受け継がれる
人間と魔物。その最終決戦と言えるこの戦いは、開戦十五分程で大勢を決しようとしていた。アーノルドは勇者三人を相手に優位を取っており、セシルに至っては崩れるのは時間の問題だろう。神剣の下に向かったシンシアは一人の戦士に阻まれているが、それもすぐに決するだろう。
そこまでを考えて、魔王エカテリーナが出した結論はーー人間側が持つのは、長くともあと五分。それ以上立つと、最早神剣が抜かれようと手遅れになる。
「ヴィルハルトか、ジュリウスか……」
何方でも構わない。強ければ。いずれにせよ、急がなければ『あの日』の再現となる。
「さあ、早く私に見せて頂戴……」
妖艶に脚を組みながら、唇を舌で舐める。この逼迫した戦況も、エカテリーナは箱庭の出来事のように見ていた。
*
『やれやれ……完全にやられた……』
下半身と生き別れた身体で、ジュリウスは嘆息した。とはいえ、この姿はあくまでイメージなので、残留思念としてのジュリウスが傷付いた訳ではない。しかし、こうして決着が付いた以上、彼の思念は遅かれ早かれ消えることになるが。
『……悔しいな。負けるっていうのは』
「出来れば生きているアンタにそれを味合わせたかったがな」
『俺も……生きている内に知りたかった』
生前と変わらぬ明るい笑顔を浮かべると、ジュリウスはヴィルハルトに手を伸ばした。
『あまり長くは持たない。それに、こうしている間にも犠牲者が出ているはずだ……だから、本当に必要な事だけを伝えるぞ』
ヴィルハルトはジュリウスの横に膝を付き、手を取った。
『まず、俺があの日エカテリーナに敗れた理由からだ。あの時、俺とウルスラは奴と対峙してーー確かにその核を砕いた。だが、奴はまだ生きていた。いや……命が残っていた、というべきだろうか』
「どういう事だ?」
『エカテリーナは、一人じゃない。奴は自分を複製している。少なくとも、三人から四人は……』
ヴィルハルトは眼を見開いた。
彼らは知らないが、今神剣の外では、彼女の子と言える魔将アーノルドが自身を複製して勇者と交戦している。彼女はその技術を十年前には既に会得していた、という話だった。
『だから一人倒したと思っても、警戒は解くなよ。俺の致命傷は、二体目の不意打ちだったんだから』
「……必ず活かす」
『そうしてくれ。それから、聞きたいんだが……ウルスラは生きているのか?』
ジュリウスの顔つきが、真剣なものから妹を心配する兄のような顔になる。
「生きている。というより、一度死んで蘇ったというべきか」
『……そうか。やっぱりあいつ、あの術を使ったのか……。そうだな、それならこう伝えてくれ』
英雄が遺す、相棒への伝言。残留思念とはいえ、真に彼女を憂いて出た言葉に、ヴィルハルトは眉を顰めた。
「それでいいのか? それで奴が止まるとは思えんがーー」
『大丈夫さ。証拠もある。あいつならきっと……』
分かってくれるさ、と最後までは言わず、ジュリウスは眼を閉じた。
「言いたい事はそれだけか」
『……いや、あと一つ聞きたい』
ジュリウスはもう一度眼を開くと、先と同じ心配性な表情を作った。
『アリナはどうしている? 良い女になったか?』
「……」
予想外の質問に、ヴィルハルトは少し回答に時間が掛かった。
頷いて、安心させて消えさせる手もあった。しかし、ヴィルハルトはそんな気の利いた口など使わない。
意地悪くーーしかし、口元に僅かでも浮かべて言った。
「あれが良い女だと? まさか、あれは最悪の暴れ馬だろう」
ヴィルハルトの返しに、ジュリウスは目を丸くした。
しかし、すぐにまた人好きする笑顔になる。それは勇者ではなく、ただ家族を愛する一人の男の顔だった。
『そうか……それは良かった』
