第24話 リアルで交差する二つの運命
長かった午前中の授業をどうにかこうにか乗り切り、午後の退屈な講義の嵐も睡魔と戦いながら耐え抜いた末、放課後のチャイムが校舎全体に高らかに鳴り響いた。
カチリ、カチリと時計の針が進み、夕暮れに向けて空の色が少しずつ茜色へと染まり始める。
今日の午前中は、昨夜から今朝にかけての徹夜配信のせいで脳のメモリが半分ほどフリーズしかけていたが、放課後という甘美な響きとともに、俺のなかの『ゲーマーとしての血』が再び熱を帯びて動き出し始めていた。
「ふあぁ……やっと終わった……今日こそ、放課後はあの『星詠みの地下迷宮』の続きを攻略するぞ!」
俺は自分の席で盛大に伸びをしながら、机の上に散らばったノートや教科書を乱暴にスクールバッグへと放り込んだ。
すると、隣の席から短髪の前髪を軽快に立ち上げた遥馬が、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらひょいと声をかけてきた。
「それにしても悠人、昨日の配信の後半戦、改めてマジですごかったな。レベル18のエリートボス『クリスタル・リヴァイアサン』の水晶装甲を相棒のシオンとのコンビネーションで完全粉砕。俺なんかローグの隠密スキルを駆使しながら画面の前でガッツポーズしちまったくらいだからな。なあ、今日の放課後配信もこの調子でガンガン進むのか?」
遥馬が気さくに肩を叩いてくる。
同じクラスのゲーム仲間として、こいつのこういうノリの良さにはいつも救われる。
そのやり取りを横で聞いていた南が、ふんわりと柔らかい笑みを浮かべながらノートを鞄にしまいつつ声をかけてくれた。
「二人とも、朝からずっとその話ばかりだね。でも、その配信は私もお家でリアルタイムで観てたけど、ユウ君のアルケミストの動き、本当にカッコよかったよ」
南の穏やかな称賛に、俺は少し照れくさそうに頬を掻く。
「おう、この後の配信はさらに気合を入れていかないとな。ちょうどいい、南も一緒にみんなで部室へ行こう」
俺がそう言って立ち上がると、クラスの出入り口のほうからパタパタと軽快な足音が近づいてきた。
顔を上げるとそこには、一つ下の学年である妹の涼花が、誰かを探すようにきょろきょろと首を巡らせながらやって来ていた。
「お兄ちゃん、どうせ授業中もずっと次のゲームのボス攻略のこと考えてたんでしょ?」
涼花が呆れたような、しかしどこか楽しげな表情を向けながら俺の机の前までやってくる。 南も優しく微笑みながらそれに続いた。
「だってしょうがないだろ、あのリヴァイアサンの素材で作るアイテムの組み合わせが気になって仕方なかったんだからさ」
「もう、ゲームのやりすぎでお肌が荒れても知らないんだからね! 今日の放課後も、部室でまた配信やるんでしょ?」
「ああ。シオンと一緒にな」
こうして、俺と遥馬、南、そして涼花の四人は連れ立って教室をあとにし、職員室で鍵を受け取ってから、部室棟の最上階にある俺たちの拠点である『電脳遊戯部』の部室へと向かった。
鍵を差し込んで扉を開けると、窓から差し込む夕陽が部室の床一面をオレンジ色に染め上げ、昨日の放課後激しい熱気を帯びていた空間が、どこか静寂の中で次の出番を待っているかのように佇んでいる。
「さて、まずは〈マギア・リンカー〉の電源を入れて、……っと」
俺は椅子に腰掛け、VRヘッドセットに手を伸ばした。
今日の攻略に向けたワクワク感が胸の奥から湧き上がってくる。
ゲーム内での相棒であるシオンのあの凛々しい剣捌きや、的確なタイミングでサポートを入れてくれたオートマタ、ライムの演出を思い出すと、現実の退屈さなんて一瞬で吹き飛んでしまう。
そうして今日の配信に向けて黙々と準備を進めていると──不意に、部室の入り口のドアが、トントン、と上品で控えめなノックの音に叩かれた。
「ん……? こんな時間に誰だ? 俺たちが揃って入ってきたばかりだし、ほかに誰か来る予定なんてあったか?」
俺は首をかしげながら作業の手を止め、振り返って入り口のドアへと視線を向けた。遥馬も「お、来客か?」と面白そうに腕を組む。
「どうぞ、開いてるぞ」
応えると、ドアが静かに開けられた。
そこに立っていたのは、夕暮れの廊下の逆光を背に受けながら、まるで絵画の中から抜け出してきたかのような、息を呑むほど整った端正な容姿を持つ少女だった。
背中まで流れるような艶やかな黒髪ロングが夕陽を浴びて絹糸のように美しく輝き、きっちり着こなされた制服のシルエットが彼女の気品を引き立てている。
彼女こそ、全校生徒がその名を一度は耳にしたことがある学園一の美少女──詩丘天音だった。
