目覚める暗黒(やみ)
つい数時間前に送り出してくれたそのままの姿で、セシリーにとって実姉にも等しい人物は、こちらを見つめている……。
「お願いエイラ! 何をしているのかは分からないけど、今すぐその手を放してこっちに来て!」
セシリーは彼女に向かって懇願した。だがエイラはセシリーを嗜める時と同じ顔でそれを拒む。
「これを見て何をしているのかというのはないでしょう? この《太陽の石》を壊そうとしている。それ以外になにか解釈がおありでしょうか? ねえ、皆様方……」
「その通りだな。リュアン、セシリーを下げてくれ。フレア……奴を排除する」
「ええ、わかっていますわ。ここで止めなければ、この国は終わる……」
「やめて! エイラを傷つけないで……!」
叫ぶセシリーをリュアンが抱き寄せ、正方形の部屋の中心にいるエイラを左右から挟み込むように移動したレオリンとフレアが魔法を詠唱する。
「死にたくなくばその手を放し防御にでも徹していろ! 『光よ、我が手に集い、英雄の御剣を顕現せよ』、ゆくぞ!」
「派手に吹っ飛ばせないのが面倒ですわね……! 『光精よ、朝陽を束ねし鏃にて、暗闇を打ち抜かん』」
レオリンとフレアの手にそれぞれ、光の剣と弓が現われ、エイラを狙う。セシリーはリュアンの腕から抜け出そうと暴れたが、それは叶わず……目の前でレオリンの切っ先がエイラに届こうとする。
しかし、セシリーは見ていた。彼女から余裕の笑みが消えていないのを。
「若いですわね。飛び出す前に足元をよく見なければ。『闇よ……宵闇の腕よ、背く者を縛り、戒めの苦界へ落とせ』」
詠唱と共にエイラは爪先で地面を強く叩いた。
たった今起動した、部屋の地面を覆い切るほどに大きく描かれた赤色の魔法陣に気づけなかったのは、元々あった稼働中の魔法陣に紛れ込んでいたせいだろう。地面から夥しく現れた黒い手が、光剣がエイラの肩口に吸い込まれるより半瞬早く、レオリンを地面に引きずり倒す。同様に、光弓もその一本を貫いただけに終わり、フレア自身も体を縛りあげられた。
「こ、こんなっ……ここまでの魔力とは」
「……不覚でしたわ」
「日中であればしばらく手こずったかも知れませんけれど……大した戦いも経験していないあなたがたではこんなものでしょう。まあ、死にはしませんわ。大人しくそこで見ていて下さいな」
レオリンやフレアも、おそらくこの国で片手の指の数に入る程優秀な魔法使いだ。多少の罠ならそれごと斬り伏せるつもりだったのだろうが……彼らにもエイラの持つ、ふたりを歯牙にも掛けない魔法の技術と狡猾さは計算外だったはず。一体どこにエイラがこんな部分を隠していたのか、身近にいたセシリーにすら想像もできなかったのだから。
「ぐううっ……セシリー、大丈夫か」
リュアンがセシリーを庇うように腕を回し、彼女ごとその身を闇で出来た腕で縛られるが……それを無視してでも、セシリーはエイラに問わなければならないことがあった。
「エイラぁっ! どうして……どうしてあなたが!? あなたは、私が小さい頃からずっと姉のように面倒を見てくれて、お父様を支えてくれて……ずっと家族みたいに育って来たじゃない! こんなことする人じゃないって、私が一番わかってる……お願いだから止めてよ!」
そんな叫びも、エイラの表情にさざ波ほどの変化をもたらすことはない。
「そうでしたわね。十年以上、ずっと御嬢様のお世話をさせていただきました……。でもそれには、理由があった。あなたの行動を、怪しまれずに把握するためだったのです。その意味が今ならお判りでしょう? レフィーニ家の正当な血筋を継ぐと知った、いまのあなたなら……ねえ?」
彼女が平時ではピンクの、現在は赤い目を指さしてセシリーはぞくっと、背筋に寒気が走る。エイラは……たしか、オーギュストがサラの死後、ファーリスデルに移った直後に孤児であった彼女を見つけて拾い上げたことがきっかけで商隊の一員となった。当時セシリーの世話をしていた乳母につけて行儀や家事一般を学ばせ、彼女自身もそれを望んだため……徐々に大きくなるクライスベル家に仕え、セシリー付きの侍女として働くことになった。
しかし、それが全て彼女によって仕組まれたものだったとしたなら?
