第7話 シロと手をつないで戻ったら、アカネが黙った
最初の再会から一週間が過ぎた。
昔の孤児院は村の学校になり、俺と同僚で読み書きの授業を分けている。三人が使っていた机の残る隣室は、今も物置のままだ。
軍勢が去ってからも、三人は仕事の合間に顔を出してくれた。アカネは山での公務を調整して竜で来てくれた。シロとエメルは近くの町での仕事を終えると隣家へ戻る。今度の休みは四人で村の祭りへ行く約束になっている。
その朝、教室へ来られなくなった子の母親が門に立っていた。
大勢の前では字を書きたがらなくなった子だ。昨日は簡単な課題ならできるかもしれないと伝えたが、今日は紙を背中へ隠している。
「今日は課題を出さなくてもいいよ」
子供は母親の後ろから俺を見た。
前に書いた字を褒めようとしたら、周りの子まで覗き込んできた。上手く書けたことを伝えたかったが、皆に見られるのが嫌だったらしい。
エメルが教材の袋を持ってきた。
俺は一冊だけ取り出した。
「この本はどうだ? 鳥の絵も載ってるぞ」
子供が小さく頷く。
「返すのはいつでもいい。門まで持ってきてくれてもいいからな」
母親と子供を見送った。
教室に入るかとは聞かなかった。
「先生。今日はもうお休み?」
アカネが隣へ来た。
「ああ。せっかくだから祭りへ行こう」
「やった! 先生の分の栗も取っておくね!」
「それは自分で買うよ」
「私が選びたいの!」
アカネは嬉しそうに笑った。
シロは先に外套を持ってきていた。エメルも戸締まりを済ませている。
俺は三人と並んで祭りへ向かった。
祭りの広場は朝から賑わっていた。
焼き栗を買ったところで、子供が二人俺の袖を引いた。
「先生! 輪投げ見て!」
「おう。何か取れたか?」
「今から!」
アカネが袋を持ったままついてきた。
木の棒を並べた台には、小さな景品が置かれている。
子供が輪を投げると、端の棒へきれいに入った。
「ほら!」
「おお。上手いな!」
景品は布で作った小鳥だった。
アカネが感心していると、店の男が輪を差し出した。
「お嬢さんもどうだい? 魔法は使わないでくれよ」
「えっ? じゃあどうやって投げるの?」
「普通に投げるんだよ」
俺が答えると、アカネは頬を膨らませた。
「分かってる!」
輪を取って軽く投げる。
棒を大きく越え、店の男の足元へ転がった。
「……今のは練習!」
「俺と同じこと言ってるぞ」
「先生がいつも言うから!」
エメルが笑いながら輪を受け取った。
「では私も。手前の棒を狙えばよろしいんですね」
彼女の輪は棒の先に当たり、外へ跳ねた。
「思ったより難しいですね」
「今度は私」
シロが落ちた輪を拾った。
角度を確かめて投げる。
輪は棒の少し手前に落ちた。
「短かった」
「三人とも全然入らないじゃん!」
アカネが笑った。
「アカネもだろ」
「先生ならできるの?」
「見てろよ」
俺は残った輪を取った。
「もっと上!」とアカネ。
「手前を狙ってください」とエメル。
「肘、少し下げて」とシロ。
言われたとおりに動かそうとしたら、輪が爪先へ落ちた。
店の男が咳をした。
子供たちは遠慮なく笑った。
「一回自分でやらせてくれ」
最後の輪を取り、端の棒を狙う。
今度はきれいに入った。
「やった!」
アカネが俺の腕へ抱きついた。
「先生すごい!」
「肘、上がってたけど」
シロが首を傾げる。
「でも手前の棒を選んだのは正解でしたね」
エメルも嬉しそうだ。
「お前たちも素直に褒めてくれよ」
三人が顔を見合わせた。アカネが吹き出すと、エメルまで笑い始め、シロも口元を緩めた。
「先生、頑張ったね」
「子供扱いするなよ!」
景品は木の匙だった。
台所で使うことにして上着へしまった。
「次は私が取る!」
アカネがもう一度輪を求めたが、エメルが後ろを指した。
「次のお子さんが待っていますよ」
「あっ。ごめん!」
俺たちは揃って道を空けた。
広場の長椅子で栗を食べた。
アカネは音楽の聞こえる方を指している。
「先生! あっちも行こう!」
「少し休んでからな」
「じゃあ私が飲み物買ってくる!」
エメルも立った。
「私もお手伝いします」
二人が離れると、シロが俺の隣へ座り直した。
「先生」
「どうした?」
「……あとで、二人で歩ける?」
「ああ。いいぞ」
シロは頷いた。
しかし戻ってきたアカネを見ると、少しだけ目を伏せた。