そうしてジュリウスの体が、少しずつ光に溶けていく。光子化とはまるで違う、まさしく溶けているとしか言えない光景。ジュリウス・ヴァーミリオンという存在が、本当にこの世から消える瞬間だった。
『最後に、ロイドやエイリーク……皆によろしく。そして……』
ヴィルハルトが取っていた手が消えた時、ジュリウスは最期の言葉をヴィルハルトに刻んだ。
『勝てよ、ヴィルハルト』
そうして、ジュリウス・ヴァーミリオンは神剣の中から消えた。それは、一つの時代の終焉と形容出来るかもしれない。となれば、後は次の世代が始まる。
「……アンタに言われるまでもない」
ヴィルハルトは立ち上がると、目の前に現れた神剣の柄を掴んだ。そして刃を虚空に向け、薙いだ。
「勝つのは俺だ。精々見ているがいい」
*
「キヒヒ……流石のアンタも」
「実質二対一じゃ、厳しいでしょう?」
横に並んだ二体のアーノルドが、ニヤニヤと底意地の悪い笑みをエイリークに向ける。エイリークは剣を構えて両足を地面に踏み締めているが、体の至る所から血を流し、肩で息をしていた。
「二対一……貴様、いや貴様たちの語る公平さとやらは投げ捨てたか?」
「ノンノン。言ったでしょう、実質と。魔導士が倒れたセシル・クロフォードと合わせれば、至って公平です」
「とはいえ、彼女も少なくないダメージを負っていて、迂闊に動けないようですが」
「故に我ら、実質二対一」
アーノルド二体の笑い声が響く。
こちらを愚弄するアーノルドの態度に顔を顰めるエイリークだが、現状こちらが不利なのは否定出来ない。
セシルの魔導士が倒れた事で、エーヴァに適宜セシルをサポートするよう指示した。しかし、それではエイリークへの支援が厚みを失う。それでも仲間を見捨てるという選択を取れないのは、エイリークが友から受け継いだ矜持故だった。
だが、それで負けては本末転倒。事実、セシルを見捨ててあのまま目の前のアーノルドと打ち合っていれば、今頃分身の一体は倒せた可能性が高い。
「おやおや、どうやらーー彼方ももう終わりそうだ」
アーノルドが視線を向けた先にはーー今まさに首に刃を受けようとしていたルドルフの姿があった。
*
「良く頑張ったわね、ロイド。それとも……魔導士さんのお陰かしら」
議事堂前で起こっていたそれは、果たして戦いと言えるようなものだっただろうか。
ロイドはシンシアに一撃入れるどころか、自身の間合いまで碌に近づく事すら出来ていない。ただ間合いの外から、シンシアの操る風に切られ、嬲られていただけだった。ここまで持ったのは、彼女の言う通り、アリナがいたから。彼女不在か、或いはアリナの腕がもう少し下なら、今頃石の道に骸を投げ出していただろう。
しかし、ロイドはまだ生きている。その真実を誇るように、彼は不敵な笑みを投げた。
「そんなシケた面するなよ。可愛い顔が台無しだぜ?」
「仕方ないでしょう? 物事の終わりというのは、寂しいものなんだから」
「だから……誰が終わりだって?」
「貴方というお人形さんで遊ぶのが、よ」
そうして再び幕を開ける、蹂躙劇。余裕を吹かして見せたロイドだったが、それが虚勢であった事は誰が見ても明らかだった。
「ヴィルハルト……アンタ何やってんのよ」
アリナが、背後の議事堂を見上げた。その中にいる幼馴染を思い、歯噛みする。
神剣の、何より彼の強さを知っているからこそ、苛立ちが募った。その怒りが殆ど八つ当たりであることを知りながら、それでも彼女は感情を殺せなかった。
「アンタの力が必要なのよ! だから皆アンタを待って、戦ってるの! いつまでも『自分は一人だから関係ありません』って面してないでーーさっさと起きなさい、ヴィルハルト!!」
「……ったく、ウチの魔導士様は堪え性の無いことで」
議事堂に向かって声を張り上げるアリナに、ロイドは苦笑しつつも頷いた。左の頬を風の刃が掠めるが、その程度はもう気にもならない。
