第3話 アカネを選んだ理由は、国益ではありません
王都の使者が来る朝、俺は授業を休みにする連絡を、子供たちの家三軒へ届けた。
こんな仕事で一日休むとは思わなかったが、村長の家には王国の紋章をつけた馬車が止まっている。使者が調べたいのは、魔王の軍勢が街道を塞いだこと、北方の防護が村に築かれたこと、それに俺が何者なのか、という三点らしい。
最後の一点は、俺にも分からない。昨日まで雨漏りする借家で授業の紙を乾かしていた男だ。竜を二頭も呼べるような覚えはない。
「先生、襟」
門の前で、エメルが真剣な顔で俺の襟を直していた。銀の指輪が目の前で光る。
「王都の方は言葉尻を取ります。今日は私が説明しますから、余計なことは仰らず」
「分かった。聞かれたことだけ答える」
「はい。分からないことは私に聞いてください」
シロは屋根に残した黒い格子を縮めていた。梁を支える四本だけを残し、街道から見えないよう角度を変える。魔法を消せばすぐだが、大工はまだ下で作業中だった。
「私が作った。私が責任を取る」
「そうだな。でも直すと決めたのは俺だ。使者には一緒に話そう」
シロはまだ何か言いたそうだったが、俺が隣へ並ぶと頷いた。
アカネだけが見当たらない。昨日、竜を見て泣いた子の家へ行くと言っていた。
村長宅では使者が大きな図面を広げていた。北へ向かう道が赤く囲まれ、俺の家には丸印がついている。
「こちらが、魔王三名の集結地点で」
「俺の台所です」
「……台所を指揮所になさるお考えは?」
「四人座るといっぱいになります」
使者は一度筆を止めた。
エメルが土地の賃貸契約と護衛の宿営許可を示す。シロは防護の範囲を指でなぞって説明した。兵がその上を通れないようにする術ではなく、雨が梁へ落ちないようにするものだ。
「では、王都へは建設ではなく修繕と」
「はい。費用は家主と相談します」
「魔王陛下が、費用を?」
「私がしたいから。先生の家」
使者の筆先がまた止まった。俺はそれを見て、余計なことを書かれないよう湯を勧めた。
問題はそこで終わらなかった。
「現地確認にお付き合いください。街道、停泊地、そして学校です。ご本人と三勢力のうちの代表者お一人に」
三人を代表して誰か一人。エメルが当然のように書類を閉じ、シロが外套を取る。
「私が」
二人の声が重なった。
「私の防護を見ればいい」
「道路使用と学校の出入りは私が調整しました。私の方が手早く――」
そこで戸が開いた。
「ごめん、遅れた!」
アカネが息を切らして入ってきた。後ろには、村の子が二人いる。見慣れない使者を警戒して、戸口で足を止めていた。
「昨日の竜、怖かったって。だから、今日は見に来ていい場所を教えてきた。竜の方も場所を変えたよ。厩舎の人と話して、道路に翼が出ないようにした」
子供の一人が俺を見つけると、小さく手を振った。いつも知らない大人が教室へ来ると、机の下へ隠れる子だ。
アカネは戸の脇へよけ、無理に中へ連れ込もうとはしなかった。子供は彼女のそばに残った。
「そうか。ありがとう」
「別に。私の子が怖がらせちゃったから」
軽く答えたが、俺が使者を迎えている間に、子供の家まで足を運んでくれたのだ。
戸口の子が、アカネの袖を引いた。
「あとで、あの竜のところ、また行っていい?」
「いいよ。私がいるときにね」
子供が笑った。昨日は怖がらせた相手に、もう頼られている。それが嬉しかった。
使者は同行者を決めかねて、三人を見比べていた。
俺はアカネの方を向いた。
「アカネ、俺と一緒に来てくれないか」
「えっ、私?」
「子供たちのことを考えてくれたお前に、一緒に来てほしい。使者にも、さっきの話をしてくれないか」
「う、うん! 私、一緒に行く!」
勢いよく答えてから、アカネはシロとエメルをちらりと見た。
「……先生が呼んだんだからね」
そう言って、何でもない顔で俺の横に並んだ。
戸口の壁が、こつん、こつんと二度鳴った。尻尾だけが正直だった。
シロには家に戻って大工と防護の調整を、エメルには王都へ送る書類の整理を頼んだ。二人は先に家へ戻り、現地確認には俺とアカネが使者に同行することになった。
使者を案内する間、竜は遠い休耕地に伏せていた。子供を連れた親が道の端で見ていて、アカネは翼を閉じる合図を送る。竜の巨大な瞼がゆっくり閉じた。
「見ていいよ。触るのは私がいるときだけ」
子供が頷いた。
そのあと学校の前で使者が敷石の幅を測る。俺がいつもの登校時間を話していると、アカネは子供が水たまりを飛び越えるのを見て、横から石を一枚運んできた。
「ここ、雨の日は滑る」
「勝手に敷くな。持ち主に聞く」
「分かってるって。ほら、置いてみただけ」
石を抱えた竜王に、使者が恐る恐る許可書を差し出す。彼女はそれを受け取って笑った。
昼までに調査は終わった。村の出入りも学校も、これまで通りでいい。防護の位置は縮小して現地図に記載することになった。
「助かりました」
使者に頭を下げられ、俺はアカネと村への坂を下りた。
「疲れたか?」
「全然。国の会議よりずっと面白かった」
「何が面白かった?」
「……あのね、先生」
アカネが足を止めた。
「シロでもエメルでもよかったでしょ。こういうの、二人の方が得意だし」
「手続きなら、そうだろうな。でも今日は、お前に来てほしかった」
「じゃあ、なんで私?」
「お前と歩きたかった。それと、学校の子に謝りに行ったのが嬉しかった」
「……そういうの、使者の前で言わないでよ」
「今は使者がいないだろ」
「今も! 私が困るの!」
しかし家へ戻るまで、彼女は俺の隣を譲らなかった。
玄関ではシロが屋根の支えを見ていた。俺がアカネに礼を言うと、シロは短く「よかったね」と言う。
エメルは帰還報告の控えを差し出した。
「先生。王都への文面に一か所、厄介な表現があります」
使者の覚書にはこうあった。
――教師本人の指名により、竜王が同行。
「事実でしょう?」とアカネ。
「はい。ただ、王都では『先生が竜王を特別に選んだ』と受け取られかねません」とエメル。
「今のうちに、用件も添えて訂正してくれないか」
「はい。帰還報告にも、現地案内のためと明記していただきます」
エメルが控えを畳んだ。
「先生。明日は私と、市へ出かけませんか。今日のような指名は、待っていても来そうにありませんから」
アカネが俺の袖を掴んだ。
「ちょっと、まだ今日が終わってないんだけど!」
シロは二人の間へ入り込む代わりに、俺の手を見た。
「私とも歩く日を作って」
エメルが俺の右腕へ手を添え、アカネがその手を押し戻す。シロは黙って、空いている左手を取った。
「では、明日は私と市へ」とエメル。
「先生の左手、今日は私が持ってる」とシロ。
「山へ来る日も空けておいてよね!」とアカネ。
「待て。俺の予定も聞いてくれ」




