第28話 試験の静寂と、放課後の再会
昨夜は手に入れた素材でクラフトし、装備やアイテムを作成した。
けれど、それから一夜明けても、『星詠みの地下迷宮』の完全踏破という偉業を成し遂げた熱狂の余韻は、まだ学園の生徒たちの記憶に新しいものとして残っていた。
廊下を歩けばクラスメイトから「昨日のボス戦すごかったね」「次の配信はいつなの?」と声をかけられ、ちょっとした有名人扱いに気恥ずかしい思いをした。
しかし、そんな浮かれた空気を冷徹に、そして強制的に引き裂く残酷な現実が、高校生である私たちには等しく訪れていた。
──中間考査。
その四文字が職員室の掲示板に貼り出された瞬間、電脳遊戯部の部室に漂っていた甘やかな達成感は、一瞬にして凍りついたのだった。
「というわけで、皆。明日から一週間、学則により部活動は一切禁止となるよ」
放課後の部室にやってきた顧問の井ノ原先生は、厚手の参考書を脇に抱えながら、やれやれといった表情を浮かべた。
彼女の視線は、机の上にぽつんと置かれた数台の最新型VRヘッドセット、〈マギア・リンカー〉へと向けられている。
「先生、一週間もゲームに触れないなんて、私耐えられそうにありません……!」
椅子に座っていた天音が、どこか切なそうな表情でそう呟く。
ゲームオタクだという彼女にとって、この宣告はなかなかに重い。
「ダメだよ、天音。学業あっての部活動でしょ。学校側からも『電脳遊戯部の生徒たちは、配信にかまけて学業が疎かになっていないだろうな』って、生徒指導部からお叱りの釘を刺されているんだからね」
井ノ原先生はため息をつきつつも、教え子たちを見回して少しだけ優しげな笑みを浮かべた。
「だからこそ、今回のテストでしっかりとした成績を残しなさい。赤点を取ったりしたら、次回の新規ダンジョン探索の許可は下ろさないからね。いい?」
「「「「「はい……!」」」」」
部室にいる全員が、揃って重々しく返事をする。
配信の盛り上がりやトレンド1位の快挙の裏で、俺たちは高校生という揺るぎない身分を背負っているのだ。
テスト期間中はゲームの一切を封印し、チャンネルの更新も一週間完全休止。
リスナーたちへの告知もすでに済ませてあり、コメント欄には「主たちもテスト勉強がんばれ!」「赤点回避のRTA期待してるぞ」といった温かい(あるいは面白がる)エールが溢れていた。
§
部活動停止期間の初日、放課後の部室は普段の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
「にしてもさー、一週間もVRヘッドセットに触れないなんて、禁断症状が出そうだよ……!」
涼花は、机の上に鎮座する自分の〈マギア・リンカー〉をしみじみと眺めた。
その隣では、生徒会役員の腕章をきっちりとはめた芹亜先輩が、真面目な顔つきで自分の参考書を開いている。
「何を言っているんだ、涼花さん。たった一週間だよ。それだけの辛抱だ」
芹亜先輩はそう言いながら、シャープペンのノック音をカチカチと鳴らす。
「そうだよ、涼花ちゃん。私もテスト勉強でカツカツなんだからね。芹亜先輩、試験が終わったらこれ持って帰っていいんですよね?」
南が近くのロッカーから専用のキャリングケースを取り出し、自分のVRヘッドセットを大切そうにしまいながら、部屋の入口に立っていた芹亜先輩に声をかけた。
生徒会長である芹亜先輩は、腕を組んでフッと誇らしげに鼻を鳴らす。
「いいとも! 特例として自宅持ち帰りを許可してあげよう。 ただし──」
先輩はピッと人差し指を立てて、俺たち全員を鋭く見据えた。
「条件として、テストの平均点がクラスの基準を下回ったら、夏休み中の部室清掃を全担当してもらうからね! そこだけは容赦しないから、みんなしっかり勉強しなさい!」
「うぅ、鬼だ……! 芹亜先輩の鬼……!」
涼花が頭を抱えて机に突っ伏すが、その顔にはどこか楽しげな笑みが混じっている。
妹もまた、芹亜先輩に正式な申請書類を提出し、自分のマシンを自宅へと持ち帰る許可をもらい受けていた。
