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君と勇者のいらない世界へ  作者: きびだんご


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3/10

剣に残った敵

「剣を、見せて」


 リシェはそう言ってから、自分の言葉を確かめるように唇を結んだ。


 僕は柄に手をかけた。

 彼女の肩が強張る。


「ここで抜いていい?」

「……鞘のまま。まずは」


 広場の人々は、中央の集会所へ移っていた。縮めた結界の中に入らない家もあり、毛布や食料を運び出している。

 西の畑は戻らなかった。

 けれど、トーヴが人数を数え直し、全員がいると告げたときには、何人かがその場へ座り込んだ。


 僕たちは設備小屋へ戻った。

 先ほどの老人が入口に立った。


「そいつを中へ入れるのか」


 リシェは答えず、石盤の横に残った白い筋を示した。

「さっき、この色に光ったのを見たでしょう」

「だからって」

「調べたい。何が起きたのか」


 老人は僕を見た。

 目の端に深い皺がある。外へ出る前には気づかなかったが、杖の先が震えていた。


「妙なことをしたら、追い出す」

「分かった」


 僕が答えると、老人は戸の横に腰を下ろした。

 見張りなのだと思う。


 剣帯を外し、机の上へ置く。

 腰が軽くなると、代わりに肩や肋骨の痛みがはっきりした。


 リシェは鞘に直接触れなかった。

 細い棒の先に透明な欠片を挟み、柄の結晶へ近づける。


 欠片が微かに光った。


 彼女は棒を離し、もう一度近づけた。

 同じことを三回繰り返す。


「これは、最初からこういう色だった?」

 柄の結晶を指す。

「いや。前は、もっと青かった」


 白くなったのは、決戦のあとだ。

 剣そのものが損傷していると聞き、色の変化もそのせいだと思っていた。


「いつ変わったの?」

「魔王を……倒したあとに見たときには」


 言葉が途切れた。

 戸口で老人が動いた気配がした。


 リシェは顔を上げなかった。

「それまでと、違うことは?」

「新しい魔力を吸わなくなった。隊の術師は、内部の機構が壊れてると言ってた」

「使う方は?」

「使える。でも、減った分が戻らない」


 彼女は壁の棚から、古い帳面を取った。

 背の部分は何度も縫い直されている。


 濡れた紙を剥がすように、慎重に頁を開く。

 そこには線と数字が並んでいた。

 僕には読めなかった。


「聖剣は、魔力を吸う武器なの?」

「触れたものから。何でも、いくらでもというわけじゃないけど」


 魔王の結界を破れると期待されたのも、その性質があったからだ。

 受け止めた魔法を弱め、その一部を剣へ取り込む。僕が魔王の前まで辿り着けた理由のひとつでもあった。


 リシェは帳面の頁と、光る欠片を見比べた。


「この村の結界は、ヴァルゼンの魔力に合わせて作られてる」

 声が低かった。

「合わない魔力を入れると、通らないか、流れが乱れる。だから、外から届く補充が止まったら、蓄えてある分で動かすしかない」


「止まったのは、いつ?」


「六日前の夜」


 僕は机の縁を掴んだ。


 その夜、僕たちは城の外で眠った。

 ガレスは眠らず、負傷者のそばにいた。僕は力を使い果たし、剣を抱いたまま、泥の上で朝を迎えた。


 同じ夜、ここでは何が起きていたのだろう。


「すぐには、分からなかった」

 リシェが続けた。

「嵐で届きにくくなることはあったから。でも翌日も、その次の日も、補充されなかった」


 だから手を傷めていたのか。

 だから目の下に隈があったのか。


「この剣の中に」


 彼女は言いかけて、止まった。


 帳面を閉じる。

 その指が、紙の角を強く押さえていた。


「同じ反応がある。結界に届いていた魔力と」


     *


 魔王の顔を、よく覚えていない。


 そう言ったら、誰も信じないだろう。

 僕を称えた人は、きっと、最後の戦いを何度でも語れると思っている。


 実際に覚えているのは、もっと小さなものだった。


 ガレスの盾の縁が裂けた音。

 口の中に溜まる血の味。

 崩れた天井から舞い落ちる白い粉。

 滑りそうになる剣の柄。


 ヴァルゼンは、玉座にはいなかった。

 床を走る溝の中心に立っていた。壁も柱も傷ついていたのに、その足元だけは何本もの光が残っていた。


 その光を、僕は攻撃のための魔法陣だと思った。


 魔王が腕を上げる。

 黒い槍のようなものが飛んできた。

 ガレスが盾で受け、膝をついた。


 今だと叫ばれた。

 僕は踏み込んだ。


 剣が届いた。


 その先の記憶は、ひどく静かだった。

 あれだけ響いていた音が遠ざかり、僕と魔王の息だけが聞こえた。


 魔王は、刃を掴んだ。


 僕は引き抜こうとした。

 動かなかった。

 細い亀裂が、刃の根元に走った。


 何かを言われた気がする。

 聞き取れなかった。


 それから、柄が焼けるほど熱くなった。


 僕は今でも、それを最後の攻撃だったと思っている。

 ただ、最後の攻撃だけで、すべてを説明できるのかは分からなかった。


「魔王の魔力を、封じ込めたのかもしれない」

 僕はリシェに言った。


 彼女は黙って聞いていた。

 僕が話し終えても、すぐには返事をしなかった。


「中を、少しだけ調べてもいい?」


「必要なら」


「抜いて。私に向けないで、そこの受け台へ」


