公爵家嫡男の破滅
会談当日、王城の会議場のひとつに集められたセシリーたちは、ファーリスデル国王の登場を静かに待っていた。
(お父様……体の調子でも悪いのかしら。なんだか顔色が悪い……)
セシリーは隣に座る父オーギュストを心配して目線を膝の上に落とす。
――レオリンとフレアとの対話から戻った後、自宅には父が帰って来ていた。
セシリーがルバートを無事助け出したことを告げると感謝の言葉をくれたが、その後も彼の顔色は優れず、どこで何をしていたのかは教えてくれなかった。
後日、王城にて行われる会談には父の出席も求められていたため、それを伝えると……彼は何か考え込むようにしたあと、重々しく頷いただけだったのだ――。
旅先で何かあったのかわからない。しかし、彼がこんな風によっぽど思い詰めた顔をすることは珍しい。オーギュストはこう見えて重要なことはあまり他人に話さないから、胸につかえていることがあるのならば、家族の自分にくらい打ち明けて欲しいとは思うのだが……。おそらく娘に無用の心配を掛けまいと黙っているのだろうし、あまり強いことは言えない。
現在、出席者はそれぞれの指定された座席の隣に立っている。楕円形の円卓のこちら側にはリュアンを筆頭に、キース、オーギュスト、セシリー、そしてこの日のために証言を頼んだ一人の人物が順番に並ぶ。
すでに対面側にも、記憶にあるのと同一人物とは思えないくらい禍々しい目つきに変わってしまったイーデル公爵とマイルズがついている。更に続いておそらく法務相の役人である男と、たしかクライスベル商会の前で一度見かけたフォルアンサム男爵や数人の男が列席し、後は会議の裁定役となる高貴な方々の入場を待つだけだ。
やがて扉が開き、煌びやかな衣装を纏った男性が入室してくると共に、面々は揃って礼をする。
彼は左右ににっこりと威厳たっぷりの笑顔を向けた後、奥に進むと楕円の先端部分……上座に着座し、全員にも同じようにするよう促す。
次いで入室した王太子が男性の隣に立つと、こちら側を済まなそうな目線で一瞥してきた。彼は今回中立の立場として進行役を務めなければならなくなったとのことだ。
そして厳かに開始の宣言が男性の口から述べられた。
「うむ。余がファーリスデル王国第十五代国王ファルド・エイク・ファーリスデルである。皆の者、我が城へよく参った。そなたらの顔と名前は聞いておるので、挨拶はよいぞ。話を手短に済ませてしまおう。では、第三者であるレオリン、双方の主張を説明せよ」
「ハッ! では、そちらのイーデル公爵の求めから――」
以下がレオリンが読み上げた訴状の内容だ。
――イーデル公爵は公衆の面前で嫡男マイルズ氏が侮辱を受けたことにより、ファーリスデル魔法騎士団団長リュアン・ヴェルナー氏の身辺を調査した。
すると多数、暴力的犯罪の疑いが浮かび上がり……そのような人物が国家を象徴する騎士団に籍を置き続ければ、いずれ我が国の信用を失墜させる事態にもつながりかねないと憂慮したのだという。
よってイーデル公爵はリュアンから騎士団員資格を剥奪し、また彼の知己で固められた魔法騎士団を解体すると共にその団員たちも正騎士団内にて再編成、再教育を行うべきだと考えた――。
もちろんそれはリュアンにとっては身に覚えのない事実で、あまつさえ自らだけでなく団員さえも処罰の対象に含めたとんでもない内容だったが、彼は珍しく感情的にならず、イーデル公爵とマイルズを強く見据えていた。
「他方、リュアン氏側の訴えはこのようになっております――」
余裕の表情をして鼻で笑うイーデル公爵たちを余所に、今度はリュアン側の主張をレオリンは読み上げてゆく。
――リュアン氏は、マイルズの侮辱の件ついては彼がセシリーにとある喫茶店で圧力をかけ、自由を侵害しようとしたのを止めただけで、騎士として当然の行いであったと主張。
