ロイドとシンシア
「斬れない……? これは一体……?」
シンシアが、急激に硬くなった手応えに疑問を抱くと同時に、息も絶え絶えだったロイドが、勢いよく立ち上がった。それどころか、魔導士であるアリナ共々、全身に光を纏っている。魔力の反応も凄まじい程に上昇しており、凡そ同一人物とは思えないレベルだ。
「どうしたよ、シンシア。男前に磨きが掛かって、見惚れてるのかい?」
「ロイド……もしかしてアナタ、これを待ってたの……?」
「そりゃあそうさ。つっても、もうちょい遅れてたら流石にヤバかったけどな。ヴィルハルトの野郎、後で文句つけてやろうぜ、アリナ」
「言っても聞かないでしょうけどね。その方がアイツらしいけど」
ロイドとアリナが、余裕綽々といった様子で笑いあう。シンシアは今彼らの身に起こっていることが分からず、眉を顰めた。何か尋常でないレベルの強化が、二人に掛けられている。記憶を辿り、母が何か言っていたかどうか、考えてみる。
あった。一つだけ。確か、十年前にいた勇者が持っていた――
「『神剣』。そして今それを所持しているのが、ヴィルハルト兄様ということね」
「正解。こうなりゃ形勢逆転だな、シンシア」
神剣の機能たる、味方の強化。その恩恵で、ロイドとアリナのあらゆる能力は大幅に強化されている。今やロイドの戦闘力は、強化前のルドルフら勇者と遜色ない領域にまでなっている。元が最高峰の魔導士であるアリナに至っては、強化前ならばリィズやウルスラさえ凌ぐ魔導士となっている。
対して、シンシアの戦闘力は、アーノルドには数段劣り、かつてヴィルハルトが倒したテオドールと同等といったところだ。つまり、彼らにとって、シンシアは勝てない相手ではなくなった。
「……そうみたいね」
シンシアは目を閉じ、天を仰いだ。『風切羽』は解除したか、彼女の指に纏われていた風は霧散している。
「私、元々戦闘用じゃないからね。勇者や賢者レベルと正面から戦えるようには出来てないのよ」
「知ってるさ。お前の用途は偵察だったもんな。人間の街に紛れ込んで、自由に交流して生きる」
「ええ。ロイド……その中でも、貴方との時間は楽しかったわ」
「ロイド? ……アンタ、そいつの事知ってるの?」
「ああ。……随分前に言ったけど、俺は成人すると同時にリズリーに行ってな」
「その事だけど……アンタ、結局リズリーには何をしに行ったのよ」
「アリナ。……俺の親父の事、知ってるか?」
「親父って……お父さん? いないんじゃなかったっけ?」
「俺もそう思ってた。親父は俺が生まれる前に死んだってな。万が一生きていても、崩れの日で十中八九死んでるだろって」
「そういう言い方するって事は……生きてたのね?」
「そうだ。リズリーで生き延びててな……手紙が届いたんだよ。ちょうど俺が成人したぐらいにな」
*
ロイド・スティングレイが生まれた時、彼の傍にいたのは母親だけだった。父親については、生まれる前に死んだ、とだけ聞かされただけで、それ以外の事は何も知らなかった。その母親も崩れの日で死に、彼は天涯孤独の身となった――と思っていた。
成人し、アリナと共に戦士として生きていこうとしていた矢先、その手紙は届いた。差出人には『グレゴール・スティングレイ』と書かれている封筒には、短い文章を書いた手紙と住所、手書きの近辺の地図が入っていた。何よりロイドが驚いたのは、それらに加えてクライン商会運営の国家間移動用の馬車のチケットが入っていた。しかも護衛付きである。
『自分に息子がいることを、最近になって初めて知った。お互いあの惨劇を生き延びたことは、神が与えてくれた奇跡だと思う。せめて一度、息子の顔が見たい。是非、会いに来て欲しい』
ロイドは慎重に調査して、リズリーに同名の商人が実在することを確認すると、直ぐさまリズリーへ移動した。
リズリーもまた、崩れの日で大きな打撃を受けていたものの、被害の程は他国よりはマシであり、五年経った当時の時点でも、それなりの復興を見せていた。それこそ、大商人ともなれば豪勢な邸宅に住む事も出来る程に。商人の街という評判通りの、逞しさを感じる街並みがそこにはあった。
そうして、記されていた通りの住居に赴いた。そこにあったのは、大きさこそなかなかだが、簡素な造りの一軒家だった。しかし、今尚テントで雨風を凌ぐ住民も少なくないことを考えれば、これでも裕福な部類だろう。