 僕は言われたとおりにした。


 白い刃が灯りの下へ出る。

 根元の亀裂に、リシェの目が止まった。


 彼女は薄い金属の輪を刃の周囲に置いた。透明な欠片を輪の溝へ挟み、石盤から外した細い管をつなぐ。

 何度も位置を変えたあと、息を吐いた。


「流さないでね。今は見るだけ」

「分かった」


 欠片の光が強くなった。

 壁際の細い目盛りが、ほんの少し動いた。


 リシェはすぐに管を外した。


「通る」

 彼女が言った。

「少なくとも、ごく少量なら。この結界の入口を通せる」


 戸口で、老人が立ち上がった。


「魔王様が、そこにいるのか」


 リシェの手が止まった。

 僕も何も言えなかった。


 老人は近づいてきた。

 剣を見つめる目が、さっきまでと違っていた。


「声は。話せないのか」


「分からない」

 リシェは一度そう答え、それから首を横に振った。

「……今、分かったのは、魔力が似ているということだけ。あの人が生きてるとは言えない」


 老人の肩が下がった。


 僕は、刃に映る自分の顔を見た。

 魔王の声は、一度も聞こえたことがない。

 僕が剣に流すよう命じれば、力が動く。それだけだ。


 ここに命が残っていると言えたら、何かが救われる気がした。

 でも、言えなかった。


「そうか」


 老人は机から離れた。

 戸を開け、外へ出る。

 閉めるとき、ぶつけないように手を添えたのが見えた。


     *


 トーヴが、深い椀を二つ持ってきた。


「食え。考えるのは、そのあとだ」


 豆と根菜の煮込みだった。

 湯気を吸うと、まだ喉が痛んだ。


 リシェは椀を受け取ったが、机の端へ置いたまま帳面を開いた。

 トーヴが無言で帳面を閉じる。


「冷める」


 彼女は口を結び、ようやく匙を取った。


 僕は一口食べた。

 柔らかい豆が舌で潰れる。

 空腹だったことに、そこで気づいた。


「結界が戻れば、畑も守れる?」

 尋ねると、リシェは椀を見つめたまま答えた。

「外側の柱が無事なら。でも、先に家の範囲を戻す」


 僕は頷いた。

「剣の力を使ってほしい」


 匙の音が止まった。


「全部を、ここに入れていいと言ってるの?」


 僕は答えかけた。

 使えるなら、使えばいい。そのつもりだった。


 リシェは僕を見た。


「この村だけじゃない」


 小屋の奥へ視線を向ける。

 棚の上に、封の切られた書簡が重ねられていた。


「同じように補充を受けてた場所がある。少なくとも、私が連絡を取ってたところが四つ」


「そこも、六日前から?」


「確認できたのは一か所。昨日、使いの人が来た。うちより残ってるけど、減り続けてるって」


 僕は匙を置いた。


 目の前の村を救えば終わりではなかった。

 地図に載っていない場所が、ほかにもある。


「どれだけ使えば、この村は持つ?」

「まだ分からない。だから、全部なんて言わないで」


 声は厳しかった。

 でも、彼女は僕から剣を取り上げようとはしなかった。


「最初は、少しだけ入れる。目盛りの変化を見て、必要な分を計算する。それでも機械が壊れてたら、先に直す。魔力を入れるだけでは、直らないから」


 僕は頷いた。

 分からないことを、分かったふりで引き受けない。

 それが今の僕にできる、最初の仕事なのかもしれなかった。


 リシェは食事を終えると、柄の結晶の横へ細い紙を当てた。

 光っている範囲の端を、炭で印す。


「これを、使う前の記録にする」


 僕はその紙を見つめた。

 剣を手にしてから、残量を誰かと数えたことはなかった。戦いのあとには少しずつ補充できていたからだ。


 これからは違う。


 紙に引かれた一本の線が、妙に重かった。


     *


 夜半、風が弱まった。


 小屋の戸を開けると、集会所の窓に明かりが灯っていた。

 何人もの影が動いている。寝床を詰め、鍋を回し、子どもを抱いて歩いていた。


 リシェは僕の隣に立った。

 手には、修復に使う金属の輪がある。


「どうして、まだいるの」


 不意に尋ねられた。


「帰れって言ったでしょう」

「困ってるから」


 彼女の口元が歪んだ。

 僕は続けた。


「……それだけじゃない。僕が関係してるなら、知らないまま帰りたくない」


「知って、どうするの」


 すぐには答えられなかった。


 全部救う、と言うのは簡単だった。

 剣の力を全部使えと言うのと同じくらい、簡単だった。


「まず、この村を持たせたい」

 僕は言った。

「そのあとで、ほかの場所を確かめたい。今は、それしか言えない」


 リシェは金属の輪を両手で持った。

 巻き布の端が汚れている。


「私は、あなたが何を考えてここへ来たのか知らない」

「うん」

「あの人が、あなたに何をしたのかも知らない」

「……うん」


 彼女は一度、息を吸った。


「今、誰が正しかったかを話したら、たぶん、私は作業ができなくなる」


「分かった」


 戸口の向こうで、結界の石盤が低く鳴った。

 一定の間隔で鳴る、細い音だった。


「だから今夜は、手伝って」


 僕は頷いた。


 リシェは中へ戻り、机の脇に置いた聖剣を示した。

 僕はそれを持ち上げた。


 六日前、すべてを終わらせるために振るった剣だった。

 その刃を今度は、壊れかけた村の結界へ向けて、静かに差し出した。

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