多くの事件に関わる、赤い瞳の人物の正体がエイラだったとしたなら……。
その内にもわずかずつ、《太陽の石》に入った亀裂が大きくなる中、セシリーはそれを否定しようと叫ぶ。
「そんなはずない! だってあなたは私に色々なことを教えて、ずっと傍に居て守ってきてくれたじゃない! それが本当なら、なんであなたは私を……」
その先は冗談でも言いたくなかった。彼女が自分に危害を加えるなんて……あの彼女から感じていた愛情が、全て偽物で、何らかの目的の元に装われたものだったなんて。
「はぁ…………。そちらにも色々とあるように、私にも自分自身ですら知らなかった事情があったのですよ。皆様は、両国に伝わる聖女の伝説をよく知っていらっしゃることと思われますが……その中に、ふたりの魔女が出てきたのは御存じでしょうか?」
唐突にそんなことを言い出すエイラに、レオリンが苦痛の呻きを漏らしながら問いただした。
「リズバーンに与したと言われる、眷属たちか。それがどうした……奴らはリズバーンの封印の前に、王と聖女たちによって消し去られたはず……。いや……まさか」
レオリンに意味ありげな笑みを浮かべて黙らせた後、エイラは静かに告げる。
「当時の彼らはそれで事が済んだと思ったのでしょうが……あなたがたが思うよりも、魔女は執念深く、周到であったようですよ。もしもの時を考えて自らの血を人へ継がせ、そこへ封じた記憶と力がいつか目覚めるようにしていた……。それはまあ、それほどまであなたたちの存在を煙たく思っていた証拠でもあるのでしょうけど……ふふふ」
口元に手を添え、妖艶に喉を鳴らすエイラは、語りを締めくくる。
「そのかいあって魔女たちの血筋と記憶は今世まで保たれ……成長までの長い時間を掛けてようやく、魔女の意思は私と混ざり合った。さあ、今度こそ五百年前からの因縁を終わらせましょう。もう十分に栄華は保たれた……あなたがたが最後の時の見届け役となるのです。太陽の王と、彼の愛した聖女の後胤たちよ」
「お前が、あの魔女の生まれ変わりだと? ふざけるな! たとえそれが真実で……私たちがここで敗れようとも、人々は最後のひと時まで足搔くことをやめない! 必ずや誰か生き残り……いつか貴様たちを封じる!」
レオリンは、闇の手の呪縛から、光剣を支えにして力を振り絞り立ち上がろうとする。そして……。
「太陽の加護がなくても……私たちの胸の中にはいつも光がある。痛みも苦しみも、怖れも……それをすべて奪いつくすことなどできはしませんわ!」
祈りの力か、身を包む金色の光でフレアも闇を押しのけた。そんなふたりにエイラは眩しそうに目を細める。
「あらあら……これ以上引きずってしまえば、面倒なことになりそうですわね。早々に目的を達して退散いたしましょうか。けれど、いいのですかお嬢様。このままではあなただけなにもせず、みすみす仇を逃すことになりますわよ?」
(仇って……なによ)
じっと自分を見つめるエイラを、リュアンに庇われながらセシリーは彼の身体の隙間から見ていた。何かをしなければという気持ちと……彼女を痛めつけたくないという気持ちがせめいで、頭の中がどうにかなりそうだった。そんな中、エイラは挑発するように言った。
「御嬢様、お忘れではありませんか? あなたの母親を殺した魔物のこと……いやあるいは本当に、どうして亡くなったのかは知らされていないのかもしれませんわね。でしたら、教えてあげましょう。オーギュスト様たちを襲い、あなたの母サラ様の命を奪ったのは、暗黒の眷属の片割れである青い魔女。つまり、私のいわば半身とも言える存在だったのです!」
「……あなたたちが、お母様を」
セシリーの瞳から涙と共に、意志の光が零れ消えた。途端にあたりの闇の濃さが一層増し、リュアンは体をきつく締めつける圧力に歯を噛み締める。レオリンたちもそれに抗えず再び地面に膝を突く。
「セシリー! しっかりしろ! ……どうしたんだ、一体!」
「うふふ、ご存じかしら。……そうした暗い感情の発露により、聖女と称される人物が悪しき者へと身を堕としたことが過去何度もあったのです。あなたもこちら側へいらっしゃる? 歓迎しますわよ」
悲しみと憎しみがセシリーの心を包んで、どうにもならなかった。目の前で、自分の最大の理解者でいてくれた彼女が薄笑いを浮かべて佇んでいる。母の命を奪ったのが自分たちなどと言って……。
(辛い……苦しい……嫌だ、嫌だ嫌だ……。こんな気持ち、耐えられない!)
