三日目、一 ホワイトマスカット
目を覚ますと、背中に冷たい嫌な感覚がある。手を回して確かめると、びっしょりと寝汗をかいていた。シャツを脱ぎ捨て、新しいものに着替える。
俺は立ち上がると、真っ先に玄関の扉を開けようとした。しかし、それは昨日の朝と同じように、ピクリとも動かない。
「夜しか開かねえってことかよ.....?クソが......」
悪態をついて戻り、照明の紐を引く。が、反応はない。
「あ......?...............。おい、嘘だろ……!?」
照明、冷蔵庫、スマホの充電ケーブル。全ての電気が止まっている。
『黒川さん、起きましたか......?あの、こちらは電気と水道が止まってしまったみたいで、困っているんですけど......そちらは大丈夫ですか?』
「す、水道も......!?」
慌てて蛇口をひねる。昨日は確かに出た水が一滴も出てこない。
「マジかよ............」
力が抜け、思わずへたり込む。老婆の言っていた期限まで、まだ丸二日ある。その間飲まず食わずで過ごせというのか。
『やっぱり......そちらもなんですね。......黒川さん、水の備蓄はあったりしませんか?』
「んなもんあるわけ......」
と、老婆に押し付けられたもう一つの品......瓢箪のことを思い出す。確かあれは、昔は水筒に使われていたものではなかっただろうか。
「......ない。いや、ないぞ」
『そう、ですか......。はぁ......一体、どうすれば......』
「まあ大丈夫だって茜、そのうち助けが来るさ、なっ?」
『......はい。弱気になっていても、仕方ありませんよね』
ベッドに座り、ゴミ箱から瓢箪を取り出す。ずっしりと重く、振ってみると液体の入っている音がした。コルクの栓を抜き、においをかいでみる。特に異臭はしない。
......また毒見をさせたいが、水はないって言っちまったからな。
思い切って一口飲んでみる。
「うめえ......」
その水はほのかに甘く、飲むと腹の底から力が湧いてきた。まるで、聖なる力が込められているかのようだ。
と、向こうで茜の動き回る音がした。思わず瓢箪に栓を入れ、布団の中に隠す。
「ど、どうした?」
『ハエが......』
「ハエ?」『はい。何匹も......どこから入ったんでしょうか......』
しばらくハエと戦う茜の音がする。......と、穴の中から、一匹の黒い虫が飛んできた。
「おい......こっちに来たぞ」
『あ......ごめんなさい』
俺は仕方なく立ち上がり、虫けらを叩き潰してやるためにバッグを手に取った。
・・・・・・
「はあっ、はあっ......二度と逆らうなよ、カスが......!」
長い戦いのあと、ハエを壁の染みにしてやった俺は、肩で息をしながらベッドに腰かけて休む。
『ご、ご迷惑をおかけしました......』
「いや、これくらい、楽勝だって」
『お詫びに......これをどうぞ』
穴から、ラップに包まれた白い球体が出てくる。拾い上げて開けてみると、それはぶよぶよと柔らかい。
「うぇ......。お、おい、これホントに食べられんのかよ......?俺に毒見させてんじゃねえだろうな......?」
『毒見だなんて、そんな......。それは、ホワイトマスカットっていうブドウなんです。皮が白いだけで、中身は普通のマスカットですよ』
半信半疑で皮をむくと、中には透き通った透明な果肉と、赤い筋が詰まっていた。少しだけかじってみると、爽やかな香りと、さっぱりとした甘さの果汁が溢れ出してくる。おいしさに驚いた俺は、夢中でそれにむしゃぶりついた。
「……一粒だけ?もっとねえの?」
『す、すいません。少し前に食べた後、冷蔵庫に入れたまま忘れていて......食べられそうなのは、二粒しかなかったんです』
嘘だ。絶対に隠し持ってやがるな。この強欲女め......。
「あー......じゃあ仕方ねえな。半分こだもんな、うん」
『はい。半分こ、です。ふふふっ......』
茜は上機嫌で、ぺらぺらと彼氏とののろけ話を始めた。
『私......彼氏に、一度くらい主役を演じてみたい、って愚痴をこぼしてしまったことがあって』
『そうしたら、あの人は約束してくれたんです。それじゃあ俺が、お前の声のキャラがヒロインのゲームを作ってやるよ、って』
『ゲームなんて作ったことないはずなのに、私のために色々やってくれていて......』
「あーはいごちそうさま.....」
瓢箪の水を飲みながら聞き流す。さんざん喋り終えると小さく息をついて、彼女は言う。
『喉が......渇きました。黒川さんは大丈夫ですか』
「俺?全然平気」
薄笑いを浮かべながら瓢箪に手を伸ばした俺は、間違ってそれを床に落としてしまう。
バシャリ、と中の水が跳ねる大きな音がして、飲み口から少し水がこぼれた。
「やばっ......」
『......なんですか、今の音......』
「へえっ!?や、なんでもねえ、なんでもねえから!」
瓢箪はころころと転がり、壁に当たって止まった。向こうの部屋で重たいものを動かす、ギイギイという音がする。気にする余裕もなく、慌てて追いかけて拾い上げ、栓をした。
「ふうっ、あぶねえあぶねえ......」
中身が流れでるようなことにならずにすんでよかったと、俺は安堵の息をついた。
「うそつき......」
足元から、低く、地を這うような声がした。
「……っ!?」
見ると、そこにはあの、こぶし大の穴が開いている。
「......…………」
よせばいいのに、俺はなぜか引き寄せられるように穴を覗いてしまった。
薄暗い闇の向こうに……穴にぴったりと顔をくっつけた茜の、見開かれた生気のない目があった。
それは、真っすぐに俺を見つめていた。
「う、うわああっ!!」
床を後ずさり、ベッドに背中がぶつかる。
「ち、違うんだ!これは水じゃなくて酒!飲むと余計に喉乾く!実は俺水飲まないと死ぬ病気!これは取っておいてあとで渡すつもりだった!」
俺の弁解に返事をせず、茜はギイギイとベッドをきしませ、どさり、と身を投げ出すと、そのまま静かになってしまった。
流石にまずいと思った俺は、最後に瓢箪の水をごくごく飲むと、まだ、2,3口分の水が残っている瓢箪を、穴の中に差し込んだ。
「水、穴に入れといたから!半分こだから!許してくれよ、なっ?」
「......…......…返事しないってことは、受け入れてくれたってことだよな」
「あーよかった、茜に嫌われたらどうしようかと思っちまったぜ......…」
俺は安心してベッドにもぐりこんだ。
・・・・・・




