魔法のオルゴール
ルバート救出後騎士団に戻ると、キースは団員に指示を出して護衛に付け、彼らを家まで送らせた。幸い助け出したルバートに外傷はなく、少し休めばすぐ仕事に復帰すると息巻いていた。
セシリーはふたりが一緒に仲良く帰ってゆくのを見て安心した後、キースに今日は帰って休むよう伝えられ、礼を言って職員控え室に顔を出す。
そこでは少しだけ呆れ笑いを浮かべたロージーがセシリーを迎えてくれた。
「いつもごめんなさい、ロージーさん」
「ま、いいわよ。人助けもこの騎士団の立派な仕事なんだから」
いつも仕事を途中で放り出して大迷惑だろうに……。それ以上何も言わずロージーはセシリーを少し待たせ、任務帰りで部屋で書類仕事をこなしていたリュアンまで呼んで来てくれた。
「送って行ってあげなさいよ。このお姫様、なにかとトラブルに巻き込まれやすいんだから」
「……わかってる。それじゃ行くか」
「あ、ありがとうございます」
意外とすんなり着いて来てくれたリュアンに詫びながら、セシリーは彼と騎士団の敷地内を抜けて行く。夕方に近いこの時間だと大分人影も減り、幸いあまり出待ちの淑女たちにも見咎められることなく、門を出ることができた。
二カ月近く前、初めて騎士団に来た頃は肌寒かった記憶があるが、もう四月も終わりに近づき……そこかしこの街路樹や花壇で鮮やかな花々が爛漫と咲き乱れ、新たな命の芽吹きを祝福している。
セシリーは少し俯き加減で、前髪の隙間からリュアンの顔を覗いた。
つい数日前から、変な意識が先に立って、彼のことを真っ直ぐ見られなくなっている。
かといって、彼が隣にいることが嫌というわけでもない。
安心するような、ちょっと不安なような……そんな気分。
そんな中、彼は少し話したいからと家路を遠回りし、セシリーをメイアナの喫茶店に連れてゆく。
「ご無沙汰してます……」
「あらま……セシリーさんとリュアンさん! ようこそおいで下さいました……」
久しぶりの来店だったが、メイアナはセシリーの事をちゃんと覚えていた様子で嬉しそうに出迎えてくれた。そんな彼女にリュアンはあまり来ないせいか、少し遠慮がちに頭を下げる。
「メイアナさん、お久しぶりです。俺に渡したいものを用意してくれたとキースから伺ったんですが」
「ええ。少しお茶でも飲んでお待ちいただけるかしら。先に閉店の準備だけしてしまいますので……」
店内にはもう客がおらず、閉めてしまうようだ。自分たちも何か手伝おうかと申し出たが、柔らかく拒絶され、セシリーはリュアンと差し向かいで香りのよい紅茶を楽しむ。
向かいで頬杖を突いていた彼がふいに、意地悪く口の端を上げた。
「今度のことといい、つくづくお前は問題ばっかり引っ張って来るなぁ」
「こ、今回のは、私のせいじゃない……と思いますけど。うん、多分そう……だといいなと」
「あんまり自信が無いんじゃないか。ははは」
リュアンがこうして素直に笑ってくれるのは初めてかもしれない。ひとしきり気持ちよさそうに笑うと、彼は感慨深げに目を細める。
「短い間に、色々あったな」
「え? ああ……そうですね。私にとっては、本当に目まぐるしい数か月でしたよ……。でも、うまく言えませんけど、結構悪くはなかったかなって……」
おそらくこの数か月の記憶は幾年月が過ぎようとセシリーの胸の中に大きく残り続けるだろう。それだけ今まで生きてきた中で特別な出来事が凝縮された騒乱の日々だった。
しかし……決して大変なばかりではなかった。リュアンもそれには同意してくれる。
「なんとなくわかるよ。俺も……俺は、おそらく死ぬまであの国には戻らないだろうと思ってたんだぞ。もし目的を遂げても、もうあそこは俺が訪れていい場所じゃ無いんだって……ずっと言い聞かせてたから」
彼がその顔を窓に向け故郷を思いやると、差し込む夕日が紫の瞳に映えてとても綺麗で、胸が詰まる。
「……でもさ、お前が向こうで行方知れずになったと聞いた時……迷わず言えた。俺が行くって……。あの時そうしてよかった。でなければ、きっといつか後悔してた。知らない内に色んなものを失ったことに気づいて、今度は立ち上がれなかったかもしれない」
「いいえ……団長は強い人です。キースさんもにも言われたんでしょ。あなたには、どんな苦境にあっても立ち上がって、人に手を差し伸べようとする心の強さがあるって。ちゃんと私のことだって、何度も助けてくれたじゃないですか」
あの時セシリーはリュアンが自分たちを探してくれているだろうということを迷いもしなかった。少なくともセシリーにとって彼はとっくに信頼するに値する人物となっている。
しかしセシリーが瞳に意思を込めながらそれを伝えても、あくまで彼は謙虚に受け止めるだけだ。
