見せてやる
ヴァンドラム議事堂、神剣の間。特殊な材質で構成されたこの空間は、奇妙な程の静寂を湛えていた。
議事堂の外は人類の存亡を賭けた攻防が繰り広げられているのだが、その戦闘の音や衝撃は、この神剣の間には一切伝わらない。部屋の中にはただ一人、ヴィルハルト・アイゼンベルクが神剣の柄に手を掛けたまま、立ったまま意識を神剣に吸われていた。彼が再び動き出すのは、神剣の中で繰り広げられている闘争が決着した時。
その部屋の外で、一人佇む女がいた。
ウルスラ・マージリント。かつてのジュリウスの相棒であり、死後に蘇生術にて復活した、人類史上最高の魔導士。
彼女は仮面の下で、ほくそ笑んでいた。
「もう少しで分かる。貴様と私……何方が正しいか」
ウルスラは、側から見ればヴィルハルトに宛てた独り言を零しているようにしか見えない。しかし、実際に彼女が語り掛けているのはーー今は目に見えない存在。
『そうですね。私はただーーヴィルハルトさんを信じて、待ちます』
蘇生術を用いた際、記憶喪失となった期間が生じた結果生まれた、彼女の別人格。エレイン・アーネットと名乗る彼女は、ウルスラとは真逆の子供じみた性格だった。ウルスラが記憶を取り戻すまでの数ヶ月、彼女はヴィルハルトに保護され、彼の魔導士として活動していた。その経緯もあって、エレインはヴィルハルトに全幅の信頼を置いている。ウルスラが神剣について語った――ヴィルハルトがジュリウスに敗れれば、ヴィルハルトは死に、ジュリウスが再臨するという内容――時も、『ヴィルハルトは負けない』の一点張りだった。
しかしながら、ウルスラも心境は似たようなものだった。
彼女にとって、ジュリウス・ヴァーミリオンこそ至上の勇者である。なれば、彼の魔導士である自分が死から蘇った以上、彼にもそれが出来ない筈がない。
癪だったのは、ウルスラのこの思いが、自分と魂を同じくするエレインにも筒抜けであるという点だった。となれば、彼女の過去もまた、エレインにはとっくに知られていた。
『貴方--ウルスラさんが欲しかったもの、私にも伝わってました。……私は弱いから、たとえ同じ魂でも、貴方の願いに実感を持つ事は出来ません』
「黙れ」
『だけど、貴方の望む物はきっと……ヴィルハルトさんなら――』
「黙れと言った……!」
柄にもなく、少し大きな声を出したウルスラ。そのまま呼びかけようとする彼女に無視を決めこみ、神剣の間に目を向ける。
「ジュリウス……」
ウルスラは、十年前に死んだ筈の勇者に想いを馳せる。
もうすぐ、自分の計画が完遂出来る。確かに自分達は一度エカテリーナに敗れた。いや、一度勝利し、その後敗れた。だが、あれは言うなれば初見殺しの罠。二度目は無い。まして、ジュリウスはエイリークの特性『加速進化』を実質的に所有している。神剣の中でヴィルハルトが彼と闘えば、闘いの中でその戦闘力は格段に進化する。そうして再誕したジュリウスは、必ずエカテリーナを殺せる。
十年前、あの敗北から練り上げて来た勝利の計画。それは間も無く完遂される。
神剣の中の意識空間が、どのように時間が流れているのか。ジュリウスの頃と現在から推察するに、時間の流れは現実と一致している。となれば――
「戦闘開始から十分と言ったところか。そろそろ――ジュリウスの加速進化が牙を剥き始める頃だな」
ウルスラは口の端を歪めた。
ヴィルハルトは強い。だからこそ、ジュリウスの糧として負ける。その確信を胸に、彼女はその時を待ち続ける。
*
「うおっと……やっぱり一筋縄じゃあいかないか」
ヴィルハルトとジュリウスの戦闘は、ジュリウスに天秤が傾きつつあった。
ジュリウスが距離を取り、お互いの剣の間合いから外れた。身体がふらついていたが、ヴィルハルトは追撃しない――否、出来ない。先の斬り合いで右脚の腱を切断されていて、その再生が急務だったからだ。
自身が所有する特性『共有』の、他人が持つ同時に四つの特性を行使出来るという反則的な性能。中でも、エイリークの『加速進化』は群を抜いていた。ここに来て彼は、ヴィルハルトの切り札である練体術の四重行使を習得し、彼から有利を取る事に成功していた。今はまだ術を維持出来るのはものの一秒程度だろうが、これ以上の長さになるのも時間の問題だろう。
ヴィルハルトにとって、『長期戦が此方の不利となる』相手は初めてだった。何故なら、頭部に核を持つ彼の持久力は無限に近い。加えて、最初期の物とはいえ魔将と同等の核であり、そこから供給される魔力も膨大である。そして、魔物に対する極限の憤怒により、戦闘中は一瞬たりとも集中力を切らさない。ほんのわずかでも隙を晒せば、その一瞬に決着が齎される。故に、たとえ魔物であろうと、彼にとって長期戦とは、基本的に自身に優位な戦場なのだ。
