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第7話 黒鉄の包囲網と、理の書き換え


 ジャングルの木立が作り出す深い陰影の中、俺たちは一歩たりとも音を立てぬよう呼吸を整え、目の前に広がるオークの集落を凝視していた。

 朝の乾いた風が渓谷を吹き抜けるたび、遠くから野卑な笑い声や、焚き火で肉を焼くような脂っこい匂いが鼻腔をかすめる。


「ユウ……あそこの見張り、動きに一定の規則性があるわね」


 シオンが身を低くしたまま、すぐ隣で極めて小さな声を紡いだ。

 その碧い瞳は、木造の櫓の上で鈍い光を放つ斧を担いでうろつくオークの戦士を正確に捉えている。

 彼女の指し示す先を、俺もまた魔力を帯びた視界で追った。


「ああ。見張りは全体で四体。櫓の上が一名、集落の門の左右にそれぞれ一名ずつ、そして残る一体は泥壁の住居の間を不規則に巡回している。ローテーションの周期はおよそ三分。それぞれの視界が交差する死角は……あのバリケードの裏手にある巨木の根元あたりだな」


 俺の分析に、シオンは小さく頼もしく笑った。

 彼女は片手でダガーの柄を軽く叩き、戦闘態勢のウォーミングアップを行うようにしなやかな筋肉を微かに震わせる。


「さすが私の相棒ね。解析のスピードが人間離れしてて助かるわ。それで? どうやってあの鉄壁のバリケードを抜ける気? 正面から突撃して派手に暴れ回るのも嫌いじゃないけれど、この数相手だと消耗戦になりそうよ」


 シオンの言う通りだ。

 個々の戦闘力なら、昨夜のレベルアップとステータス底上げを済ませた俺たちであれば、オークの一体や二体など容易く圧倒できる。

 だが、相手は群れであり、この集落全体が一種の要塞だ。

 不用意に警報を鳴らされれば、数十体のオークが四方八方から雪崩れ込んでくることになる。

 相手の土俵には絶対に立っちゃだめだ。

 必要なのは、こちらの理を押し付け、敵の想定を完全に崩壊させる一手。


「力任せに突破するつもりはないよ。あの見張りたちが作る巡回網、そして集落を囲む黒岩と丸太のバリケード。その構造の『隙間』を、俺の〈錬金創成〉で利用する」


 俺はインベントリから、昨日ジャングルの道中で採取しておいた『痺れ蔦(パラライズ・アイビー)』の繊維と、ロック・ボアの討伐時に回収した硬質な魔獣の骨片を取り出した。

 手のひらの上で、微弱な青白い魔力の光がホタルのように瞬き始める。


「ふうん? それを使って、また何か面白いものを作る気なのね?」


 シオンの好奇心をそそるような視線を感じつつ、俺は意識を完全に集中させた。


 〈錬金創成〉──空間に漂う魔力粒子と、目の前にある素材の分子構造を一時的に分解し、俺の意志と魔力回路によって新たな機能を持つ物質や現象として再構築する固有スキル。

 通常の錬金術であれば、専用の錬金釜や長時間の触媒プロセスが必要になるところを、このスキルは戦闘の最中であっても、数秒のイメージだけで完結させることができる。


 俺は頭の中で設計図を描く。

 目指すのは、殺傷兵器ではない。敵を物理的に破壊するのではなく、その『認識』と『情報伝達』のシステムを一時的に麻痺させ、無力化するための攪乱用デバイスだ。


 痺れ蔦の神経毒成分を魔力で圧縮し、気化拡散型の煙幕に変換する。

 さらに、骨片の硬質な性質をベースにして、遠隔操作で任意のタイミングで起動する小型の魔力共鳴ビーコンを組み込む……よし、イメージは完璧だ。


 俺の掌の上で、採取した素材たちがサラサラと砂粒のように崩れ、青白い光の奔流に包まれながら別の形状へと変貌していく。

 数秒後、そこにあったのは、手のひらにすっぽりと収まるサイズの、透き通ったガラス質の小さな球体だった。内部で微弱な紫色の雷光のような光が脈打っている。


「これが……新しい創成品?」


 シオンが興味深そうに顔を近づけ、その球体を覗き込んだ。


「ああ。名付けて『幻惑の魔導香球(ダストカプセル)』だ。これをあの見張りたちの死角、あるいは巡回ルートの少し離れた場所に転がし、魔力で起爆させる。すると、オークたちが嫌う特定の周波数の魔力波と、痺れ蔦の強烈な芳香が辺り一面に広がり、彼らの嗅覚と視覚を完全に狂わせる仕組みになっている」


「なるほどね! オークって鼻が利く分、強烈な匂いや魔力の乱れには極端に弱いものね。それを使えば、私たちがそこにいないかのように、あいつらは勝手に混乱して視線をそらすってわけね」