俺は思わず数秒間、言葉を失してその場に固まってしまった。
学園の花形であり、普段の学校生活ではまず交わることのないような高嶺の花が、よりによってこんなオタク趣味の部室に足を踏み入れてくるなど、予想の斜め上すぎて脳の処理が追いつかない。
「えっと……詩丘さん? 部室の場所を間違えてないか? ここって『電脳遊戯部』の部室なんだけど……」
俺が戸惑いながらそう声をかけると、詩丘さんはスッと一歩室内に足を踏み入れ、その冷徹とも取れる美しく澄んだ瞳で部室の中をゆっくりと見回した。
「間違えてなんかないわよ。私、『電脳遊戯部』に用があって来たんだから」
詩丘さんの声音は、どこか確信に満ちていて、それでいて妙な熱を帯びていた。
彼女は一歩、また一歩と俺の座る作業デスクへと近づいてくる。
まるで最初からここに来る目的がすべて決まっていたかのようにその歩みには迷いがない。
そして、俺のデスクのすぐ目の前まで寄ると、彼女はすっと身をかがめ、俺の目をまっすぐに見据えながらこう言い放った。
「ねえ……聞かせて。この中で、〈LWO〉のゲーム内で、『ユウ』というプレイヤーネームでプレイしているのは誰?」
「ユウは俺だけど……」
俺が怪訝に眉をひそめていると、詩丘さんはふっと柔らかい笑みを浮かべて、さらに一歩距離を詰めた。
その距離の近さに、思わず息が止まりそうになる。
夕陽のなかに微かに香る甘い柔軟剤の匂いと、彼女の整った顔立ちが目の前に迫る。
彼女はわずかに首をかしげ、まるですべてを言い当てるかのように、こう問いかけた。
「あなたが、ユウなのね」
目の前にいる少女の面影と、昨夜までVR空間で背中を預け合っていたアーク・エルフの剣士のシルエットが脳内で重ね合わせられる。
凛とした物腰、少し誇らしげな笑い方、そして何よりその圧倒的な透明感──。
パズルピースが、カチリと音を立てて完璧にかみ合った。
「まさか……君、シオンなのか……!?」
俺が叫ぶようにそう問うと、詩丘さんは満足したように深くうなずき、美しく澄んだ声を響かせた。
「そうよ。ゲームの中では『シオン』って名乗っていたけれど、現実の私の名前は詩丘天音。昨夜はいい夢を見せてくれたわね、ユウ?」
ゲームのなかでのあの聞き覚えのある凛々しい声と、現実の目の前にある声が完全にリンクした瞬間、俺の頭の中は完全に真っ白になった。
昨夜、星空の地下湖で共に戦い、背中を預け合い、数万人のリスナーの前で最高のコンビネーションを見せたあの相棒が、まさか自分の通う学校の同じ学年の──学園の誰もが憧れる高嶺の花・詩丘天音その人だったなんて、誰が想像できただろうか。
「嘘だろ……君が、あのシオン……!? 現実じゃ一度も話したことなかったよな、俺たち……!」
俺が頭を抱えて絶句していると、隣で様子を見ていた遥馬が「マジかよおい!」と派手に吹き出した。
「ちょっと待て、配信で悠人とすげえ息ぴったりのコンビネーションを見せていたあの『シオン』が、我が校の詩丘さんだったってのか!? そいつはライトノベルでもボツになるレベルの劇的展開だぞ……!」
遥馬が頭を抱えて驚愕するのをよそに、詩丘さんは悪戯っぽく片目を閉じ、くすくすと上品に笑ってみせた。
「ふふ、驚いた顔をして。配信でユウが電脳遊戯部に所属しているのが分かって、この学園で新設されたっていう部活と名前が同じだったから、今日こうして直接確かめに来たってわけ」
詩丘さんはそう言うと、周囲を見回し、室内に置かれた機器を興味深そうに眺めた。
そして、急に真剣な表情に戻ると、まっすぐ俺の目を見つめてこう宣言したのだ。
「ねえ、ユウ。私、決めたわ。私も、この『電脳遊戯部』に正式に入部する」
「はっ……!? ぶ、部活にって……いいのかよ、君みたいな学園のアイドルがこんなオタク臭い部活に入って……!」
俺が慌てて手を横に振ると、詩丘さんはクスリと鼻で笑い、まったく気にする様子もなく腕を組んだ。
「あら、私こう見えて結構なゲーマーよ。それに、ゲームのなかだけで相棒面して、現実で赤の他人なんて不自然だわ。今日から私も『電脳遊戯部』の正式な部員として、あなたの隣で一緒に〈LWO〉を攻略させてもらうから」
そのあまりにも堂々とした宣言に、俺はもうツッコミを入れる気力すら失ってしまった。
けれど、その胸の奥には、妙な嬉しさと、これから始まるさらなる冒険への期待感がぐっとこみ上げてくるのを感じていた。
その時、ガチャリと再び部室のドアが開き、生徒会の仕事を終えた先輩の芹亜がやってきた。彼女の手には、肉まんの包みがぶら下がっている。
