第二章:11 『孤独のロンド』
夕暮れ時の風は、徐々に冷たくなってきていた。
「……で、話って?」
あたしはベッドの端に腰を下ろし、アスタの髪を撫でながら聞いた。立ったままのニボシはこちらを見下ろして一つ頷く。何を思ったのかしんないけど……勘違いじゃなきゃいいなぁ。もし勘違いなら……あはは。
まぁ、ニボシがそのあとどうなるかなんて、今はどうでもいい。
それよりも、あのニボシがアスタの様子を見に来た体を装いながらこの部屋に来たことを言及するべきだ。
あたしは髪をいじりながら聞く。
「早く話してほしいんだけど……アスタが起きた時にまた喧嘩でも始まったらめんどいし」
「大丈夫ですよ。そのあ……あす……アステロイド様ももう弁えているはずですから」
ありゃあ、結構怒ってますわね、おほほ。
って、アステロイドって何? 新しいボー〇ロイド? テトラポットの親戚?
あたしは呆れたため息をついた。すると、ニボシが一つ咳払いをして話を変えた。
「ごっほ、ごっほ……で、話なのですが……」
一旦、言葉を止め、こちらを見つめてくる。
「……ナルティス様は歌音のこと、どう思いますか?」
「変態。常識知らず。人の気知らず。出来るなら関わりたくない。あと変人。そして変態……ほかにも言いたいことは山ほど山脈ほどあるけど聞く?」
「いえ、もういいです」
苦笑交じりに止めた。
歌音との邂逅はとんでもないことだった。
目を覚ますと、そこに彼女はいて、あたしの顔を舐めまわした揚句……あ、あたしの恥部を触った……。それが社会的に許されるなら、変態とストーカーの皆さんは大喜びで犯罪に手を染め、いたいけな少女から処女を奪うだろう。おかげで顔中が涎まみれ! 一部の変態性癖をお持ちの方でないと、あれは許容できないだろう。
もちろん、あたしは許容できない。
そんな歌音のことをどう思うか? 痴態をさらされた相手を許せるほど、あたしのお心は広くないのだよ! 小さい奴とか思うなぁぁぁ!! そんなこと自分でも分かってるのよぉぉぉぉぉ!
とか、茶番を繰り広げられている脳内に、ニボシの声が乱入してきた。
「まぁ、歌音と最初にあった人はみんな、そんなことを言います。そして、みんな離れて行ってしまいます」
「ま、それが世の常じゃない? 変態に仲間がいたら、街中大パニックだよ?」
変態が蔓延る街に、人なんて住むわけがない……あ、アスタなら喜んで住みそう。
あたしが冷たく言い放った言葉……それを受けて、ニボシは渋い顔をした。そしてどこか哀しそうでもある。
それはどこか、息子を思う母のようであり、道端に捨てられた犬を見ているかのようだった。
愛ゆえに、冷たく引き離された娘を思う父のような温かな眼差しで、あたしを見据えて。
「それが歌音のコミュニケーションのやり方なのですよ。心は不器用なんです。ああ見えて、彼女は誰かと話したり、触れたりすることが苦手なので。だから、ただ一言、変態でことを済ませるのだけは看過できませんね」
「……ごめんなさい」
「いえ。さっきも言った通り、歌音と接触した人はみんなそういうのですよ。事実、彼女の変態性は常軌を逸していますからね。端から見ていて見苦しいときもあるくらいなので。……だから、歌音ともっと一緒に過ごしてほしいのですよ」
「それが、あなたが話したかった話の趣旨?」
ニボシは頷いて、
「はい。だって……悲しいでしょう? 人から理解されないままに、人から遠ざけられる……それが日常的にあるのはとても悲しいことです。それは、ナルティス様にもあったのではないですか?」
言われて、あたしは思い返す。
確かにあたしは【鳥籠】に閉じ込められて、強制的に魔法を作らされた。本当に逃げ出したい気持ちを押し殺し、『ああ、あたしの運命はここで閉じるのか』と諦めそうになったこともある。だが、そう思っても誰も助けてくれない。【鳥籠】からは出られないし、金格子に触れることさえ叶わなかった。何を思っても、何を感じても、ずっと孤独なのだと苛まれてきた。あたしに家族なんていないし、大人だって信用ならなかった。
でも、あたしにはアスタがいたのだ。
だからあたしは今ここにいる。彼がいてくれたおかげで、あたしは諦めないでいられた。ここまで生きてこられた。大人からは信用されないし、汚職を被せられた……でも、アスタだけはあたしのそばにいてくれた。自分だって集落から蔑まれていたはずなのだ。あの醜い魔法技術士の世話役をしていると、見下されてきたはずなのだ。でも、アスタはいつも笑いかけてくれた……。
