時間切れ
セシル・クロフォードは、確かに聞いた。
喉を貫かれ、チェックメイトといえる敵が――ヴィルハルト・アイゼンベルクが、『笑った』のを。
セシルは、リィズから彼の情報を聞いていた。頭部にある核こそが唯一の弱点である。再生能力はあれど、半分人間という性質上、魔物ほど絶対的なものではない。
そして、生物である以上『血液』が生存に不可欠なのは変わりない。手足を一本奪う程度ではあまり意味がないものの、例えば常人なら数秒で失血死に陥るような攻撃をすれば――つまり、首を落とせば、出血量に再生が追い付かず、死に至るだろう。
リィズの情報が確かなら、右手の刃を横に倒して首を刎ねれば、セシルとリィズは人に化けた魔将を無事に討伐出来るのだ。
しかし、目の前の男は今、確かに笑った。血反吐を吐きながら、それでも明らかに笑い声を漏らした。まるでセシル達を嵌めたかのように。
その時、セシルは気が付いた。
「……動かせない?」
喉に突き立てた短剣が、動かせない。まるで岩にでも閉じ込められたかのように、刃を全く動かせないのだ。
もう一方の刃で斬りつけようとも、彼を欺く為に落としていた。いや、それがあっても、この状況を打開することは出来ないだろう。何故ならこれは――
「『硬化』……それも恐らく四重……!」
人の身体に『硬化』の術を掛けたところで、効力はたかが知れている。例え四重に掛けようとも、宣言無しなら、ミスリルの刃から放たれる最大威力の刺突を防ぐことは出来ない。だが、刃は防げなくとも、一度刺さった刃を『動かす』となれば話は変わる。
しかし、『最後の賢者』リィズ・クロームが、そんなことを予想できない筈はない。そう思っていたセシルだが――その思考は、腹部に突き刺さった衝撃により、中断された。硬化を掛けた拳で、殴られたのだ。
肺中の空気が吐き出され、後方に勢い良く吹き飛んでいく。意地で握っていた短剣が抜かれ、ヴィルハルトの首から噴水のように吹き出す血。その音が遠ざかっていく。ある所でセシルの身体は、何かぶつかって停止した。心臓の音が聞こえることから、後方にいたリィズだと悟る。大きく咳き込んだ後、リィズはセシルを抱えたまま口を開く。
「やられた……よく剣を手放さなかったね」
「グッ……貴方でも、今のは予想外?」
「ああ。刺されてから練体術を行使するなんて、宣言無しでも遅すぎる。首が刃と接触する頃には、行使し始めていたんだろう。初めからそのつもりか。はたまた君のフェイントで防御が間に合わないと悟ってか。それは分からないけど――」
リィズの早くなった心音が、彼女の耳に伝わる。
これまで一度も精神を乱さなかった彼女が、動揺している。それだけ、敵の行動が予想外のものだったということだ。
「彼の狙いは、君から双刃弓を奪うことだろう。その為に文字通り首を差し出すとは……呆れた胆力だ」
ヴィルハルトの狙いを知ったセシルは、額から冷や汗が流れるのを感じた。
リィズの言う通り、地面に落とした双刃弓の片割れが、何処かに放り投げられる音を探知したからだ。もし飛ばされた時、彼女が今持っているもう片方も手放していれば、状況は一変していただろう。
「しかし、だ。まだ諦めるには早いよ、セシル。私にははっきり視えているよ」
セシルを再び地面に立たせると、同時に前方からもう一つ、別の音が聞こえた。正確には前方の地面から聞こえたその音の正体は、リィズが解説してくれた。
「ヴィルハルトが、地面に剣を突き立てた。杖にするために」
「それって……」
「あの出血量は、流石に彼でも堪えたらしい。とはいえ、あまり時間を置いては結局再生されて終わりだ。やるなら今しかないね」
「どうすればいい?」
「短期決戦さ。残りの魔力全部使うよ。次元孔と魔術計を出し惜しみなく使っていく。後は……君の暗殺者としての腕と『耳』が頼りだ」
「分かった」
心臓の無いヴィルハルトの状態は、セシルにはやや掴みづらい。しかし、生物である以上、呼吸だけは聞き取れる。確かに彼の呼吸が少し乱れているのが分かった。
あと少しだ。あと少しで私は、本当に勇者になれる。
亡き父の――リズリーの英雄『カルマン・クロフォード』の娘として、ようやく胸を張れる。
「カルマン・クロフォードの名に懸けて――倒す。『身体強化』!」
父の形見『双刃弓』を握り、切っ先をヴィルハルトに向けた。その時――
「……やはりな。『身体強化』、三重」
呆れとも嘲笑とも取れる声が、セシルの耳に届いた。
「カルマン・クロフォード。その名は俺も知っている。リズリーではジュリウスと同等以上の崇拝対象らしいな。だが――」
「聞いちゃダメだよ、セシル。まともにやったら勝てないから、口で乱そうとしているんだ」
セシルの全身に、『整調』発動時特有の魔導士との一体感が走る。『戦いに集中しろ』というリィズの意志を感じ、気を引き締め直す。
しかし――
「『七光りで勇者に祭り上げられる』ような娘がいては、奴も大した器では無いらしい」
『その言葉』だけは、どうしても聞き流せなかった。
リィズの開けた次元孔に飛び込みながら、感情を乗せた剣を、声と共にぶつけた。
「……取り消せ!」
「その必要はない。俺を討てば父に近付ける、などと考えていたのだろうが……その程度の浅い自己満足の為に渡せる程、俺の首は安くはない。それに……」
大振りになった刃は躱され、お返しとばかりに凶剣が迫る。間一髪で回避した瞬間、仕掛けられていた『黄雷』がヴィルハルトに炸裂。秒間十一発、ロザリアに迫る発動速度で行使されたそれを受けながら、ヴィルハルトは僅かに口端を釣り上げた。
「残念だったな。時間切れだ」
ヴィルハルトの声と共に、後方から爆音が響いた。
その正体は、リィズが作り上げた瓦礫の壁が破壊された音だった。




