第8話 現実の朝と、学校でのLWO談義
眩い星屑の粒子に包まれてバーチャル世界から意識を切り離した俺の視界は、次の瞬間には見慣れた天井へと切り替わっていた。
頭に装着していたVRヘッドセット〈マギア・リンカー〉を外し、ベッドの上でゆっくりと上体を起こす。
今日の午後三時にログインし、現実世界の八倍の速さで流れる時間の中で、ゲームの世界でおよそ三日ほどを駆け抜けていた。
ログアウトした頃には、現実の時間で深夜の十二時を回っていた。両親は海外出張中でいないし、妹の涼花は先に夕食を済ませてすでに自分の部屋で眠りについている。
深夜の静まり返ったリビングで、俺は一人軽く夜食をつまむと、余韻冷めやらぬままベッドへと潜り込んだのだった。
§
迎えた翌朝。
窓の外を見やれば、爽やかな五月中旬の柔らかな朝日差しがカーテンの隙間から差し込んでいる。
現実の時間感覚を完全に取り戻し、朝食を済ませて制服に袖を通した俺は、いつものように家を出て学校へと向かった。
新緑の香りが心地よい朝の通学路には、私立碧央学園へと急ぐ生徒たちの賑やかな話し声が満ちている。
並木道を歩く俺のすぐ隣には、綺麗に結ったツインテールを軽やかに揺らしながら歩く妹の涼花と、ふんわりとした柔らかいショートボブの髪が特徴的な幼馴染みの葉桐南の姿があった。
南は俺と同じクラスに所属していて、こうして毎朝一緒に登校するのが日課になっている。
「お兄ちゃん、昨日もずいぶん遅くまであのゲームに夢中だったもんね。夕食になっても部屋から出てこないんだもん」
涼花はいつものように明るく元気いっぱいの声音で、少しからかうような、けれどどこか楽しげな笑みを浮かべながら制服のバッグの肩ひもをキュッと持ち上げた。
その傍らで、南もふんわりとした笑顔でうなずく。
「ユウくん、最近ずっと〈LWO〉の話題ばっかりだもんね。そんなに面白いの?」
「ああ。想像以上にな。すごく自由度が高くて、気付けば時間を忘れて夢中になってしまう魅力があるんだ」
俺がそう答えると、涼花と南は顔を見合わせ、少しだけ羨ましそうな、そして寂しげな表情を浮かべる。
「いいなあ……私たちもお兄ちゃんと一緒にその〈LWO〉で遊びたいけどさあ……」
「そうなんだよね。私と涼花ちゃん、まだ〈マギア・リンカー〉持ってないからなあ……ユウくんみたいにすぐには始められないんだよね」
二人のそんな言葉を聞くと、兄としては少しだけ申し訳ないような気持ちになる。
最新のフルダイブ端末はなかなかの高価だし、学生の身分ではおいそれと買えるものではない。
「いつか余裕ができたら、一緒にやれるといいな」
「うん! そのときは絶対にお兄ちゃんが初心者講習してよね!」
そんな他愛のない会話を交わしながら正門をくぐり、俺たちは校舎へと足を進めた。
涼花は自分のクラスへ向かい、俺と南は揃って同じ二年二組の教室へと入っていく。
自分のクラスの教室に足を踏み入れると、朝のホームルーム前ということもあって、教室内はすでにあちこちでグループごとの話し声が飛び交っていた。
自分の席に座るやいなや、斜め前の席からガタッと椅子を引いて、親友の丘咲遥馬が振り返ってきた。
短髪の前髪を立ち上げた気さくな男子だ。
「よお、ユウ! 待ってたぜ!」
遥馬の顔を見るなり、彼の口から飛び出したのは予想通りの言葉だった。
「お前ももちろん、〈LWO〉やってるよな!? 昨日の夜、ネットの掲示板が大騒ぎだったぞ! オープンの初日からいきなり隠しエリアを見つけた奴がいるって噂で持ちきりだったが……お前ももうログインしてんだろ?」
さすがゲーム仲間の遥馬だけあって、情報のキャッチが早い。
俺は苦笑いをしながら机にカバンを置き、席に腰を下ろした。
ちょうど隣の席には、自分の荷物を片付けていた南が座る。
「ああ、一応な。お前もプレイしたんだろ?」
