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第29話 復活のログイン、そして甘美なる肉の匂い


 窓の外を染め上げていた夕暮れの茜色が、ゆっくりと夜の帳にその色を溶かしていく。


 古びた木造の部室に灯された蛍光灯の明かりの下で、俺たちはそれぞれの最新型VRヘッドセットのセッティングを慎重に行っていた。


「よし、配線チェック良し。ネットワーク同期も完璧だな」


 俺が自分の〈マギア・リンカー〉の電源を投入すると、チリチリと微かな通電音が響き、機体の表面に淡い青のLEDインジケータが浮かび上がった。

 一週間のブランクを経て、マシン自体もどこか嬉しそうに起動しているように感じられる。


「こっちも準備オッケーよ。テスト期間中、私の頭はすっかり古典文法と数学の公式に支配されていたから、これでようやく脳のメモリを本来の用途に切り替えられるわ」


 隣の席で、天音も自分のマシンを優しく撫でながら、ふわりと柔らかい笑みを浮かべる。その長い黒髪がサラリと揺れ、彼女の瞳には、これから始まる仮想世界への高揚感がきらきらと輝いていた。


「まったく、二人とも待ちきれないって顔をしてるねえ。いいかい、一週間ぶりのログインだからって、いきなり無茶な突撃をして全滅したりしないように! いいね!?」


 特等席に腰掛けた芹亜先輩が、冷えたジュースのボトルを片手にジト目を向けてくるが、その口元には隠しきれないニヤニヤとした笑みが張り付いている。

 先輩自身、内心では俺たちの配信の再開を誰よりも楽しみにしているのは明白だった。


「わかってますよ、芹亜先輩!  今日はテストを頑張ったご褒美なんだから、思いっきり派手に暴れてきますって!」


 涼花が元気いっぱいに自分のマシンを頭に装着しながら、勢いよくサムズアップを作ってみせる。

 その隣で、遥馬もやれやれといった風に自身のデバイスをセットアップしていた。


「派手にやらかしてトレンド上位を総ナメにしてこいよ、ユウ」


「ああ、任せろ」


 俺は仲間たちと力強く視線を交わし、深い呼吸を一つ。

 テスト勉強という現実の長丁場を乗り越えた俺たちは、いま再び、お互いの背中を預け合うための『最強の場所』へと還ろうとしていた。


「それじゃあ、みんな……準備はいいか?」


「「「「いつでもオッケーよ(だよ)(です)!」」」」


 俺たちが一斉にゴーグルをこめかみに深く当て、スイッチを押し込む。

 視界のすべてが眩い光に包まれ、現実の重力がふわりと消え去っていく。

 感覚の同期率が極限まで引き上げられ、脳の神経回路が仮想世界の広大なネットワークへと優しく接続されていくのだった。


 ──シュウッ、と穏やかな収束音が響き、俺たちの意識は鮮やかな色を取り戻した。


 『星詠みの地下迷宮』の美しい星空、そしてラボの中央に設置された巨大なマナ炉心が、心地よい低音を響かせながら稼働している。


「ふう……やっぱり、このラボの空気感が一番落ち着くわね!」


 シオンの姿にトランスレートした天音が、両手を軽く広げながら深呼吸をする。

 その白銀のロングヘアとエルフ耳が、ラボの青白い間接照明に照らされて幻想的な美しさを放っていた。


「マスター、シオンさん!  システムの自動同期およびセルフ診断、すべて正常に完了しました!  外部ネットワークの接続数……おや、早くも待機していたリスナーたちのアクセスが急増していますよ!」


 ライムがぴょんっと軽やかな足取りで走り寄ってきて、空中に浮かび上がった巨大なホログラムモニターを指し示した。


 テスト明け初日、しかも事前の告知を最小限にしていたにもかかわらず、チャンネルの接続カウンターは凄まじい勢いで跳ね上がり、わずか数分で数万人のリスナーが押し寄せている。


