守りたいから
「――全体戦闘準備! 錘型の隊列を組み突破する! くれぐれも足を止めるな!」
レオリンの鋭い号令が響き、跳ね起きたセシリーはリュアンと共に御者席に移動する。これまでは出来る限り交戦を避けていたが、おそらく戦いが避け切れない程魔物の密度が増えてきたのだろう。
「始まったか……お前は中に居るんだ!」
「いいえ! 私も外に出て、皆を守ります!」
そんな会話を交わし、ふたりは御者の兵士の両脇に陣取った。
もう白砂の砂嵐で遮られていた視界の奥には、淡い光の膜で覆われた黒い靄が巨大な山のように見えている。
王太子の連れてきた精兵たちが、矢印のような隊列を組んで砂地にはびこる魔物たちを排除してゆく。それらは、ティシエルの言っていた瘴気が寄り集まってできたもので、実体のない黒い影のような姿だ。羽根を持った牛や、双頭の獅子といったような、いくつかの動物が組み合わさったような奇妙な形状のものが多い。
「怯むなーっ! くっ、物理攻撃は効果が薄いようだ! 魔法を使えるものは頭部を狙え!」
魔力を温存しようとしたのか、馬上のレオリンが長剣を抜いて魔物の腕の一本を切り離す。だが傷はすぐに繋がり、元通り腕を振り回し始めたため、やむなく彼は魔法で呼び出した魔力の剣で、頭から一刀両断した。
兵士たちは攻撃力の高い魔法を扱えるものを先頭に置き、魔物の大軍を蹴散らし進む。だがその数は膨大で、力を温存するように言われていたリュアンたちも手を貸そうとするものの、周りに止められる。
「聖女様と守り役の方は力を温存していて下さい!」
「我々を信じて! 必ずあなた方を無事に送り届けます!」
(ありがとう……)
果敢に魔物たちと立ち向かう兵士たちにセシリーはせめて祈る。どうか彼らが無事に家族の元へ帰れますようにと。
今はまださほど瘴気の影響はないが、これから近づくにつれそれはどんどん生命力を奪ってゆくだろう。兵士たちにも渡した小さなチャームのような魔道具がここからは存分に力を発揮してくれるはずだ。瘴気を防ぐために多大な魔力を浪費せずに済み、セシリーはこれをくれたティシエルに感謝する。
誰ひとり欠けることなく一緒に帰る……それがセシリーの、いや、ここにいる全員の願い。リュアンも想いは一緒だというように、背中を手で支えてくれた。
「よし、抜けたぞ! 突き進め――っ!」
先頭で剣を振るレオリンの下、力を合わせ魔物囲いを突破した部隊は真っ直ぐに封印の地へと突き進む。所々にできた光の膜の隙間から、中で渦巻く瘴気が噴き出し、空へ昇っていくのが見える。
あの内部へ飛び込む……それを考えただけでセシリーの心臓がぎゅっと縮む。
「大丈夫だ、俺が何が起きてもお前を守る」
「はい……」
リュアンの力強い宣言にセシリーが強く前を見据えた時――。
「あ、あれはっ!?」
兵士のひとりが大きく叫んだ。瘴気の発生源から、彼らの何十倍もある怖ろしい大きさの黒蛇が二頭、地面を這い進んでくる。
「くっ!? 防御態勢を取れ! 聖女たちに近づけさせるな!」
素早く判断したレオリンの命令も意味をなさず、前列の兵隊たちが一頭の大蛇の首振りで薙ぎ倒された。そしてもう一頭がそれに続いてセシリーへと首を伸ばして来る。
「――えっ!?」
セシリーは驚愕していた。黒蛇の動きは見えていたにもかかわらず、目を見開いたままになっていたのは、その頭の上に乗る赤い髪の青年に目を奪われていたからだ。
大蛇の舌が瞬時に伸び、セシリーの身体を巻き取って連れ去る。予期していたのか、リュアンは空中で剣を抜いてそれを断ち切ろうとしたが……同時に、蛇の頭上から飛び降りた赤髪の青年がそれをさせまいと彼目掛けて剣を振り下ろした。
「ぐうっ、セシリーッ!!」
「リュアン様――!」
からくも受け止め、離れてゆくセシリーの姿を見ながら続く攻撃をかわすリュアン。そうして逃げ去る大蛇と自分との間に立ち塞がった部下の姿を、彼は苛立たし気に咎めた。
「ラケル……どうしてお前が!」
「追わせませんよ、団長……。ここであなたとの決着をつけ、彼女にふさわしいのは僕だと証明させてもらう!」
「やはり、お前はセシリーを……」
赤い目を爛々と光らせると……ラケルはかつての憧れに剣を付きつけ、尋常でない速度で襲い掛かった。
◆
――ドポッ……!
