第9 話放課後の密談と、予期せぬ交錯
午後の授業がすべて終わり、校舎を包み込んでいたアンニュイな空気は、終わりのホームルームのチャイムとともに一気に解放感へと塗り替えられた。
ザワザワと生徒たちが帰路へつき、あるいは部活動へと向けて慌ただしく動き出す中、二年二組の教室では、俺と遥馬、そして南の三人がまだ席に残ってだらだらと雑談を続けていた。
「いやあ、やっと放課後だな! 今日の五限の古典とか、マジで意識の限界に挑戦してるレベルで睡魔との戦いだったぜ!」
遥馬が盛大に伸びをしながら、ガタガタと音を立てて椅子を揺らす。その隣で、南は綺麗にノートを閉じ、テキパキとカバンに荷物を詰めていた。
「もう、遥馬くんは気が緩みすぎだよ。先生に当てられそうになって、隣で冷や汗かいてたの、私ちゃんと見てたからね」
「うっ……! あれはギリギリのところで精神を統一して回避したんだよ、回避を!」
そんな他愛のないやり取りを微笑ましく見守りつつ、俺はカバンを肩に引っ掛けた。
「さてと。今日はこの後どうする? まっすぐ帰ってログインする感じか?」
「当たり前だろ! 昨日の続きで新しいクエストも受託したいし、ローグのスキルももう少し試してみたいしな。お前は? そのシオンってやつとの無人島開拓の続きか?」
「ああ。あいつ、意外とサバイバル適性が高くて驚かされるんだよな。今日もどんな進捗になってるか楽しみだ」
俺たちがそんな風に〈LWO〉への期待を膨らませていると、教室の扉がスライドして開き、スラリとした人影が姿を現した。
綺麗なポニーテールを揺らしながらやってきたのは、三年生で生徒会長を務める芹亜先輩だった。南のクラスに再び顔を出した彼女は、どこか余裕のある、それでいて少し含みのある笑みを浮かべている。
「よしよし、まだ残ってたんだな。ちょうどよかったよ。南、ちょっとこっちに来なさい」
芹亜が手招きすると、南は「えっ、お姉ちゃん?」と首をかしげながらも、パタパタと小走りで先輩の元へと歩み寄った。
遥馬と俺も、気になって自然とその後ろをついていく。
廊下の隅、少し人の往来が途切れたスペースで、芹亜はフッと優雅に微笑み、腕を組んで誇らしげに胸を張ってみせた。
「あのね、南。あなたと涼花ちゃんが『端末を持っていないから話についていけない』って寂しそうにしていた件だけど……お姉ちゃん、ちゃんと考えてあげたよ」
「えっ、本当に!? でも最新のフルダイブ端末ってすごく高いお墨付きだし……お姉ちゃんが個人で用意するなんて無理でしょ? どうやったの?」
「ふふっ、普通に個人で買おうとしたらそりゃあね。でも、私を誰だと思っているのかい? 私はこの碧央高校の生徒会長。それに、うちの父親はこの学園を統括する理事長だよ」
「あっ……!」
南がハッと息を呑み、俺も遥馬も思わず目を見張る。
生徒会長であり理事長の娘という圧倒的な立場。その特権をフル活用して、芹亜先輩が企てた裏の計画とは一体──。
「ふふん、気づいたかな? 個人で買えないなら、学校の公式な活動にしちゃえばいいんだよ。というわけで、私を部長として、新たに『電脳遊戯部を新設した!」
「で、電脳遊戯部……!?」
「そう! 学校公認の部活動として申請して、ちゃっかり特別予算も下ろさせたんだ。その部活動の活動実績および次世代VR技術の研究名目として、必要経費から最新型の〈マギア・リンカー〉をドンと五台分、一括購入してもらったってわけだよ!」
芹亜先輩が勝ち誇ったように見せたパンフレットの束には、最新鋭のフルダイブ端末が載っている。
これを五台も購入したのか。なんて太っ腹な。
「これで、南の分も、涼花ちゃんの分もバッチリ確保完了だよ。もちろん、日々熱心にゲームの講義をしてくれているユウくんと遥馬くんの分も、部活の主要メンバーとして一緒に登録してあるから安心してちょうだい」
「すご……! さすが生徒会長、スケールが違いすぎるだろ……!」
遥馬が頭を抱えて仰天し、南は嬉しさのあまり両手で口元を押さえた。
「お姉ちゃん……本当にありがとう! 私、すっごく嬉しい……!」
「ふふっ、喜んでくれて何よりだよ。さて、これでメンバーは私、遥馬くん、南、涼花ちゃん、そして……まあ、今は孤島に飛ばされていてすぐには合流できないけどユウくんの五人だね。週末には南たちも揃って〈LWO〉の同じ世界へダイブして、共和国の最前線で一緒に暴れ回るよ!」
芹亜先輩の頼もしくも豪快なサプライズに、俺たちは顔を見合わせ、思わず大きくうなずいた。個人で買うしかなかった高価なハードルが、まさかの部活の新設によって華麗にクリアされてしまったのだ。
