第6話 十本勝負
放課後。
誰もいなくなったグラウンド裏のサブコートで、僕と蓮は向かい合っていた。夕方の風が、少し冷たかった。蓮はボールを足元に置く。
「十本勝負だ」
「十本?」
「お前は俺から一本取れば勝ち」
僕は思わず蓮を見る。
「それでいいんですか?」
「素人相手だからな。これくらいのハンデはやる」
蓮は笑った。
まだ僕を認めているわけではない。むしろ、僕を試そうとしている。
それでいい。
僕もそのつもりだった。
「お願いします」
ボールが動いた。
一瞬だった。
僕が踏み込む。
蓮は僕の動きを見て、簡単にボールを奪った。
二本目。
三本目。
結果は同じだった。
蓮は僕の動きを読んでいた。僕が右へ行こうとすれば、その前に右へ入る。左へ切り返そうとすれば、すでにコースを塞いでいる。
サッカー部のエースと素人。勝負になるはずがなかった。
息が上がる。
足がもつれる。
情けなさが、じわじわと胸に広がった。けれど僕は諦めなかった。ここで折れたら、僕はもう、誰にも信じてもらえない。
そんな気がしていた。
「まだやるのか?」
「はい」
「もう何本も取られてるぞ」
「分かっています」
「勝てると思ってんのか?」
僕は少し考えてから答えた。
「……勝てるかどうかは分かりません」
蓮が眉を上げる。
「でも、勝つために考えることはできます」
蓮の表情が、ほんの少し変わった。四本目、五本目を取られる間に、僕は気づいていた。蓮は、僕の癖を読んでいる。
だったら、その「読み」そのものを使えばいい。
六本目。
七本目。
八本目。
九本目。
僕はわざと、自分の動きを読ませた。
右へ行く。
左へ行く。
また右。
蓮は、そのたびに僕の動きを先回りした。
悔しかった。
負け続けることが、これほど苦しいとは思わなかった。まだだ、と自分に言い聞かせる。最後の一本に、すべてを賭ける。
そして十本目。
最後の一本。
蓮は、今までと同じように僕の動きを読もうとした。
僕は右へ踏み込んだ。
蓮の重心が右へ動く。
その瞬間、僕は逆へ切り返した。ボールが蓮の足元を抜ける。
「なに……!」
蓮が振り返る。
僕はそのままゴールへ走った。
ボールを蹴る。
ネットが揺れた。
静かなグラウンドに、ボールが転がる音だけが残った。蓮はしばらく動かなかった。僕も息を切らしながら、蓮を見る。
勝ったという実感は、まだ湧かなかった。ただ、膝から力が抜けそうだった。
やがて蓮が笑った。
「……なるほどな」
「え?」
「九本目までは、わざと俺に読ませてたのか」
僕は頷いた。
「蓮さんは、僕がどう動くかを見ていますから」
「だから最後だけ逆を突いた」
「はい」
蓮は頭を掻いた。
「だからといって、十本中、九本もわざと取らせるか? 残り一本しかないんだぞ」
僕は答えた。
「蓮さんに勝つには、それぐらいの覚悟がないと無理だと思いました」
その言葉を聞いて、蓮は黙った。僕を見つめるその目から、さっきまでの値踏みするような色が、少しずつ薄れていくのが分かった。覚悟を決めて、負けを重ねてまで勝ちに来た人間が、卑劣な真似をするだろうか。
蓮の中で、そんな問いが形になっていくのが、表情から読み取れた。
「今日は、ありがとうございました」
僕は一礼して、グラウンドを去ろうとした。これ以上、何かを求めるつもりはなかった。
「お、おい、待てよ。お前は勝ったんだぞ。俺に協力しろと言わないのか?」
蓮は戸惑って聞いた。
僕は、きょとんとして振り返った。
「いや、今日は単なるサッカーの勝負で、勝ったら何か要求するなんて考えてないですよ」
嘘ではなかった。
あの瞬間の僕は、本当に、ただ「自分という人間を見てもらいたい」としか考えていなかった。そこには駆け引きも何もなかった。
「はははは、今確信した。お前は自作自演なんて卑劣な事をする奴じゃねえ。お前を信じるよ。俺が玲司の周辺を調べてやる」
蓮は清々しく笑って言った。
「正直な、お前が最初から『調べてくれ』って来てたら信用してなかったかもしれねえ。思慮深くて、勝った立場に執着しなくて、潔い……そういう奴が芝居であんなこと仕組むわけねえよな」
「……」
「俺がお前を見て、そう決めたんだ。誰に言われたからでもねえ」
胸の奥が熱くなった。
ずっと欲しかった言葉だった。噂でも、同情でもなく、誰かが自分の目で僕を見て、信じると決めてくれた。その重みが、じんわりと全身に広がっていく。
「ありがとうございます」
声が、みっともなく震えた。




