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三人魔王は先生を独り占めしたい ~俺が助けた三人の教え子、十年後には全員魔王になって俺を取り合っている~  作者: 古江 門


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第5話 アカネが作る朝ごはん。一口目だけは譲らない

 護衛が撤収する朝、俺の台所でいちばん忙しいのは竜王だった。

 国境を越えて竜の群れを率いてきたアカネが、今は粉のだまを一つずつ潰している。

 屋根では大工が最後の板をはめていた。シロは修理用の黒い柱を片づけ、家を覆う雨よけだけを残した。エメルは荷物の確認をしている。

 荷物はもう、戸口に揃えてあった。次はいつ、四人で朝飯を食べられるだろう。

「先生! 聞いてる?」

「ん? 悪い。何だ?」

「手伝わなくていいって言ったの!」

 アカネは赤い髪を結い上げ、袖を肘までまくっていた。豪華な服の上からつけた前掛けだけがうちのものだった。

「卵くらい割るぞ」

「それも私!」

「じゃあ何をしたらいい?」

「座って私を見てて!」

「鍋じゃなくて?」

「鍋も! 私も!」

 作業台を守るように両手を広げられた。

「分かった分かった。楽しみにしてるよ」

 アカネが生地を混ぜ始めた。俺は横の炉で湯を沸かしながら、その手元を眺めた。


 窓の外で竜が鳴いた。

 大工の槌の音に驚いたのか、村外で長い首を持ち上げている。

 アカネは泡立てた卵を置いて戸口へ出ると、竜へ短く何かを告げた。

 竜は頭を低くし、広げかけた翼を畳んだ。背に乗っていた兵もほっとしたように手を上げる。

「大丈夫か?」

「うん。あの子は初めての村だから。音のする方を見せてあげたの」

「そうか。ちゃんと面倒を見てるんだな」

「当たり前でしょ。私の竜だもん」

 アカネは得意げに笑って台所へ戻り、古鍋へ生地を流した。へこんだ底の下で、火が片側だけ細く伸びる。

「そっち焦げないか?」

「底が浮いてるからこっちを強くするの」

「なるほどな」

 昔はこの鍋で粥を煮るたび、よく同じところを焦がしていた。

 アカネは黒くなった部分を自分の皿へ取ろうとしたものだ。

 今は火の方を鍋へ合わせている。

「上手くなったな」

「でしょ!」

「昔はよく焦がしてたのに」

「それは言わなくていい!」

 アカネは頬を膨らませたが、口元は笑っていた。

 台所には焼けた粉の香りが広がり始めた。


 エメルが材料の包みを畳んでいると、小さな紙が出てきた。

 俺が昔書いた菓子の分量だった。

「まだそれ使ってるのか」

「山の材料だと少し変えるけど。元はこれ」

 アカネは手を拭いて紙の端を押さえた。

 水の染みの横に、俺とアカネの字が並んでいる。粉を増やしたときや卵が小さかったとき、そのたびに書き足してきたらしい。

「全部覚えてるのかと思った」

「覚えてるよ。でもたまにこっちも見る」

 アカネは紙を炉から離れた場所へ置いた。

 粉を水で延ばしていた頃の分量に、今は山の濃い乳が加わっている。

「あとでこの続きを写させてくれ」

「先生が?」

「お前が上手くなった分を俺も知りたい」

 アカネは目を丸くしたが、すぐに紙を俺の方へ向けた。

「じゃあ味で当てて。十年前と同じ答えだったらもう一枚食べてもらうから」

「急に難しくなったな」

「私だって成長したんだから!」

「ああ。よく分かるよ」

 アカネは照れたように顔を背けた。

 外の槌が一度止まり、シロが手を洗って戻ってきた。

 板を合わせる間は少し待つのだという。


 最初の一枚が俺の皿へ載った。

「まだ二枚目焼いてるから。先に食べて」

 シロもエメルも席へ着いた。

 俺が菓子へ手を伸ばすより早く、アカネが端を小さくちぎった。

「待って。一口目は私があげる」

「自分で食えるぞ」

「食べられるかどうかは聞いてない!」

 アカネは菓子をつまんだまま、俺が口を開けるのを待っている。

「こういうのはちょっと照れるな」

「いいから! 口開けて!」

 勢いに押されて菓子を口へ入れた。指先が唇に触れそうになったところで、アカネはぱっと手を引き、真っ赤になって目を逸らした。

 俺もすぐには噛めなかった。

「……どう?」

「ちょっと待て。まだ味が分からん」

「何でよ!」

「お前が急にそんなことするからだろ」

「先生が変に意識するから!」

「アカネも顔が赤いぞ」

「熱い鍋の前にいるんだから!」

 シロがカップを置いた。

「私も、先生に食べさせたい」

「これは私が作ったの!」

 アカネは皿を俺のそばへ寄せた。エメルが食べやすそうな端を取り、差し出しかける。

「私も、お手伝いだけでしたら」

「エメル、今の話聞いてた!?」

「よく聞いていました。先生が照れていらしたところまで」

「照れるんだから、少し待ってくれ。アカネのを、ちゃんと味わいたい」

 アカネは菓子をちぎる手を止めた。

「……じゃあ、味も教えて」

 ようやく菓子を食べ直すと、甘さより先にバターの香りが広がった。表面は薄く硬く、中は柔らかい。

「うまいな」

 アカネの尻尾の先が前掛けの横で動く。