玄関のチャイムを鳴らすと、白髪の目立つ家政婦が出迎えた。
「グレゴール・スティングレイって人の家は、ここかい? ヴァンドラムから呼ばれて来た、ロイド・スティングレイってモンだけど……」
「貴方が、旦那様の……。どうぞお入りください、旦那様がお待ちです」
笑顔と共に通されたロイドは、家政婦に連れられて応接間に入れられた。
そこにいたのは、自分とよく似た顔立ちの、くすんだ金色の髪の中年男性だった。言われるまでもなく、これが自分の父親だと確信出来た。
男性はロイドの顔を見ると、目を大きく見開き、やがて口元を綻ばせた。
「君が……。ああ、本当に私の子なのだな……」
「そうみたいだな。いやまあ、お袋に似てねえのは承知してたけどよ……」
「お袋……サヴィナだな。彼女は……?」
「死んだよ。あの日にな」
そうか、と一言だけ呟き、男は目を閉じた。
何やら自分一人で感慨に耽っている男に対し、最初は感傷的だったロイドだが、徐々に苛立ちが募って来た。
ロイドはテーブルを右手で叩くと、鼻先がくっつかんばかりに距離を詰めた。それでも男の顔には、動揺一つ映らない。
「やはり……恨まれているのだな」
「勘違いするなよ、会えて嬉しくない訳じゃねぇ。アンタがお袋に対して、種類はともかく情があることも今ので分かった。だからこそムカつくんだよ。そんなにお袋が大事なら……俺に会いたかったなら……どうして何も言わなかった? 十五年以上もほったらかして……今更何のつもりだ」
「知らなかったのだよ。サヴィナと共にいたのはほんの一ヶ月程度でね。彼女が姿を消した理由が、君を身籠ったからだったからだったと、ようやく合点が行ったぐらいだ」
「お袋からは何も聞かされてなかったって訳か……いやそもそも、アンタらはどういう経緯で知り合ったんだよ。お袋がリズリーにいたなんざ、俺は何も聞かされてねぇぞ」
「思い出したくなかったんだろう……君は、以前のリズリーがどういった国だったか、知っているか?」
「ああ、聞いたことはあるぜ。何でも悪徳貴族がやりたい放題してて、観光ならともかく住むには地獄だったとか」
「そうだ。まさにその地獄で生きたのが……彼女、サヴィナだ」
それからロイドは、母のサヴィナが如何にしてリズリーで生きて来たかを聞いた。彼女は元々、旅館を運営する一族の出身だが、高騰した税のカタとして貴族に売られ、『あらゆる業務をこなす』奴隷となって生きて来たという。グレゴールはその時、弱小商人として、親から仕事を引き継いだばかりだった。
彼らが出会ったきっかけは――伝説の暗殺者にしてリズリー史上最高の英雄、カルマン・クロフォードによって、彼女の雇い主が暗殺された事だった。カルマンの依頼の中には、『貴族らに従属させられていた奴隷を、別途リスト化された信頼出来る人物に託す』という契約があったらしい。尤も、リスト入りしていたのは彼自身ではなく、父親――すなわちロイドの祖父の方だろうが。
「父――つまり君の祖父は誰に対しても腰が低かった。だがそれは、全てが善意という訳では無い。よく言われたよ。『善人と悪人、どちらにもなれるなら、善人をやった方が後々都合が良い』とね。私もまた、その教えを実践した訳だ」
「面白いこと言うじゃねぇか、爺ちゃん。ちょっと会ってみたかったな」
「それはともかく、私はそうしてサヴィナを、自身の従業員として雇い入れた。最初は実家に帰そうと考えたのだが……彼女の家は、税の負担に耐え切れず蒸発していたよ。少なくとも、リズリーからはとっくにいなくなっていただろうな」
この時代に国外へ逃亡するという事がどういう事か、ロイドは言われずとも分かった。アルマイレとヴァンドラム、どちらに行くにしても、十中八九道中で魔物の餌だ。万が一逃げ延びたとしても、密入国者にまともな仕事をあてがう程、どちらの国も余裕はない。確実と言っていい程、悲惨な事になっただろう。
「そうして雇ったサヴィナだが……想像していたよりずっと、優秀だった。それまで重労働を課せられていたからだろうが、女性とは思えぬほど力があって、重い荷物を軽々と運んでみせた。その上彼女は、どうやら私に恩を感じてくれたらしくてな……『役に立ちたい』と言って、本来任せようと思っていなかった業務だろうと、覚えてこなした。貴族の下で、私なんぞでは想像出来ないような苦役の中生きて来たにも関わらず、それをおくびにも出さない彼女の強さに――」