「……二人では、また今度でもいい」
「何で?」
アカネが聞いた。
「四人で来たから」
「だからって遠慮しなくてもいいでしょ」
シロはアカネを見た。
「いいの?」
「いいよ! シロが誘いたいなら誘いなよ」
「でも、アカネも」
「私は自分で誘うから!」
アカネは胸を張った。
「私の顔を見て黙られる方が嫌だよ。先生と歩きたいんでしょ?」
「うん」
「じゃあ行ってきなよ!」
シロは俺へ向き直った。
「先生。川沿いを二人で歩きたい」
「ああ。俺も行きたいと思ってたんだ」
シロが立ち上がった。
アカネはそれを見てから小さく頷く。
「……うん。行ってらっしゃい」
「ありがとう。アカネ」
「早く行って! 気が変わるから!」
エメルが笑いながら飲み物を渡してくれた。
「私たちは屋台を見ています。ごゆっくりどうぞ」
俺は礼を言い、シロと広場を離れた。
人の多い角まで来たところで、俺はシロへ手を差し出した。
シロが俺の顔を見上げる。
「……先生から?」
「ああ。約束しただろ」
すぐに手を握られた。
「覚えててくれたんだね」
川沿いへ出ると祭りの音が遠くなった。
水面には細い落ち葉が流れている。
「ゆっくり歩こうか」
「うん。できるだけ、ゆっくり」
歩幅を合わせる。
川の向こうには、工事用の縄を張られた橋が見えた。対岸の子供たちも学校へ通うのに使う橋だ。
「明日、あそこの修理を手伝うんだろ?」
「うん。大工さんが石を替える間、私が支える。村長さんに頼まれたの」
「俺も見に行きたいな」
「うん。大工さんにも聞いておく」
水辺の石に腰を下ろし、しばらく川を眺めた。
近くに人はいなかった。
シロがつないだ手を少し持ち上げる。
「先生」
「何だ?」
「人、いなくなったね」
「そうだな」
「でも、離す理由にはしないで」
俺は思わず笑った。
「離すつもりならとっくに離してるよ」
「うん」
シロは俺の肩へ少し寄りかかった。
彼女の手は温かかった。しばらく黙って川の水音を聞いていた。
広場へ戻る頃になっても、シロは手を離さなかった。
「……このまま戻ったら、二人にも見えるよ」
シロがつないだ手を見た。
「そうだな」
「先生、困らない?」
俺は少し考えた。
二人の前へ戻るからといって、俺も手を離したくはなかった。
「困らないよ。今日はシロと歩いたんだから」
シロが嬉しそうに笑った。
「じゃあ、このまま」
広場へ戻ると、アカネとエメルが長椅子へ戻っていた。アカネは飲みかけの杯を持っている。
「あっ! 先生!」
片手を上げる。
その視線が俺たちの手へ落ちた。
アカネの上げた手が、途中で止まった。
「……先生から?」
「うん」とシロ。
アカネは自分の杯へ目を落とした。
「私だけの特別だと思ったのに」
「私も、お願いしてたから」
「知ってる! 知ってて送り出したけど!」
エメルが飲み物を盆へ戻した。
「ですから、私も黙って待つのはやめます」
「二人とも、次の話を今しないで!」
アカネは杯の残りを飲み、立ち上がった。
「じゃあ次はあっち! 今度は四人で行くからね!」
シロが手を離すと、アカネは俺の空いた腕を取った。
「ほら先生、早く!」
エメルもシロも隣に並び、四人で演奏の方へ歩いた。
その日の夕飯は、祭りで買った物を家で広げた。
俺が食卓の端へ座ると、シロの椅子が黒い板に乗って滑ってきた。
「そこ、私も座るつもりだった!」
アカネが反対側へ腰を下ろす。エメルは皿を置き、正面の椅子を引いた。
「では先生、こちらも向いてくださいね」
「ちょっと待て。順番に聞くから」
三人の顔が見えるよう椅子を引くと、シロもアカネも寄ってきた。エメルまで正面から椅子を近づける。
「狭くなったぞ」
「先生が離れたから」とシロ。
「この幅なら、先生のお皿にも手が届きます」とエメル。
「私の栗も食べて。二人で歩いてる間に買ったの」
アカネが袋を俺との間へ置いた。一つ取ると、ようやくこちらを向いてくれた。
シロは俺の皿へ菓子を置く。俺も一つ食べたが、両側の椅子は戻らなかった。
エメルが茶を注ぎながら聞いた。
「明日はお二人で橋へ?」
「うん。午後、全部」とシロ。
「ああ。どうやって直すのか見せてもらおうと思ってる」
シロは俺の袖を引いた。
「先生。明日は、私を見てね」
「ああ。橋だけじゃなくてな」
「うん」
シロは嬉しそうに笑った。




