第23話 星詠みの祭壇と、朝陽にほどける長い夜
重厚な封印の門が完全に開ききると、その向こう側に広がっていた空間は、これまでの地下湖の幻想的な景色とはまた異なる、荘厳かつ神秘的な静寂に包まれていた。
足を踏み入れたのは『星詠みの祭壇』と呼ばれる巨大な円形の広場だった。
中央には天を突くようにそびえ立つ幾何学的な純白のモニュメントがあり、その頂点には先ほど手に入れた『星詠みの水鏡』や『星詠みの錬金結晶』と呼応するかのように、柔らかな青白い光の柱が天蓋へとまっすぐ伸びている。
VRMMO特有の圧倒的なスケール感と、細部まで作り込まれた古代文明の意匠に、配信のコメント欄は「うわ、なにここ聖地じゃん……」「グラフィックの美しさがガチで異次元」「ここでセーブポイントとか絶対あるやつだろ!」という感嘆の弾幕で再び激しく沸き返った。
チャンネル登録者数は『20万人』に達し、同時接続数も17万人のという数字を維持したまま、まるで祭りのような熱気を帯びている。
「すごい。ここ、まるで現実の歴史のどこにも存在しない、本当の神聖な遺跡の中にいるみたい……」
シオンは『アストラ・クリスタル・ブレード』を納刀し、祭壇の中央から漂う微かな温もりのある魔力に触れながら、どこか感慨深げに呟いた。
昨夜のキャンプファイヤーでの静かな語らいから始まり、古代王家の試練場でのキメラ戦、そして先ほどの星空の地下湖におけるクリスタル・リヴァイアサンとの死闘──。
およそゲームの『たった二日間』のボリュームとは思えないほど濃密で、文字通り命を燃やすような冒険の連続だった。
「マスター、シオンさん、周囲の魔力障壁の安全性を確認しました。エネミーの反応はゼロ、この祭壇内部は完全にセーフティエリアに指定されている模様です」
ライムがホログラムのウィンドウをシュッと閉じながら、ほっとしたように小さく息をついた。
そのオートマタ特有の動きや仕草からは、長時間の連続高負荷演算による微かな疲労の色──ではなく、マスターたちと共に難局を乗り越えた達成感に満ちた柔らかな微笑みが浮かんでいた。
「ふう……よくやったな、二人とも。本当に、最高のチームワークだったぜ」
俺は額の汗を拭いながら、その場にどっかりと腰を下ろした。
肉体的な疲労は感じないはずなのに、精神的な高揚感と、心地よい疲労感がじわじわと全身に染み渡ってくる。
そう、この配信は『朝活配信』として始まったものだ。
現実世界の時計を確認すれば、すでに午前七時を大きく回り、外の世界ではまばゆい朝陽が街のビル群や静まり返った邸宅の窓ガラスを白くに染め上げている頃合いだった。
ゲーム内と現実の時間の流れは異なるものの、徹夜でラボの作業からそのまま連続でVRMMOに潜り続け、エリートボスを二体も連破した俺たちの肉体と精神は、さすがにそろそろ限界のボーダーラインに近づいていた。
「そういえばユウ、外の世界ってもうすっかり朝よね。私たち、どれくらいずっとこの島に篭りきりだったかしら?」
シオンが背伸びをしながら、自分のステータス画面のプレイ時間をちらりと確認して苦笑する。
「ああ……ラボで錬金術の触媒を煮詰めていた時間も含めると、ぶっ続けで二十時間以上はここにいることになるな。リスナーのみんなも、ずっと付き合ってくれて本当にありがとう」
俺がカメラに向かって頭を下げると、コメント欄からは「主たちお疲れ様!」「ガチで神回すぎたから寝不足なんて気にならないわ」
「ゆっくり休んで、また次の配信絶対観に来るからな!」という温かいねぎらいの言葉が雪崩のように押し寄せてきた。
でも、ここで無理をして続けたりはしない。
『電脳遊戯部』のモットーは、いつだって全力で楽しみ、そして現実の仲間としての絆を大切にしながら最高の結果を残すことだ。
ライムがピピッという軽快な電子音とともに、俺の視界の端にシステム通知を投影した。
「マスター、シオンさん。私の生体センサーおよびネットワーク同期データから、そろそろ現実世界の健康管理パラメータに警告値が点灯し始めています。特にマスターの昨夜からの睡眠不足は、オートマタの演算をもってしてもこれ以上は推奨できません」