そしてその後のマイルズの行いこそ……報復のためにセシリーとリュアンを暴行し監禁するに留まらず、クライスベル商会に打撃を与えるべく支配人である男性を誘拐。フォルアンサム男爵や市民と共謀して店舗内外で恫喝行為を働き、それを隠蔽するために父親であるイーデル公爵に働きかけ騎士団や法務省に圧力を掛けさせるなど非常に悪辣であると説明。
マイルズ個人の行動もさることながら、実子である彼を優遇し、有りもしない罪を造り上げて他者を陥れるような行為をする者が国家勢力の枢軸に存在することを許すべきではない。断固抗議する――。
王太子による文章の読み上げはそう締めくくられた。
全員の前で語られた訴えの内容を頷きながら聞いていた国王は、やや渋い顔で左右を見渡す。
「ふむ……双方の主張を聞いても見事に食い違っておるな。この状態ではどちらが正しいか判断しかねる。明確な論拠を示すがいい」
すると一番にイーデル公爵が挙手し、発言を求めた。
「よろしければまずは私から」
「どうぞ」
レオリンの許諾の声に、公爵は立ち上がると慇懃にリュアンを手のひらで示して告げる。
「本日はそこの彼、リュアン・ヴェルナーにかつて暴行や脅迫を受けたという証人を多数連れてきております。内容は添付した書面にまとめておりますので確認願いたい。酷いものでは全治数か月で今も後遺症に苦しんでいる人間もいるとのことだ。彼の凶暴性は明白に証明されております」
「それに彼は、公衆の面前で私が公爵の嫡男として不適格で脳無しだなどと侮辱し、私の腕を捩じり折ろうとしたのですよ! とんでもないやつです!」
(そりゃマイルズが私に絡んできたからでしょうが! 話の内容も曲解もいいところだし、腕だって私をあんたがどうにかしようとして……)
連れて来ていた数人の男たちと一緒にマイルズが憎々し気に声を上げリュアンを責め立てるのを見て、セシリーはテーブルを叩いて反論したかったが、当のリュアンが自制し、黙っているのに自分が今彼の努力を台無しにするわけにはいかない。
(あの顔、見覚えがある者ばかりですね。まだ刑に服しているはずの者もいるのですが、多分、強引に恩赦を与え呼び寄せたのでしょう)
(ああ、俺が捕まえた人間もいる……そこまでするとは)
キースが一つ隔てた席で、リュアンに耳打ちしたのが聞こえた。
そうまでして報復しようという彼らの執念にセシリーの背中に寒気が走ったが、それに対してリュアンも挙手し、静かに弁解する。他にも見に覚えない冤罪を疑われ、リュアンはなんとか声を荒げずに対応したが、精神はひどく消耗したことだろう。
「今回の訴えが認められなくとも、我々はこれらの件を今後も追及してゆくつもりでおります。それにあの、ヴェルナー家出身だということから、何をしでかすか分からない人物であるということはおわかりのはずだ。彼の暴挙による被害者を出さないため国王様、どうか速やかに賢明な御裁可を……」
主張が終わり、イーデル公爵が頭を下げると国王はううむと唸り、公爵と法務省の役人に目をやった。
やはり彼も大きな権力を握るイーデル公爵には、あまり強く出られないのではないか……セシリーはそんな危惧を抱く。
「では、次いでリュアン氏側の主張を伺いましょう」
「では私が……店長殿、喫茶店の件について証言をお願いします」
挙手して席を立ったのはキースだ。本人が抗弁するより第三者が立った方が説得力があるとみたのだろう。彼はオーギュストの隣に座るひとりの証人を差した。セシリーは、その人物が話し始めるのを聞いて、やっとそれが誰かを思いだす。
「マイルズ氏の主張は間違いです。私は氏が問題を起こした喫茶店の経営者でして、後から入店した彼がリュアン氏とセシリー嬢に強引に席を譲るよう強要し、暴行に及んだのを見ました。リュアン氏が行動したのは彼を制止するためにやむなくであり、複数の従業員からも同じように聞いています。その件に関して彼に罪は無いはずです!」
