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契約結婚ですので、定時退勤させていただきます  作者: 九葉(くずは)


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第9話 王前奉上の儀、そして片膝

鐘が、王宮中央塔で、長く鳴った。


建国祭の、開会を告げる鐘だった。


私は控えの間で、深呼吸を一度した。アンナがドレスの襟を直してくれている。濃い夜空の色のドレスに、胸元の銀の刺繍。社交界デビューの夜と、同じ仕立て。


(たぶん、同じ色で、同じ場所に、違う意味で、立てという合図なんだろう)


誰の合図なのかは、聞くまでもなかった。


「奥様、よろしいですか」


アンナの指先が、ドレスの肩を、一度だけ確かめるように撫でた。


「ええ。行きましょう」


私は、証拠を綴じた革の書簡挟みを、手に取った。


胸の奥で、前世の社畜の声が、小さく呟いた。


──いってきます、と。



大広間の扉が、両側から、同時に開かれた。


中央には、深紅の絨毯が、玉座まで、まっすぐに伸びている。その両側に、大貴族たちがゆるやかに列を作って並んでいた。赤い正装、青い略装、緑の外套、金糸の胸飾り。王国と、周辺諸国の使節たち。


玉座にはヴィクトール五世陛下。傍らに、王妃陛下。玉座の下の左右に、第一王子クラウディオ殿下と、第二王子レオナルト殿下が、それぞれの派の者たちと立っている。王子殿下の隣には、ソフィア嬢が、白い儀礼服で、両手を胸の前で組み、しとやかに俯いていた。


神殿長と、聖国の使節団が、広間の左手奥。ヴェールのレイラ様の姿が、その中に、小さく、けれど、はっきりと立っていた。


私とギルベルト様は、大貴族の列の、中程に、並んで入った。


視線が、集まる。社交界デビューの夜とは比べものにならない、重さの視線だった。


けれど、不思議と、今夜は震えなかった。


(昨夜、あの部屋で、この人が、私に選ばせてくれたから)


それだけで、今夜の私の足は、自分の重さで、ちゃんと床を踏めていた。


奏上の儀が、始まった。


国王陛下の合図で、まず王子殿下が、玉座の前に進み出た。


「父上に、奏上いたします。私は、聖女ソフィア・ベルント嬢を、王太子妃として迎える所存でございます。このご婚姻が、我が国にもたらす神の加護は、計り知れぬもの──」


流麗な声だった。王子殿下の、唯一の、確かな才能だ。


ソフィア嬢が、頬をほんのり染めて、王子の隣で、儚げに頷く。周囲の貴族のうち、王子派の顔は得意気になり、反対派の顔は苦くなる。


国王陛下が、王子を見据えたまま、お声を下された。


「──他に、奏上ある者は」


瞬間、広間の左手奥から、白いヴェールの裾が、音もなく進み出た。



「──異議を、申し上げます」


レイラ様の声は、大きくなかった。けれど、大広間の、どこの端にも届いた。


王子の顔が、初めて、歪んだ。


「聖国オルフェニア、聖女レイラと申し上げます。本日、ご婚姻の奏上のあった、ソフィア・ベルント嬢の──聖紋について、公式の鑑定を、お願い申し上げたく」


国王陛下は、しばし黙して、頷かれた。


「──許す」


神殿の鑑定士が、大広間の中央に進み出た。白い僧衣。神前の誓約を済ませた者。


ソフィア嬢の頬が、一瞬で白くなった。


鑑定の所作は、ごく短いものだった。ソフィア嬢の衣の内側に、かすかに浮かんだ聖紋の真贋を、神前の宣誓のもと、鑑定士が宣する。


「──この印は、真の聖紋に、非ず」


広間が、一度、音もなく凍った。


それから、ソフィア嬢の膝が、ゆっくりと、崩れていった。


「──おそれながら」


大貴族の列の奥の方から、若い男がひとり、進み出た。痩せぎすの若い男だ。私は見覚えはなかったが、アンナが小声で「ベルント男爵家の、ご嫡男でございます」と教えてくれた。


ソフィア嬢の、実の兄。


「──わが妹ソフィアは、男爵家の再興のため、聖紋を偽りました。神官の一部を買収し、神託の記録にも、手を加えております。私も黙しておったこと、身命を以て、お詫び申し上げます」