大蛇と共に封印の膜が覆う瘴気の中に飛び込んだ時、まるで汚泥の中に突き落とされたような不快な感覚がセシリーを襲った。息を吸う度に体の中の魔力が荒れ狂うのを感じて、吐きそうになりながらもセシリーは、身に付けていた小さなポーチから銀の手鏡を取り出して祈る。
白い光がセシリーを包み、不浄な瘴気を遠ざける。荒く息を吐いて呼吸を整えたセシリーの身体は、ある地点で地面に放り出され、蛇の姿は手のひらほどに小さく縮みどこかへと這い進んでゆく。
「ここは……」
おそらく、そこは廃墟だと思われた。いくつもの瓦礫や崩れた建物が、白砂にうずもれた状態で地面から突き出していたが、それらは試しに触れただけでそれは粉々に砕けてしまう。
(エイラ……あなたなんでしょ? 私をここに連れてきたのは……)
なんとなくそう思いながら、小さな蛇が使役者の元に戻ると信じ、闇の濃い中心の方に向かって近づいていく。きっとこうしている内にも、一分一秒と自分の寿命は削られるのだろうが、それを気にしている余裕もない。
そこは静かな場所だった。建物を風が通り抜ける音だけが微かに響き、光も差さず、動く者も自分以外には誰もいない……物悲しく、しかしどこか安らぐような……そんな、寂しい世界。
どこからか発されたささやかな光を頼りに、セシリーは闇を掻き分けてゆく。
そしてやがて、見上げるほどの大きな白砂が固められて出来た柱が見えてきた。
全体がほのかに輝き、上端付近から瘴気を吹き出しているそれは、見方によっては大地から魔力を吸って成長した大樹にも見えなくもなく、月精の森で見た女神の依り代と重なる雰囲気があった。吸い寄せられるようにゆっくりとセシリーはそれに近づいたが、人影に気づいて途中で足を止める。
「いらっしゃい、セシリー」
柱の根元に足を折りたたむように座っていたのはエイラだった。小さな黒蛇は袖口に滑り込むように消え、彼女は立ちあがるとこちらへと向かってくる。包帯が巻かれた左肩の傷が痛々しいが、その表情からは親愛の情すら感じられ、敵意があるようには見受けられない。
何を話せばいいのか咄嗟には浮かばなかったセシリーは、ついさっき浮かんだ疑問を解消しようと尋ねた。
「なぜ私をここへ?」
「別に、好きで連れてきたわけじゃないわ。私が呼び出していた二体の魔物に、万一あなたの姿が見えたら攫って来るよう命令しておいただけよ。もしかしたらと思ってね……おかげであの赤髪の子は、王子様と戦えたみたいだけど」
「ラケルになにかしたの!?」
キッと強く睨むセシリーにも、エイラは穏やかに返答した。
「いいえ。ちょっとばかり素直になるおまじないをして、魔法を教えてあげただけよ。元々あの子自身、とても素晴らしい才能を持っていたから。時代が違えばひとかどの人物になれていたでしょうね」
それだけでは彼がリュアンを裏切るような真似をすまいとは思うのだが、これ以上は詳しく話してくれない気がする。加えて、セシリー自身もここでやらなければならないことがある。
彼女に確認するまでも無く、セシリーは確信しつつ白い柱を見上げる。
「これが、『暗黒』という存在と、リズバーンが一緒になった姿なのね……」
「ええ。元々はもっと人らしい姿をしていたのだけど……長い時が経つにつれて次第に変わってしまった。と言っても、一度も言葉すら返してくれたことなんてないのよ。触れても、苦痛の憎悪の感情が伝わって来るだけ」
エイラは、その柱に愛おしそうに触れた。もしかしたら、セシリーに出会う前や、出会った後でも彼女はここを訪れたことがあったのかも知れない。
「あのお伽噺は……すべて、本当のことなの?」
その姿を見て、セシリーは分からなくなってしまった。彼女たちがこうまでして暗黒を復活させようと思ったのは何故なのだろう。人々を苦しめたいだけなら、自分たちの欲望を叶えたいだけなら……もっと他に方法があったのではないか。彼女たちは、一体何を思って行動して……。