ライムがちょっと膨れっ面のような表情を作りながら、現実のログアウトを促すように俺の袖をトントンと引っ張る。
「はは、ライムにそこまで言われたら素直に従うしかないな。よし、今日のところはこの古代の祭壇、そして新しく手に入った『星詠みの水鏡』と試練の証をキープした状態で、一度キリ良く配信を終了にしようか」
俺のその言葉に、シオンも満足そうにうなずいた。
「賛成だわ。これ以上の無理は禁物だし、何より今日手に入れた素材をどうやってクラフトするか、考えるだけで今夜の夢に出てきそうだもの」
シオンが愛おしそうに自分の剣を撫でる。
俺たちは祭壇の中央に並んで立ち、カメラに向かって最後の挨拶を整えた。
「みんな、今日の『電脳遊戯部チャンネル』の配信を観てくれて本当にありがとう! 同時接続数17万人突破、そして推奨Lv.13とLv.18のボス同時攻略──最高の二日目になったよ。だけど、俺たちの冒険はここからが本番だ。また次の配信で、この『星詠みの地下迷宮』のさらに深い謎へと挑むから、みんな見逃すなよ!」
シオンが凛とした笑顔で手を振り、ライムが可愛らしく両手でバイバイのポーズを作る。
【安倍ノ家:ふむ、ここで無駄な深追いせず綺麗な引き際を選ぶとは、主の判断力は配信者としても一流だな。今日の攻略、実に勉強させてもらった。お疲れ様だ、電脳遊戯部】
【安倍ノ家のガチ労いの言葉草。でも本当に最高の神回だったわ……】
「それでは皆様、次回の配信でお会いしましょう! マスター、お疲れ様です!」
「それじゃあ、またね!」
俺たちが声を合わせて配信終了のコマンドを叩いた瞬間、視界を包んでいた青い魔法の光と星空の天井が、優しく粒子となって溶けていく。
【お疲れ様でしたああああああああ!!】
【神回をありがとう! 最高だった!】
【ゆっくり休んでね!!!】
という最後の弾幕の嵐が通り過ぎ、配信画面は静かなエンディングロゴへと切り替わった。
視界が暗転し、現実世界の感覚がじわりと戻ってくる。
視覚を覆っていたVRヘッドセットをそっと外し、ラボの椅子に深く腰掛けたまま大きく背伸びをした。
窓の外を見ると、現実の空はすっかり明るく晴れ渡り、眩しいほどの朝陽が部屋の床一面に温かい光の帯を作っていた。
「ふう……終わったな……」
呟いた声は、静まり返ったラボの空間にただ気だるく溶けていった。
先ほどまで、あんなにも熱狂的な17万人もの視線に晒され、星空の地下湖で巨大な水晶魔獣と死闘を繰り広げていたというのに──現実の部屋は、あまりにも静かで、あまりにもいつも通りだった。
周囲を見渡してみても、そこにシオンの姿はない。彼女のリアルな素性も、今の俺には知る由もなかった。
そしてライムもだ。
彼女はあの世界を彩るただのNPC──ゲーム内のシステムナビゲーターに過ぎない。
現実のラボに彼女の姿などあるはずもなく、今この瞬間に動いているのは、サーバーのバックグラウンドで淡々と処理を続けるプログラムの残滓だけだった。
今、この部屋にいるのは、徹夜明けの気だるさを全身に纏った俺──一人だけだった。
「……さて、と」
椅子の背もたれから体を起こし、カチリと音を立てて冷め切ったコーヒーカップを机の端に寄せた。
脳裏には、まだ先ほどまでのVRMMOの鮮烈な手触りが焼き付いている。シオンと交わしたアイコンタクトの温度、ライムの定型アナウンスの響き、そして〈錬金創成〉のスキルが手の平で爆発した瞬間の熱量。
それらがあまりにもリアルだったせいで、現実世界の静けさが逆にひどく希薄なものに感じられてしまう。
空気の冷たさ、椅子の木目の感触、パソコンのファンがかすかに回る駆動音。
どれをとっても現実のものなのに、どこか現実感が伴わないのは、昨日から一睡もしていない脳のせいだけではないはずだ。
けれど、スマホの画面に目を落とせば、そこに現実の時間が容赦なく突きつけられた。