「けど、アリナの言う通りだ。お前にとっちゃあ邪魔かもしれねぇが、オレたちにゃお前は頼みの綱なんだ。つーわけで、そろそろ起きてくんねぇかなヴィルハルト! 割とこっちもそろそろヤベェんだぞ!」
想いを叫ぶロイドとアリナ。彼らの正面に立つシンシアは、その光景に嗜虐的な笑みを浮かべ、体をゾクゾクと震わせていた。
「まあ素敵……。最後の神頼みというやつかしら。未だ立ち上がる元気があるなんて……なんて壊し甲斐があるの」
興奮に身を震わせるシンシアが再び指を閃かせたーー瞬間だった。
議事堂から光が登り、分厚い雲に風穴が空いたのは。
*
「来たか」
ウルスラが立ち上がり、身体ごと神剣の間を向く。
ジュリウスの時もそうだった。神剣が起動した時は、このような光の柱が登るのだ。つまり、今代の所有者が決まったということ。
ウルスラは、ジュリウスが来ると信じて疑わなかった。彼こそが勇者、彼こそがーー。
「ジュリウーー」
「いや、人違いだ」
神剣を手に現れた男の目と声で、ウルスラは察した。
これはヴィルハルトだ。ジュリウスはーー敗れたのだ。
「何故だ……」
動揺。これまで感じた事がない程の感情が、ウルスラを揺るがした。仮面に隠された、凍りついたような表情など微塵も残らない顔で、彼女はヴィルハルトに食ってかかる。
「何故お前が残る! ジュリウスの地力と加速進化があれば、お前に負ける事など無い筈だ!」
「だが俺が残った。それが事実だ」
ヴィルハルトの凍て付くような言葉に、ウルスラはたじろぐ。そんな彼女に、ヴィルハルトは嘆息した後ーー叩きつけるように言った。
「『変わらないというのは、在り続ける事じゃない。受け継ぐ事だ』」
「……は?」
「ジュリウスからの伝言だ。意味は知らん。……自分で考えろ」
用を終えたヴィルハルトは、彼女に背を向けて去っていく。ウルスラの意識が先の言葉に向き、また精神の揺らぎで現実への意識が大きく削がれた。結果ーー
「待って、ヴィルハルトさん!」
「貴様に構っている暇はーー何?」
立ち去ろうとしたヴィルハルトだが、耳慣れた声音と二人称が彼の足を止めた。
「……エレインか」
「はい! ウルスラさんが考え事に集中し始めたので、どうにか出てこれました! なんか随分久しぶりに感じます」
「……一応聞くが、お前。ウルスラとは同一人物なんだよな」
「みたいですね。まあ、私とウルスラさんじゃ、育った環境なんかがまるで違うので、同じ人とは思えないのは分かりますけど」
「そういう意味では……まあいい」
どういう訳か呆れ気味なヴィルハルト。その理由が分からずエレインは首を傾げた。
が、即座に『それどころでは無い』と立て直したヴィルハルトは、神剣の間を飛び出した。
「動けるなら来い。終わらせるぞ」
「はい! えっと、まずは魔将を倒すんですね!」
「いや、その必要はない」
「そうと決まればーーえぇ!?」
予想外の回答に、エレインは思わず聞き間違いを疑ってしまった。
「いや、待って下さい! 今何処も押されてるみたいで、助けに行った方がいいですよ!」
「俺たちが行く必要はない。見せてやる、神剣の機能の一つを」
外に出たヴィルハルトが剣を地面に突き刺した。その瞬間、神剣が横に大きく開き、血のように赤い線が走った。それは地面を伝って、彼の三百六十度あらゆる方向へ伸びていく。
「俺が行かずとも、こうすれば……奴らなら勝てる」
神剣の機能。ジュリウス・ヴァーミリオンがその剣を手にした時に付与した力。
それはーー味方の強化。
「見ていろ、エカテリーナ。俺の、そしてーー人類の力を」
その時だった。
ヴァンドラムで交戦中の戦士魔導士全てが、凄まじいまでの力を発揮し始めたのは。