「ほんと?」

「ああ。ただ俺ならあと少し焼くかな」

 尻尾が止まった。

「そこで余計な一言足す!? 今が一番おいしいところなの!」

「焦げる手前が好きなんだ」

「竜王に火加減で勝負するつもり?」

「菓子ならやってみたいな」

「言ったね!」

 アカネはもう次の生地を鍋へ落としていた。

 次の一枚は端が少し濃く焼かれた。

 俺が嬉しくなって取ると、彼女はそれを半分もらって自分でもかじった。

「先生の味だ。これ」

「だろう?」

「でも私の方が上手い」

「そこは認める。アカネが焼いたのが一番うまいよ」

 空の皿を見せる。

「今度は俺が焼こう。お前に一番に食べてほしい」

「ほんとに?」

「ああ。十年前の味も覚えてるか試したいしな」

「覚えてるに決まってるでしょ!」

 アカネは嬉しそうに笑った。

「じゃあ勝負ね! 先生が負けたらお願いを一つ聞いて」

「また勝負か。エメルにも三連敗したばかりなんだが」

「私には勝てると思ってる?」

「少しくらい勝たせてくれ」

「やだ!」


 アカネの隣へ立った。手元を見るつもりだったのに、横顔へ目が留まる。

「先生。火の方、見てないでしょ」

「今はお前を見てた」

 アカネの尾の先が前掛けを叩いた。

「じゃあ、さっきのお願い。勝つまで待てないから、今言う」

「明日のことか?」

「うん。雨でも会うからね」

「丘へ行けなかったら、うちでお茶にしよう」

「二人なら、それでもいい」

 アカネは鍋の柄を握り直した。

「でも、晴れたら弁当。卵も入れてよ」

「分かってる。お前の分は塩を少なくする」

「覚えてたんだ」

「ああ。久しぶりに作るから、食べてくれ」

「全部食べる!」

「俺の分まで食うなよ」

「そっちは先生が残したら!」

 アカネがようやく鍋へ向き直り、残りの生地を流した。

 焼き上がった菓子を四人で分け、食べ終えてから台所を片づけた。


 昼までに村外では撤収が進んだ。

 先に出るのはアカネの竜隊。次が北の護衛の大半。最後が商都の荷車だ。

 シロは町で会談を済ませ、数日だけ隣家へ戻る予定になっている。

 エメルは近くの町での仕事が残っている。隣家の離れは、その後も来られるよう、ひと月単位で借り続けるという。

「離れは残しておきます。商都へ戻るまでは、こちらも使わせていただきますね」

「いつでも来てくれ」

「本当に毎週来てしまいますよ」

「それは嬉しいな」

 エメルは一度黙り、それから頬を緩めた。

「では、お言葉に甘えます」

 荷車へ最後に載せたのは、昨日の盤の控え図だった。

 木の盤はうちの卓へ残してある。

「先生。練習なさっても結構です。次に私が参るまでに」

「次は勝つぞ」

「はい。楽しみにしております」

 エメルは町へ向かう荷車へ上がった。

 シロは大工へ三日分の点検表を渡していた。

「雨よけは残しておく。家の修理は、これからは大工さんに頼んで。直した場所も書いた」

「助かります。魔王さまの手で支えていただけるとは」

「先生の家だから」

 大工が礼を言って去ると、シロが俺の隣へ来た。

「先生。橋の修理も見てくる」

「ああ。戻ってきたら一緒に行こう」

「うん。約束ね」

 シロは小さく頷いた。

 アカネは竜の背へ上がる準備をしていた。

 俺は朝食のあとに焼いた菓子を小さな包みへ入れて渡した。

「お前のには負けるが、俺も焼いてみた。道中で食べてくれ」

「先生が焼いたの?」

「ああ。お前のよりちょっと硬い」

 アカネは包みを受け取った。

 結び目へ顔を寄せて笑う。

「じゃあ明日迎えに来る。午後は空けてきたからね。竜は村外に置くから!」

「歩いていこう。二人で丘を見たい」

「うん!」

 アカネが一歩近づいた。

 何か言いたそうに俺を見上げる。

「どうした?」

「先生。明日も会えるのに、もう寂しい」

「俺もだよ」

 そう答えると、アカネは目を丸くした。

「……先生も?」

「ああ。今朝みたいにみんなで飯を食うのが楽しくてな」

「そっか」

「じゃあ、明日は私と二人分のご飯でいいからね!」

「ああ。弁当、楽しみにしててくれ」

「楽しみにしてる! じゃあ明日!」

 アカネが竜の背へ飛び乗ると、翼が大きく広がり、草地に風が吹いた。竜隊が空へ上がっていく。

 最後まで手を振っていたアカネの姿が小さくなった。

 商都の荷車も街道へ消えた。

 北の兵たちは整然と列を作って去っていった。

 数日前まで見たこともないほど賑やかだった村が、急にいつもの村へ戻っていく。


 俺は家の戸口へ戻った。

 棚にはエメルの新しいカップがあり、卓には一緒に遊んだ盤が残っている。炉の脇にはアカネの古鍋。

 天井を見上げても雨は落ちてこない。シロが直してくれた屋根だ。

「……また賑やかになるといいな」

 思わず口に出た。

 明日はアカネと二人きりだ。まだ聞いていない山の話もある。楽しみなのに、少し落ち着かない。

 台所へ戻り、明日の弁当に使う卵が残っているか確かめた。

 アカネの好きだった味を、今度は俺が作る番だ。


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