やるべきことを
天候は、ここのところずっと晴れない。空を見れば常に薄暗い雲が包んでいる。
乾いた細かい白砂がさらさらと地面の上を流れてゆくのは、強く奥に向かって吸い込まれてゆく空気のせいだろう。それは目的地に近づくにつれどんどん勢いが強くなっている。
東のファーリスデルと、西のガレイタムの丁度中間で挟まれるように位置するリズバーン砂丘。
その中心部……かつてある王国の王城があり、悪王リズバーンが封じられたというその場所へと向かって、節刻みの舞踏会の日から二日後、セシリーたちは出立した。
馬車の隣で座るリュアンがそっと肩に手を置く。
「セシリー、あまり気負うなよ。もし失敗しても俺たちや、仲間たちがなんとかする……」
「大丈夫です、リュアン様。やれますよ、私」
窓の外に向けていた顔を引き戻したセシリーに怖れは無く、今は笑顔が戻っている。数十名からなる少数精鋭の部隊、その真ん中に位置するこの馬車に乗っているのは彼女とリュアンだけで、全体はフレアが同行するように頼んでくれたレオリンが指揮している。
フレア自身は今、時計塔にいる。太陽の石が破壊され、不安定になった大災厄の封印を少しでも長く持たせるため、ほとんど睡眠も食事もとらず一日中祈りを捧げているのだ。彼女の献身が無ければもしかしたらとっくに封印は解かれ……復活したリズバーンにより両方の国が今周りを囲むような、見渡す限りのまっさらな砂地へと変えられていたかも知れない。
彼女や、王都を発つ自分たちを勇気づけてくれた人、違う場所で戦ってくれている人たちの事をセシリーは思い浮かべた……。
――事件後、王城に赴いて国王に事態を説明したレオリンにセシリーたちも帯同しており、通信用魔道具で連絡を取ったガレイタムの王太子ジェラルドとの会話にも参加した。
あちらでも時計塔の不調が甚だしく、すぐに異変には気付いたらしい。大規模部隊を編成して国の各地へ防備に送らせると共に、再封印の為に用意していた人工魔石の大半をファーリスデルに輸送してくれるとジェラルドは約束してくれ……レミュールやマーシャも、少しでも助けになる可能性があるならと、実家へ戻っていた聖女候補を呼び集め月の石に祈りを捧げると言っていた。
王都近辺では魔力の節約のため、魔道具の使用が一時的に禁止され、多くの技術者や魔法使いが徹夜で議論を交わして封印を維持する知恵を絞り出そうとした。大量の魔石が王都に集められ、慌ただしく魔道具作成師や魔法使いが時計塔の上下を行きかい、わずかでも魔力の消費を減らせる方法を模索したが……。
「約一週間……それが両国の全ての知識を結集させ、できることは全てやって封印を持たせられる限界なの。それが、私たちの技術者の出した結論……」
王城にて開かれたという会議に参加していたティシエルは、大災厄の封印について掻い摘んで説明してくれた。
「う~んとね……。封印の形状は砂丘の中心部を丸ごと覆う、クロッシュ(料理蓋)みたいなものを想像して欲しいんだけど……。それぞれの時計塔が発する魔力で出来た封印は、実は別々の役割を果たしてたんだ……」
彼女はその場で取ったメモを見せてくれる。それによれば、封印はふたつのものからなる二重構造をしているらしい。月の時計塔から発された魔力は拡げた布のように上から災厄の発生源を包み込み……一方太陽の塔から放たれた魔力は網のようにそれに被せられて各所を押さえつけ、補強している。
「両方とも一応単独でも効果はあるから……おそらく本来の再封印の手順だと、まず太陽の――網目の封印の方が日中に力が強まるのを利用して耐えている間に、月の石側の封印を解いて短時間で貼り直す。そして次は、月の――布の封印の方が力が強まる夜間に逆のことをする……そうして弱められた封印を張り直した後、しばらく安定するまで魔力を大きく補充してあげる。準備さえしっかりできれば、この方法で安全に封印を掛け直せたはずなの……けど」
知的好奇心に輝いていたティシエルの顔は一瞬で曇ってしまった。
「太陽の石が破壊されちゃったから……網が弱まって以前の三分の一の強度も保ててない。布の方にも負担がかかっていつ破れてもおかしくないし、多分実際にもう綻びができてると思うの。多分どれだけ魔力があっても封印を維持することができない……お手上げの状態なんだ。仮にこれをどうにかできる方法を持っていたとしても、きっと近づくほどに漏れだした闇の魔力――瘴気に晒されて、セシリーの寿命が縮んじゃうよ……それでも、行くの?」