【うおおおおお主たちおかえりおおおおお!!】


【テスト期間長すぎたわ!  飢え死にするかと思ったぜ!】


【シオンちゃんおかえり!  待ってたぞおおおおお!】


【待機画面の時点で同接3万人突破してて草。お前らどんだけ人気なんだよ】


【テストお疲れ様!  さて、今日の初配信は何するんだ……?】


 コメント欄は、一週間ぶりの再会を祝う弾幕嵐で一瞬にして真っ白に染まった。

 その流れるようなコメントの海を眺めていると、一際目を引く鮮やかな黄金色のバッジを纏ったユーザー名が目に飛び込んでくる。


【安倍ノ家:テストお疲れ様。 長い沈黙を破って帰ってきた電脳遊戯部を全力で歓迎するよ。今回も派手にやらかしてくれたまえ】


「おっ、さっそく『安倍ノ家』さんが来てくれたな!」


 俺が声を上げると、シオンも嬉しそうにモニターを覗き込む。


「本当だわ! 安倍ノ家さん、今日もお越しいただきありがとうございます。テスト勉強で鈍った私たちの腕、今日の配信でしっかり見せつけてあげるんだから!」


【安倍ノ家キタ━━━(゜∀゜)━━━!!】


【常連の重鎮きたな】


【主たち、安倍ノ家さんの期待に応えて今日のクエスト見せてくれよ!】


 リスナーたちの熱気が最高潮に達する中、俺たちは今日の配信メニューについての作戦会議を始めた。



   §



「さてと、テスト明けの初日配信だ。軽めのダンジョン周回にするか、それとも新しい素材集めに行くか……みんな、今日は何をする?」


 俺が尋ねると、シオンはふっと顎に手を当て、少しだけ妖しく、しかしどこかワクワクとした笑みを浮かべた。


「ねえ、ユウ。以前中央エリアの原生林を探索していた時に見つけた、あの場所を覚えているかしら?」


「あの場所……というと、巨大な牙を持った野獣たちがうろついていた、あの『オークの集落』のことか?」


「そうよ。あの時は推奨レベルや装備の兼ね合いでスルーしたけれど、今の私たちのレベルなら、正面から叩き潰すのは余裕でしょう?  それにね、ライムのデータベースによると、あの地域に生息する『オークロード』や通常のオークたちがドロップする上質な獣肉って、このゲーム内で最高の美食素材になるらしいのよ」


 シオンのその言葉に、ライムがすかさずピピッとお馴染みのホログラムレシピを投影した。


「はいっ!  私の美食アーカイブによりますと、北方オークの肉は、適切な下処理と高純度マナによる燻製を行うことで、全ステータスを一定時間大幅に上昇させる幻の高級食材『ワイルド・オーク・グリル』に昇華できるんです!  脂の乗り具合、肉質のジューシーさ、どれをとってもバーチャル味覚同期の限界を突破するほどの絶品だとか……!」


【待て待て待て、シオンちゃんの口から『美食』って単語が出たぞ!?】


【まさか、ボス狩りじゃなくて狩猟とグルメ回なのか……?】


【オークの肉とか野性味溢れすぎだろww でもめちゃくちゃ旨そうに見えてきた不思議】


【主の錬金術とシオンちゃんの剣技でオーク集落を文字通り『焼き尽くす』んですね、わかります】


 コメント欄が一気に『グルメ&狩猟回』としての期待で大盛り上がりを見せる。


 推奨レベル10のガーディアン・キメラやクリスタル・リヴァイアサンを倒してきた俺たちにとって、ただのオークの集落など雑魚の群れに等しい。

 でも、シオンの言う「最高のお肉を食べたい」というモチベーションは、ゲームの冒険者としても、現実の女子高生の食欲としても、最高に理にかなっていた。


「よし、決まったな!  今日は北部原生林のオーク集落を徹底的に強襲し、一匹残らず全滅させて、極上の肉を根こそぎ剥ぎ取ってやる!」


「やったわ!  最高のディナーにするために、腕が鳴るわね!」



   §



 俺たちが向かったのは、夜の闇に包まれた薄気味悪い『霧降の原生林』だった。

 巨大な古代樹の枝が空を覆い、足元には湿った黒土と奇妙な発光キノコが怪しく青く光っている。その森の奥深く、数多くのキャンプファイヤーの炎が揺らめき、低く野太い咆哮や下品な笑い声がこだましている。

 この場所こそが、今回の目的地である『オークの集落』だった。


 木々の隙間から遠望すると、そこにはずらりと並ぶ粗末な丸太小屋と、見張り台に立つ大柄なオークの戦士たちの姿がある。

 総数は優に三十体を数え、その中央の最も巨大なテントの前には、通常の個体とは一線を画す禍々しいオーラを纏った巨躯が鎮座していた。


「……マスター、あの中央に陣取っている個体、データ照合完了しました。北部オーク集落の支配者、推奨レベル17のエリートボス――『オークロード』です。周囲の護衛を含め、正面から突撃すれば一筋縄ではいきません」

 ライムが冷徹なアナウンスを飛ばす。シオンも愛剣の柄に手をかけ、警戒の色を強めた。


「ふん、推奨レベル17のボスか。私たちの今のレベルなら十分に勝てる相手だけど……ただ普通に切り伏せるだけじゃ、配信のネタとしては少し面白味に欠けるわね。何か、ユウの得意な『奇策』はないのかしら?」


 シオンがニヤリと意味深な笑みを浮かべてこちらを振り返る。

 その期待に満ちた瞳を見つめながら、俺はフッと鼻を鳴らし、インベントリから大量の特殊な錬金素材を取り出した。


「ふっ、任せろ。正面から突撃して肉をボロボロにするなんて野暮な真似はしないさ。奴らが誇るあの無数のキャンプファイヤーと、この森の環境、そして俺の〈錬金創成〉を組み合わせれば──一撃で集落全体を無力化しつつ、お肉を最高の状態で『燻製・調理』まで同時に完了させる、極上の罠が作れる」


