第6章 選び取る未来
それは、避けられないはずの“その日”だった。
王宮主催の夜会。
煌びやかな光の中で、すべてが決まる——はずの舞台。
(……来る)
コニーは確信していた。
(断罪イベント)
本来のシナリオの、最大の山場。
王子に糾弾され、悪役令嬢が断罪される——あるいは、その逆。
どのルートでも、必ず“何かが壊れる”日。
だが今回は違う。
「……マリアンヌ様」
コニーが小さく呼ぶ。
隣に立つ彼女は、いつもと同じように美しかった。
けれど——
「……大丈夫です」
その声は、以前よりもずっと強い。
「……逃げません」
はっきりとした意志。
その反対側には、リリアがいる。
「……わたしも」
少し緊張した様子で、それでも笑う。
「一緒にいます」
三人で並ぶ。
それだけで、以前とは違う。
もう誰も、一人ではない。
夜会は静かに進んでいた。
音楽、笑い声、優雅な会話。
けれどその裏で、確実に“流れ”が集まっていく。
そして——
「マリアンヌ・フォン・ルーヴェン」
高らかな声が響いた。
場が静まり返る。
中央に立つのは、王太子レオンハルト。
その隣には——数名の貴族令嬢たち。
見覚えのある顔ぶれ。
(……来た)
コニーの目が鋭くなる。
「君には、いくつかの疑惑がある」
王子の声は、冷静で。
けれど——その奥に揺らぎがある。
“いつもの展開”をなぞりながらも、迷っている。
「リリア嬢への嫌がらせ、及び——」
「……お待ちください」
その言葉を、遮ったのは——
リリアだった。
会場がざわめく。
「そのお話、事実ではありません」
はっきりと言い切る。
「わたしは、一度もマリアンヌ様からそのようなことを受けていません」
強い声。
それは“ヒロイン”のための言葉ではない。
自分で選んだ言葉だった。
「……しかし、証言が——」
「では、その証言は“いつ”のものですか?」
食い下がる。
「誰が、どこで、何を見たのか」
論理的な追及。
場の空気が揺れる。
コニーがにやりと笑う。
(いいね、完全に自分で動いてる)
その時。
「……もういい」
王子が、ぽつりと言った。
全員が息を呑む。
「この茶番は、終わりだ」
静かな一言。
だが、それは“シナリオ”の崩壊を意味していた。
「——証拠はない」
はっきりと告げる。
「そして何より」
ゆっくりと、マリアンヌを見る。
「私はもう、“過去の結果”で人を裁くつもりはない」
ざわめきが広がる。
それは、王太子としては異例の判断。
だが——
「……」
マリアンヌは静かにその言葉を受け止める。
そして。
「……ありがとうございます」
深く、丁寧に頭を下げた。
それは“許された”からではない。
自分の意思で、この場に立ち続けた結果への一礼。
夜会の後。
王宮の庭園。
三人は、静かに並んでいた。
「……終わったね」
コニーがぽつりと呟く。
「……はい」
リリアがほっと息をつく。
「……少し……怖かったですが……」
「でも、ちゃんと言えたじゃん」
「……はい」
小さく笑う。
そして——
「……マリアンヌ様は……大丈夫ですか?」
そっと尋ねる。
マリアンヌは少しだけ考えてから。
「……はい」
ゆっくりと頷く。
「……不思議と……」
空を見上げる。
「……もう、怖くありません」
あの“見えない運命”に対する恐れが、消えていた。
代わりにあるのは——
(……自分で、選べる)
という確信。
その時。
「マリアンヌ」
背後から声がした。
振り向くと、王子が立っていた。
「……殿下」
静かに礼をする。
王子は少しだけ迷ってから、口を開いた。
「……君に、謝るべきだろう」
「……」
「私は君を“危険な存在”として扱った」
まっすぐな言葉。
「だがそれは——君自身を見ていなかったということだ」
短く息を吐く。
「……すまない」
静かな謝罪。
マリアンヌは少しだけ目を見開き——
「……いいえ」
首を振った。
「……わたくしも……」
ゆっくりと。
「……何も伝えられていませんでしたから」
少しだけ、微笑む。
以前のような“完璧な仮面”ではない。
ほんのりとした、柔らかな表情。
それを見て——
王子の目が、わずかに揺れた。
だが、その先は言葉にしなかった。
ただ。
「……これからを、見せてくれ」
そう言って、去っていった。
しばらくの沈黙。
そして——
「……ねえ」
コニーがにやっと笑う。
「今の、ちょっとフラグじゃない?」
「コニー様……!」
リリアが慌てる。
「え、だってさ」
「……」
マリアンヌは、少しだけ困ったようにしてから——
「……まだ……わかりません」
正直に答えた。
けれど。
「……でも……」
二人を見る。
「……今は……この時間が、好きです」
小さな、でも確かな言葉。
コニーが笑って、リリアもつられて笑う。
それで十分だった。
後日。
サロンの窓際。
マリアンヌは、いつもの椅子に座っている。
けれど——
「マリアンヌ様! 今日さ——」
「その前にお茶を淹れましょうか?」
左右には、コニーとリリア。
賑やかな声。
柔らかな空気。
「……はい」
マリアンヌは、ほんの少し笑った。
かつて“フキハラ令嬢”と呼ばれた少女は、もういない。
ただ少し不器用で、けれど確かに誰かと繋がれる一人の少女がいるだけだ。
椅子に咲く花は、今もそこにある。
けれどもう——
誰かを遠ざけるためではなく。
誰かと一緒に、光の中で咲くために。
物語は、終わらない。
なぜならこれは、“決められた結末”ではなく——
自分たちで選び続ける未来だから。