「当たり前だろ! サービス開始の瞬間から全力で張り付いてら!」
「もう、遥馬くんはいつもゲームのことばっかりなんだから」
隣の席から南がクスリと笑いながら会話に加わってくる。こうして、ユウ、遥馬、南の三人で自然と〈LWO〉の話題に花が咲くことになった。
「でさ、遥馬はジョブは何にしたんだよ?」
「俺は『ローグ』にしたぜ! やっぱり隠密行動とか罠解除とか、冒険っぽいロマンを追求したくてさ。で、どこの国ではじめた?」
「俺は……初期設定でランダム選択を選んだから、どこで始めたのか自分でもよく分かってないんだよな」
「は……? ランダム選んだのかよ! 王道でいえば俺みたいに『王国』を選ぶのが普通だろ!」
「いやそれがさ……気がついたら、見知らぬ孤島で目覚めたんだよ」
俺がそう言うと、遥馬は目を丸くして呆気に取られた。
「は……? なんだよ、それ! 普通のファンタジーRPGじゃなくて、完全にサバイバル生活じゃないか!」
「本当にな。シオンって別のプレイヤーと一緒に、今のところ二人で無人島開拓みたいなことになってるんだ」
「すげえな、それ……オープン初日からそんなイレギュラーな体験ができるなんて、羨ましすぎるだろ!」
遥馬が面白そうに笑っていると、教室の入口の方から、軽やかな足音が近づいてきた。
顔を上げるとそこには、南の親戚であり、三年生にしてこの私立碧央高校の生徒会長を務める天宮芹亜の姿があった。
トレードマークの長いポニーテールが、歩くたびに凛と揺れている
「ふふ、生徒会の仕事で隣のクラスに用事があったついでに覗いてみたら、相変わらず悠人くんたちは朝からゲームの話題で盛り上がってるな。まったく、可愛い後輩たちだ」
芹亜はスッと私たちの輪に近づいてくると、端正な顔立ちに凛とした笑みを浮かべる。
「あ、芹亜お姉ちゃん! おはよー!」
「おはよう、南。悠人くんも、遥馬くんも朝から元気だね」
「おっ、芹亜先輩もおはようございます。先輩ももちろん〈LWO〉やってますよね?」
遥馬が尋ねると、芹亜はふっと綺麗に胸を張ってみせた。
「当然だよ! 出遅れるわけないじゃないか。私のジョブは『剣士』、はじめた国家は『共和国』だよ。前衛でガンガン敵を切り込んでいくプレイスタイルって、最高にかっこいいと思わないか?」
さすがは凛々しい生徒会長である芹亜先輩、選ぶジョブも国もいかにも前衛特化のかっこいいスタイルらしい。
そして俺が孤島に飛ばされたことを話題にすると、芹亜はとても面白がった。
「えっ、ハハハッ! ランダム選択でいきなり無人島行きなんて、ユウくん、持ってるねえ!」
芹亜先輩はパッと華やかに笑うと、面白がるように面白そうに目を細めて俺を指さした。
「王道の『王国』や『共和国』でする冒険もいいけれど、通信もままならない孤島からのサバイバルスタートなんて、まるで小説の主人公じゃないか。なんだかすごくロマンを感じるな!」
「ロマンっていうか、完全に行き詰まりのハードモードですよ、先輩……」
俺が苦笑いしながら肩をすくめると、芹亜先輩はさらにクスリと楽しげな笑みを深めた。
「ふふ、でも悠人くんなら自力でその島を脱出しちゃいそうじゃないか。それに、もし本当にどうしようもなくなったら、いつか私たちが海を渡って助けに行ってあげるのも悪くないな!」
「おお、それ面白そうだな! 生徒会長率いる救助隊って感じで、一気に大冒険っぽくなるぜ!」
隣で遥馬もノリノリで相槌を打つ。
そのやり取りをそばで聞いていた南が、ふと小さく肩を落とし、どこか寂しげなトーンで呟いた。
「いいなあ……ユウくんも、芹亜お姉ちゃんも、遥馬くんも、みんな楽しそうにゲームやっててさ……私と涼花ちゃんは、まだ端末持ってないから話についていけないや……」
