救われた側の声
街区の集会所には、椅子が足りなかった。
後ろに立つ人もいた。
子どもを抱いた人、仕事着のまま来た人、杖をついた老人。
皆が僕たちを見る目は、同じではなかった。
入口で礼を言ってくれた女性がいた。
そのすぐ後ろの男性は、挨拶をせず、僕の剣を見た。
僕は剣帯を外し、ガレスへ預けた。
無防備だと示すためではない。
狭い通路で、人や椅子にぶつけないためだった。
それでも、何人かの視線が動いた。
リシェは図面の箱を持ち、僕と並んで前へ出た。
セヴリナは別の机に、試験の計画書を置いた。
集まりを取り仕切る女性が立ち上がる。
「今日、結界を変えると決める場ではありません」
最初にそう言った。
「何が起きているのかと、何を試そうとしているのかを聞きます」
僕は少しだけ息をつけた。
全員を今ここで納得させなければならないわけではない。
けれど、最初の質問はすぐに来た。
「魔王の機械を、ここへ入れるんですか」
*
質問したのは、入口で僕の剣を見た男性だった。
両手を膝に置き、背筋を伸ばしている。
怒りを抑えているようにも、ただ姿勢のよい人にも見えた。
「魔王が使っていた技術の記録も、参考にします」
セヴリナが答えた。
「そのまま都市へつなぐ計画ではありません」
「誰が確かめる」
「結界局の技術者と、外の設備を知る技術者です」
「外の、というのは魔族も?」
「必要なら、協力を求めます」
男性は唇を結んだ。
「弟は、魔王軍に殺された」
部屋が静かになった。
「やっと終わったと思ってた。なのに今度は、そいつらの技術を信じろと?」
リシェの手が、紙の端で止まった。
僕はマイクのない部屋で、声の大きさを探した。
「信じたことにしてほしい、とは言えません」
男性が僕を見る。
「ただ、魔王軍の命令と、今、町で人を守る設備を扱っている人が、全部同じとは限りません。僕も、現地で初めて知りました」
「お前は倒した側だから、そう言えるんじゃないのか」
僕は返事に詰まった。
後ろから別の声がした。
「勇者に、そんな言い方をしなくても」
何人かが頷いた。
僕は慌てて首を振った。
「僕への礼と、今の提案に賛成するかは、別にしてください」
声が、思ったより大きく出た。
「助かった人がいることは、嬉しいです。でも、そのことで、次の危険に黙って頷いてほしいとは思いません」
部屋が静かになる。
ガレスが壁際で、僕を見ていた。
何も言わなかった。
*
リシェが地図を広げた。
王都から、辺境へ伸びる線。
僕たちが確認した集落。
まだ現状を確かめられていない場所には、別の印がついている。
「私の村は、ここです」
彼女がエルナを指した。
最初から、魔王の話はしなかった。
村でどんな暮らしをしていたか。
結界が止まり、今は住民の移動が進んでいること。
そのあと、王都の運転記録と、外の観測値を示した。
セヴリナが説明を補った。
都市の結界が、処理しきれない負荷の一部を外へ流していること。
自然の噴出もあるが、都市の運転と無関係ではないこと。
前の席の女性が手を上げた。
「知らなかった」
彼女が言った。
「でも、それを知ったら、ここに住んでる私たちが悪いということになるの?」
リシェは首を振った。
「あなたの暮らしを壊したいわけではありません」
「でも、負担を戻すんでしょう」
「全部、こちらへ返すのではなく、各地で処理できる量を調べて分けたいんです。そのために、設備と使い方を変える必要があります」
女性は、抱いていた子どもの背を撫でた。
「この子は、怖い音がすると眠れない。前の町から逃げてきたから」
リシェは、言葉を止めた。
僕は女性の足元に、小さな荷袋が置かれているのを見た。
外へ出るときも、手放さないものなのかもしれない。
「ここなら眠れるの」
女性が言った。
「それを、なくさないでほしい」
リシェは頷いた。
「そのためにも、いきなり変えない方法を探しています」
安心してくれとは言わなかった。
僕は、その答えを聞きながら、自分の指を開いた。
人の怖さは、こちらが正しい事情を説明すれば消えるものではなかった。
*
次に出たのは、生活の質問だった。
井戸を動かす設備は止まるのか。
夜の街灯は、全部消えるのか。
避難所の暖房はどうなるのか。
セヴリナは一つずつ、今分かっていることを答えた。
分からないことには、その場で印をつけた。
僕は紙を配り、質問を書いてもらった。
書けない人には、口で言ってもらい、代わりに書いた。
ある老人は、結界の仕組みを聞かなかった。
「もし失敗したら、どこへ行けばいい」
僕はセヴリナを見た。
彼女は試験場の図を出した。