 シオンは感心したように頷き、自分のダガーを鞘から半分ほど引き抜いた。

 その表情には、戦闘に向けた鋭い緊張感と、確かな勝算からくる余裕の色が浮かんでいる。


「そういうこと。フェーズ1は攪乱と分断。俺がこの球体を適切な位置に配置して起爆する。その直後に生じるわずか数秒の混乱の隙を突いて、君は一気に中央のバリケードの裏手、あの古い見張り台の死角まで駆け抜けてくれ。俺もすぐに後を追う」


「了解!  任せてちょうだい。風を纏った私の足なら、一瞬であの空間の理を置き去りにして見せるわ」


 彼女の軽やかな返事を聞き、俺たちは作戦の最終確認を終えた。


 深呼吸を一つ。

 全身の魔力循環が最高潮に達し、五感が研ぎ澄まされていくのがわかる。

 レベル6への成長と、『アストラ・ヒューマン』としての適性が、俺の肉体をより戦闘特化型の高みへと押し上げてくれていた。


「いくぞ」


 俺は低い声で告げると、手始めにインベントリから取り出した小さな石ころに〈錬金創成〉の微弱なエネルギーを纏わせ、集落の門とは反対側の藪の奥へと勢いよく投げ込んだ。


 ──コツン。


 乾いた音が木々の間に響く。

 その直後、門の近くを巡回していたオークの一体が、不審な音に気づいてガサリと大きな体を向けた。


「グル……?」


 低い唸り声を上げながら、そちらへと巨体を揺らしながら歩き出す見張り。

 まさに今が、巡回ルートのタイミングが最も大きく崩れた瞬間だった。


「今だ!」


 俺は即座に『幻惑の魔導香球』を逆方向、集落の中央を貫く通路の脇の木陰めがけて投擲した。

 空中で青白い光の軌跡を描き、球体は狙い違わず泥壁の住居の影へと音もなく着地する。

 俺は心の中でスイッチを叩いた。


 ──パァンッ!