テストが終わったその瞬間、誰よりも早くログインしてイベントを進めるんだと、昨日の時点で意気込みを語っていたのだ。
「それじゃあ、俺たちはそれぞれの家に戻って、この一週間は画面の向こうじゃなく、紙の上の文字と格闘するとしようか」
俺が自分のバッグにノートと参考書を詰め込みながら言うと、天音も自分の荷物をまとめ終え、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「うん。ユウ、赤点なんてなしだからね。テストが終わったら、またあの部室で、今度は新しい開拓の計画を思いっきり話し合いましょ」
こうして、電脳遊戯部の熱い冒険は一週間という強制的なスリープ状態に入り、部室は静寂のベールに包まれたのだった。
§
長かった一週間が過ぎ去った。
昼夜を問わずノートを開き、数学の公式を叩き込み、英語の例文を暗記し、時にはオンライン通話で南や遥馬と分からない問題を教え合いながら駆け抜けた地獄のようなテスト期間。
あの完全感覚同期のダンジョン探索とはまた違った、頭脳の極限を試されるような疲労感が、私たちの脳裏に重くのしかかっていた。
そして迎えた、運命の採点結果返却日。
職員室前の掲示板や、各教室のホームルームで配られた答案用紙を手に、俺たちはそれぞれの成果を噛り締めていた。
「ふう……どうにか、三十位以内に入ってたか」
自分の総合順位表を確認しながら、俺は思わず深い息を吐き出した。
決して誇れるようなトップランカーの点数ではないが、俺としては上出来と言っていいだろう。
「ユウ君、お疲れ様。私も無事に平均より上の順位に収まったよ。これで夏休みの部室掃除の刑からは逃れられたね」
隣の席にやってきた南が柔らかい口調で言い、自分のテスト用紙を綺麗にファイリングしている。
彼女の成績も常に安定の上位層をキープしており、生徒会としての面目をしっかりと保っていた。
「もう、二人とも余裕そうな顔して……私なんて、昨日の数学の答案返されるとき、心臓が口から飛び出るかと思ったんだから!」
そう言いながらパタパタとやってきた涼花は、自分の答案用紙を裏返したままバタンと机に伏せた。
「でも、赤点じゃないし、平均点もちゃんと超えたもん! 私の脳内CPUも、まだまだ捨てたもんじゃないでしょ!」
と、妹は誇らしげに胸を張る。
「おいおい、そんな自慢げにするなよ涼花ちゃん。前回の数学のテストの前夜に『もう私の脳のメモリ容量限界だから無理ー!』とか言って悠人に泣きついてきたの、すっかり忘れたのかよ」
そこに、少し気だるげな足取りで割り込んできたのは遥馬だ。
片手で自分のテスト結果が載った紙をヒラヒラと揺らしながら、やれやれといった風に肩をすくめる。
「ちょっと遥馬先輩! そこは女の子の秘密ってやつでしょ! みんなの前でバラさなくたっていいじゃない!」
涼花が真っ赤な顔をして遥馬の腕を軽く叩くが、当の遥馬はケラケラと悪びれる様子もなく笑っている。
「いやぁ、実を言うと俺もギリギリセーフだったぜ。直前までお前らとオンライン通話でヤマ張りやってたおかげで、苦手な古文もなんとかなったわ。ま、赤点回避できりゃ御の字よ。これで夏休みに面倒な補習とか受けるハメにならずに済んだしな。で、どうせ今回のテストでも、天音さんは余裕で学年トップ独走なんだろうな」
そして、学年掲示板の人だかりの中心で、ひときわ静かに、しかし圧倒的な輝きを放っていたのは──詩丘天音だった。
「……ねえ、見て、あの順位表のトップ……」
「まただよ、詩丘さん、今回も全科目ほぼ満点近くで学年総合1位じゃん……」
「マジかよ、どうやったらこんな点数取れるんだよ……」
周囲の生徒たちがどよめく中、天音は少しだけ照れくさそうに自分の髪の毛の毛先を指先でくるくると巻きながら、掲示板の前からこちらに戻ってきた。
その表情には、テストをやり切った清々しさと、どこかホッとしたような穏やかな笑顔が浮かんでいる。
「皆、お疲れ様。無事にテスト期間を乗り切れて本当に良かったわね」
「天音、お疲れ。相変わらず凄まじいな、学年トップ維持って……お前、いつ勉強してるんだよ」
