7
寝室に戻ったマルガリーテは、そのままベッドに倒れ込んだ。
自然と笑みがこぼれてくる。
まさか、こんなに上手くいくとは思っていなかった。
マリアンヌの話や、実際父さんに会ってその溺愛ぶりは少しだけわかっていたけど、それにしても、という思いは否めなかった。
あの様子だと、エリーゼは父さんに甘えたことなどなかったのだろう。
あんなに感じのいい父親なのに、なぜそうしなかったのかは、まったく理解できなかった。
まあ、昨日一日過ごしてエリーゼがどれだけ変わり者の王女だったか思い知らされているんだけど。
今までの印象なんかもうどうでもいい。これからは自分でこの〝マルガリーテ王女〟の印象を作り上げていくのだ。
「……ところで、いつまでそうしているつもりなの?」
この部屋に連れて帰ってから、ずっと部屋の隅で惚けているマリアンヌに話しかけた。
「……変よ。あなた、まるで人が変わってしまったみたい……」
「仕方ないじゃない、私には一昨日までの記憶がないんだもの。そりゃ、あなたにしてみれば人が変わってしまったように見えるでしょうよ。それとも、また昨日みたいに私に無理をさせて以前の王女を演じろと言うの?」
「それは……」
「ねえ、マリアンヌ。今の私、嫌い?」
「え……」
「正直に答えて。何を言っても、私は怒らないから」
「……私は、今のマルガリーテのこと、好きだよ。優しいところは変わらないし、前よりも付き合いやすくなったし。それに、以前のあなたは王女であることをあまり快く思ってはいないみたいだったから、いつも寂しそうにしていたけど、今はなんだか楽しそう」
「そう、だったら、それでいいじゃない。今までの私を忘れろ、とは言わないわ。ただ、これからはこの私と友達にならない?」
――そう、エリーゼの代わりとしてではなく、マルガリーテ自身と付き合って欲しい。すがるような想いだった。
ブリード家の次女だった時は、友達なんか一人もできなかった。
作りたいとも思わなかった。
周りの人たちは皆マルガリーテのことを美人家族の出来損ないと思っていたし、マルガリーテも常に劣等感に苛まれてきた。
自分を呪い、全てを憎んだ。
だけど、ここの人たちは違う。
唯一の存在である王女を誰かと比べたりする者はいない。
だから、その人たちには本当の自分を見て欲しかった。
その上で、マルガリーテという一人の人間の存在を認めてもらいたかった。
「……そうね、あなたの言う通りだわ。私がこだわっていたことは、重要なことじゃないわ。今のあなたには、今のあなたにしかないものを持っているもの」
「じゃあ、この私とも友達として付き合ってくれるのね?」
「ええ、当たり前じゃない」
何という幸福感。
どんな言葉で表現しても、したりないくらい心が満たされる。
ただ、これだけはどうしても伝えなければならない。
「……ありがとう、マリアンヌ」
「やめてよ。私はただ、思ったことを言っただけだから。それじゃ、もう行くね。ロバートさんたちの手伝いをしなきゃ」
マリアンヌは小走りに扉へ行った。
まだ、マリアンヌには伝えておかなければならないことがある。
「ねえ、これからはもうみんなの前でも友達として接してくれない?」
呼び止めるように声をかけた。
「え、でも……一応あなたにも立場っていうものが……」
戸惑いながら、マリアンヌは振り返る。
「そのことを考える必要は、なくなると思うわ。私、決めたから」
「……何を?」
「この城にいる人たち全員と、友達になる。そうすれば、あなたをひいきしたことにはならないでしょう?」
「フ……アハハハハハッ。やっぱり、あなたにはあなたにしかない魅力があるわ」
それだけ言うと、マリアンヌは元気よく寝室から飛び出して行った。
なんだか、まだドキドキしている。
こんな感情は今まで一度も味わったことはなかった。
幸せに抱かれるように、マルガリーテは二度寝した。
……それから、どれだけの時間が過ぎただろうか。