聖女の祈りと反対の負の感情――呪いともいえるようなものが、強い魔力として彼女の身体から外へと湧き出てゆく。それにより、光と相反する闇の魔法力――エイラの力もさらに強められ、太陽の石にも勢いを増した亀裂が深く刻みこまれていった。
「それでいいのです。私は……このエイラの奥底から、片割れを奪ったオーギュスト様の元で、全てを忘れて幸せな生活を送るあなたを監視し、いつか絶望に落とし込んであげようと見ていた。私はあなたを憎み、あなたが私を憎む……それが本来の正しい形だったのだから」
魔女とひとつになってしまったエイラはどこかそれを安堵したような眼差しで見つめた後、動けない四人を放って、半ばまで割れた太陽の石に精神を集中し始めた。小さな罅が全体にまで走り始め、全体が砕けるまでもういくばくもない。
「セシリー! 騙されるな……!」
「嫌……もうなにも聞きたくない、見たくない!」
そんな中、リュアンはふたりを包み込もうとする闇の腕に抗いながら、目も耳も塞いで全てを拒もうとするセシリーに向けて必死に声を絞り出した。
「たとえ彼女がああ言おうと……何らかの目的があったとしてもだ! 何年も何年も長い間、彼女はお前のことを育て、励まし、見守っていてくれたんだろ……それがお前の中にある真実じゃないのか!」
彼は力を振り絞ってその手を必死にセシリーの頬へ添え、思いの丈をぶつける。
「そんな大事な思い出が、たった今明かされた少しくらいの辛いことで信じられなくなったのか? そんなはずないだろ……お前なら、どれだけのことがあったって皆を見放したりしない! 頼むから顔を上げろ! 本当にあの人をそのまま、仇にしていいのか!?」
「……リュアン様」
セシリーの肩が震え、両手が胸の前でぎゅっと握り締められ……闇の圧力が微かに弱まる。それを見てエイラは小さく舌を鳴らした。
「ふん。月の王、裏切りの子の子孫よ……あなたこそ私を憎むべきでは? 十年前の事件で聖女となった娘を襲わせたのもこの私。それを聞いてもまだそんな甘いことを言えますの?」
「あんたの話を聞いた時からわかっていたさ……そんなことは」
リュアンはエイラを怒りの籠る瞳で一瞥し、彼女の言葉を否定した。
「だがな……ラナは復讐しろなんて、一言も言わなかった。自分と出会ってくれた皆に感謝して、この世界に生まれられたことを喜んで、俺たちにそれを守るよう託して逝った! その気持ちを受け取った俺が……憎しみなんかに囚われるわけにはいかないんだ! セシリー、思い出せ……お前の中に居る彼女を!」
「忌々しい……! あなたから先に葬れば、その子の憎しみも増すでしょうね。決着は着けられなくて、あの彼は悲しむかもしれないけれど……先に消えていただきましょうか」
エイラはリュアンに向けた二つ目の魔法陣を、片方の手でじっくりと時間を掛けて描いてゆく。地面に描かれた拘束目的のものとは違い、殺傷力の高い魔法――空中に姿を現した、巨大な深紅の棘が彼を一撃の下に葬らんと狙い定める。
切迫した状況下で……リュアンの腕の中、震えながらセシリーはエイラとの記憶を思い起こしていた。
小さな頃は、よく一緒にお風呂に入って優しく体を洗ってくれた。
近所の子供と大喧嘩して泣いて帰ってきた時も、慰めて一緒に謝りに行ってくれた。
父が仕事で出かけて恋しくなった時、寂しくないように一緒のベッドで眠ってくれた。
熱を出した時、初めてのお料理に失敗した時、小さな悩みでくよくよした時……いつも傍にいて見守ってくれていた――そんな記憶、いくらでもある。いつでもおかえりなさいって、抱きしめてくれたじゃない。
大好きな……本当に大好きな家族のひとり。血の繋がりなんてなくても、互いにどんな過去があったとしても、もうかけがえのない……絶対に失いたくない大事な人。
(私が信じないと……信じたいの! お願い、力を下さい! 傷つけるためじゃなくて……あの人に、想いを届けるための力を……!)