俺が呆れと感心の入り混じった声で尋ねると、天音はふふっと上品に笑った。
「ちゃんと授業を聞いて、ゲームの合間に予習復習をコツコツやってるわよ。ゲームだけじゃなくて、現実の勉強も私にとっては大切なクエストみたいなものだから」
その言葉の説得力たるや、周囲の誰もが文句なしに納得せざるを得ないものだった。
井ノ原先生からも「これだけ見事な成績を残したんだから部としても誇らしいね。次の配信も楽しみにしているよ」とお墨付きをいただき、私たちの『電脳遊戯部』は、再び完全なかたちで活動の狼煙を上げることになったのだ。
§
テスト終了のチャイム音が校舎に響き渡り、完全に日常へと還った放課後。
俺たちは、待ちに待ったその場所へと足を向けていた。
カチャリ、と古びた部室のドアノブを回す。
「あ……」
開け放たれた室内に足を踏み入れた瞬間、そこにはすでに先客がいた。
窓から差し込む夕暮れのオレンジ色の光が、埃の舞う空間を美しく照らし出す中、西側のデスクにちょこんと腰掛け、自分の〈マギア・リンカー〉のメンテナンスクロスを丁寧に動かしていたのは天音だった。
彼女は俺たちがドアを開けた音に気づき、スッと顔を上げる。その長い黒髪がサラリと揺れ、茜色の光を浴びた瞳が、嬉しそうにぱっと見開かれた。
「あ、皆、お疲れ」
天音が、俺たちを迎えるようにふわりと優しく微笑む。
その声の響きは、テスト期間中の緊張感から完全に解放され、いつもの穏やかで温かな部室の空気を完璧に呼び戻していた。
「て、天音ちゃん、もう来てたんだ! 私たちも今、ダッシュきたところだよ!」
涼花が大きなカバンをドンと床に置き、勢いよく天音の隣の椅子に滑り込む。
「一番乗りなんて、今日の詩丘さんの気合の入りようは相当なものみたいだな」
遥馬も言いながら自分の席に荷物を降ろす。
そのやり取りに、部屋の隅の特等席から軽やかな足音を立てて歩み寄ってきたのは、生徒会長の芹亜先輩だった。
彼女は両手を腰に当て、満足げにふんっと胸を張る。
「はっはー! 残念、一番乗りはこの私、芹亜先輩だぞ!」
先輩は得意げにそう言い放つと、持っていた差し入れのジュースのボトルをカチャリと机の上に並べ立てた。
「みんな、一週間本当によく頑張ったな! テスト期間中は生徒会の仕事にかまけてあまり顔を出せなかったけれど、みんなが無事に赤点を回避して、こうして元気に部室に戻ってきてくれたのが何よりの褒美だよ。ほら、今日の冷たいジュースは私からの特別ボーナス支給ってことで!」
先輩の明るい声が、部室の隅々にまでパッと華やかな活気を吹き込んでいく。
「さすが生徒会長、気が利きますね! じゃあその特別ボーナス、ありがたくいただきます!」
涼花が目を輝かせながらジュースのボトルを真っ先に手に取り、プシュッと小気味よい音を立てて蓋を開ける。
その様子に芹亜先輩は「おいおい、女の子らしくもう少し味わって飲みなさい!」と楽しげにツッコミを入れ、部室は一気にいつもの賑やかな空気に包まれた。
そんな仲間の笑顔を眺めながら、天音はそっと自分のマグカップに視線を落とし、ふっと優しく目を細めたのだ。
「一週間ぶりね、この部室の匂い。すごく久しぶりに感じられるわ。早く皆と一緒にゲームで遊びたかった」
天音はそう言ってマグカップを両手で包み込み、少しだけ頬を染めながら恥ずかしそうに目を細めた。
「テスト勉強っていう長いリアルダンジョンも無事にクリアして、これからまた俺たちの〈LWO〉が始まる……だな、天音?」
俺がふと名前を呼ぶと、天音の瞳がほんのりと嬉しそうに潤み、彼女はこくりと大きく頷いた。
「うん、そうね、ユウ。ここからまた私たちの冒険が始まるのよ」
窓の外の空は、夕暮れの茜色から少しずつ深い群青色へと移り変わり、街の灯りがポツポツと瞬き始めている。
試験の静寂を抜け出し、再びお互いの温度を取り戻したこの小さな部室で、俺たちは次なる仮想世界の深層へと思いを馳せながら、いつまでも終わらない放課後の時間をゆっくりと味わい続けるのだった。




