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マルガリーテの前には誰もいないはずだった。
みんなを振り切って前に進み出たのに、なぜかその前に立ち塞がる者たちがいた。
「……お前ら、何のつもりだ?」
バストンが、マルガリーテを庇う二人の美女と一人の美少女に言い放った。
その声は牢屋の時のように大きくはなかったが、明らかに今の声の方が怒気を含んでいる。
「王女様を殺すと言われて、素直に差し出せるわけありません。この方はまだ私の娘と変わらないではありませんか。こんな若い人を殺すくらいなら、私を先に殺しなさい」
震える声で、でも、決して臆することなく母さんは言い返した。
「そうです。なぜ、王女様だけが殺されなければならないのですか。あなたも人間なら、人の命の尊さというものを知りなさい」
透き通るような声で、でも、とても厳しく姉さんは言い返した。
「そうだよ。お姉……じゃなかった、王女様を殺すなんて、絶対に許さないんだから!!」
小鳥のような可愛らしい声で、でも、誰よりも大きくカトリーヌは言い返した。
……何を考えているんだ。
せっかく、アミーの魔法で牢屋から出ることができたのに。
上手くすれば、ここから逃げられたかも知れないのに。
どうして、もう家族でも何でもないマルガリーテのために立ち向かうんだ。
そんなことに、いったい何の意味があるというの?
「そんなにお前たちも殺されたいのか?」
「ま、待ちなさいバストン。こ、この人たちはあなたたちの大事な商品なんでしょう? 殺しても何の得にはならないわよ。それに、あなたが殺したいのは私だけのはずでしょ。この人たちは関係ないわ」
見る見るうちに怒りの形相へ変わっていくバストンに見かねて、マルガリーテは家族を押し退けて、前に進み出た。
「うるさい! 黙れ! 俺に逆らう奴は、皆殺しだっ!!」
――ドサッ!
その時、睨み合うブリード家のみんなとバストンの間に、空から何かが降ってきた。
「……え?」
誰もが同じ声を上げる。
これはいったい、何なのか、と。
いや、それがなんなのかは知っているのだ。
だからこそ、わからない。
なぜここに黒装束が降ってきたのか。
彼はついさっきまで、マルガリーテたちを取り囲んでいたはずではなかったのか。
「ぐわっ」
「おぶっ」
考えている間にも、次々と降ってくる。
――まさか、アミーが魔法で助けてくれたのだろうか?
振り返ると、そこにはマルガリーテとすっかり同じ顔をしたアミーの姿があった。
それが意味するところは、驚きである。
アミーではない。だとしたら、いったい誰が何を?
ここにいるものは、敵も味方も関係なく皆そう思ったことだろう。
ただ一人を除いては――。
さらに二人黒装束が降ってきて折り重なったところで、闇の中を駆ける一筋の光がその姿を現した。
「――この時を待っていたのよ――」
その言葉を残して、また彼女は光となって闇の中を駆け巡った。
実際には、彼女はただ走り回っただけ。だけど、その速さがマルガリーテの目で追えるものではなかったから、そう錯覚させられたのだ。
彼女が次に目指す先は、わかっている。
だから目を凝らして光の行く先を予測した。
果たして、彼女は一瞬だけ現れた。黒装束の目の前に――。
瞬時に現れた彼女に驚く黒装束。
その一瞬の間が黒装束にとって、命取りだった。
彼女の繰り出した拳が、黒装束を突き上げて空へ放り投げる。
もちろん、その落ちる先には黒装束の山。
ものの数秒で、黒装束は目の前に積み上げられた。
もうここには、バストン以外敵は存在しなかった。
「お、お前……何者だ!?」
黒装束の山をたった一人で作ってしまった彼女は、その山を横目にバストンの前に仁王立ちする。
「私? 私は、ブリード食堂のウェイトレスよ!」
「ウ……ウェイトレスだと……。馬鹿な!? ただのウェイトレスに、こんなマネができるはずはない!」
バストンの言っていることは、あながち間違ってはいない。
確かに彼女は、ただのウェイトレスではない。
彼女は――真の王女なのだ。
それを知っているのはこの世で、ここにいる二人。マルガリーテとアミーだけだった。
「王女様だけが外に出されるって聞いた時はダメかと思ったけど、あなたが急に心変わりしてくれて助かったわ。誘拐された時のように人質がいなければ、私はあなたたちごときに屈したりはしないわ!」
「ぐ……」
