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「よう、やっと気がついたみてーだな」
アミーがそう言ってマルガリーテを出迎えた。
「何しに来たのよ。私にはアミーと話してる暇なんてないの。消えてちょうだい」
あえて、アミーの言葉の意味は聞かなかった。なんとなく言いたいことはわかったし、今は自分のことを考えるので精一杯だったから。
これ以上心をかき乱さないで欲しい。
「何しに? お前、まさか忘れちまったわけじゃねーよな?」
「忘れるって、何をよ」
「決まってるだろ。お前が明日死ぬってことをさ」
「――!――」
マルガリーテは表情を凍りつかせた。これでは答えを言っているも同然だった。
「その様子だと、すっかり忘れていたみてーだな」
「……もう、明日だったのね……。ところでそれは、正確にいつどこでってこともわかってるの?」
「いや、そこまではわからねーって、前に言ったろ? ま、たとえ知っていても話すかどうか……。それ以前に、話したところでお前が信じるかどうか……」
まだ今朝のことを根に持っているのか、皮肉を込めてそう言った。
「そう……、悪魔の力もたいしたことないわよね。人間一人の運命も変えられないんだから」
「変えようと思えば変えられるさ。ただ、変える必要がないだけで。まさか、お前死にたくないってのか?」
「まさか。私はあなたに魂を売ったのよ。すでに死ぬ覚悟をしているのに、今さらそんなこと思うわけないでしょ」
「どうだろうな。人間って生き物は心変わりをするから」
反論はできなかった。
余計なことを言えば、心が見透かされそうだった。
この世界で、生き続けたいとは思っていない。それは嘘ではないけれど、このまま死にたくはないとも思っていた。
――まだ、幸せがなんなのかもわかっていないのに――。
「ねえ、話は変わるんだけど……アミーにとっての幸せって何?」
「は? お前……何言ってるんだ? そんなことを悪魔に聞いてどうするんだよ」
「自分でも、どうかしてるって思ってるわ。でも、どうしてもわからないの。アミーは私が王女になってもそれで幸せになれるとは限らない、みたいなことを言ってたから……」
「正確には『何でも手に入るわけじゃない』って言ったんだけどな。ま、確かにその中にはお前の言う幸せも含まれているんだけど」
「だったら!」
「お前の幸せはわからねーよ。ただ、あたしの幸せは教えてやるよ。それはな、お前のような人間のクズを観察することさ」
それは、意外な答えだった。
マルガリーテがクズ扱いされたことも気にならないほどに。
「私の魂を搾取することではないの?」
「それは、あたしの仕事だろ? でも、あたしは仕事なんか嫌いなんだよ。出世なんてものにも興味はねーし。まあ、そのせいであたしの能力は悪魔の中でも最強だけど、階級は低いままなのさ。だから、お前のように簡単に手に入る魂だけを搾取してるんだ。あたしにとって悪魔の仕事は片手間ってこと。わかるか? あたしにとってお前はすごく都合がいい。趣味と仕事の両方が満たせる獲物だからな。お陰で、あたしは幸せだよ」
アミーは羨ましくなるほどの笑顔を向けた。
その時、マルガリーテの中で何かが閃いたような気がした。
もしかしたら、自分の幸せだけでなく、幸せの意味自体間違っているのではないかと思った。
マルガリーテの思う幸せは、望んだ人生を手に入れたら幸せだろう、という一般論的なものでしかなかった。
でも本当はそうではなくて、一人一人の心が求めることこそが幸せなのではないか。
マルガリーテの心が求めているものは、何だったのか。
それは王女になることだったのか。
それとも――。
答えは、すぐには見つからない。
不意に、家族の顔が思い浮かんだ。
最期の日を明日に控えて、感傷的になっているのかも知れない。
「ねえ、アミー。私を城下町に連れ出してくれない?」
王女という立場では、この時間から外に出ることはできないだろう。ここはアミーの力を借りるしかない。
「は? ……別に構わねーけど」
「それじゃあ、ちょっと待ってて。着替えるから」
マルガリーテは言いながらドレスを脱ぎ捨てた。そして、椅子にかけられていたドレスに着替える。