あたしはアスタの褐色の髪を撫でた。頬笑みを浮かべ、言葉を発する。
「でも、あたしにはアスタがいたからなぁ……正直、歌音とあたしじゃ立場が違うと思うよ?」
「そう……ですか」
「うん。歌音はただ誰にも分かってもらえなかっただけ。あたしはこんなにもすぐそばに理解者がいてくれたからなぁ……きっと、歌音のほうが辛い思いをしてきたんでしょうね」
歌音は、その行動だけで全ての印象を押しつけられてきた。
あたしは、その能力から勝手な期待を押しつけられてきた。
二人は違う。
境遇も、立場も、能力も……でも、共通点だってあるんだ。
それは、二人とも裏切られたこと。
歌音は近づくものに裏切られ、
あたしは大人に裏切られた。
だから、傍目には同じように見えても仕方がない。だって、人間の目にはそんなことしか映らないのだから。外側だけのものに囚われ、内面を見ようとしない。
人は、相手をほとんど外見だけで判断するのだという。
それは、この国でも例外ではないだろう。
独りぼっちが確定するのは、外見から判断され、こいつとは仲良くはなれないと、脳内に刷り込ませるのだ。それが無意識化で行われるのだから、本当に残酷なことである。そして、その残酷な判断を日常的に行っていることに、人は気付かない。気づくのは本当の独りぼっち……。
歌音はそれに気付いているのだろうか。
いや、きっと、歌音は気づいていない。だって、そんなことに気づくのなら、歌音は人の顔色を窺って行動していることになる。そうならば、歌音は独りにはならない。外見は可愛いしね。あたしみたいな天衣無縫のざんばら髪ではない。スタイルもいいし……あたしは貧相だからね。特に胸が……。
あたしはアスタの髪をこれでもかというくらいに乱暴に撫でながら続ける。
「あたしと歌音じゃ、全然違うよ。歌音はきっと、あの変態性を何とかすれば……そんな辛い思いはしないでしょうね」
「それが出来るのなら、こんなことをナルティス様に話したりはしません」
それもそうか、とあたし。
「……で、結局ニボシは色々と言ってるけど、一体歌音の何なわけ?」
それにニボシは胸に手を当てて述べる。
「私はただの同僚です。可哀想な彼女を見捨てることができない……これは甘いですかね? でも、わたしはそんな甘さだって必要だと思うわけですよ」
「そう」
あたしは目を伏せた。
ニボシと歌音は同僚……あの王様を守護せんとする、鉄壁の兵士たち。
これも愛なのだろうか。同僚へ向けた……慈悲にも似た愛。。。
「……私はただ、彼女を救いたいのです。孤独で、誰も信用できない彼女を、どうにかしたい……」
「そういう慈悲が、歌音を傷つけるものよ?」
「……」
歌音が救いを求めたならともかく。
これはニボシが勝手にやっていることなのだろう。なら、独りを自覚していない歌音は『お前は孤独なんだ! だから俺が救ってやる!」と言われて、悲しまないわけがない。改めて孤独を自覚して悲しみの渦に飲み込まれるだけなのだ。
誰かが、孤独という言葉を作ったころから、そうやって悲しむ人間が現れた。
誰かが、誰かを陥れることを思いつてから、そうやって考える人間が現れた。
誰かが、正義感を示す方法を発案してから、そうやって憎む人間が…………増えた。
「歌音を本当に傷つけたくないなら、そういった行動は自粛するべきじゃない? それとも、分かんなかったの?」
「……分かりませんよ、歌音の気持ちなんて……彼女は傷ついてるはずなのに、誰にも頼れずにいる。頼る人間がいないから、どんどんと追い込まれていく。それ自体を、彼女が気づいていない」
「……ニボシって、焦ってない?」
「っ!」
ニボシが、明らかにたじろいだ。それを隠すように、瞑目する。
「……そりゃあ、焦りますよ。だって――」
続きの言葉はない。
風がぴゅうぴゅうと鳴って肌を撫でた。
蝋燭から灯る火がそれによって左右にゆらゆらと揺れる。
どれくらいたったころだろうか。
ニボシがゆっくりと顔を下げてくる。
「……お願いします。どうか……歌音と仲良くしてください」
「嫌だ」
バッサリ切り捨てると、ニボシが下げた頭を上げた。
「……なぜか、お聞きしてもよろしいですか……?」
その言葉に、あたしははっと笑った。
だって、そんな理由簡単じゃない。別に、歌音を助けたくないわけじゃない。相手にしたくないわけじゃない。歌音がいくら変態だったとしても、慣れれば問題ないだろう。