涙をこらえるような顔で彼女は言った。頭のいい子だから、きっと詳細を話さなくてもセシリーの役割を理解してくれていて、引き留める言葉を掛けないでくれている……そんな気遣いがセシリーは嬉しかった。
その日は黙って頷くと別れ……その二日後、出立の日。クライスベル邸を発つ前にもまたティシエルは来てくれた。涙をいっぱい貯め込んだ疲労の濃い顔で彼女は大きな袋をセシリーに押し付ると、逃げるように走り去って行く。
袋を開けてみると、中には瘴気を防ぐための魔導具がいくつも入っていて、添えられた彼女と同じ髪の色のパステルカラーの紙片には、無事を願う言葉があった。それは途中までしか書かれていなかったけれども、端が滲んだその文字に彼女の想いが窺えて……十分に元気づけられた。
次いで、ロージーとメイアナが食べきれない程多くの食事を作って持って来てくれた。ふたりにはリュアンたちも事情を話していないはずだが、町の中央に立つ時計塔の様子を見て何かを感じたのだろう。不安に思ってもおかしくないはずだが、彼女たちはいつもと同じ明るい表情で接してくれる。
「団長にちょっと遠出するって聞いたからさ……。あんたたち、ちゃんと揃って帰って来なさいよ――」
「また、いつでもリュアン様とお茶を飲みににいらっしゃってくださいね――」
ふたりのいつも通りの笑顔は、セシリーに大きな勇気をくれた。
そんな中……一番取り乱していたのは、父、オーギュストだったかもしれない。
「セ、セシリー、父の形見だと思ってこれらをすべて持ってゆくのだ、いいな? 私が厳選した品々だ……きっとお前の身を守ってくれるはず!」
「いやいやいや……無理に決まってるじゃない」
屋敷の庭には食料品や生活用品、女性用の甲冑や果ては子供服やおもちゃなどよく分からない品々がうずたかく積まれており、げんなりしながらセシリーは断った。
「あのねぇお父様。嫁入りでもこんなには持たせないわよ……。しかもあんまり向こうで使えそうな物が見当たらないし」
「よ、嫁入りだと……!? ぐぬぅ、やはりそういったことを意識するところまで仲は進展しているのか? だ、だがなセシリー……娘を任せる親としては、これくらいの準備はしなければ気が済まんのだ。本当に行ってしまうのか、やはり私も着いて……」
概ねの事情を知っているオーギュストを説き伏せるのはものすごく大変で、旅立つ前の大事な二日間は殆どがそれに費やされたと言っても過言ではなかったが、大事な家族なのだからそれも仕方ないとセシリーは割り切ることはできた。
セシリーは泣き崩れそうな父の首に手を回して抱きしめた後、軽く突き放す。
「駄目よ。お父様にも大事なお役目があるんだから。それに……大丈夫。私の隣にはちゃんと彼が居てくれるんだし」
オーギュストは各地にいるクライスベル商会の支部と連絡を取り、今も多くの物資を王都へと集めてくれている。と同時に、他の多くの商会と連携を取って、王国軍への補給線の役割を務めなければならない。リズバーン砂丘付近ではもう多くの魔物と兵士たちの戦いが始まっているのだ。
「娘さんは俺が守ります」
隣に立つ、出立の直前に迎えに来てくれたリュアンをセシリーが肘で突き、頭を恥ずかしそうに下げた彼をオーギュストが憎々し気に睨む。
「ぬがーっ! 団長殿……いや、リュアン君! 娘に少しでも傷を付けたら許さんからな! いや……やはり不安だ。よし! ここで私と決闘して勝った方が娘に着いて行くことに……」
「いい加減にしてお父様! そんなことしたら、もう一生口聞かないからね!」
「くそっ……ああわかった、もう何も言わん! ただ……リュアン君、父親として頼むよ。必ずふたりで戻ってきてくれ。私は妻にろくな結婚式を挙げさせてやれなかったから、娘の花嫁姿くらいくらいはしっかりこの目に焼き付けていつか報告してやりたいんだ」
「……は……はい、必ず!」
リュアンはそんなオーギュストの言葉に赤くなった後、しっかりと背筋を伸ばし、返事をしてくれた。そのかしこまった様子に満足そうに大笑いすると、オーギュストはふたりの背中を押してクライスベル邸から送り出す。
エイラの事は……オーギュストには、しばらく旅に出る言っていたと嘘を伝えてある。彼もなにかを察したのか小さく頷いただけで、その後寂しげな背中を向けてじっと考え込んでいたから、きっと父にとってもエイラの存在は大きなものだったのだとセシリーは思った……。
最後に、町の出入り口にある馬車乗り場に出向くと、整列した兵とレオリン、そしてキースの姿があった。
「来たな……。では準備がよければ声を掛けてくれ」
こちらを気遣ってレオリンは隊列の先頭に歩いてゆき、セシリーたちはキースと向き合う。