【待て待て待て、何を言い出すんだこの主……】


【オークを狩るだけじゃなくて、調理まで同時にやろうとしてるぞ!?】


【錬金術師の狂気がまた始まったぞwww リスナーの期待を裏切らないクソヤバ戦術の予感】


【安倍ノ家:ほう、どうやって料理するつもりだ?  見せてみたまえ!】


 コメント欄の弾幕が最高潮に加熱する中、俺は地面にしゃがみ込み、猛烈なスピードで錬金創成の作業を開始した。


 俺が両手に纏わせたのは、先ほどのラボの炉心から抽出した高純度マナの残光と、原生林の湿った空気から精製した『超高感度・麻痺性香草パウダー』、そして爆破の代わりに強烈な冷気を放つ『極低温・急速冷凍触媒』の複合データだ。


「……ライム、シオン。俺が今から仕掛けるのは、名付けて〈極冷・アロマティック・トラップ〉だ。あいつらが焚いているキャンプファイヤーの燃料源に、俺の創り出した特殊錬金弾を仕込む。火が燃え上がった瞬間に化学反応を起こし、森全体の酸素を一時的に奪うとともに、最高級のハーブ香を纏った麻痺煙をオークどもに吸い込ませる!」


「なるほど……!  敵の拠点そのものを巨大なスモーカー(燻製窯)に見立てて、一網打尽にしつつ肉の鮮度を完璧に保つわけね。さすが私の相棒だわ!」


 シオンが目を輝かせ、その美しいエルフの身のこなしで音もなく木々の影へと潜り込んでいく。

 ライムもまた、自身の演算処理能力をフル稼働させ、オークたちの視線や巡回ルートの死角を完璧にハッキングしてハザードマップを俺たちの視野に投影した。


「ハッキング完了!  敵の視線誘導、および警備システムに一時的なブラックアウトを執行します……今です、マスター、シオンさん!」


「いくぞ……!  〈錬金創成〉、起動!!」


 俺が地面に叩き込んだ特殊な結晶弾が、音もなく無数のキャンプファイヤーの薪へと溶け込んでいく。

 次の瞬間、ボボッ! と小さな青白い炎が弾け、オークたちが「ブゴッ!?」と奇妙な声を上げた隙に、森全体を包み込むような甘く芳醇な、しかし猛烈な麻痺毒を孕んだアロマの霧が立ち込めた。


「ガ、ガァ……ッ!? 体が、動か……ブグッ!」


「なんだこれ、甘い匂いがするのに息が……っ!」


 屈強なオークの戦士たちが次々と白目を剥いて地面に崩れ落ちていく。


 その混乱のただ中、中央のテントから凄まじい地響きとともに、巨大な棍棒を携えた『オークロード』が姿を現した。

 その巨体は通常のオークの二回り以上もあり、赤黒い皮膚と禍々しい牙が異様な威圧感を放っている。


「愚かなる侵入者めらぁぁッ!!  我がナワバリを荒らす者は、すべて血祭りに上げて──」


「喋るところ悪いけれど、その威厳もここまでよ!」


 オークロードが咆哮を上げるよりも早く、シオンの体が流れるような星屑の軌跡を描いて宙を舞った。


 彼女の振るう『アストラ・クリスタル・ブレード』が、極限まで高められた純白のマナを纏い、オークロードの硬質な鎧を一刀両断にする。


「シャアアアアァァッ!!」


 圧倒的な一撃を叩き込まれたオークロードがバランスを崩し、膝をついたその瞬間、俺は背後から一気に間合いを詰めた。


「仕上げだ……!  これが俺たちの、テスト明け初陣のフィニッシュだ!」


 俺は手に持った最強の錬金弾をオークロードのコアめがけて直接打ち込み、トリガーを引く。

 原生林の夜空を切り裂くような青く澄んだ爆発の光と、極上のハーブの香りが辺り一面を包み込み、推奨レベル17のボスエネミー『オークロード』の巨体は、眩い光の粒子となって綺麗に四散していったのだった。



【システム通知:『オーク』群れ、並びに『オークロード』の討伐に成功しました】


【経験値を獲得し、パーティーメンバーのレベルが上昇しました!】


 プレイヤー名:ユウ レベル:27(+4UP)

 プレイヤー名:シオン レベル:27(+

4UP)

 プレイヤー名:ライム レベル:26(+4 UP)





【すげえええええええええええええ!!】


【ボスを一撃でハメ殺した上に、森全体がマジで美味しそうな燻製の匂いに包まれてるぞwww】


【主の錬金チートとシオンちゃんの剣戟が美しすぎて映画見てる気分だったわ!】


【安倍ノ家 :素晴らしい!  狩りと料理を同時に完遂するとは、見事の一言に尽きる!】


 コメント欄とスパチャの弾幕が狂乱の渦と化す中、立ち込める煙がゆっくりと晴れていくと、そこには無数の極上のオーク肉と、レアなドロップアイテムの山が綺麗に残されていた。


「ふう……完璧な作戦勝ちね。これだけの極上肉があれば、ラボに戻って今夜は最高の『ワイルド・オーク・グリル』パーティーが開催できそうだわ!」


 シオンが愛剣を鮮やかに納めながら、満足げにふっと微笑む。


 テストの静寂を抜け出し、現実の放課後の温もりを胸に、私たちは再び仮想世界の頂点へと駆け上がっていく電脳遊戯部の伝説は、ここからさらに熱く、最高に美味しく加速していくのだった。


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