第17話 一人の味方
第17話 一人の味方
その瞬間だった。
階段から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「玲司!」
女の子の声だった。
「お願い、出てきて!」
僕は振り返った。
階段を駆け上がってきたのは、美波だった。来てくれた、と思った。
実は、家へ向かう前に、僕は美波にメッセージを送っていた。連絡先は、蓮さんに頼んで三浦に聞いてもらった。
『玲司の家に来てほしい。今の玲司に必要なのは、僕じゃなくて美波だと思う』
少し間があって、短い返事が届いた。
『……分かった。あとから行く』
美波は息を切らしていた。
目は赤く腫れている。
玲司の部屋の前まで来ると、その場に立ち尽くした。
「玲司……」
ドアの向こうから、玲司の声がした。
「……美波?」
「うん」
「何でお前が……」
ドアが少しだけ開いた。
玲司が顔を覗かせる。
やつれた顔だった。
その顔を見た瞬間、美波の目から涙がこぼれた。
「何で泣いてんだよ」
「だって……」
美波は涙を拭った。
「玲司が学校に来なくなって……みんなが玲司のことを悪く言って……」
声が震える。
「私、怖かった」
「……」
「玲司までいなくなったら、私……」
美波はそこで言葉を止めた。そして、玲司の袖を掴んだ。
「私、玲司が好きだから来たの」
玲司の目が見開かれた。
「……え?」
「ずっと好きだった」
美波の声は震えていた。
「だから、玲司が何をしたって、全部正しいなんて言うつもりはない。でも……玲司が一人で消えていくのだけは嫌」
玲司は何も言えなかった。ただ、美波の顔を見つめていた。その目に、これまで一度も見たことのない色が浮かんでいた。
利用するために向けられた笑顔ではなく、何の見返りもない気持ちを、初めて正面から受け取った人の顔だった。
僕は、その二人を見ながら思った。
玲司にも、いたんだ。
僕が天音に救われたように。玲司にも、玲司を見捨てなかった人がいた。それに気づいた瞬間、胸の中で固まっていたものが、ほどけた気がした。
「ほら」
僕は玲司に言った。
「お前には、こんなに強い味方がいるじゃないか」
「……」
「僕は一人の味方から始まった」
僕は笑った。
「お前も、一人の味方から始めればいい」
玲司は俯いた。
「ただし――」
僕は声を強くした。
ここだけは、譲れなかった。
「もう人を陥れるな」
「……分かってる」
「信頼は、騙して奪うものじゃない。自分で積み上げるものだ」
玲司は黙っていた。
やがて、ぽつりと言った。
「……サッカー部には、どうすりゃいい」
「謝ればいい」
「そんな簡単に言うなよ」
「簡単じゃないよ」
僕は笑った。
「だから、一緒に行ってやる」
玲司が顔を上げた。
「……お前が?」
「お前が謝るところを、見せてもらう」
それから、美波の方を見た。
「美波も一緒に行けばいい」
美波がすぐに頷いた。
「うん。私も行く」
玲司は二人を見た。
そして、微かに笑った。
「……土下座でも何でもするか」
美波が涙を拭きながら笑った。
「そうしなよ。私も一緒に謝るから」
「……お前まで謝る必要ねえだろ」
「いいの」
美波は玲司の袖を離さなかった。
「一人で謝るより、二人の方がいいでしょ」
玲司はしばらく黙っていた。そして、ゆっくりと立ち上がった。数週間ぶりに、自分から部屋の外へ出た。
階段の途中には、玲司の母親が立っていた。
玲司と目が合う。
二人とも何も言わなかった。けれど、玲司は一瞬だけ母親の顔を見て、それから小さく頭を下げた。母親の目に涙が浮かぶ。
「……ご飯、作るから」
それだけ言って、母親は階段を下りていった。玲司は、その背中をしばらく見送っていた。
そして僕を見る。
「……蓮先輩に会う時は、来いよ」
「ああ」
「逃げるなよ」
「それはこっちの台詞だよ」
玲司は鼻を鳴らした。
「チッ……」
その顔は、泣き笑いのようだった。
玲司はしばらく目を逸らしていた。それから、絞り出すように言った。
「……悠真。……すまなかった」
短い言葉だった。けれど、今の玲司にできる精一杯の謝罪だと、僕には分かった。
「許す」とは、まだ言えなかった。ただ、黙って頷いた。
帰り際、玄関先で、美波が僕に小さく頭を下げた。
「悠真くん。呼んでくれて、ありがと。……私一人だったら、来る勇気、なかったかも」