「――そこまでにしておきなさい。決して私は何も話さないし、それはもう明かされる必要のないこと。そんなことより、あなたもこれで納得できたかしら? こんなところまでやって来てしまってどうするつもりだったの?」
彼女はセシリーのよく知るエイラの顔で、まるで違う誰かのように話す。
「仮に私を聖女の力で消し去ったとしても、もうこれ以上封印は保てない。暗黒の復活は止まらないわ。瘴気は広がり、人も大地も何もかもを飲み込んで、この場所のような静かな砂の世界に変えてしまう。戻って、あの王子様でも赤髪の坊やでもいい……せいぜい肩を寄せ合って残り僅かな時を楽しんだらいいじゃないの」
「……ううん。それをさせないために私は来たんだ」
セシリーはポーチから、丁寧に布で包んだふたつの石を取り出す。片方はあの時森で女神様から預かったもの、もう一方は太陽の女神の眷属であるサニアという黒猫から託されたものだ。
「それは……?」
「この中には月の女神様と、太陽の女神様がいらっしゃるの。彼女たちが、たったひとつだけ方法を教えてくれたから、私が暗黒を元の世界に連れて行く」
それを聞いたエイラの表情に、初めて焦りの色が浮かぶ。
「……させないわ。セシリー……私たちだけは、絶対に彼を裏切らない! 『闇よ……深き闇よ、我が血と混じり、集いて千の茨をで罪人を抱け!』 さあ、死の籠の中で永久の眠りにつきなさい!」
エイラの渾身の叫びと共に、左肩から霧のように吹きだした血が、瘴気と混じってゆく。それらは鋼鉄のように硬く、黒く、鋭い棘を作りだしてセシリーの周りを覆った。
「ごほっ……少しだけ待ってあげる。このまま貫かれたくなければ、そのふたつの玉をこちらに転がしなさい。そうすれば、惨い苦しみを味わわなくて済むわ」
エイラは口の端から血を零し、苦しそうに息をしながらも黒い棘をセシリーに近づけてゆく。だが、彼女はそれに構わずエイラの方に歩み寄ろうとした。
「それは、できないの……。もう無理するのは止めて、エイラ!」
「いいえ……あなたがその気ならもう容赦しない! ここで……死んで!」
エイラは拡げていた両手を、何かを包むように閉じ込む。それに合わせ針が隙間なくセシリーを覆い、姿が見えなくなった。しかしそうまでしても、彼女は命乞いのひとつもしない。
最後にエイラがなにかを小さく呟く。
それを合図にして、血と闇で出来た黒い針がすべてセシリーを、刺し貫く。
「…………これで、終わった……。はぁ……」
こぷっと、またも血を吐いたエイラは、膝を落とすと祈るように目を閉じる。
しかし、その耳が砂を噛む音を聞きつけ、顔を大きく跳ね上げた。
「どう……して」
前からは、無傷でこちらに向かってくるセシリーの姿があった。
有り得ないことだ。彼女は防御用の魔法陣すら描いておらず、もちろん詠唱もしていない。
例え、聖女としての力が有ったとしても、この濃度の高い瘴気の中では十分に発揮できない。エイラは確実に葬れる自信と覚悟の下で、命を削ってまで魔法を放ったのだ。
だが現に彼女にはかすり傷も見受けられず、その動きになんのぎこちなさも無い。呆然とするエイラの目の前まで進むとセシリーは、少し控えめに笑い、やがてかがみ込むと、エイラの体を優しく抱いた。
息が楽になり、体が動くことに気づいたエイラはセシリーを突き飛ばそうと手を挙げたものの、途中で腕がだらりと下がる。
「あなた……」
「私、ちょっとだけ分かったんだ……この、魔力っていう力のこと。どうして私たちがこれを扱えるようになったのか」
セシリーは白銀色に輝いた目を開くと、エイラに語りかけた。
「女神様は魔力のことを、自分たちがもたらした、この世界で人々がまだ見つけてない力だって言ってた。けれど、それは感じられないだけで昔からずっと私たちの周りにあった。色んな自然現象や、伝説やお伽噺で語られるような不思議なこともきっと……何かが動かしていて、それはちゃんと信じて向き合えば、応えてくれる」