魔法騎士団の仲間たちも、すでに魔物の脅威に備えるため各地へ赴いている。リュアンが守り役としてセシリーと共に赴かなければならないため、キースは本部に残り、正騎士団と連携を図りつつ全体を指揮する役目を担う。彼はいつも通りの調子で皮肉を言い、共に戦えないことを悔やしがった。
「はぁ、こんなことであれば、団長に舞踏会の相手役を任せなければよかったですかねぇ。セシリーさんの晴れ姿をこの目に収められなかったのも残念ですし」
「なんだと? お前みたいな軽薄男にセシリーと踊る権利があると思うな。こいつの相手は俺だけだ。オーギュストさんにだってさっきちゃんと認めてもらったんだからな」
「おやおや、独占欲丸出しで恥ずかしい人だ……。ま、その勢いがあれば大丈夫ですか。ちゃんと彼女を守り切ってあげてくださいよ」
口元の片方だけをニヤッと上げると、キースは並ぶふたりをしっかり見つめる。
「本当に面白いものですね、人とは。互いと出会ってからのこの数か月で、ふたりとも大きく成長したように見えますよ。自分自身でも変化に気付いているのではありませんか?」
「ま、まあ多少はな」「……少しだけですけど」
謙遜する二人に微笑ましい視線を向け、キースは鼓舞するように言う。
「周りの人たちも私も、皆信じています。今のあなたたちならば必ず、災厄の封印を再び成し遂げて戻ると……。王家にこれでどんと貸しを作って、無能な重鎮どもや正騎士団をせいぜいいびり倒す立場に帰り咲いてやろうじゃありませんか。その時が楽しみですね……それと」
「わかってる。ラケルとリルルのことだな」
迷うようなそぶりを見せたキースの考えを汲み取ったかのように、リュアンは重々しく頷く。
ラケルは舞踏会があったその日、魔法騎士団本部から姿を消してしまったのだという。そしてリルルも彼を追ったか、時を同じくして首輪を外し、どこかへ行ってしまったらしい。
「団長、部屋にあなた宛ての手紙が残されていたそうです。私も中身は見ていません」
簡素な白い封筒はロージーが彼の部屋を掃除に入った際に見つけたそうだ。キースから手渡されたそれを開き素早く目を通したリュアンは、冗談っぽく笑って懐に仕舞い込む。
「……あいつも向こうにいるとさ。丁度いい、皆まとめて終わらせて連れ帰る。こんな時に勝手した罰は重いぞ……終わったら五割減給の上、当分王都外周を魔法無しで走り込みだな。リルルは当分飯抜き……いや肉抜きだな。野菜なら食わせてやる」
「ほどほどにしてあげてくださいよ、ただでさえ少ない団員に辞められたら調整役の私が困るんですから」
「それもそうだな……。さあ、そろそろ行くか」
「では、私からの餞別の言葉を」
背筋を伸ばしひとつ咳払いした後、キースは朗々とした大声で述べた。
「『魔法騎士団隊規第十条――団員たる者、最も尊むべしは人命とし、いかな状況にあっても決して諦めを抱かず、己と仲間を守り抜き団へと帰還すること』! もちろん忘れてはいませんね、おふたりとも?」
「……ああ!」「はい!」
「よろしい! では、お気をつけて……」
ふたりが一緒に返事をすると、彼は笑顔になって頷き、順番に手を握る。握手はたっぷりと長く……キースの言葉に出来ない思いが伝わって来るかのようだった。
「あなた方に女神様たちの御加護があらんことを……!」
「行ってくる!」「頑張ります!」
最後に彼は敬礼をしてくれた。それに同じように返すと、リュアンとセシリーは心残りを持たず、王都からリズバーン砂丘へと向かう馬車に乗り込むことができたのだった――。
多くの人との別れを経て、セシリーは今は遠くにあるファーリスデル王国を想う。
あの国には、皆がいる。何よりも大切な……守るべきかけがえのない人たちが。
セシリーはリュアンが膝の上に戻した手をそっと握った。
「リュアン様……私、初めて自分が、自分でよかったって思いました。多くの人に出会えて……あなたが隣に居られて、その人たちのためにできることがあるから」
するとその手を彼も、下から握り返してくれる。
「……オーギュストさんだったら、きっとお前を連れてこのままどこかへ逃げただろうな。俺もそうしたい……。お前を危険な目に遭わせることがわかってるのに……。でも俺だけが、お前を守ってやれると思うと、凄く今嬉しいんだ」
リュアン自分のマントを外すと、それで包んだセシリーの身体を自分の膝の上に倒させて、目を閉じさせた。
「しばらく休んでろ……いや、俺の傍で休んでくれ。少しでもお前を身近に感じていたい」
「はい……」
温かい体温とリュアンの香りに包まれながら、セシリーはしばらく幸福せそうに微睡んだ。




