勇者の証言
会議の前に、ガレスが僕の留め金を直した。
「曲がってる」
外套の胸元で、勇者の印が真っ直ぐになった。
僕はそこを見下ろした。
「外した方がいいかな」
「何のために?」
「これをつけて話すと、僕が正しいみたいに見える」
ガレスは手を離した。
「外せば、誰だか分からなくなるわけでもない」
僕は返事に詰まった。
「印があっても、分からないことは分からないと言え」
彼は言った。
「今日は、その練習だと思え」
「練習で済む?」
「俺も、ああいう場は得意じゃない」
少し安心した。
リシェは廊下の窓辺に立っていた。
図面の箱は足元に置き、何も持たずに外を見ている。
「行こう」
声をかけると、彼女は振り返った。
昨日まで隠そうとしていた金属環は、鞄の横に結ばれていた。
僕は留め金を、もう触らなかった。
*
集まったのは、結界局だけではなかった。
都市の管理官。
軍の連絡役。
救援物資を扱う役人。
街区の代表者が二人。
広い会議室ではあったが、王が座るような場所ではない。
長い机に、紙と水差しが並んでいた。
セヴリナが最初に説明した。
持ち込まれた記録を、どこまで確認したか。
まだ照合できていないものは何か。
僕は、そのあとに話した。
エルナで、子どもが結界の外へ取り残されたこと。
魔王の補充が途絶え、村が維持できなくなったこと。
聖剣の残る力を使って、時間を稼いだこと。
話しながら、何度も手元の紙を見た。
格好よく語る余裕はなかった。
「その村へ、現在の王国の結界が影響している証拠は」
管理官が尋ねた。
セヴリナが、昨日照合した記録を示した。
「王都からの放出と、周辺地域の負荷増加に対応があります。ただし、自然の噴出を含む全量の内訳は、まだ計測が足りません」
管理官は頷き、書き留めた。
即座に信じてもらえないことを、僕は拒絶だと感じかけた。
でも、セヴリナは同じ調子で答えていた。
決めるために、確かめているのだ。
僕は次の紙を出した。
レムナの記録だった。
*
「魔王が辺境を守っていたという話と、レムナを攻撃した話は、矛盾しないのですか」
街区代表の一人が尋ねた。
僕は首を振った。
「どちらも、記録があります」
「あなたは、魔王を倒したことを、誤りだと考えている?」
部屋の視線が集まった。
僕は一度、息を吐いた。
隣で、リシェが動かずに待っていた。
「魔王軍に襲われていた人を守るために、戦いました」
僕は答えた。
「実際に助かった人がいます。その人たちに、救わない方がよかったとは言えません」
机の向こうで、誰かが頷いた。
「でも、討伐によって別の場所で何が起きるか、僕は知りませんでした。今、困っている人を、勝ったから終わりだと言って置いていくこともできません」
最後の言葉は、少し震えた。
管理官が、リシェへ顔を向けた。
「あなたは、どうお考えですか」
彼女は立ち上がった。
「私は、魔王に救われました」
はっきり言った。
「その感謝は、なくなっていません」
軍の連絡役が、姿勢を変えた。
「同時に、あの人が攻撃を選んで奪った命があります。それを、私の村のことで償われたとは考えません」
僕は彼女を見た。
声は静かだったが、手元で指が強く結ばれていた。
「今日は、魔王の評価を変えてもらうために来たのではありません。動かなくなった結界を、これからどうするかを話しに来ました」
彼女は座った。
机の下で、ゆっくり指を開く。
僕も、同じように手を開いた。
*
分散した結界網の図を広げた。
ヘルゼたちが試した範囲。
レムナで一晩つながった記録。
ミルカの小さな温室の記録も添えた。
セヴリナが、王国側で使える設備を説明する。
大きな流れを調整する装置はある。
ただし、違う土地の結界を組み合わせて動かした経験は少ない。
想定していない向きから力が戻ることもある。
「すぐに全域へ広げられる、という提案ではありません」
彼女は言った。
管理官が地図を指した。
「実現したとして、王都の結界はどう変わる」
