第1章 陽だまりの正体
季節は初夏へと移り、学園にはどこか浮き立つ空気が流れていた。
だがその日、サロンの空気はいつもと違っていた。
「……コニー?」
マリアンヌが小さく名前を呼ぶ。
返事がない。
いつもなら「はーい!」と即座に返ってくるはずなのに、コリエッタは窓の外をぼんやりと見つめていた。
「……あ、ごめん。聞こえてたよ」
振り向いた顔は、笑っているのに少しだけぎこちない。
(……何か、隠している)
マリアンヌの胸がざわつく。
言葉はまだ多くない。けれど、人の機微には敏い。
特に——大切な人のことなら。
「ねえ、マリアンヌ様」
コニーがふと口を開いた。
「もしさ」
軽い口調のまま、けれど目だけが真剣だ。
「親友が、実は全然違う人だったって知ったら、どうする?」
唐突な問い。
マリアンヌは一瞬考え——
「……その方は……」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……わたくしを……欺いて、いましたか……?」
「……どうだろ。結果的には、そうなるのかな」
曖昧な答え。
でも、それで十分だった。
「……なら……」
マリアンヌは一度息を吸う。
そして、まっすぐコニーを見る。
「……理由を……聞きます」
「……怒らないの?」
「……わかりません」
正直な答え。
「……でも……」
少しだけ、声が強くなる。
「……知らないままは……嫌です」
その言葉に、コニーは目を見開いた。
そして——
「……そっか」
ぽつりと呟く。
しばらくの沈黙の後、彼女は観念したように笑った。
「やっぱさ、マリアンヌ様には隠し通せないわ」
(……やはり)
マリアンヌの手が、わずかに震える。
「ちょっと、場所変えよっか」
人気のない中庭。
木陰に二人きり。
コニーは空を見上げてから、ぽつりと言った。
「あたしさ、この世界の人間じゃないんだよね」
静かな声。
けれど内容は、あまりにも非現実的だった。
「……え……」
「信じなくてもいいよ。でもほんと」
苦笑する。
「前はさ、もっと違う世界にいて。ギャルやってて、バイトして、友達と騒いで——」
懐かしむような目。
「気づいたら、ここにいた」
あっけらかんと言う。
けれど、その裏にある戸惑いや孤独は隠しきれていない。
「最初はさ、マジでパニックだったよ。言葉も文化も違うし」
「……」
「でも、この世界ってさ」
コニーはちらりとマリアンヌを見る。
「ゲームにそっくりだったんだよね」
マリアンヌの呼吸が止まる。
「乙女ゲーム。貴族学園が舞台でさ、ヒロインが王子様と恋して、悪役令嬢が破滅するやつ」
「……あくやく……れいじょう……」
「そう」
コニーははっきりと言った。
「マリアンヌ様、あんたなんだよ。その“悪役令嬢”」
風が止まったように感じた。
世界が、静まり返る。
「……わたくし……が……?」
「うん。しかも結構がっつり破滅ルート」
軽く言っているが、内容は重い。
「婚約者に捨てられて、社交界から追放されて、最悪国外追放とか」
淡々と語られる未来。
マリアンヌの指先が冷えていく。
「……なぜ……」
かすれた声。
「……わたくしが……そのような……」
「それが“シナリオ”だから」
コニーの声が少しだけ固くなる。
「でもさ」
ぐっと表情を引き締める。
「マリアンヌ様、全然そんな人じゃないじゃん」
「……」
「ただ人見知りなだけで、めっちゃ優しいし、ちゃんと努力してるし」
まっすぐな言葉。
「だからさ、あたし決めたんだよね」
にっと笑う。
「このシナリオ、ぶっ壊すって」
あまりにも彼女らしい宣言だった。
だが——
「……では……」
マリアンヌの声が震える。
「……わたくしに……近づいたのも……」
一番聞きたくて、一番怖いこと。
「……すべて……そのため……ですか……?」
沈黙。
コニーはすぐに答えなかった。
ほんの数秒。
けれど永遠のように長い時間。
そして——
「……最初は、そう」
正直な答えだった。
胸が、きしむ。
「でもね」
コニーはすぐに続ける。
「今は違う」
一歩近づく。
「今は、マリアンヌ様だから一緒にいる」
迷いのない目。
「シナリオとか関係ない。あたしが好きで、友達でいたいからいる」
真っ直ぐすぎる言葉。
逃げ場はない。
「……」
マリアンヌはうつむく。
心の中で、いくつもの感情が渦巻いていた。
怖い。
混乱している。
けれど——
(……知っている)
この少女が、毎日隣に座ってくれたこと。
笑いかけてくれたこと。
自分の小さな一言を、誰よりも喜んでくれたこと。
それは、嘘ではなかった。
ゆっくりと顔を上げる。
「……コニー」
「……うん」
「……わたくしは……」
言葉を探す。
まだ拙い、けれど確かな声で。
「……難しいことは……わかりません……」
「うん」
「……でも……」
一歩、踏み出す。
「……今のあなたを……信じたいです」
静かな決意。
一瞬の沈黙の後——
「……っは〜……」
コニーが大きく息を吐いた。
「マジで救われた……」
頭をがしがしとかく。
「嫌われたらどうしよって、ちょっとビビってたんだよね」
「……少しだけ……驚きました」
「だよね」
二人で、少しだけ笑う。
まだ不安は消えていない。
けれど——
「ねえ、マリアンヌ様」
「……はい」
「これからさ」
コニーは手を差し出した。
「一緒に運命、変えよ?」
その手を見つめてから——
マリアンヌは、そっと自分の手を重ねた。
「……はい」
小さな声。
けれど確かな約束。
フキハラ令嬢は、もう一人ではない。
シナリオに抗う物語が、今——静かに動き出した。