「そうじゃない。俺はいつも、ラナが……あいつがそう望んだから、そう在らないといけないって必死に言い聞かせるだけで精一杯だったんだよ。そんな俺を見下して笑うやつも大勢いた。でも誰一人知り合いもいなかったこの国で、逃げることもできずもがいていた俺にヴェルナー侯爵やキース、騎士団の皆が力を貸してくれて……俺に居場所を作ってくれた。もっと強くなれって、背中を支えてくれた」
彼は胸に手を添えて、静かに瞼を閉じる。言葉にせずとも、今彼がひたむきに多くの人たちへの感謝を捧げているのは伝わってくる。そして彼は、一心にセシリーを見つめ、こう語りかけた。
「俺、この国へ来れて、本当によかった……。かけがえのない大事な人は失われてしまっても……あいつが伝えてくれたものはちゃんとここにあるって、思い出すことができたから。自分から、勇気をもって人と繋がること。ほら……」
彼は胸に添えた手をそのまま差し出し、無邪気な子供のような笑顔で笑いかけた。
「あの時はごめん。そしてありがとう、セシリー……俺の仲間になってくれて。俺たちの元に戻って来てくれて」
「……リュアン様」
今この胸に感じている喜びが、純粋に人として必要とされた喜びなのか、それとも……彼個人に向けられた想いなのか……。それすら今はどうでもよかった。視界が霞むのを感じながらセシリーは、かつて振り払われた手をもう一度躊躇わず、彼の手の上に乗せる。
温かい気持ちが手のひらを通じて伝わってくるようで、心地よい沈黙に満たされる中……そっと近づいて来たメイアナが、布に包まれたなにかをテーブルの上に置く。
そこから現れたのは、宝石箱のような外観をした、少し古めかしいがよく手入れされた銀色の足つき小箱だ。
「うふふ……おふたりのお邪魔をして申し訳ありませんが、今お渡しするのが丁度よいかと思いまして」
「これは……?」
「少し古いものですが、節刻みの時計塔で流れる舞踏曲を奏でるためのオルゴールです。動力として魔力を使わなければなりませんが、リュアン様なら扱えるでしょうと、キース坊ちゃんが……こほん。キース様がおっしゃってましたの。ちょうどあちら側が空いておりますし、よかったら試してゆかれませんか?」
メイアナの手の向こうには、定期的に楽師などを呼んで演奏したりもするのか、一段高い開けたスペースがある。
「なるほどな。これで練習してこいってことだったのか……」
キースの意図を汲み取ったリュアンは頭を掻いた後、セシリーを見つめた。
「頼んでも……いいか?」
控えめな、舞踏への誘い。あの時は自分から申し出たが、いざ反対に問われるとなんとも気恥ずかしい気分になる。しかしリュアンがこうして自分から踏み出してくれたのだから、拒む気持ちなど一片も湧かない。
「……はい! こちらこそ」
「……よし。少し待ってくれ」
リュアンは立ち上がると、オルゴールを手に取りしばらく魔力を込めた。箱の中央に飾られた魔石が輝き、側面の突起が押されると……独特の、心に深く染み入るような、それでいてくっきりと弾むような音色が、日が翳り少し暗くなり始めた店内に流れ始める。
そして壇上で、再び左手を差し出しながらリュアンは口を濁す。
「あ~……女性にこんなこと聞くのもどうかと思うが、お前……ダンスの経験って、あるのか?」
「エイラとならありますけど」
「そっか……それじゃお前が引っ張ってくれ。俺は実は王宮じゃ本ばかり読んでて、人と踊るのは初めてだしな」
「それじゃほら、左手はもうちょっと上に上げて、右手は私の腰の上に回して……。それじゃ遠いですよ。もうちょっとしっかり寄って下さい」
「こ……こうか?」
恥ずかしそうに顔を背けるリュアン。大分積極的にはなったと思ったが、引っ込み思案なのは相変わらずなのだ。セシリーはぼそっと言う。
「……意気地なし」
「……くそっ、これでいいか!?」
「はい。ちゃんと互いの顔を見て……ダンスは意思疎通が大事なんですからね。それじゃ行きますよ」
「こっちか?」
「ちが~う。それじゃ人とぶつかっちゃいます。ちゃんとした流れがあるんですから。それに周りも見ながら動かないと」
「顔と周りどっちを見るんだ……」
「どっちもです」
(あらあら、仲のいいこと……)
それを遠巻きに見ていたメイアナは、目を白黒させながら必死になんとなく動きを合わせようとするリュアンがおかしくて、口元をにまにまさせつつ店内の片づけを進めている。
すっかり夢中になったふたりの前でゆるやかにオルゴールは一周していった。調べを奏で終える頃には、すっかり周りは夕闇の帳に包まれている。
セシリーはメイアナにお礼を言うと、リュアンと共に丸く光る月の下、どっちが下手だの悪いだのくだらない文句を付けながらクライスベル邸への道のりを歩みだす。それはいつか想像した通りに、彼女にとって何物にも代えがたいくらいの、とても喜ばしい時間だった……。