あの時帰りにケーキを持たせてくれた店長ではないか。彼は後々貴族に睨まれる危険を顧みず、勇気を出して協力を申し出てくれたのだ……。そしてキースが次いで彼らの悪事を指摘してゆく。
「他にも、以前リュアンを暴行する目的だったかセシリー嬢が誘拐されることがありましたが……今回もそこのフォルアンサム男爵の主導で彼女の生家である商会が攻撃され、支配人であるルバート氏の誘拐事件もイーデル公爵と懇意のベジエ子爵が主犯だと判明しています。他にも商会周辺でマイルズ氏と彼らが密談を交わす姿を目撃したという証言も多数挙がっていますし、一連の事件を流れとして見れば、息子であるマイルズ氏の報復行動を父のイーデル公爵が部下に命じ助けさせたというのが筋書きと判断できる……そうではないのですか、イーデル公爵!」
強く張りのある声で整然と罪を言い立てたキースの迫力にマイルズは腰を引いたが、イーデル公爵は泰然とした態度をを崩さない。
「根拠のない言い掛かりは止めていただこうか……それはすべてそちらの妄想だろう。ベジエ子爵については彼の独断での行動で、こちらに咎は無い。クライスベル商会の件に関しては……フォルアンサム男爵や私は民衆の訴えに手を貸しただけ。それに紹介した多くの顧客たちの我らに対する信用を、そちらの粗悪な商品で落とされても困るのだよ……なあオーギュスト君」
「そ、そうだそうだ、この成り上がりの屑商会に、エセ騎士団どもめ!」
まるで父のことを貴族だとは認めていないかというように、いやらしく口を歪めたイーデル公爵。隣のマイルズも落ち着きをそれを見て落ち着きを取り戻してしまった。
「ふむ、双方の主張はわかった……。可能であれば余が間に立ち、事を収める助けになればと思ったが、どうも妥協点を探ろうという雰囲気では無いな。なれば、法の裁きの元で然るべき判断を下すしかあるまい」
国王の心象としては五分五分なのかも知れないが、実際に裁判になってしまえば、向こうが有利だとキースが言っていたし、これでは厳しい。
ここに来て父は何も言わないし、せめて私がとセシリーが誘拐の件や商会の被害で受けた恐怖をできる限り伝えようとした時。
「ひとつだけ、この場で確認していただきたい物があります……レオリン殿、あれを陛下に」
「ああ。陛下、こちらをご確認ください……王国の書記官に中身が偽造ではないことは既に確認させております」
オーギュストはレオリンに何かを求めた。すると厳重に封がされていた一通の書状がレオリンの手から国王に直接渡される。訝し気に文章に目を通した後……彼は雷に打たれたかのような表情を浮かべ、その目付きが変わる。
「こ、これは……!」
彼は鋭く会議場を見渡すと立ち上がり、さっと手を挙げた。たちまち壁際に控えていた兵たちが、列席者を取り囲む。
(な、何の手紙だったの父上!?)
(黙って見ていなさい)
この場で動揺を示さないのは、オーギュストとそしてイーデル公爵だけだ。リュアンはすぐ動けるよう腰をわずかに落とし、キースですら唇を引き結び目を吊り上げている。セシリーはすぐ隣に槍の穂先が輝くのを恐れながら、固唾を飲んで状況を見守る。
「イーデルよ……お主、数か月前から人が変わったように冷徹に周りの者ををあしらい、宮中の行事にも姿を現さぬようになったと聞いておったが……」
「ほう、まさか……その手紙に何か面白いことでも書かれていましたかな?」
国王の険しい表情にイーデル公爵が意味ありげな笑みを浮かべたまま、じりじりと後退し、マイルズは不思議そうに尋ねる。
「ど、どうされたのですか父上? へ、陛下……父上が何か御不興を買うようなことでも申しましたでしょうか?」
マイルズがへらへらと頭を下げ、手を揉んだが……国王はそれには取り合う気配もなく、はっきりと指を差し告げた。
「そやつは――偽物ぞ! 兵ども、公爵を騙る者を取り押さえよ!」
(えぇっ!? 今なんて!?)