「今回の試験は、生活用の結界から切り離した場所で行います。失敗しても、街区の結界へ流れない形です」
老人は図を覗いた。
「本当に、つながってないのか」
「配管を外し、別の石で動かします。見て確認していただけるようにします」
「なら、見に行く」
セヴリナは名前を書き留めた。
僕は、そのやりとりが少し嬉しかった。
信じるか信じないかだけではなく、確かめに来るという方法があった。
もちろん、誰でも見に来られるわけではない。
仕事のある人も、子どもを預けられない人もいる。
取り仕切る女性が、街区から何人かを選んで記録を持ち帰ると提案した。
試験後は、結果を成功も失敗も含めて掲示することになった。
僕は、失敗の記録を先に箱へ入れたリシェの手を思い出した。
*
集まりが終わっても、全員が納得したわけではなかった。
弟を亡くした男性は、賛成しないと言った。
ただ、試験を止めろとまでは言わず、席を立った。
子どもを抱いた女性は、最後まで残った。
リシェへ、避難するときに何を持ったのか尋ねた。
リシェは、食料と薬と、着替えを先にしたと答えた。
自分の村ではなく、レムナの避難所へ運んだときの話だった。
女性は頷き、袋の紐を持ち直した。
別れ際、彼女が言った。
「村の人たちも、眠れる場所が見つかるといいね」
リシェが顔を上げた。
「ありがとうございます」
それ以上の言葉は続かなかった。
女性は子どもを抱き直し、帰っていった。
僕たちは椅子を片づけた。
立ったまま聞いていた人の分も、次は用意しようと、ガレスが言った。
僕はその数を数えた。
*
午後、旧補給倉庫の試験場を見た。
王都の東側にある、広い空き地だった。
使われなくなった小型の結界装置が二つ、離して置かれている。
生活用の配管は、確かに外されていた。
切れた端には封がされ、誰が確認したかの札がついている。
セヴリナが僕たちを案内した。
「まず、この二つを別々に動かす。そのあと、連絡管をつなぎます」
リシェが焼けた部品を出した。
「途中に、温度を見る場所を増やしたいです」
「できます」
「異常が出たら、両端だけじゃなくて、ここでも切れるように」
図へ印をつける。
セヴリナが別の色で、止める順番を書いた。
僕は荷車から箱を下ろした。
何かできることがないかと待つ前に、誰に聞けばいいかが分かるようになっていた。
「この部品は、どこへ」
尋ねると、担当の職人が場所を指した。
「そこの台。まだつながないでくれ」
僕は置き、札を添えた。
使えるものと、調べる前のものを混ぜない。
ガレスは、作業をする人と見学者の動線を確かめていた。
戦いのときに退路を作ってくれたのと、似た目をしていた。
*
夕方、使いの便から手紙を受け取った。
ミルカからだった。
バルクの字で、二番設備が安定したこと、温室の屋根を直したことが書かれている。
ネラの短い文も添えられていた。
王都へ行ったと聞いた。
食事を抜かないように。
ユノが、送るものがあると言っている。
包みの中には、小さな絵があった。
剣を持つ僕ではない。
工具箱を運ぶ僕だった。
隣にはリシェがいて、箱の反対側を持っている。
顔は、やっぱり少し困っていた。
リシェが絵を覗いた。
「似てる」
「そこまで、いつも困ってる?」
「考えてるとき、眉がそうなる」
僕は眉へ触れた。
彼女が、少し笑った。
ガレスへ見せると、同じことを言われた。
僕は反論するのを諦めた。
絵は、資料の箱の内側へ挟んだ。
作業を始めるたびに見える場所だった。
*
夜、試験の手順を読み合わせた。
誰が数字を読むか。
誰が合図を出すか。
誰が止めるか。
リシェが数字を読み、僕が復唱した。
セヴリナが、間違いがあればそこで止める。
大きな話をしていたはずなのに、必要なのは小さな確認ばかりだった。
それが嫌ではなかった。
図面の向こうに、今日会った人たちの顔がある。
眠れる場所を失いたくない母親。
自分の目で確かめると言った老人。
賛成できないと言って帰った男性。
辺境にも、同じように顔がある。
エルナの少年。
ミルカの食卓。
レムナの花。
どちらかをひとまとめにしてしまうと、考えるのは楽になる。
でも、楽な考えだけで進めたくはなかった。
読み合わせを終えると、リシェが帳面を閉じた。
「明日は、半日だけ休んで」
セヴリナが言った。
「二人とも。部品の加工が終わるまで、ここにいてもできることはない」
僕は反射的に、手伝えることがあると答えそうになった。
リシェも同じ顔をしていた。
ガレスが、二人を見て言った。
「休むところまで、手順だ」
僕たちは顔を見合わせた。
王都へ来てから初めて、仕事をしない半日ができた。
何をすればいいのか、すぐには思いつかなかった。




