第14話 仕事終わりのエメルが、俺の腕を離さない
商都の橋は、人を立ち止まらせない。
荷車が来る。反対から荷車が来る。俺が川を覗こうとした隙間へ、魚の籠を担いだ男が身体をねじ込む。
「見物は向こうの張り出しで!」
「ああ、すまん!」
男は通り過ぎ、次の客へ値段を叫んだ。見物する場所を教えるときも、魚を売るときも、同じ大声だった。
言われたところには、ちゃんと椅子があった。眺めるだけの客にも場所がある。俺は座って、水へ突き出した柱を見た。
上の道を荷車が渡るたび、足元がかすかに震えた。橋の裏側へ回りたくなる。けれど今日は、四つ目の鐘に約束があった。
宿へ戻ると、エメルから伝言が来ていた。
予定より仕事が延びている。先に茶を飲んで待っていてほしい。
茶を頼み、本を開いた。戸が鳴るたびに顔を上げてしまい、同じ行を三度読んだ。
四つ目の鐘が鳴った。手帳には、昼に見つけた料理の名がある。二人で違うものを頼み、分けるつもりだった。
俺は本をしまい、待ち合わせの場所へ向かった。
倉の角を曲がると、天井まで積まれた荷が道の光を遮った。
扉が開くたび、明るい四角が荷の間を走る。人がその中へ入り、別の紙を持って出てくる。机は三つあり、エメルはその真ん中にいた。
「この荷札は戻してください。山への注文と、先生個人への贈り物が混ざっています」
俺の話だった。
呼ぼうとしたら、エメルが顔を上げた。こちらへ来かけ、職員の指している行へ目を戻す。
「先生。もう少しだけ――」
「急がなくていい。俺が確認できることはあるか」
「届いた品のお名前だけでしたら。こちらへ」
届いた品に印をつけ、知らない品は知らないと答えた。すぐに紙は埋まった。
印をつけた紙を返すと、隣で職人が染め物の型を重ねているのが見えた。
薄い板が二枚。それぞれに細かな穴が開いていた。職人が上の板をずらすと、重なった穴の形が変わる。
「これだけで何種類もの柄が作れるんですよ」
「重ねる位置を変えるのか。ちょっとやってみてもいいか?」
「どうぞ」
一枚借りて横へずらすと、花のようだった模様が星の形になった。
「先生」
顔を上げると、エメルが立っていた。約束の日に着けると言っていた緑のリボンで、髪を結んでいる。
「お待たせして申し訳ありません。そちらが済んだら出かけましょう」
「ああ。お疲れさま。これ、面白いな」
「うちの職人が考えたんです。少ない型でいろいろな柄を作れますし、保管する場所も減らせます」
「なるほど。片づける方にも便利なんだな」
「今度は工房もご案内しますね」
「楽しみにしてる。ありがとう。また見せてくれ」
職人へ型を返し、立ち上がった。
「今日はお前と遊びたくて、迎えに来たんだ」
エメルは俺の隣へ来ると、机に鍵を置いた。
「本日の残りはこちらの三名へお任せします。この金額を越えるものだけ明朝私へ」
「女王、東の船が――」
「荷の確認はあなたに任せます。今日はもう帰りますから」
係たちが帳面と鍵を引き取った。エメルが俺の腕を取る。
「では先生、参りましょう。私も楽しみにしていたんです」
仕事場を出ると、廊下の向こうから帳面を抱えた男が来た。エメルは俺の腕を引き、脇の戸へ入った。
「そっち、出口か?」
「中庭です。抜けられます」
男をやり過ごして狭い戸をくぐると、エメルが声を立てて笑った。
「女王が隠れていいのか?」
「引き継ぎは済ませました。今戻ると、また座ってしまいますから」
「仕事、好きだもんな」
「はい。でも今日は、先生と遊ぶ方が大切です」
エメルが俺の腕を抱え直した。二人で笑いながら路地へ抜けた。
風が吹き、髪に結んだリボンの端が襟へかかった。
「そのリボン、やっぱりいいな。襟の刺繍にも合う」
「先生に選んでいただいたものですから。今日はたくさん見てくださいね」
「ああ。そのつもりだよ」
俺は手帳に書いた店へ彼女を連れて急いだ。
店先の鍋は空だった。
主人が底を傾けてみせる。昼にはあった魚が、焦げた皮一枚になっていた。
「すまないね。次の料理ならまだあるよ」
「売り切れか。残念だな」
「申し訳ありません。私がもっと早く仕事を切り上げていれば」
「俺の荷物もあったしな。次に来たときは、早めに食べよう」
「はい。では今日は、別のものを二つ頼みませんか。そちらもおいしいんですよ」
エメルが隣の鍋を指した。俺が頷くと、主人が奥の席を勧めてくれた。
席に着いてから、主人へ手帳を見せた。
「これ、料理の名で合ってるか」
「そっちは、器を返す場所だ」
エメルが慌てて口を押さえた。俺の方から笑うしかなかった。
「待ってる間、これを何度も読んでたんだぞ」
「そちらへ行かなくてよかったですね」
堪えきれずに笑ったあと、彼女は目元を指で押さえた。俺は正しい料理の名を、下へ書いてもらった。
注文した魚が俺の前へ先に来た。ぱりっと焼けた皮の下で、脂が音を立てている。俺はエメルの分も運ばれてくるまで待った。
「冷めますよ」
「少しならいい」
エメルは自分の皿へ酸っぱい汁をたっぷりかけた。いつもどおりの食べ方だった。
「それ、俺にも取ってくれるか」
頼むと、彼女は顔を上げて瓶を渡してくれた。