 破裂音すらしない、静かな魔力の解放。

 その瞬間、球体から弾けた紫色の閃光と同時に、強烈な甘ったるさと刺激臭が混ざった芳香の霧が一気に周囲へと言いようのないスピードで拡散していった。


「グオッ!? ……ブ、ブモーッ!?」


 見張り台の上のオークが鼻を激しくヒクつかせ、目を回すように頭を抱えて大きくよろめく。

 周囲を巡回していた他のオークたちも、突然の視界不良と異常な嗅覚の刺激に混乱し、仲間同士でぶつかり合いながら低い咆哮を上げ始めた。

 集落全体が、一瞬にして騒がしい混乱の渦へと巻き込まれる。


「走るよ、ユウ!」


 シオンの鋭い声が響いた。

 彼女の身体が淡い緑色の風の魔力に包まれ、まるで蝶のように軽やかに、しかし矢のように素早くジャングルの影から飛び出した。

 その圧倒的な速度と気配の遮断能力は、まさに『アーク・エルフ』の真骨頂だった。

 混乱するオークたちの視界の端を、風の一筋の残光のようにかすめながら、彼女は一気にバリケードの死角へと滑り込んでいく。


「遅れをとるわけにはいかないな」


 俺もまた、杖をしっかりと握りしめ、シオンの作り出した風の軌跡を追うようにして、混乱の真っ只中にあるオークの集落へと踏み込んだ。

 視界の端で、怒号を上げながら暴れるオークの巨体が揺れている。

 しかし、彼らの意識は完全にこちらから逸らされていた。私たちの理で書き換えられたこの空間において、敵の認知機能は完全に私たちの掌の上にあった。


 数秒後、俺たちは無事に集落の反対側、鬱蒼とした竹林が広がる裏手のエリアへと抜け出すことに成功した。

 背後で聞こえるオークたちの怒りの咆哮を遠ざけながら、俺たちは古い石畳が埋もれた細い小道の前に立ち尽くす。


「ふう……やり切ったわね! どうよ、私の走り、完璧だったでしょう?」


 シオンは少し息を弾ませながらも、満面の笑みを浮かべてこちらを振り返った。その額に浮かんだわずかな汗が、朝日に照らされてきらめいている。


「ああ、文句なしのスピードだった。お陰で誰一人として戦闘状態に入ることもなく、完璧に潜入に成功したな」


 俺が頷くと、シオンは満足そうに胸を張り、その視線を前方の小道の先へと向けた。

 そこには、長年苔に覆われ、誰にも踏み荒らされていない古い石造りの階段が、さらなる深い森の奥へと続いていた。

 階段の入り口には、風化した石碑が静かに佇んでおり、そこに刻まれた文字が微かに青い魔力の光を宿している。


 ──アストライア島、中央遺跡への入口。


 頭の中に、新たなエリアの解放を告げるシステムウィンドウが静かに浮かび上がった。

 オークの集落を抜け、俺たちはついに、この島の真の秘密が眠る領域へと足を踏み入れようとしていた。


「さて、いよいよ本番ってわけね。ユウ、準備はいい?」


 シオンの瞳に、新たな冒険への興奮と揺るぎない決意の光が宿る。


 俺は錬金杖をしっかりと握り直し、彼女の隣に並び立った。


「もちろんだ。どんな謎や強敵が待ち受けていようと、俺たちの理でこじ開けて進むだけさ」


 私たちは互いに小さく頷き合うと、古い石段の前に立ち、いよいよ遺跡の迷宮へと踏み出そうとしたその瞬間──。


「……そういえば、ユウ。この島の中って、外の世界と比べて時間の流れが何倍も加速している仕様だったわよね? 私たちがここにきてから、感覚的にはもう何日も経っているような気がするけど……実際はどれくらい過ぎているのかしら?」


 そのシオンの言葉を聞いて、俺はハッとして自分のステータス画面の隅に表示されているシステム時刻と、現実世界の経過時間を表示する項目に視線を走らせた。

 そこには、俺たちがこのバーチャル世界にログインしてから経過した現実の時間がしっかりと刻まれていた。


「……っ! おい、シオン、ちょっと待て……!」


「え? どうしたの、そんなに慌てて」


「時間の加速が効いているとはいえ、リアルの方ですでに数時間──いや、このペースだと、ダイブしてから軽く半日近くは優に経過しているぞ。俺たちがこの神殿を攻略している間にも、現実の時間は着実に進んでいたんだからな」


 俺の言葉に、シオンは目を見開いて絶句した。


「えっ……半日!? じゃあ、私たちがこの島で過ごして、ロック・ボアを狩って、あんなに美味しいステーキを食べて、それから休む間もなくここまで攻略したあの濃密な時間って、現実世界でも半日近くは経っていたってこと……!?」


「ああ。現実の肉体はずっとベッドやカプセルで眠ったまま、あるいは不自然な姿勢で固まったままになっているはずだ。どれだけ時間が圧縮されている世界だとしても、そろそろ本気でやばい頃合いだな」


 シオンは自身の身体を軽く抱きしめるようにして、小さくブルっと身震いした。

 バーチャル世界の中では完全に五感が再現され、空腹感も心地よい疲労感も上手に処理されていたが、人間の肉体や神経系にかかる負担がゼロになるわけではない。いくらこの島でのサバイバルや冒険が楽しくて仕方がなくても、現実の身体を放置しすぎるのはリスクが高すぎる。

 あと排泄反射も抑制されはするがさすがにこれ以上尿意を肉体に我慢させるのはよくないだろう。


「そうよね……いくらゲームが面白くて、この島での生活が最高だからって、現実の体を粗末にしちゃったら元も子もないわよね。さすがに、そろそろちゃんとログアウトしないとやばいかも」


「だな。特に俺たちは『アストラ・ヒューマン』や『アーク・エルフ』といったイレギュラーな種族特性のせいで、脳にかかるデータ処理の負荷も通常のプレイヤーより高いはずだ。これ以上この世界に長居するのは賢明じゃない」


 俺は冷静に判断を下し、目の前に浮かぶシステムメニューから『ログアウト』の項目を指先でタップした。

 視界の端に、鮮やかな赤色の確認ダイアログがポップアップする。


【システム警告】

 安全なエリア外、またはダンジョン内からのログアウトです。

 現実世界へ帰還しますか?(※次回のログイン時は最後にセーブした隠れ家周辺からの再開となります)


「よし、隠れ家のデータはちゃんとセーブされているな。シオン、今日のところはいったん現実世界に戻って、それぞれの身体を休ませよう。この島の秘密も、ボアの肉も逃げやしないさ」


 俺がそう言って振り返ると、シオンは少しだけ名残惜しそうな、けれどスッキリとした笑顔を浮かべてうなずいた。


「うん、そうだね! 名残惜しいけれど、ここでリアルで体調を崩したりしたら、せっかくの冒険の続きができなくなっちゃうもんね。ちゃんと言われた通り、現実の美味しいご飯を食べて、たっぷり睡眠をとらなきゃ!」


「ああ。現実の生活を整えてから、また万全の体勢でこのアストライア島に戻ってこよう」


 シオンも自分のメニュー画面からログアウトのコマンドを選択する。

 空中に浮かぶ二つの青白いウィンドウが、カチリという心地よい電子音とともに優しく光を放ち始めた。


「じゃあね、ユウ! 現実でしっかり充電したら、絶対にまたこの島で落ち合いましょう!」


「ああ、約束だ。良い夢を見てくれ、シオン」


 俺たちの身体が、きらきらと輝く無数の星屑の粒子へと変わり、地下ドームの空間にふわりと溶けていく。


 意識が現実の肉体へと引き戻されるその直前、俺たちは互いに微笑み合いながら、アストライア島での最初の冒険の幕をそっと閉じたのだった。


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