たった今はっきり国王の口から放たれた言葉なのに、耳を疑い口を開けたままになるセシリー。
そしてざわめきはしたが、さすがに王国の精鋭たちは覚悟が決まっていた……。判断素早くイーデルを取り囲む。この場で傷つけることはできないと判断したのか、槍の石突が四方から彼に突き出される――が。
「あら残念……ここまでね。もうちょっと引っ張るつもりだったのに――」
次に偽イーデルの口から響いたのは、妖艶な女性の声だった。囲んでいた兵士たちの動きが同時にぎしっと固まる。
今や偽イーデルの瞳は血の色に輝いており、なんらかの魔法の使用を思わせた。よく注視すれば口の端から赤い靄が噴き出しており、それが広がって吸い込んだ周囲の人間たちの動きを縛ったのだとセシリーは推測した。
「な、なにを……ち、父上ぇ……?」
「どけっ!」
マイルズが情けない声を上げる中一番早く動いたのはリュアンだった。彼はすぐさま体を魔力で覆って霧の影響から逃れ、テーブルの上に飛び乗り一直線に飛びつこうとする。しかし……。
偽イーデルは剣を模した高価そうなラペルピンを襟元から引き抜くと、深々と反対側の手首に突き刺す。血飛沫が大きく広がって目くらましとなり、リュアンの手は空を切る。
その間にイーデルは倒れ込むように窓際にぶつかると跳び出し、指で空をなぞった。次の瞬間彼は一匹の蝙蝠となって翼を広げ、空へと羽ばたき出す。
「くそっ……待て!」
「いけないっ!」
偽イーデルを追って窓から飛び出そうとしたリュアンの足を掴んで引き戻したのはキースだ。彼はテーブルの上にリュアンを放り投げるとすぐさま指で魔法の光をひらめかせる。
(危ないっ……!)
そうした理由はセシリーにもすぐにわかった。窓枠にいつしか、赤々としたひとつの魔法陣が貼り付き、今にも起動しそうにちかちかと光る。
咄嗟にセシリーも『浮遊』の魔法を詠唱し、動きの固まっていた兵士やマイルズたちをこちら側に引っ張った。
――ドオンッ!
キースが描く青い防御用魔法陣が輝いたのが見えた瞬間、窓の外で大爆発が起こる。
「きゃあああぁぁ――っ!」
セシリーはオーギュストに机の下に押し込まれて庇われながら叫ぶ。
鼓膜が破れるかと思うような衝撃の後、砂粒をひっかぶりくらくらする頭を机の下から出すと、部屋の壁にはぽっかりと大きな穴が開きキースが倒れている。
「キースさんっ!?」
「……だ、大……丈夫です」
慌てて駆け寄り抱き起こすと、爆発の衝撃を完全には殺しきれなかったのか、彼の体には幾つかの裂傷があった。だが命に別状は無さそうだ。
「すまんキース、俺がうかつだった」
覚えたての治癒魔法をセシリーが使っていると、リュアンが隣に寄って来て、それを手伝ってくれる。ほどなくしてキースは起き上がり、苦笑した。
「ふう~、死ぬかと思いましたよ。しかし……よりにもよってあんな大人物の偽物を演じるとは、大胆な敵ですね。陛下の御身は……?」
キースが顔を向けた方向で王太子が手を挙げた。
「こちらは大丈夫だ。どうやら死者は出なかったようでなによりだった……。セシリー嬢も、我らが配下を救って下さって感謝する」
「いえ、ただ夢中で……。でも、こんなことになるなんて……」
セシリーは、部屋中に飛び散った瓦礫で怪我をした人間を魔法で治療し始める。その中にはマイルズもいるはずだったのだが……。
「あっ……」