……アミーはこのことも計算して、全員を牢屋から出すように言ったのだろうか。
再度アミーに振り返ると、目が合っただけでアミーは首を思いっきり振った。
言葉を交わさなくても、それだけでお互いの言いたいことは伝わった。
アミーにとっても、エリーゼの能力は想像の範囲外だったのだ。
「……さあ、次はあなたの番ね。覚悟をしなさい」
エリーゼはそれまでとは違いとてもゆっくりと、とてもゆったりと構えた。
「……フ……おもしろい。お前のような化け物に出会ったのは、これで二度目だ。今度こそ、俺が勝つ!」
バストンはかけ声と共に拳を握り込んだ。
そのまま、二人はすぐには動かなかった。
マルガリーテにはわかり得ないが、きっと戦う者同士の駆け引きがあるのだろう。
――静かだった。
まるで、この森すらもがマルガリーテたちのように息を潜めているかのごとく。
葉っぱ一枚、音を立てない。
バストンはまだ一歩も動いていないのに、汗をびっしょりかいていた。
マルガリーテも見ているだけなのに、一粒だけ冷や汗がたれる。
その一粒の汗が風に流された刹那、バストンが右の拳を突き出した。
空気を切り裂く音が唸りを上げる。
それを喰らったら、普通の人はまず永眠させられるだろう。何が起こったのかすらもわからぬままに。
しかし、信じられぬことにエリーゼはその高速の拳を、まるで柳に吹く風のように優雅に受け流す。
その流れる動作は、バストンに次の行動を許さなかった。
懐に入ったエリーゼは、そこで一度ドスンという音を立てた。
すると、エリーゼはそのままバストンに覆い被される……かと思ったら、それは単にエリーゼが気を失ったバストンを抱えていただけだった。
片手で持ち上げられたバストンは、エリーゼに放り投げられて、黒装束でできた山の頂上になった。
「エ……エリーゼ!」
「エリーゼ……」
「お姉ちゃん!!」
家族が、エリーゼのことを温かく迎え入れた。
そこでやっと、捕らわれていた者たちは気づく。
――助かった、と。
喜ぶ美女たち。
マルガリーテは、まだ自分の目の前で起こったことが信じられなかった。
「これ……夢じゃないのよね……?」
「さあな。あたしはそうであって欲しいと思ってるよ。せっかく人間なんかと契約したのに、これじゃお前の魂がいただけねーもん」
「あはは、そうね」
「待って、誰か来るわ」
エリーゼが歓喜の輪の中から抜け出して、マルガリーテの傍までやってきた。
その瞳は、森の中を映している。
「王女殿!」
一瞬、誰もが身構えたが、そう言って飛び出したのは、王国騎士団の鎧に身を包んだ近衛隊の者たちだった。
「な、何だ……。あなたたちだったのね……驚かせないでよ」
「何をおっしゃるのですか、王女殿。我々城の者は皆心配して、夜も寝ずにこうして捜しておったんですぞ」
「そうね、感謝してるわ」
ぞろぞろと森の中から現れた近衛隊は全部で十人。
まだ誘拐団の者は生きているから油断はできないけど、これで一件落着だと思った。
「……私の運命は、変わったのね……」
「……何だ、この有り様は……?」
そう思ったのも束の間、洞窟から誘拐団のボス――サミュエルが出てきた。
「サ、サミュエル様。バストンが……。それにこいつらは、国王の近衛隊のはず。いったい何がどうなっているのか……」
コバンザメのようにサミュエルにくっついていたヘンリーが、声を上げた。
「……貴様らが、やったというのか……?」
「そんなことに答える義理はない。だが、もしお前たちが王女殿やこの女子たちに危害を加えるつもりなら。この男のようにしてやるぞ」
近衛隊の隊長は凄んで見せたが、サミュエルはまったく気にする様子も見せなかった。
表情を変えずに、ただマルガリーテたちを守るように陣形を取った近衛隊の前に進み出る。
……この男に感情なんてものがあるのだろうか。
そう感じさせるほど、無表情だった。
「下がれ! それ以上近づくと、本当に斬るぞ――」
警告をした近衛隊の者は、それが最期の言葉になった。
撥ねられた首が、マルガリーテたちの足下に転がる。
「――――」
声にならない声が、みんなの安心を根こそぎ吹き飛ばした。
「貴様――!」
襲いかかる近衛隊の者を、サミュエルは瞬く間に斬り捨てた。
それはまるで血飛沫の舞。
月明かりに煌めく一刃の光が、辺りを血で染めた。
その凄まじさに、もはや誰も悲鳴すら上げることはできなかった。
サミュエルは不快なそぶりも見せず、淡々と返り血を手で拭い、マルガリーテたちを見据えた。