感覚的には、たいして経ってはいないと思う。
ただ、廊下の方があまりに騒がしくなってきたので、目が覚めてしまった。
それこそ、ブリード家のお昼を思い起こされるほどに、うるさかった。
かき入れ時の食堂は、よくマルガリーテの目覚まし代わりになったものだった。
起きると同時に、お腹の方から「ぐぅ」という音が聞こえてきた。
思い返せば、マルガリーテは昨日の夜から何も口にしていない。
「はぁ……、おなか減った……」
その足で、マルガリーテは食堂へと向かった。
自宅だったら、こういう時は母さんが何か用意してくれる。
でも、ここにだって専属のコックがいるのだから、すぐに食事だって出せるはずだ。
のそのそと食堂に入る。
しかしそこは、昨日のお昼時のように、閑散としていた。
「誰もいないわね……」
仕方なく、テーブルに常駐されている籠の中からリンゴを取り出し、かじりついた。
「あれ? 王女様、どうなさったのですか? こんなところで」
開けっ放しになっていた食堂の入り口に、メイドが一人立ち止まっていた。
「見ての通り、リンゴを食べているのよ」
「アハハハッ。王女様、それくらいは説明していただかなくてもわかりますよ」
「まあ、そうね。それで……みんなは?」
「はい、皆さん舞踏会の準備で大忙しです」
「そっか、それでここのコックたちも出払っているのね」
「あの……王女様は……その……」
主催者であるマルガリーテがこんなところで寝間着のまま果物を頰張っていることに、明らかにそのメイドは困惑しているようだった。
「あなたは、もう手が空いているの?」
「あ、はい」
「だったら、そうね……他にも手が空いているメイドを何人か見つけて、私の部屋まで来てちょうだい。着替えを手伝って欲しいわ」
「……私なんかでよろしいのですか? マリアンヌさんは……?」
「マリアンヌは確かに私の友達だし、王女専属だけど、他のメイドが私の手伝いをしてはいけない理由にはならないでしょ? 私の着替えを手伝いたくないなら、話は別だけど」
「そ、そんな滅相もない。喜んでお手伝いさせていただきますわ。それでは、何人か集めてすぐお部屋に参ります」
「お願いね」
パタパタと音を立てて、メイドは食堂から走り去った。
「さーてと、私も部屋に行くかな」
芯だけになったリンゴを置いて、大きく伸びをした。
マルガリーテはゆっくりとした足取りで、自分の部屋へと向かった。
なんとも優雅な時間だった。
昨日のようにやらなければならないことに追われることもなく、またエリーゼを演じる必要もなく、自分の思うがままに生活する。
これこそが、マルガリーテの思い描いていた王女の生活だったのだ。
自分の部屋の前まで行くと、さっき食堂で別れたメイドが、ちょうど何人か引き連れてやって来た。
「早いわね。どうぞ、みんな中に入って」
「はいっ!!」
メイドたちは声をそろえて答えるものだから、やたらと元気があるように感じられた。
「王女様、今日はどのようなドレスにいたしますか?」
部屋に入るなり、メイドの一人が聞いてきた。
だけど、そんなことを聞かれても、正直困る。
マルガリーテにとっては、この寝間着でさえ十分いいもののように思えるのだ。どのドレスが舞踏会に相応しいのか、わかるはずもない。
「そ、そうね……私が持っているドレスの中で、一番の物を出してくれない?」
「はい」
そう言ってメイドが出したのは、純白の、まるでウェディングドレスのようなものだった。
ところどころがキラキラしているのは、そこに宝石が縫いつけられているからだ。
袖口やスカートはヒラヒラしたフリルで彩られている。
神々しささえ漂わせ、息を呑むほどのその美しさに、ただただ圧倒されてしまうばかりだった。
きっと自分が着ても似合わない。だけど、それ以上に着てみたいという欲求が勝った。
「じゃ、じゃあそれを着せてくれる? できればそれに合った化粧とアクセサリーもお願いしたいわ」