通知画面には、配信のアーカイブに寄せられた数千件ものお祝いコメントや、チャンネル登録者数が急上昇したことを知らせるシステム通知が絶え間なく表示されている。
同時接続数17万人という数字は夢ではなく、この小さな液晶画面の中で確かな爪痕を残していた。
そして何より、現実の時計の針はすでに平日の朝──午前七時半を少し回ったところを指していた。
「やばい、のんびり浸ってる場合じゃなかった……!」
今日の午前中には、高校の授業がしっかりと待ち構えている。
昨夜から今日にかけての徹夜作業と大ボリュームのゲーム配信のせいで、肉体的な疲労はなかなかのものだったが、ここで遅刻でもしようものなら、それこそ学校で色々と面倒なことになりかねない。
何より、担任の井ノ原の厳しい小言を朝から食らうのはごめんだった。
俺は慌ててラボの作業台のメイン電源を落とし、脱ぎ捨ててあった制服のシャツとブレザーをひっつかんだ。
顔を洗い、歯を磨き、冷たい水で無理やり頭の芯を覚醒させる。
水道の蛇口から流れ出る冷水が肌を突き刺し、ぼんやりしていた意識を強引に現実へと引き戻していく。
鏡に映った自分の顔は、わずかに目の下にクマができてはいたものの、どこか充実した冒険者の目をしていた。
数分後、身なりを整えて自宅兼ラボの玄関のドアを開けると、朝の乾いた、少し冷たい外気が心地よく肌を撫でた。
「おーい、お兄ちゃん! いつまでぼーっとしてるの、遅刻しちゃうよ!」
自宅の門の前で足をとめていた俺に、少し離れた曲がり角から元気な声が飛んできた。
制服の着こなしをきっちりと整えた妹の涼花が、呆れたような顔をしながらこっちを振り返って手招きしている。
その表情には、毎朝のように兄の世話を焼かされている苦笑いと、どこか楽しげな響きが混ざり合っていた。
そして、その隣には幼馴染みの南が、いつもの穏やかな笑顔を浮かべて立っていた。彼女のショートボブが、朝の爽やかな風にふわりと揺れている。
「あ、ごめんごめん。今行く……!」
俺は慌てて二人のもとへと駆け寄る。
寝不足で少し重かった足取りも、身近な家族や幼馴染みの顔を見た途端、いくらか軽くなった気がした。
「もう、昨夜も遅くまでゲームやってたんでしょ? お肌の曲がり角なんだから、ちゃんと言いつけ通りに寝ないとダメなんだからね!」
涼花が妹らしく小言を言いながらも、心配そうに俺の顔のクマをじっと覗き込んでくる。
年の離れた妹に見透かされているようで、少しだけ気恥ずかしい。
「はは、気を付けるよ……ありがとな、涼花」
頭をポリポリとかきながら笑うと、南がクスクスと笑いながら優しく声をかけてくれた。
「ユウ君、朝から相変わらずバタバタしてるね。それにしてもあの配信すごい反響だったね、おめでとう! 私もリアルタイムでちょっと見てたんだよ」
南の柔らかな声に、俺は思わず足を止めかけた。
「えっ、マジで……? 見られてたのか、それはちょっと恥ずかしいな……」
赤面しそうになるのを必死にこらえながら、俺は頬を掻いた。
ゲームの中ではあれだけ威勢よくボスに向かっていったというのに、身近な幼馴染みに自分の配信を見られていたとなると、急に気恥ずかしさが全身を駆け巡る。
「お兄ちゃんのあんなカッコいいとこ、ちょっとズルいよねー。私へのチョコのお礼とか忘れてゲームばっかりしてるくせにさ」
なんて言いながら、涼花も嬉しそうに目を細めた。
ゲームから現実へと舞台が変わっても、こうして朝の通学路をいつも通りに並んで歩いてくれる家族や幼馴染みがいる。
その日常の温かさが、徹夜明けの体に心地よく染み渡っていく。
並んで歩き出す通学路の途中、春の爽やかな風が制服の袖を揺らし、沿道に植えられた街路樹の葉がサラサラと心地よい音を立てていた。
ふと、昨夜の冒険の余韻に浸りながらも、午後の授業のことに思いを馳せる。
学校が終わったら、また放課後は電脳遊戯部での生配信だ。さらに盛り上がるといいな。
そんな期待を胸に、俺たちは他愛のない雑談を交わしつつ、まだ見ぬ日常へと続く学校の門をくぐっていくのだった。