広間の、王子派の貴族のうち、幾人かの肩が、音もなく、ほんの少しずつ沈んでいった。


神殿長が、静かに前に出た。


「神殿の側でも、すでに神託記録の改竄を確認しております。この件、神殿の責として、陛下の御前にて、お詫び申し上げる次第でございます」


広間の空気の重心が、ゆっくりと、王子殿下の側から離れていった。



王子殿下は、硬直したまま、動けなかった。


「──陛下」


隣で、ギルベルト様が、静かに、前に一歩歩み出た。


「辺境伯ラインハルトより、奉上の儀において、併せて陳上いたしたき物証がございます」


「許す」


「我が妻、エリーゼ・フォン・ラインハルトが、所持しております」


国王陛下の視線が、私に移った。


私は、書簡挟みを開き、大広間の中央まで、自分の足で歩いた。


前世で、プレゼンの登壇は、何度もした。


けれど、今夜のこれは、どんなプレゼンより、短く、きれいに、済ませないといけない。


「御前を汚す失礼をお許しくださいませ。辺境伯夫人エリーゼ・フォン・ラインハルトとして、物証を奉上いたします」


私は、深く、礼をした。それから、手袋を脱いだ手で、書面を、順に、差し出した。


「まず、光源魔導具改革案、自筆の原本でございます。封蝋は、王子殿下が、本件を御前に上奏された日付よりも、はっきりと以前のものでございます」


王子の顔色が、灯りの下で、色を失った。


「次いで、シュタイナー伯爵家、借入証文の写し。連帯保証人の欄に、王子殿下のご署名と、王家の印。──家の経営悪化以来、長きにわたり、債務は不履行の状態にございます」


王子殿下のこめかみに、汗が一筋、はっきりと伝った。


「さらに、前シュタイナー伯爵夫人──私の亡き母の、遺言書。王家書庫保管の正本の、控えでございます。冒頭に、『アガタには、何一つ、譲らない』の一行がございます。継母アガタが、母の遺産から継承した品々は、本来、母の意思によって、継母へは、一片も渡らぬはずのものでございました」


貴婦人のひとりが、小さく扇を握り直した。


「以上の物証につきまして、ラインハルト辺境伯家より事前通知の控えでございます」


私は一礼して、下がった。


広間には、誰ひとり、動く者がいなかった。



国王ヴィクトール五世は、長い沈黙を置かれた。


それから、玉座の手すりに、静かに片手を置き、お声を発せられた。


「──王子クラウディオ」


「はっ」


「そなたの王位継承権を、剥奪する」


広間が、波打った。


「北部離宮にて、蟄居を命ず。余が赦す日まで、王都には戻らぬ」


王子殿下の膝が、ゆっくりと、砕けた。


「ソフィア・ベルント」


ソフィア嬢の震える頭が、上がった。


「神官詐称の罪、軽くない。神殿預かりの上、聖国へ送り、神の前にて、長き懺悔行を命ず」


「──」


「シュタイナー伯爵夫人アガタについては、爵位夫人としての位を剥奪し、実家へ送還せよ。サリア嬢は、王都の修道院にて、静修を許す。シュタイナー家の爵位は、善良なる分家筋に、改めて下す」


国王陛下は、ここで一度、息を整えられた。


「王太子は、第二王子レオナルトに改める」


レオナルト殿下が、静かに片膝を折って、頭を下げた。


処罰は、淡々と下された。暴力の言葉は、一言もなかった。ただ、制度と、法と、記録だけが、それぞれの席を変えていった。


──これが、ざまぁ、ということだった。


私は、一度も、笑わなかった。笑う必要がなかった。誰も、もう、私の名前を「元婚約者殿」とは呼ばなくなる。ただ、それだけで、十分だった。



大広間が、まだ沈黙したまま、ゆっくりと動き出そうとしていた、そのときだった。


隣にいた、ギルベルト様が、静かに、私の前に歩み出て──片膝を、深紅の絨毯の上に、折った。


大広間の、全員の視線が、集まった。


「エリーゼ・フォン・ラインハルト」


半音低い、あの声が、いつもより、ほんの少しだけ、大きかった。


「俺は、契約ではなく──」


彼は、そこで、息を吐いた。


「妻として、君を、愛している」


それから、少しだけ、顔を上げた。


「昨年の春の、建国祭。王宮舞踏会。君が、給仕の少年を庇ったあの夜から、ずっと、だ」


広間の奥で、誰かが、息を呑んだ。


私の喉の奥で、熱いものが、ぎゅ、と詰まった。


詩集。


バルコニー。


嵐の夜の、外套。


指先への、あの、短い口づけ。


全部が、昨年の春の、あの舞踏会から、この人の中で、ずっと、続いていたのだ。


私は、一度、目を瞬かせた。


それから──できるだけ、まっすぐに、


「……はい」


と、答えた。


それだけだった。


それだけで、ギルベルト様の肩が、ほんの少し、落ちた。安心したように。


広間に、拍手が、起こった。


初めは、第二王子レオナルト殿下の、ゆっくりとした、手拍子から。


次に、神殿長。


次に、レイラ様。


それから、大貴族たちの、一拍遅れた、しかし確かな手拍子が、広間いっぱいに、広がっていった。


国王陛下が、玉座の手すりで、一度、深く頷かれた。


王妃陛下が、扇の陰で、わずかに笑われた。


私は、ギルベルト様の差し出した手に、ようやく、自分の指先を、預けた。

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