南のその少し切なそうな横顔を見て、芹亜は優しく微笑みながら「ふふっ」と声を漏らした。彼女のキリッとした琥珀色の瞳が、愛しい従妹の姿を慈しむように捉える。
「そんな寂しそうな顔するな。南がそこまでやりたいって言うなら、この芹亜お姉ちゃんがなんとかしてあげよう!」
「えっ? お姉ちゃん、どうするの?」
「ふふ、私に任せきなさい。少しばかり頼れるツテもあるんだから。南、あなたと、一緒にやりたがっているという涼花ちゃんの分も含めてね。数日時間をくれれば、どうにかして〈マギア・リンカー〉を用意してあげよう!」
芹亜の頼もしい宣言に、南は目をぱちくりとさせ、それからぱっと顔を輝かせた。
「本当!? お姉ちゃん、ありがとう……!」
「ふふっ、期待して待っててくれ! さて、そろそろホームルームのチャイムが鳴る頃だな。私もうちのクラスに戻るよ」
芹亜は優雅に微笑みながら、三年生のクラスへと凛とした足取りで戻っていった。
残された俺たちは、「いったい先輩は裏でどんなコネを使おうってんだ……?」と顔を見合わせながらも、どこかワクワクするような期待感を胸にそれぞれの席へと着いたのだった。
§
午前中の授業が飛ぶように過ぎ去り、待ちに待った昼休みがやってきた。
俺と遥馬、そして隣の席からそのまま合流した南の三人で、学食のテーブルを囲む。
今日のメニューである特製チキンカツ定食をつつきながら、俺たちの会話はやはり〈LWO〉の話題でもちきりだった。
「いやぁ、それにしても芹亜先輩だったら、本当に端末を用意できちまいそうだから怖いよな。もし南と涼花ちゃんが参戦してきたら、俺たちのパーティーが一気に大所帯になるぞ」
「それはそれで賑やかで楽しそうだけどな。ただ、俺はまだ孤島から抜け出せるか分からないから、もし二人が始めたら最初は遥馬のところにでも合流してもらう方がいいかもな」
「ふふっ、私も早くユウくんたちと一緒に冒険してみたいな。足を引っぱらないように、今から予習しておかないと!」
南が楽しそうに微笑みながら箸を進める。
俺たちがそんな風に盛り上がっていると、ふと周囲の空気がわずかにざわついた。
学食の入り口付近から、生徒たちの視線が一箇所に集中していくのが分かる。
「──あっ、おい……見てみろよ、あそこにいるのって……」
「詩丘さんか……あいかわらずの美少女っぷりだな」
ざわめきの中から聞こえてきた名前と、そこに現れた人物の姿に、俺は思わず箸を止めた。
そこに立っていたのは、この私立碧央高校において『学園一の美少女』と名高い、詩丘天音の姿だった。
艶やかな黒髪のロングヘアに、整ったお人形さんのような顔立ち。凛とした佇まいは冷徹なまでのクールビューティを思わせ、周囲を寄せ付けない気高いオーラを放ちながら、全校生徒の憧れの的となっている。
隣に座っていた遥馬が、俺の肩を軽く突つきながら小声で耳打ちしてくる。
「おい、ユウ……あそこ。詩丘さんだぜ。あんな孤高の高嶺の花が、わざわざこんなざわついた学食になんて来るなんて珍しいな」
俺は遠目からその姿をチラリと眺めつつ、内心で静かに首を振った。
学校では文武両道、清楚可憐かつ凛とした完璧なお嬢様として通っている詩丘さん。
彼女はあまりにも遠い存在であり、学校の隅っこでひっそりとゲームのことばかり考えている俺のような人間とは、一生交わることのない別世界の住人なのだろう。
「ああ。俺たちみたいな一般生徒には関係のない、絵に描いたような高嶺の花だな」
「だな! それにしても、午後からの授業もどうせ頭の中は〈LWO〉のことでいっぱいになりそうだな!」
学食の喧騒の中、俺たちは再びゲームの話題へと戻り、アストライア島での次の冒険の計画や、まだ見ぬエリアへの期待に胸を膨らませ続けるのだった。
現実の日常がこうして穏やかに流れる一方で、あの美しい孤島は、次のログインの瞬間を静かに待ち構えている──。