それは、今朝寝室で着た黒いシンプルなドレスだった。
メイドには寝間着と言われてしまったが、マルガリーテにはそれでも十分だった。
「準備できたわ」
「……で、あたしはお前をどこに連れて行けばいいんだ?」
「城から出してくれれば、後は町の中のどこでもいいわ」
「はいはい」
アミーはマルガリーテの手を取り、ガラスの扉の方へ歩き出した。
そっちは確かに外に出られる。見えている通り、バルコニーがあるのだから。ここのバルコニーは大広間ほど広くはないけど。
「どうするつもり?」
「こうするのさ」
アミーの言葉を聞く前に、マルガリーテの体が宙に浮いた。
「う、うわっ」
「あまり大きな声を出すなよ。城の人間に聞こえちまうだろ?」
「だ、だって……」
「そら、行くぞ!」
かけ声と共にマルガリーテたちは城下町の上空を翔る。
まるで、自分自身が風になったかのよう。
一瞬の内に、城下町の中心部へ着いてしまった。
「はぁ……はぁ……。じ、事前にどうやって連れて行くのか、教えてよね」
「何で何もしてねーお前の方がそんなに疲れてんだ?」
文句を言ってやりたい気持ちはあったが、そんなことに時間を使いたくはなかった。
幸いにも、アミーが連れてきた場所はよく知っている場所だった。
ここからなら歩いてそんなに時間はかからない。
一度大通りの方へ出て、再び裏道の方へ入る。
住宅兼食堂であるマルガリーテの家は、表通りのちょうど裏側に存在するのだ。
すでに夕食の時間を過ぎているからか、表通りにも人っ子一人いなかった。
商店街は全て閉まっている。
しかし家からもれる光は、どの家もとても温かそうなものだった。それが、マルガリーテの歩く道を優しく照らす。
まるで光に導かれるように、マルガリーテは自分の家に辿り着いた。
「お、おい、お前まさか……」
「静かにして、気づかれるでしょ」
食堂の入り口は閉ざされ、『準備中』の札がかけられていた。
もちろん、営業していたとしても客として中に入るつもりはない。
ただ、みんなの様子をちょっと覗きに来ただけだ。
裏口に回ろうとしたら、その途中で窓が開いていたのでそこからチラッと見ることにした。
「いただきます」
聞き慣れた声が聞こえる。
そうか、ちょうど店を閉めてこれから夕食を食べるところだったんだ。
食堂を営業しているせいか、マルガリーテの家の夕食は世間より少し遅かった。
「ねぇ、お姉ちゃん。これは?」
「……うん、美味しいわ」
「本当!? やったぁ!」
「カトリーヌ、食べてる時に立ち上がらないで。行儀が悪いわよ」
「はーい」
「姉さん、大目に見てあげて。この唐揚げ、カトリーヌが初めて一人で作ったのよ。だから、嬉しくて仕方ないのよ。ね」
「えへへへ……、お姉ちゃんの料理にはまだまだ全然勝てないけど」
「そりゃそうよ。エリーゼの腕前はお父様と比べても遜色ないほどだもの」
「そうねぇ。私もエリーゼの料理の腕には驚かされたわ。あなた、いつの間にこんなに上手になっていたのよ」
「日ごろの努力のたまものよ。毎日お母さんの手料理を食べていれば自然と覚えるものだわ」
「あら? お世辞を言っても何もできないわよ」
「アハハハハハッ!」
見飽きていたはずの家族の風景。
そこにはまるで最初からそうだったかのように、ブリード家の一員としてエリーゼが収まっていた。
少しも違和感がない。
むしろマルガリーテがいた時の方がみんなどこかぎこちなかった。
――ここに、居場所はない。
「私は、きっと生まれるところを間違えたのね」
本当は、ここにマルガリーテの幸せがあったんじゃないかって思ったけど、それは思い違いだった。
ここにあったのは、一つの真実。
捨てたとばかり思っていたものが、実は最初からマルガリーテのものではなかったのだということ。
思い返せば、確かにマルガリーテはこの家族には相応しくなかった。
エリーゼはマルガリーテなんかよりもよっぽど美しいから、ブリード家の一員としては申し分ない。
何より、母さんも姉さんもカトリーヌも、そしてエリーゼも皆幸せそうだった。
マルガリーテはそっと窓から離れた。
気づかれてはならない。
なぜだか、瞳がぼやける。ほほを伝う冷たい光を抑えることができなかった。