そして芹亜先輩との放課後の密談を終え、俺と南、そして遥馬の三人は、夕暮れ時のグラウンド脇を並んで歩きながら校門へと向かっていた。
春から初夏へと移り変わるこの時期の夕方は、空がどこまでも透き通るようなオレンジ色に染まり、長い影をアスファルトに落としている。
「いやあ、まさか学校の部活として〈LWO〉をやることになるなんてな。芹亜先輩の政治力、マジで恐るべしだぜ……」
「本当にな。これなら涼花も大喜びするし、週末から一気に五人大所帯のパーティー結成じゃないか」
「ふふっ、私も早くお兄ちゃんたちと一緒に冒険してみたいな。足を引っ張らないように、今から予習しておかないと!」
南が頬を紅潮させながら、嬉しそうにくるりと振り返る。
その無邪気な笑顔を見ていると、現実の日常もさらに賑やかで楽しいものになりそうだと実感させられる。
しかし、そんな平和な下校の空気を、ふと別の気配が引き締めた。
校舎の裏手に続く小道、かつて部活動の用具棟があったあたりから、ふわりと微かな風に乗って、上質なシャンプーのような、あるいは甘すぎない香水の香りが漂ってきた。
何気なくそちらへと視線を向けた俺の視界に、見覚えのある端正な後ろ姿が捉えられた。
それは、昼食の学食でも話題の中心となった、学園一の美少女──詩丘天音その人だった。
周囲に誰も従えず、一人で静かに夕暮れの道を歩く彼女の姿は、やはりどこか近寄りがたいほどの気高いオーラをまとっている。
「おっ、どうしたユウ? そんなところで立ち止まって」
遥馬が不思議そうに俺の顔を覗き込む。南も首をかしげながら俺の視線の先を追ったが、そこにはもう、曲がり角を曲가っていく天音の後ろ姿の裾がかすかに見えているだけだった。
「いや、なんでもない。ちょっと風が心地よかったからさ」
「なんだよそれ。早く帰ってログインしようぜ! 〈LWO〉が俺を呼んでいるぜ!」
「はは、そうだな」
俺たちは他愛のない軽口を叩き合いながら、それぞれの家路へと急いだ。
茜色に染まる空の下、足早に自宅へと向かう足取りには、先ほどよりもずっと強い弾みがついている。
自宅に帰り着き、夕食を済ませ自室へと戻った俺は、静かにベッドの上に腰を下ろした。
窓を開けると、夜のひんやりとした風が部屋の中に流れ込み、カーテンを心地よく揺らす。現実のざわめきが少しずつ遠ざかり、代わりに脳裏によみがえるのは、あの青く輝く海と、見たこともない神秘的なアストライア島の風景だった。
「さて……今日も、あの島へ行くとしようか」
ベッドに横たわり、枕元に置いてあった〈マギア・リンカー〉を両手で手に取る。
ひんやりとした金属の質感が手のひらに馴染み、電源を入れると、端末の縁が淡いチェレンコフ光のように青く明滅した。
頭部にしっかりと装着し、心地よい重みとフィット感を確認しながら、俺は深く息を吸い込む。
「──ダイブ・イン」
意識のダイブ。
現実世界の五感が急速に薄れていき、その代わりに、脳の奥底を直接叩くような心地よい電気信号の波が全身を駆け抜けていく。
星屑の粒子が空間を満たし、無数の光の螺旋が視界を埋め尽くす。
現実の夜の静けさが完全に消え去り、次に俺の聴覚に飛び込んできたのは、どこか懐かしく、そして力強いジャングルの息吹だった。
──ガサリ、と足元の草木が擦れる音。
瞼を開けると、そこには鮮やかな緑の木漏れ日と、朝露に濡れた苔むす古い石畳の景色が広がっていた。
「おかえり、ユウ!」
すぐ隣から、弾むような明るい声が飛んできた。
見れば、そこには昨日と同じように銀のダガーを腰に下げ、風を纏った軽装に身を包んだアーク・エルフの少女──シオンが、満面の笑みを浮かべてこちらに手を振っている。
「ああ、ただいま、シオン。現実の身体もバッテリーも、しっかり充電してきた完璧な状態だ」
俺が錬金杖を片手に持って頷くと、シオンは嬉しそうにふっと微笑み、視線をすぐ後ろの巨大な石造りの階段へと向けた。
「それじゃあ、気合を入れていきましょうか! リアルでのんびり休んだ分、今日はこの島の遺跡の謎を思いっきり解き明かしてやろうじゃない!」
──アストライア島、中央遺跡。
前回はオークの集落を抜け、まさにその門をくぐろうとしたところで一度現実へ引き返したが、今日の私たちは万全のコンディションだ。 現実世界での数時間の空白など嘘のように、私たちの内なる魔力回路は最高潮のパフォーマンスを発揮していた。
「もちろんだ。行こう、シオン。俺たちの理で、この遺跡のすべての秘密をこじ開けてやる」
私たちは互いに力強く頷き合うと、古い石段を踏み鳴らし、鬱蒼とした森の奥深くへと続く謎の迷宮へと踏み出したのだった。