彼は気づけば隙を見て、そろそろと足を忍ばせ、その場からひとりだけ逃げようとしていた。しかしそうはいかない。
「おやおや……ひとりでどこに行かれるつもりかな、公爵令息殿?」
「ヒッ! い、いづづづ……き、貴様無礼だぞ、その腕を離せ!」
『瞬駆』の魔法であっという間に移動したリュアンが、怒りの表情で口元を引くつかせマイルズの片手を後ろに捻りあげる。彼は痛みで身動きもできず膝を下ろす。
そして、憤懣やるかたないといった表情で国王がマイルズの顔を見降ろした。
「リュアン団長よ、下手人の拘束ご苦労! まさかイーデル公爵の偽物まで用意し、我が城で破壊工作を目論むとはな……! このような者たちの証言など当てになるはずもない……全員まとめてひっとらえ、牢屋へと放り込めい!」
「「ハハッ!」」
「へ、陛下お許しを! 僕は何も知りませんでした! あ、あの偽物が全て仕組んでやったことで……! ほ、本当の父を連れて来てください!」
そんな彼に容赦なく王太子が冷たい言葉を投げつける。
「残念だが、君の父親はお加減が悪く所領の城にて臥せっておいでだそうだぞ。全く、そんな時に王都で国家転覆容疑で捕まるなど、とんだ親不孝者だな。呆れたものだ」
「な、なんだと……」
衛兵がロープで彼の身体を縛り上げ、マイルズは苦痛に呻きながらも自分の罪を否定する。
「う、嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ……! やめろ、僕は悪くない! 僕はあのイーデル大公爵家の嫡男なんだ……その存在だけで、王国民一万人分の価値がある人間なんだぞ! それを少しくらいの罪で裁こうだなんて、なんと愚かで馬鹿げたことだ! 僕のような優秀な人間を失うことが、国家にとって大いなる損失であることは、誰の目にも明らかでしょう! 陛下、今すぐその御判断をお改めください!」
「余が愚かで、馬鹿げているだと……?」
たった今、マイルズは国王陛下に真正面から喧嘩を売ってしまった。この場にいる誰もがこの言葉には絶句し、国王は頭痛がしたように額を押さえると、衛兵に向けて手を振った。
「息子可愛さにイーデルがこやつに所領を任せていたらと思うとぞっとするわ……。もうよい、連れてゆけ……」
「「ハッ!」」
「あ……セ、セシリー、頼む! 謝るから、なんとか取りなしてくれよ! 僕が悪かった! イルマを捨てて再度婚約を結び直そう! こんなことはもうしないと誓うから……! そうすれば君はイーデル公爵夫人になれるんだぞ! 宝石だってドレスだって最高級の物をいくらだって買ってやるし、お前好みの情夫を何人でも見繕ってやってもいい! な、頼むよ!」
そこで彼は、会議状に入って初めてセシリーに顔を向け懇願した。かつて婚約者であったことなど、忘れているかのような態度を取ってきたくせに。
よくこんな男と付き合っていたものだと、吐き気がする思いでセシリーはゆっくりと彼の前に歩み寄る。この場でセシリーが掛けられる言葉があるとしたら、ひとつくらいだ。
「あんたみたいな恥知らずのこと、知らない。さよなら」
冷たい眼差しで見下ろすとツンと顔を反らし、セシリーは背中を向けた。
「ということだ。さて……陛下、少しだけ目を瞑っていただけますか?」
「うむ……余も最近老眼が進んでのう。目がかすんで何も見えんなぁ」
――バキッ!!
