あえなく無力化されたシンシアは、かつてのロイドのように膝を着いていた。それでも変わらぬ笑顔で、ロイドを見据えている。
「どうしてお前はあの時、俺を殺さなかったんだ」
その問いにシンシアは、当然の事のように答えた。
「私は殺しの為に作られてないもの。慣れない事をすれば、失敗だってするわ」
「……そうか」
その言葉が嘘であることは、ロイドにはすぐ分かった。恐らく、アリナも気付いているだろう。
「……シンシア。お前……『生まれ変わり』って信じるか?」
「生まれ……変わり?」
「そうだ。命は失われたら天に帰って、また新しい命として生まれて来る。他でもねえ、お前の母様……エカテリーナが言ってた事だ」
一体何の話をしているのか分からない、という表情のアリナとシンシアを置いて、ロイドは続けた。
「生まれ変わったら、今度は人間に生まれて来いよ。そうしたら……また遊ぼうぜ」
核に刃先を当てながら、ロイドはにやりと笑った。
その言葉にシンシアは、もう一度人懐っこい笑みを浮かべた。
「そうね。そうなったら……またお友達になりましょうね」
「ああ。またな、シンシア」
戦士の刃が核を貫き、魔将は塵へと還って行った。




