第3章 ヒロインの誤差
最初の違和感は、とても些細なものだった。
「……あれ?」
図書室で、本を手に取った瞬間。
リリアは小さく首をかしげた。
(この本……知ってる?)
ページをめくる。
初めて見るはずの内容。
なのに——
(……なんで、先の展開がわかるの?)
胸の奥がざわつく。
既視感。
それは「知っている」というより、「思い出しかけている」に近い感覚だった。
「リリア様……?」
控えめな声に、はっと顔を上げる。
マリアンヌが心配そうに見ていた。
「……大丈夫ですか……?」
「え、あ……はい!」
慌てて笑顔を作る。
「少しぼんやりしてしまって……」
(今の、何だったんだろう……)
違和感は、それきりでは終わらなかった。
別の日。
中庭でのこと。
「マリアンヌ様、その花……とても綺麗ですね」
リリアが微笑む。
淡い色の小花が風に揺れている。
「……ええ……」
マリアンヌが小さく頷く。
「……この花は……」
説明を始めようとした、その時。
「“初恋草”、ですよね?」
リリアが先に言った。
自分でも驚いたように、目を瞬く。
「……」
マリアンヌが静かに見つめる。
「……なぜ……ご存知なのですか……?」
「え……?」
言われて、気づく。
(どうして……?)
知らないはずだ。
この学園に来て、まだ数日しか経っていないのに。
「……すみません、どこかで聞いたのかも……」
曖昧に笑ってごまかす。
だが胸のざわめきは、強くなるばかりだった。
(違う)
(これは“聞いた”んじゃない)
(……知っていた)
最初から。
まるで——
(……台本を、なぞっているみたいに)
ぞくり、と背筋が冷える。
その日の帰り道。
「ねえ、リリア」
隣を歩くコニーが、不意に口を開いた。
「最近さ、ぼーっとしてること多くない?」
軽い調子。
けれど視線は鋭い。
「え……そう、でしょうか?」
「うん。なんかさ」
少しだけ間を置いてから。
「“思い出してる”顔してる」
心臓が跳ねた。
「……っ」
言い当てられた。
そんな感覚。
「……コニー様は、不思議なことをおっしゃいますね」
なんとか笑う。
けれど声がわずかに硬い。
コニーはそれ以上は追及しなかった。
ただ——
(やっぱり)
内心で確信する。
(この子も、“普通じゃない”)
マリアンヌだけではない。
リリアもまた、何かを抱えている。
それはきっと——
(“シナリオ”に関係してる)
数日後。
決定的な出来事が起こる。
それは、授業中の何気ない一言だった。
「ではこの問題、リリアさん」
教師に指名される。
「この王国の建国年について答えてください」
簡単な基礎問題。
だが——
「……王国の建国は、五百三十年前。初代国王アルディウス一世が——」
すらすらと答えた、その後。
リリアの口が、勝手に動いた。
「その後、王太子暗殺未遂事件が起こり——」
教室が静まり返る。
「……え?」
教師が眉をひそめる。
「そのような史実は存在しませんが?」
はっと我に返る。
「……あ……」
血の気が引く。
(今の……何?)
頭の中に、映像のようなものが浮かんでいた。
見たこともないはずの光景。
それを——“知っていること”として話してしまった。
「……申し訳ありません、言い間違えました……」
なんとか取り繕う。
だが教室の空気はざわついていた。
「……何の話?」
「そんな事件、聞いたことないわよ」
ざわめきの中。
コニーは黙ってリリアを見ていた。
そして——
マリアンヌもまた、静かに彼女を見つめていた。
放課後。
三人は、いつものサロンに集まっていた。
だが空気は、いつもとは違う。
「……リリア様」
マリアンヌが、ゆっくりと口を開く。
「……先ほどの……お話……」
言葉を選びながら。
「……まるで……“見てきた”ようでした……」
逃げ場のない指摘。
「……」
リリアは俯く。
もう、誤魔化せない。
「……わたし……」
小さく震える声。
「……最近、変なんです」
ぽつり、ぽつりと話し始める。
「知らないはずのことを、知っていたり……見たことのない景色が、頭に浮かんだり……」
手をぎゅっと握る。
「まるで……誰かの記憶が、混ざっているみたいで……」
静寂。
その中で——
「……それ」
コニーが低く言った。
「たぶん、“偶然”じゃないよ」
リリアが顔を上げる。
「え……?」
コニーは一瞬だけマリアンヌを見る。
そして決めたように、口を開いた。
「リリア」
まっすぐに。
「この世界、“物語”なんだ」
その一言で、空気が変わる。
「……物語……?」
「うん。あたしはその外側から来た」
はっきりと言い切る。
リリアの目が大きく揺れる。
「そしてマリアンヌ様は——」
一瞬だけ言葉を切り、
「本来、“悪役令嬢”って役割だった人」
「……!」
リリアが息を呑む。
「で、あんたは」
ゆっくりと続ける。
「その“ヒロイン”」
沈黙。
長い沈黙。
やがて——
「……だから……なんですね」
リリアが呟く。
どこか納得したような声。
「……わたし……“自分の意思で動いているのに”、どこかで“決められている”気がしていました」
視線が揺れる。
「マリアンヌ様に話しかけたのも……自然にそうしたつもりなのに……」
胸に手を当てる。
「“そうするべきだ”と、思ってしまったんです」
静かな告白。
それは恐怖でもあった。
「……怖い、です」
初めて見せる、本音。
「わたし……わたしは、わたしなのでしょうか……?」
その問いに——
「……リリア様」
マリアンヌが、ゆっくりと手を伸ばした。
そっと、彼女の手に触れる。
「……今……こうして……悩んでいるのは……」
拙いながらも、はっきりと。
「……あなた自身です」
優しい声。
「……っ」
リリアの目に、涙がにじむ。
「だからさ」
コニーが肩をすくめる。
「シナリオとか、クソくらえでいいじゃん」
いつもの調子。
けれど、力強い。
「三人でさ、好きにやろうよ」
にっと笑う。
「誰がヒロインとか悪役とか、関係なく」
その言葉に——
リリアは小さく笑った。
「……はい」
まだ不安は消えない。
記憶のズレも、謎のまま。
けれど——
三人の間にあるものは、確かに変わっていた。
それはもう、“役割”ではない。
選び取った関係。
そして物語は、さらに予測不能へと進んでいく。