「惹かれた、って訳ね」
ロイドはその先を読み、鼻で笑って見せた。聞いた手前だが、自分の両親の馴れ初めほど、聞いていて恥ずかしいものはない。
グレゴールは、それまでの遠い目から一転、現実に戻ったかのように真っ直ぐな目でロイドを見た。
「君から見たサヴィナは……どんな母親だった?」
「尊敬してたよ。女手一つで農業から家事まで全部こなして、俺を十歳まで育ててくれた。村に魔物が来た時も、男衆より早く動いて、俺ら子供を逃がしてくれた。お袋はアンタの話を一度もしなかったが……」
ロイドは一息吐くと、兼ねてから考えていた疑問と、それに対する推測を話す。母について語る目の前の男に、多少なりと救いを与える意味も込めて。
「方法はともかく、お袋はヴァンドラムに行ってからアンタの苗字を名乗った。実家の事もあったんだろうが……少なくとも、アンタに対しての想いが無けりゃあ、そんな事はしねぇだろうよ。だからまぁ……アンタの言う事は信じてやる」
今までの話から、グレゴールの語る母の話と、気持ちに嘘がないことが分かった。それに、この家を見る限り護衛付きの馬車チケットを一枚用意するのも、出費としては決して軽くはないだろう。それでもロイドを呼んだのは――ひとえに、息子に会いたかったからなのだろう。そして、ここに迎えたのも恐らく――
「それなら良かった……そこでだ、ロイド。君さえよければなんだが……ここで暮らさないか? 私と共に」
やはりそう来たか、とロイドは内心嘆息した。
確かにこの家は、男二人で暮らすにしても十分過ぎる程に広い。彼の稼ぎも悪くないだろうし、ロイド自身リズリーという地で生活することに、興味もあった。
それでも、ロイドは即座に首を横に振った。
「悪いが、そりゃあ無理だ。俺はヴァンドラムで戦士をやる。手のかかる奴と……約束しちまったからな」
ヴァンドラムには、アイツがいる。勇者の肉親という使命を背負いながら、魔導士としての才に目覚めてしまった、あのお転婆娘が。彼女を置いていく事など、ロイドには到底考えられなかった。
「リズリーでは駄目なのか? ここなら、ヴァンドラムより魔物の数も少ない。危険は少ない筈だ」
「そういう訳にはいかねぇ。付き合うって約束したからな……。ただ、代わりと言っちゃあなんだが……」
ロイドは少し逡巡した後、意を決して口を開いた。
「少しだけこの家に居させて貰いたい。ほんの一、二週間でいい」
ロイドの要求に、グレゴールは当然のように頷いた。
*
ロイドはそれから、リズリーという国を色々と見て回った。最初の三日間は、ただ街や海沿いをブラブラ歩いた。近年工場制手工業が大きく発展したヴァンドラムと違い、リズリーは多くの労働が、個人事業主によって行われていた。観光業は流石に縮小していたが、それでも街行く人々の顔には、活気があった。こういう人が逞しい場所は、どんな困難があっても乗り越えられるだろう。
そうして滞在四日目。その日ロイドは、ヴァンドラムとの違いを見るために、集会所へと足を運んだ。その道中――一人の少女に声を掛けられた。
「あの、もしかして、戦士の人?」
ロイドに声を掛けたその少女は、凡そ一般人とは思えない風貌だった。
よく手入れされた桃色の髪に、清廉なゴシックロリータ調のドレス。それに迷子というには落ち着き過ぎだ。背丈は140cmにも満たず、顔立ちも幼い。どう見ても未成年だが、人生経験を重ねた貴婦人のような風格も見え隠れする。
率直に、一言でいうなら『異様』だ。
「まあ、そうだけど……嬢ちゃん、何か用でも?」
「ええ。私、戦士さんたちに興味があるの。もしよかったら、お話ししましょう?」
「お話し、ねぇ……」
ロイドは少し迷った。今から集会所に行くところだったのだが、別段急ぎの用があるわけでもない。この少女に構う理由は無いが、断る理由もない。
考えた結果、暇つぶし程度に相手をするならいいか、という結論に落ち着いた。
「ああ、いいよ」
「ふふっ、やった」
「嬢ちゃん、名前は?」
無邪気に喜ぶ少女に名を尋ねると、少女は答えた。
「私、シンシア」