戻ってきて欲しいと、それだけを祈る。ただ彼女の笑顔を思い浮かべて。
「……うッ!?」
セシリーの意思に応じたように、太陽の石が強い光を瞬かせて一瞬だけ広間の闇を払い、魔法陣を描くエイラの指先が乱れた。
「――でかしましたわ!」
「――この機は逃さん!」
拘束が緩み、レオリンの光の剣が魔法陣を切り伏せ、フレアがすかさずエイラを狙い矢を放つ。棘は完成を見ずに四散し、迫る光の矢が、エイラの肩を撃ち抜いた。
「あぐっ……」
「止めてぇっ!」
しかしエイラはそれでも石から手を離さなかった。レオリンはそのまま強引に剣をエイラの腕に振りかざし……セシリーの叫びが、その両方に向けられた。だが、無情にも……。
――ピキ……ピシッ……。
破砕音が、広間の隅々へ届くほど明瞭に響いてゆく。誰もが顔を覆う。
「ああっ……!」
そして……ついに。
――キンッ。
言葉を失うセシリーたちの前で……清らかで儚い音と共に太陽の石が砕け散った。それはその形を光の粒へと変えて、天井の採光部から空へと消えてゆく。
「くそぉっ!」
「そん、な……」
エイラの手をかすめた光剣を消し、跪いたレオリンが地面を手で叩いた。フレアは壁に囲まれたある方向へ畏れの視線を向ける。
セシリーにもその気配は感じられた……。遠くで、とてもよくないものが……とてつもなく怖ろしいものが蠢き始めてしまった。
体を包む闇の腕が解ける。見ればエイラは、口元に笑みこそ浮かぶものの……流れる血もそのままに、肩でする息をこらえようと必死だった。
「ふ、ふふ……。これで……目的は果たせましたわ。後は滅びを待つだけ」
これまで部屋中に描かれ、歯車のように組み合わさり回転していた魔法陣の動きがひとつずつ止まり、次々と消えてゆく。異様な静寂の中、彼女は一度だけセシリーに目をやった。
「人を疑うことをしない、素直で可哀想な御嬢様……。いえ、セシリー……私、あなたが幸せそうに笑うのが、嫌で仕方なかった。もう二度と会うこともないでしょう……それじゃあね」
ふっと微笑むと彼女はその身を蝙蝠へと変え、開口部から飛び出して行く。しかし誰もそれを追う気力を持てなかった。たった今……封印の一端を担う宝珠が崩れ去り、もしかしたら今にも暗黒が復活を遂げるかも知れない……そんなおぞましい息遣いが、体の傍で感じ取れるような気がしていた。
「……なんとかしないと」
まず動き出したのはフレアだった。彼女は頭に嵌めたティアラを外す。中心に隕石から取り出したという橙色の宝石が輝くそれを、太陽の石が乗せられていた台座に添えた。
ほのかにそれは輝き、部屋に描かれていた魔法陣は明滅を繰り返しながら作動した。だが、それらの動きは錆びたようにぎこちなく……大きな不安を感じさせる。
「私が……いながらこの様とはッ!」
「レオリン様……起こってしまったことはもう仕方がありません」
「……そうだな、済まない。嘆く暇があれば、ガレイタムに連絡を送らねば……向こうでも異変は感じているだろうが」
「こうなった以上、いつリズバーン砂丘から魔物たちが湧出し始めるか……」
「わかっている、早急に兵の手配を――」
レオリンたちが考えをまとめようと話し合う中、セシリーはエイラが去っていった空を見つめていた。
「セシリー……」
リュアンがそんな彼女を気遣い、支えになって立ち上がらせると……セシリーはフレアの元に寄って行った。
「……フレア様」
「力を尽くしましょう。それしかできないもの、わたくしたちには……」
もうできることは無い……そうわかっているかのように、らしくない弱々しい表情で笑うフレアに、セシリーは言った。
「ひとつだけ、できることがあるかも知れません。私に行かせてください……封印の地へ」
「……どういうこと? 何か方法があるの!?」
藁をもすがるフレアたちの前で、セシリーの口から、あの日月精の森で女神から伝えられたもうひとつの方法が明かされ……それは数日後実行に移されることになる。