――普通の人間なら、そう考えるだろう。
「そんなの決まってるじゃん」
困っている人がいれば、手を差し伸べることこそが人間たるべきものだろう。目の前で迷っている人がいれば道を教えてあげ、外国人に道を聞かれれば曖昧な記憶を引っ張り出して英語をしゃべりだす。迷子がいれば親御さんのもとへ送り届けることも当然……なにこの道案内シリーズ……。
ま、道案内だけでもそれだけあるのだ。視野を広くしてみれば、もっと困っている人を助けている。しかし、どうやらあたしは――
――とんでもないクズだったらしい
「――めんどいから、助けない」
「最ッ低ですね」
えぇ、だって、人助けなんて面倒なだけじゃない。
きっぱり言うあたしに、憐れみとも取れるため息をついたニボシは身を翻し、ドアへ向かった。
「もう、あなたには頼みませんよ。そんな面倒くさがられても、やれることなんてちょっとしかなさそうですし」
「そうよ? ニート舐めんな!」
胸を張るあたしを見て笑い、ニボシは一礼してから廊下へと出て行った。
後に残されたのはあたしとアスタだけ……。
もう、外は暗い。ワインレッドの月と金色の月が競い合うように出てきていた。
月明かりが射しても、アスタの表情はよく見えない。
その薄暗い部屋で、一言――
「あれが……愛なのかなぁ……」
二つの月を見るために、窓ガラスのない窓から身を乗り出し、
「ああやって、心配しあうことも愛なんだろうなぁ……」
再度、呟いた。
と、その時。
「んん……ぁ……あれ? ここどこ……?」
「ッ!」
アスタが起きた。
何事もなかったかのように、身体を伸ばしながらこちらを見てきた。その顔にはいつも通りの笑顔。とても元気そうだ。さっきまで眠っていたようには思えない……。
「ア……スタ……」
気がつくと、声が震えていた。
「泣いてるの?」
すると、アスタが心配そうな声をかけてくる。
「……この……」
「? ……っわ!」
あたしはアスタの胸に飛び込んでいた。
涙と鼻水を、アスタの服に付けながら、あたしは叫んだ。
「バカァァァァァァァァッ!!!」
アスタは何のことかと目を白黒させている。
あたしは上目気味で続けた。
「あたし……これでも心配したんだよ!? ……これでも、アスタがいなきゃ、なにも出来ないんだよ!? ……なのに、怪我でもしちゃったら……あたしは生きられないんだよッッ!!?」
「ナル……ちゃん……?」
涙で、鼻水で、うまく声が出せない……けれど、言わなきゃいけない。
「もう喧嘩しないで! 誰かを傷つけようとしないで! アスタ自身が傷つかないで! ……じゃなきゃ、悲しいよ、バカ」
そこまで言って、あたしは身体をアスタに委ねた。
アスタはしばらくしどろもどろしていたが、ふっと笑うと、頭を撫で始めた。
「そうだね……うん。ナルちゃんに心配かけちゃったかぁ……でも、あれも負けられなかったか……」
あたしはむーっとアスタを睨みつける。それに気圧されたのか、苦笑交じりに言った。
「泣きすぎ」
「バカ……」
「そう? 俺は結構いろんなこと考えてるけどなぁ……」
「バカ……」
「そっか……ごめん……」
「バカ……」
「うん……俺はバカだ。ナルちゃんを傷つけちゃった。本当はナルちゃんを守りたかったのに、いつの間にか傷つけちゃった」
「……ばか」
アスタの胸に顔をうずめると、ぎゅぅぅっと抱きしめた。
夜風は冷たい。
いつもある月が、あたしたちを見下ろして笑うように煌々と光を放っていた。
これも、愛なのかな……。
こうして、誰かを思う気持ち……それはニボシも同じだよね。それじゃあ、これも愛なのかな……。
それって、スゴく恥ずかしいことじゃないかな……?
あたしは赤くなった顔を隠すように、全力でアスタを抱きしめた。
すると、別段気にしていないかのように、アスタは言った。
「……ナルちゃん、力弱くて可愛いね。小動物みたい」
「それ、本気で言ってたら殴り飛ばすとこだけど……ニボシがやってくれたから、いい」
「そういうとこも可愛い」
「……そ」
でも、これだけは言って終わりたい。
誰かを思う気持ちは人それぞれで、不明瞭。
あたしだって分からないし、そもそもそれを定義づけることが間違っている。
愛はそこにある、と思えばあるものなのかもしれない。
可愛いといって舞い上がるのは、そう言われてうれしいから。
まあ、要するに、
――愛って、ばかだ。