「くっ……」
エイラはやけになったか、魔法で小ぶりの赤いナイフを呼び出すと、セシリーに突き刺した。しかし……それは彼女の体に触れた瞬間、時を戻すかのように切っ先から根元まで崩れ、溶け消えた。
「発動した魔法の……制御を奪った? ……いえ違う。魔力そのものが、彼女を傷つけることを拒んでいる……? 意思を……交わしているの? そんなことできるはずが……」
今、セシリーの周りでは瘴気と化していた大きな魔力すら、触れる端から浄化され、清らかな光へと変わっていっていた。彼女を守るように取り巻き、広がっていく光の輪は、見るも美しい幻想的な光景だった。
セシリーはそれらを嬉しそうに微笑みながら見上げた。
「この子たちに私たちみたいにはっきりとした意思はないと思う。でも……こうして私の心を汲み取ってくれて……ちゃんと他の子たちにも伝えてくれているみたい」
「セシリー……そんなことをできたのは、あなただけよ……。でも……」
明らかに……人の身には許されない大き過ぎる力だ。代償が伴うのは必然だった。セシリー自身の身体からも薄っすらと光が放たれ闇に溶け込んでいく。
望んで自分から、彼らと……魔力と同じものになろうとしている。エイラの使う安っぽい変身の魔法などとは次元が違う。不可逆かつ、取り返しのつかない変化。
エイラは諦めたように体の力を抜くと、セシリーの顔を見つめた。
「そんなことをしたら、もう二度とこちら側の世界には戻れない。愛した人や、仲間たちと言葉を交わすことはおろか……生まれ変わることすらできないわ。かつての我が主のように、誰とも永遠に言葉を交わせない場所へと赴くことになる。あの世界の孤独さをあなたも知っているのでしょう?」
かつて、セシリーが女神と出会った世界。あたかも月の大地に降り立ったかのような、無限に広がる白い空間。リズバーンに作られた魔女の記憶でそれを知ったのか、エイラはセシリーの肩を揺さぶった。
「今ならまだ間に合う。止めなさい……きっと、永劫にも近い時をひとりで過ごさなければならないのよ!? そんなものをあなたが耐えられるわけないでしょう! あなたみたいな……強くない、ただの女の子が」
「やっぱりエイラだ」
セシリーは、彼女の身体を嬉しそうにしっかり抱き寄せた。エイラの頬には一筋、光るものがあった。
「……どうして、そこまでするの?」
「決まってるよ。大好きな人たちだから。あなたも……皆も」
セシリーはエイラの額に自分のものをそっと当てた。それだけで、エイラにも彼女の望みが伝わっていた。
「ここで皆が幸せに生きていて欲しい。悲劇なんて……誰も全部は失くせないけど、でもそれ以上の幸せがこの世界にあるって、私は信じてるから……! 痛みや辛さ、恐怖に負けないで、少しずつ誰かと誰かが繋がり合って広げていったこの世界を、私も守りたいんだ!」
こんな場所に似つかわしい晴れ晴れしい笑みを、セシリーは浮かべ、額を離す。
「……安心して。暗黒も、リズバーンももう解放する。彼らのせいで多くの人が苦められてしまって、許せない人もいるかも知れない。でも、もうずいぶん長い時が経ったから……誰かが、終わらせてあげないって思う。そうすればまた、いつかは誰かの居場所がここに作られるかもしれない……新しい一歩を踏み出せる人が、現れるかも知れないから」
(あ……れ……)
そうして彼女が立ち上がろうとした時、エイラは強烈な眠気に襲われた。身体がぐらっとゆれ、セシリーの服の裾を掴もうとした手も、空を切る。
「私の……たったひとりの素敵なお姉ちゃん。元気でいてね……」
「セシリー……」
弱々しくこちらに伸ばされた手が、地面に落ち……エイラが安らかな吐息を立て始めるとセシリーは、その寝顔をじっと見つめた後、暗黒の封じられた柱の元へ走って行った。