「かしこまりました、王女様」
「あ、それから……その『王女様』って言うの、やめてちょうだい」
「――え?」
それまでテキパキと働いていたメイドたちが、一斉に動きを止めた。
「私は、確かに王女かも知れないけど、それはただの肩書きだわ。たまたまここに生まれたから王女だっただけ。中身はあなたたちと何ら変わりない一人の人間よ。だから、これからはマルガリーテとして付き合って欲しいの」
「そんな……、できません」
「どうして? マリアンヌはそうしているわよ」
「マリアンヌさんは、王女様と……友達だから……」
「ってことは、あなたたちも私と友達なら、マリアンヌのように接してくれるのね。じゃあ、今から私と友達にならない? いいえ、王女として命令するわ。私と友達になりなさい」
マルガリーテの言葉に、メイドたちは困惑の色を隠せないようだった。
命令と言われては、本来なら絶対に従わなければならない。しかし、その命令そのものがメイドたちの想定していないものだったのだろう。
(……少し、急ぎすぎたかな……)
何でもかんでも思い通りにしたいあまり、彼女たちの気持ちを無視して突っ走ってしまったことは確かだ。
彼女たちはまだ、エリーゼの面影の方が強いのかも知れない。
マリアンヌが比較的すぐにこのマルガリーテを受け入れたのは、エリーゼとも砕けた付き合いだったからだ。
こういうことは一気に変えようと思ってもそうは変えられない。
「まぁ、いいわ。あなたたちが王女として接したいというなら、その気持ちも尊重しないといけないわね。でも、忘れないでね。私はもっとこの城に住む人たちと打ち解けたいと思ってるのよ」
「……はい」
メイドたちの声は揃っていたが、その言葉からは明るさが失われていた。
マルガリーテの言葉が、彼女たちの気力を奪ってしまったわけじゃない。
彼女たちは、賢明にマルガリーテの言葉の意味や望んでいることを理解しようとしていたのだと感じた。
「さ、急ぐわよ。お化粧って、結構時間がかかるんでしょう? 主賓が出席できなきゃ、いつまで経っても舞踏会が開けないわ」
仕事を再開させたメイドたちは、急かす必要がなかったくらいテキパキ働いてくれた。
……ここのメイドたちは、優秀だと思う。
間違いなく、マルガリーテの言葉が彼女たちの心を動揺させたはずなのに、その仕事ぶりはそんなことを微塵も感じさせないほど完璧だった。
一時間もしない内に、鏡に映るマルガリーテは〝美しい王女〟へと変身した。
たかが化粧一つでこんなに変わるものか、と感心する。
太かった眉は、細くきりりとしたものに仕上がり、一重の小さな目は、力強さに溢れていた。
適当に切ってあった髪も、首筋のところで切りそろえられ、さっぱりとしてきれいになっていた。
あれだけのドレスだから、中身が浮いてしまうかも知れないと心配していたが、それは余計な心配だった。
支度が終わったマルガリーテは、決してドレスに見劣りはしなかった。
この姿なら、姉さんやカトリーヌと一緒にいても劣等感は感じないとさえ、思った。
「マルガリーテ、いるの?」
そう言って、中に入ってきたのは、マリアンヌだった。
部屋の中にメイドがいたことに、一瞬戸惑っていたが、
「……よかった、いたのね。メイドたちが部屋で準備してるって言ってたから、ここかなとは思ってたんだけど」
マリアンヌはマルガリーテが言っていた通り、口調を変えたりはしなかった。
「マリアンヌがここに来たってことは、もう会場の準備が終わったってこと?」
「そうよ、後はあなたが会場に入るだけ。感謝してよね、大変だったんだから。急に決まったことだから招待状なんか送れないし、私とロバートさんが駆けずり回って客を集めたんだから。一応、リクエスト通りたくさん男の子を呼んであげたから」
「――そう、ありがとう。それじゃあ、行くわよ」
マルガリーテは、マリアンヌと着替えを手伝ってくれたメイドたちを伴って、会場である大広間へ向かった――。