しかし、今目の前にいる男は違う。彼の成長性は、特性によって齎されるもの。ヴィルハルトのような観察眼と戦闘センスによるものとは訳が違う。例えヴィルハルトがジュリウスの癖などを理解し突いたとしても、彼はすぐに『進化』し、対応する。
「三重掛けの時も思ったけど――一つ重ねる物が増えると難易度は桁違いだな。けど、まあ――何となく分かってきた。身体強化、四重!」
そうして再び、最強の勇者が剣を振るう。上段から振り下ろされた一撃は、隕石の落下を想起させる人類最強の一撃。
しかしその一撃を、ヴィルハルトは正面から受け止めた。体捌きで威力を殺したものの、それでも鎧が、骨の芯が軋む程の超威力。一歩間違えれば、このまま押し潰されていただろう。
噛み締めた奥歯が砕け、血の味が口内に広がる。それでもヴィルハルトの辞書に、『停止』の文字は無い。
捌き、空いた身体に、首筋目掛けて横薙ぎの一撃を振るう。しかし、今更ジュリウスにその程度の剣は通用しない。
が、直後、ジュリウスが驚愕の表情と共に膝から大きく崩れ落ちた。ヴィルハルトの剣は、ジュリウスには接触していない。彼を崩したのは――脚だった。
「正道の技じゃないから――アンタは知らないだろうな」
剣を振ったのは、囮。本命は、首を狙う剣に気を取られた相手の足元への蹴撃。対魔物では役に立たず、対人でも邪道とされるこのフェイントは、王道の剣技と才覚で登り詰めたジュリウスが、知り得る筈の無い技。
「アンタが俺との闘いで学び、進化するならいい。全て見せてやる――文字通り、死ぬ程喰らうがいい!」
今度はヴィルハルトが、剣を振り下ろす番だった。ジュリウスは体勢を崩しながらも間一髪で防いだが、そのまま地面に倒れ伏し、目と鼻の先に刃が迫る程押し切られている。
「クッ……」
ヴィルハルトの腹を蹴って脱出を試みたジュリウスだが、ヴィルハルトは揺るがない。『硬化』を二重に掛けていた彼に、ただの蹴りは堪えられない一撃ではない。そして、この行動で手元が緩んだ事を見逃すヴィルハルトではなかった。
彼の剣は更に深く押し込まれ、ジュリウスの鼻先に裂傷を刻んだ。
完全に追い詰めた。そう思ったヴィルハルトだが――
「いいや。まだ――身体強化、五重!」
ジュリウスが再び剣を押し返す。ヴィルハルトの更に上を行く、練体術五重掛け。素の膂力で上回る筈のヴィルハルトすら凌ぐ力を身に着けた彼は、そのまま勢いをつけて起き上がり――ヴィルハルトの前から消えた。
特性『光子化』。自身の身体を光の粒子に変換し、神速の直線移動を行う能力。弱点としては、直線にしか動けない事、そして『運動エネルギー』を得ている必要がある事。故に、先の状況はジュリウスにとって、詰みに近かった。しかし、逆に言えば多少でも運動エネルギーさえ得られれば、その方向に向かって文字通り飛んでいける。それ故の身体強化五重掛けによる脱出。少なくとも、過去のジュリウスなら不可能だっただろうが――
「一秒前だって、俺には過去さ」
『加速進化』の力を持つ彼は、段階さえ踏めば進化出来る。四重掛けが出来た以上、五重掛けが出来ない道理は無いのだ。
そうして、ヴィルハルトの後ろにジュリウスは立った。未だ背を向けたままの彼に、ジュリウスの剣が迫る。その時、ヴィルハルトは呟いた。
「身体強化、五重」
「……!?」
ジュリウスの身体が、横に二つに割かれた。
既に剣を振り終えたヴィルハルトは、何が起きたか分からないという顔のジュリウスに告げた。
「言った筈だ……全て見せてやる、と」
「そんな……だが、お前が五重掛けを使えるなんてのは――」
「アンタがさっき言っただろ。一秒前も、俺には過去だ。加速進化など必要ない。俺は俺として、進化し続ける」
そう、四重掛けが出来た以上、五重掛けが出来ない道理は無い。これは何も、ジュリウスだけに当てはまる理屈ではない。練体術の練度で言えば、加速進化の分を合わせてもジュリウスに劣らない。つまり、ジュリウスに出来ることは、ヴィルハルトにも出来るのだ。
「……成程、それがお前の……」
納得したように、ジュリウスは目を閉じた。ヴィルハルトの強さを、心で理解したように。
そもそも四重掛けの時点で、彼は死闘の中で習得した。彼にとって、死闘から学ぶなどというのは、特性に頼るまでもない事。
ジュリウスがやった、ならば己にも出来る。一切それを疑わず、ためらわずに実行した。
死をも恐れず、それでいて確かな道理を以て、黒閃の魔人は加速する進化から逃げ切った。




