第18話 二つの謝罪
第18話 二つの謝罪
玲司が蓮さんに会いに行く前に、もう一人、謝らなければならない人がいる。
穂乃香だ。
「会うかどうかは、穂乃香が決めていい」
僕は、あらかじめ、そう伝えていた。断られたとしても、それが当然だと思っていた。穂乃香は、しばらく黙って、それから答えた。
「……会います。逃げていたら、ずっと怖いままだと思うから」
翌日の放課後、使われていない教室。穂乃香の隣には、蓮さんと、神崎先生が座った。僕は、部屋の隅で見守ることにした。
玲司は、扉の前で一度だけ立ち止まった。それから、深く息を吸って、入ってきた。その後ろから、美波も入ってきた。
「……水野さん」
声が、掠れていた。
「……俺は、水野さんを一か月も怖がらせた。悠真を陥れるために、水野さんを利用した。……本当に、ごめんなさい」
深く、頭を下げる。美波も、その隣で、同じように頭を下げた。長い沈黙のあと、穂乃香が口を開いた。
「……許します、とは、言えません」
玲司の肩が、びくりと揺れた。
「あの一か月、毎日、怖かった。今も、暗い道は怖いです。それは、簡単には消えません」
声は震えていた。けれど、視線は逸らさなかった。
「でも、逃げないで、ここに来てくれたことは、覚えておきます。それ以上は、今は、決められません」
「……はい」
玲司は、頭を下げたまま答えた。穂乃香は、美波にも視線を向けた。
「美波さんも。……あの日のことは、忘れません」
「うん」
美波は、唇を噛んだ。
「ごめん。……本当に、ごめん」
隣で、蓮さんが何か言いかけて、やめた。代わりに、穂乃香の手を、そっと握った。謝れば許される、なんてことはない。それでも、謝らなければ、何も始まらない。その二つを、僕は、その教室で、同時に学んだ気がした。
*
翌日。
僕は玲司と美波を連れて、サッカー部のグラウンドへ向かった。蓮さんは玲司を見ると、腕を組んだ。
「……来たか」
玲司は立ち止まった。
顔が強張っている。
逃げ出したい気持ちを、必死で堪えているのが分かった。美波が隣から小さく声をかけた。
「玲司、大丈夫」
玲司は一度だけ頷いた。そして、蓮さんの前に立った。
「……みんなを騙して、本当に申し訳ありませんでした」
それだけ言って、深々と頭を下げた。続いて、美波も頭を下げる。周囲の部員たちは、まだ納得していない顔をしていた。
当然だと思う。
謝ったからといって、すぐに許せることではない。僕自身がそうだったから、その気持ちが痛いほど分かった。蓮さんも、しばらく玲司を見つめていた。
やがて、静かに言った。
「冤罪を着せられた悠真が、お前を学校に戻そうとしてる」
玲司が顔を上げる。
「だから、俺たちが最初から拒絶するつもりはない」
蓮さんは続けた。
「ただし、簡単に元通りになると思うなよ」
「……分かってます」
「だったら、走れ」
「え?」
「グラウンド三十周」
「……は?」
「聞こえなかったか?」
蓮さんが笑った。
「三十周だ」
玲司は絶句した。
美波が小さく吹き出す。
「ほら、玲司。行ってきなよ」
「お前、笑ってんじゃねえよ!」
「だって、自業自得でしょ」
僕は思わず笑った。
玲司も、少しだけ笑った。張りつめていた空気が、ふっとゆるんだ。
走り出す直前、玲司は背中を向けたまま言った。
「……悠真。ありがとな」
その背中が、少しだけ震えていた。
その日から、玲司は少しずつ学校に戻り始めた。
玲司の件は、穂乃香とお母さんの意向で、家庭裁判所の審判は開かれないことになったと蓮さんから聞いた。許したわけではない。ただ、これ以上あの事件に縛られたくないと、穂乃香が自分で決めたのだという。
もちろん、すぐに以前のようになったわけではない。サッカー部員の中には、まだ玲司を警戒している人もいた。クラスでも、以前のように誰もが玲司を囲むことはなかった。
でも、それでいいのだと思う。信頼は、一度失えば、また積み上げるしかない。一日で戻るものではない。
一週間でも、一か月でも足りないかもしれない。
けれど――。
玲司は、逃げることをやめた。美波も、その隣にいた。帰り道、僕は一人で校門を出た。
ふと、空を見上げる。
以前なら、玲司のことを考えるだけで怒りが込み上げてきた。今だって、全部を許したわけではない。許すということと、相手がもう一度やり直すことを認めることは、同じではない。
僕は、それをようやく分かり始めていた。憎しみを手放したわけじゃない。ただ、憎しみだけで人を見るのを、やめてみようと思った。
僕自身もそうだった。
天音が一人で僕を信じてくれた。
そこから始まった。
美優たちとも、少しずつ話せるようになってきた。玲司はこれから、少し前の僕よりも厳しい目にさらされるだろう。それは自業自得だ。自分のやったことの責任は、自分で取るしかない。それでも、玲司にも、美波という一人の味方がいる。だったら、きっと大丈夫だ。
一人から始めればいい。一人を信じることから。一人に信じてもらうことから。
そして、少しずつ増やしていけばいい。
僕は振り返った。
グラウンドでは、玲司がまだ走っている。その横で、蓮さんが腕を組んで見ていた。美波はフェンスの外から、玲司に向かって何か叫んでいる。
玲司が手を振り返した。その姿を見ながら、僕は思った。
――玲司にも、これからがある。
そして。
僕にも、これからがある。
そう思えた。




