第13話 俺への土産で、倉を埋めるな
商人の横に、大きな箱があった。
金具はぴかぴかで、蓋には竜の彫り物まである。うちの玄関より立派だった。
いつも学校へ紙を売りに来る男だ。先月は安い紙を頼んだ俺に、子供には薄い紙で十分だと言っていた。今日は腰を折って頭を下げている。
「どうしたんだ?」
「竜王様のお山へ招かれたそうで! しかも、伴侶としてお迎えになるとか!」
「待て。それは違う。俺はまだ誰の恋人にもなってないぞ」
「いえいえ、ご謙遜を!」
「謙遜じゃないんだが」
訂正の知らせより先に、山での噂が広まったらしい。
「それで、どうしてこんな箱が?」
「山とのお取引を始めたく思いまして。竜王様と親しい先生に、一言お口添えをいただければ」
「悪いが、取引の話はできないよ。アカネとは遊ぶ約束で行ったんだ」
商人は困った顔をしながらも、箱の蓋を開けた。赤い布、金の縁がついた布。触る前から高そうなものがぎっしり詰まっている。
「では、見本だけでも。お気に召したものを竜王様へお伝えいただければ結構ですので」
「それも口添えだろ。持ち帰ってくれ。アカネにも迷惑がかかる」
門まで来ていた村長も、箱を見て首を振った。
「……かしこまりました」
商人は渋々蓋を閉じた。それでも帰り際には、また深々と頭を下げる。
「次に学校へ来るときは、いつもどおりで頼むよ」
「はい! もちろんでございます!」
しばらくは無理そうだった。
台所には、小さい箱も届いていた。
こちらはアカネからだった。菓子と、短い手紙。伴侶の席について訂正の知らせを回していることと、その下に、字の大きさが二倍になる一行。
『好きだって言ったことまで消さないように、何回も言った。先生も間違えないで』
間違えるものか。
菓子を一つ食べた。山で彼女が隣の皿から取ったのと同じ焼き物だった。冷えていても乳の匂いが濃い。
残りを誰に分けようか考えたところで、表から車輪の音がした。
「まだあるのか?」
「今のは別口だ」と村長。
門の向こうで、もう一つの箱が地面へ下ろされた。
俺は菓子を飲み込んだ。
「まだ訂正が伝わってないのか」
エメルが来たとき、俺は二つの箱の送り状を見比べていた。返したいのに、どちらの運び手も受け取ってくれない。
「先生、これは全部?」
「頼んでないのに届くんだ。助けてくれ」
エメルは送り状を読み、アカネの菓子箱だけ俺へ渡した。
「こちらは先生へ。あとの見本は、お返しします」
「返すだけでも、ひと苦労だよ」
「山から訂正も届いております。贈り物を受け取るお約束はないと、私からお伝えしますね」
彼女が倉の名を二つ伝えると、運び手たちは箱を載せ直した。
男が走り、別の男が紙を持ってくる。
「そちらのお色だけでも、お選びいただけましたら」
「選ぶ用事がないんだよ」
「先生、こちらでございます」
布を一枚広げられた。青だった。細い線が幾重にも入り、傾けると違う模様が出る。
「……どうやって織るんだ、これ」
「お気に召しましたら、ほかにも」
「待て。買う話じゃ」
次の布が広がった。さらにその下から三枚。
門の内側が、急に王様の衣装部屋になった。
俺が青い布を透かしていると、エメルがそっと取り上げ、畳んだ。
「先生。そのご質問は、商都でご自分の買い物をなさる日にどうぞ」
「すまん。織り目が変わって見えたから」
「はい。先生のお顔も変わりました」
「そんなにか」
「二つ目の箱が来たときより、ずっと楽しそうでした。商都へいらしたら、布の前から動かなくなりそうですね」
「お前に連れ出してもらうことになるかもな」
「でしたら、私の方も見ていただける服にいたします」
俺はエメルを見てしまった。彼女は畳んだ見本を男へ渡し、何でもない顔で次の送り状を取った。
男たちまで笑いをこらえていた。
エメルは荷を返す段取りを終えると、自分の鞄だけを持って家へ入った。
台所で茶を淹れた。
エメルはいつもの場所から緑の線のカップを取り、椅子へ座る。俺はアカネの菓子の包みを開きかけ、手を止めた。
「食べるか」
「いただきます」
返事は早かった。
彼女は一つ取り、端を小さく割って口に入れた。それから残りも食べた。
「……おいしいですね」
「ああ。山では、温かかった」
「そうでしょうね」
俺は向かいに座った。
「助かった。俺だけじゃ、あんなに早く片づかなかった」
「先生、途中で布を見ていらっしゃいましたしね」
「すまん。今度は気をつける」
ようやく笑ってくれたが、俺が礼を重ねると、また仕事の話になった。
「先生のお名前で取引を始められると、皆さんがお困りになりますから。こちらでも先に伝えておきます」
「仕事を増やしたな」
「増えましたね」
否定はしてくれなかった。
エメルは仕事の控えを鞄へしまった。いつもならすぐに次の話を始めるのに、今日は黙っていた。
「先生。私も山で何をご覧になったか聞きたくて参りました」
「うん」
「帰ってきてから、先生の荷の話ばかりしています」
山の話の前に、エメルに知らせたいことがあった。
「商都へ行く日、同僚と替わってもらったんだ」
俺は手帳を出した。
「ここから五日。行き帰りを入れると、街で遊べるのは真ん中の日だ。夜までいられる」
エメルが手帳を覗き込んだ。
「お買い物に?」
「それもしたい。上着を一枚。俺にも買えるやつを」
「でしたら、お店をご紹介――」
「お前と行きたい」
手帳を卓へ置いた。
「上着を選んだら、お前が話してた花の道も歩きたい」
「……では、私が選んでも?」
「一枚だけな」
「買うのは一枚。試していただく枚数までは、お約束できません」
あの布の箱から逃げたと思ったら、今度は店で囲まれるらしい。
それでも今度は、楽しみになった。
エメルは紙を引き寄せた。倉の角、橋、宿。エメルは迷わず道を引き、四つ目の鐘と書いたところでペンを止めた。
「先生。この先は、アカネの旅のお片づけではありませんからね」
「分かってる。お前とデートがしたいんだよ」
「……お礼ではなく?」
「お礼なら、今ここで言えるだろ」
エメルはようやく嬉しそうに笑い、待ち合わせの時刻を書き入れた。
「では、私も遠慮せず楽しみにします。仕事場の角でお待ちください。遅れるときはご連絡します」
「待ってる。俺が早く着いたら、先に街を見ておく」
「あまり面白いものを全部見つけてしまわないでくださいね」
「お前が案内する分は残すよ」
「先生が私に見せたい分も、残してください」
彼女は紙を俺へ渡した。
その晩は、山の話だけでは終わらなかった。エメルが取り寄せた実は、焼いても酸っぱいらしい。
「そんな物を、わざわざ買うのか」
「先生にも食べていただきます」
断る前に、皿に残っていたアカネの菓子を半分取られた。




