一年前(1)
空気が歪む音がして、男が手をかざした先に黒い光が集まっていく。黒い闇属性の魔力が段々と魔法陣を描く中、ネルも指先に魔力を集中させた。あの男の魔法を眼下の街にぶつけさせる訳には行かない。ネルの得意は防御魔法と効果増幅の魔法で、本来はアタッカー型ではないのがこの時ばかりは良い方向に働いたと思いながら白い光の魔法陣を次々と描く。男の魔法陣のサイズから被害範囲を計測し、それよりも大きな範囲を守れるように魔法陣を描いていく。魔力消費体力消費と同じことで、さんざん殴る蹴るの戦いの後に防衛魔法を展開するのはかなり辛い。それでも街を、世界を守るのがネルの使命だ。
「ネル!ネル!君は本当に素敵だね!」
「あなたに褒められたって嬉しくないわ!」
「ハハハッ!そうか!それは残念だなぁ…!」
男が攻撃体制に入ったのを見て、ネルは背後に控える後輩の魔法少女たちに叫んだ。
「私の防御魔法の範囲内に入って!すぐ!」
「でも、先輩!」
「いいから!あなた達まで個別に守りきる力はないわ!」
後輩の魔法少女たち──ハルカとアカリはぐっと頷いて防衛魔法の中に隠れる。男は益々嬉しそうに笑う。何がそんなに楽しいのか、ネルはわからない。男の魔法陣の魔力が満ちて、魔法が発動する。それに合わせてネルも魔法陣に魔力を込めた。
「……ネル、君は僕の魔法をどんな魔法だと思ったのかな」
「なにを……」
「……ははは、ほら、集中しなよ」
黒い光の粒が街に向かって降り注ぐ。ネルも防御魔法を精一杯に展開する。魔力がどんどん削られていく感覚がして、指先から温度が失われていく。それでも、魔法を維持しなければ。街を後輩を守らなければ。それだけの思いで魔法を展開し続ける。目の前がちかちかと白く点滅し、頭がぼんやりし始める。それでもネルは魔法を消さない。
ふっと防御魔法にかかる圧力が消えたのを感じて、ネルも力を抜く。目の前がかすれて見えないが、あの男が中途半端に攻撃を辞めたことはない。すぐに次があるはずだ……と目を開けようとしても、あかない。手首を優しく掴まれた気がした。
「……帰ろうかネル」
「帰る……?」
意識が飛びかけたネルの手首を掴んだ男は、そっとネルを抱き寄せる。攻撃がやんで安心したのか、ネルはぐったりと力を抜いて抱き抱えられている。気絶したネルを男は大切そうに抱き、空間を歪ませて城への扉を開く。
「待ちなさい!先輩を返して!」
「そうだ!」
「何、君たち。僕の邪魔をするの?ハルカとアカリだっけ?君たちはまだ魔法少女になって2ヶ月そこらの新人で、ネルの補助があってようやく半人前じゃないか。君たちに僕を止める手段はない。」
「……!先輩を、どうするつもり」
アカリがじっと男を睨めつける。男は聞かれたことさえ不思議なようで、くすりと笑ってからネルの額に口つけた。
「大切にするんだよ。ネルはもともと僕のものだから。君たちがイメージするようなことはしない。拷問もしない。ただ大切にして、愛して、僕を選んでもらうだけだ。ネルは必ず僕を選ぶ。君たちではなくてね」
「先輩に触らないで!」
「……おかしなことを言う。妻を触る許可を他人に求める夫がいるのかな」
「あんた、おかしいよ!」
おかしい。その言葉に男はピクリと反応した。手のひらに魔力を集中させて、ハルカにそれを向ける。顔は恐ろしいほど冷えきっていて、先程まで熱に浮かされたような顔でネルのことを撫でていた男と同じ男とは思えなかった。
「君たちにはわからない。わかる必要もない。君たちと僕では最初から立場が違う。」
「ぐあっ……!!!!!」
「ハルカ!」
黒い光の塊に吹き飛ばされたハルカを抱き起こした時には、もう男もネルもそこにはいなかった。ただ静けさを取り戻した、普通の街の上空。アカリは呆然と佇んでいた。