「おーい、皆、昨日のアーカイブ観た人から部室に差し入れ──って、えっ……!?」
芹亜先輩はドアのところでピタリと足を止め、俺の目の前に立っている学園一の美少女・詩丘天音の姿を認めて完全に固まってしまった。
「な、なんで詩丘さんがこの電脳遊戯部に……!? ここはすごくいかがわしいオタク部屋のはずじゃ……!」
芹亜が目を丸くして驚愕の声を上げると、詩丘さんはふっと優雅に微笑み、彼女に向かって軽く会釈をした。
「初めまして、天宮先輩。今日から私もこの『電脳遊戯部』に正式に入部することになりました。以後、よろしくお願いしますね、部長?」
「ぶ、部ぇぇぇーーーっ!? ジェットコースターみたいな展開についていけないよ……!! なんで詩丘さんが!?」
芹亜がパニックを起こして肉まんを落としそうになりながら頭を抱える。
その従妹である南は、そんな先輩の慌てぶりを微笑ましそうに見守りながら、天音に向かってふんわりと声をかけた。
「詩丘さん、びっくりしたけど……こうして来てくれて嬉しいな。新しい仲間が増えて、この部室ももっと賑やかになるね」
「私は悠人お兄ちゃんの妹の涼花です! よろしくね、詩丘さん! 一緒に楽しも!」
「ありがとう、南さん、涼花さん。私も『電脳遊戯部』の皆と一緒に遊べるのが今から楽しみなの」
天音は南と涼花の言葉に柔らかく微笑み返した。
俺は苦笑いをしながら頭をポリポリと掻き、芹亜先輩に向かって事情を説明しようと口を開いた。
「いや、その……色々あって、昨日の配信の相棒が実は詩丘さんだったっていうか……だから、今日から詩丘さんもこの部活の仲間ってわけなんです」
遥馬が、やれやれと肩をすくめながらも楽しそうに笑う。
「いやあ、まさか現実の学園生活でもパーティーが結成されるとはな。俺のローグとしての隠密スキルも、この美少女の仲間入りの前には形無しってか?」
遥馬の軽口を受け、南は「遥馬くんは相変わらずお気楽だね」とくすっと楽しそうに笑った。
「でも、みんなでこうやってわいわいできるのは素敵だと思うな。ねえ、天音さん、今度ゲーム以外でも一緒に買い物に行ったりしようね」
「ええ、喜んで。南さんとなら楽しそうだわ」
南と天音が穏やかなトーンで言葉を交わすのを見て、俺は少しだけ肩の力を抜くことができた。
学園のアイドルである天音も、こうして部活のメンバーの中にすんなりと溶け込んでいる。
「それじゃあ、ユウ。今日の放課後配信、いつものようにそろそろログインする時間なんじゃないかしら? 昨日の続き、あの『星詠みの地下迷宮』の最深部が私たちを待っているわよ」
詩丘さんのその言葉に、芹亜先輩もようやく状況を飲み込めたのか、大きく息をついてからフッと不敵な笑みを浮かべた。
「はぁ……もう、どうなっているのか全く頭が追いつかないけれど、面白そうじゃないか! よし、それじゃあ部員が増えた記念すべき日だし、今日の配信はいつも以上に盛大にいこうか!」
芹亜先輩が気を取り直して詩丘さんの隣に歩寄り、肉まんの包みを机の上にポンと置いた。
「あ、そうだ。VRヘッドセットは今のところ部室には五台しかないから、今日のところは私のを使うといいよ、詩丘さん」
芹亜先輩が自分のデスクの端にあるVRヘッドセットを指しながら、優しく微笑んで言った。
「私は今日はどうせこの後生徒会の仕事で抜けるからね。夕方以降はそっちの作業に集中させてもらうよ」
「ありがとうございます、天宮先輩。お言葉に甘えて、今日は先輩のヘッドセットを使わせてもらいます」
詩丘さんは綺麗に微笑み、芹亜先輩の差し出したVRヘッドセットを丁寧に自分の手元へと引き寄せた。
午後の西日がすっかり黄金色から深い群青色へと変わり始める頃、部室の中の機材のファンが再び心地よい駆動音を立ててフル稼働を始めた。
現実の壁を越え、学園の美少女・詩丘天音が『シオン』として正式にこの電脳遊戯部に加わり、部室の空気はこれまで以上に鮮やかな熱気を帯びていく。
「それじゃあシオン、準備はいいか……? 今日の放課後配信、いよいよ『星詠みの地下迷宮』の最深部、禁断のエリアへと突入するぞ!」
俺が大きく手を挙げると、詩丘さんもまた自分のVRヘッドセットを手に取り、その美しい瞳に燃えるような挑戦の光を宿しながら力強くうなずいた。
「ええ、当然よ。昨日の続き、思いっきり暴れてやりましょう、ユウ!」
詩丘さんの凛とした声が部室の空気に響き渡り、配信開始のカウントダウンが静かにゼロへと近づいていく。
現実と仮想が完全にリンクした伝説の放課後配信が、今、再び幕を開けようとしていた。