「外への一方的な放出を減らし、地域ごとに処理できる量を分け合います。そのためには、都市側も使い方を変える必要があります」
「守りが弱くなる?」
「同じ運転を続けたまま、外の負担だけなくすことはできません」
室内がざわめいた。
街区代表の男性が口を開いた。
「住民に、危険を受け入れろと言うんですか」
僕は答えかけ、止まった。
辺境では、ずっと受け入れさせられていた。
そう言いたかった。
リシェも、机の図へ視線を落とした。
男性は続けた。
「戦争の間、うちの街区には避難してきた家族がいる。今、やっと子どもを外へ出せるようになった。その人たちへ、また逃げろと?」
僕は口を閉じた。
王都にいるから、何も失っていないわけではない。
その人たちも、ここで守られていた。
「危険を小さくする方法を、先に確かめたいです」
僕は言った。
「安全だと、今ここで言い切ることはできません」
男性は僕を見た。
不満は残っていた。
でも、それ以上は言わず、椅子へ背を戻した。
*
話は、簡単には進まなかった。
誰が費用を出すのか。
辺境の設備を、誰が管理するのか。
魔族の技術者を入れるなら、身元をどう確かめるのか。
その一つひとつに、答えが要った。
僕は途中で、机の上の聖剣を見た。
会議のために、封をつけた鞘ごと置いていた。
この剣を掲げれば、一つくらい話が進むのではないか。
そんな考えが、頭をよぎった。
ガレスが隣で、紙をこちらへ寄せた。
彼が書いたのは、三つだけだった。
誰が。
いつまでに。
何を確かめる。
僕は剣から目を離した。
「まず、王都の住民を危険にさらさない、小さな試験はできますか」
セヴリナが顔を上げた。
「旧補給倉庫の試験場なら。生活用の結界と切り離された設備があります」
「そこで、違う型をつなぐ」
リシェが言った。
「わざと負荷を変えて、止められるかも確かめたいです」
セヴリナが頷いた。
「その条件なら、計画を作れます」
管理官は、しばらく考えた。
それから、試験計画を提出することと、資料の照合を続けることを認めた。
全域の改修が決まったわけではない。
王国が、すべてを引き受けたわけでもない。
まず、小さな場所で確かめる許可だった。
僕はその小ささを、以前ほど軽くは見なかった。
*
会議のあと、廊下でセヴリナが声をかけてきた。
「今日、すぐに止めろと言われるかと思っていました」
リシェは窓の外を見た。
「言いたかったです」
セヴリナは頷いた。
「そうでしょうね」
「でも、止めたら危ない人がいるのは、見ました」
少し間があった。
「だから、今のままでいいとは言えません」
「私もです」
二人は顔を見合わせた。
簡単に仲間になったわけではない。
それでも、次に同じ机へ座る理由ができた。
僕は試験場の場所を聞いた。
明日から、設備を確認できるという。
ガレスが、必要な人員を書き出し始めた。
見張りではなく、荷を運ぶ人、部品を数える人、合図を伝える人。
僕にもできることが、いくつもあった。
*
宿舎へ戻る道で、子どもに手を振られた。
僕は手を上げた。
その隣で、リシェも小さく会釈した。
夕方の王都は、穏やかだった。
店を閉める音がして、通りに夕食の匂いが漂っている。
「今日、言えたね」
僕が言うと、リシェがこちらを見た。
「何を?」
「魔王に助けられたことと、レムナのこと。両方」
彼女は少し考えた。
「ダインさんには、最初からそう言いたかった」
「伝える機会は、まだあると思う」
リシェは頷いた。
許してもらう機会とは、僕も言わなかった。
宿舎の前で、軍の連絡役が待っていた。
「明日、街区の集まりに出てほしいそうです」
彼が言った。
「勇者が、魔王の設備を王都へつなごうとしている、と話が広まっています」
僕は立ち止まった。
会議室の外では、違う話になっていた。
リシェが鞄の紐を握る。
ガレスは僕たちを見て、静かに言った。
「図面を持っていこう。剣だけじゃ、伝わらん」
僕は頷いた。
明日も、分かっていることから話すしかなかった。