見ないふりをする国王の前で、リュアンはぐっと拳を握り締め、マイルズの頬に叩きつけた。鈍い音がして彼は鼻から血を流す。
「グハァッ……! いだっ……いだぁぁぁぁい!」
「騎士としてあるまじき行いだが、許せないものはある。加減はしてやった……今まで苦しめてきた人たちの痛みを、牢屋で存分に味わって反省するんだな」
リュアンはそれだけ言うと、縛られたマイルズを抱えていた兵士たちに頭を下げ、元公爵令息はずるずると情けなく引きずられていった。
「ぶへぇっ、こ、こんな……認めるものか! 僕は次期イーデル公爵だぞっ! 公衆の面前で殴られて鼻血を出すなんて……人生最大の屈辱だ! 覚えてろ、貴様ら……僕が牢から出たら、必ずお前たちに復讐しに行く! 僕の、華々しい人生を穢した報いを――ッ!」
口にさるぐつわでもされたのか、マイルズの声は途中で聞こえなくなり、続いて彼らに従っていた者たちもうなだれながら連行されて行った。
「あのくらいで屈辱とは、ずいぶん楽な人生を送ってきたようだ。……反省も無いようですし、あの様子だと二度と牢屋から出られないでしょう。仮に出たとしても、貴族としての後ろ盾を失った彼には破滅的な人生しか待っていないでしょうが……やれやれ」
それを見届けたキースの酷評の後、国王は少し疲れた顔で宣言する。
「では皆の者……この件は当分口外無用とする! イーデル領に関しては、もし現イーデル公爵が政務の続行が不可能であり、然るべき継嗣を立てられぬ場合は配下の者に受け継がせることとなろう。無論、今回の奴らの訴えも無効とし……リュアン・ヴェルナー及びセシリー・クライスベルの両名、そしてクライスベル商会にはイーデル公爵家から相応の賠償金が払われるよう、余が直々に話を付けるとしよう。それで今回の件は決着とする……よいな!」
「ハッ!」「御心のままに!」
(よかったぁぁぁ~……。つ、疲れたよぉ)
跪いて首を垂れるリュアンたちに倣ったセシリーは首をがくっと落とし、もうこの場で脱力して、地面にへたってしまいたい気分になっていた。やっとなのだ……。ようやく彼との因縁に決着が着き、心の平穏が戻ってくる。
「父さん、なんで黙ってたのよ!!」
「すまないな娘よ。万が一騎士団の内部で情報が洩れている事を考えて、共有は最小限の人物で済ましたかったのだ」
「そうなると、あいつを逃してしまったのは痛いな……」
「いや、あそこまでの使い手だとは想定外でした。死者が出なかっただけよしとすべきでしょう。レオリン様、念のためこの場にいた全員に妙な魔法が掛けられていないか、調べてもらえますか」
「ああ、宮廷魔術師に解除魔法を準備させる。皆、こちらに来てくれ」
レオリンはそういうと、別棟にある宮廷魔術師たちの研究室に案内してくれる。
リュアンは悔しそうにしていたが、すぐに気を取り直し、セシリーに顔を向けると今回の行動を褒めてくれた。
「やるじゃないかセシリー、魔法を使いこなせるようになるなんて。もう俺たちに守られるばっかりじゃないんだな……でも、危ないと思ったら自分の身を守ることに専念しろよ? 」
「わかってますって。任せて下さい!」
一連の事件にやっと決着がついて、清々しい気分だ。
(疲れたぁ……もう今日は帰って寝よう)
今日だけは思い悩むのはやめると決めてセシリーは大いに背を伸ばし、大欠伸を噛み殺す。
『――きゃはははははっ……!』
(ん~……?)
「セシリー、どうかしたか?」
「……いえ、今行きます!」
そこで、誰かの甘ったるい笑い声が脳裏をかすめた気がした……。
だが、リュアンたちが声を掛けてくれていたので、慌てて背中を追い会議場を後にしたセシリーは、後でそのことを思い返すことはなかった……。




