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君と勇者のいらない世界へ  作者: きびだんご


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18/22

城壁の内側の晴天

 王都の門をくぐったとき、空は晴れていた。


 外では、朝から薄い雨が降っていた。

 門の手前で外套を絞った人が、内側では布を外して歩いている。


 石畳は乾いていた。

 店先には果物が並び、洗濯物が高い場所まで干されている。

 僕が知っている王都だった。


 リシェは、門を振り返った。


 雨の境目が、遠くの空に見える。

 普通の雨まで結界が全部遮るわけではない。それでも、この日の王都は穏やかだった。


「いつも、こう?」

 彼女が尋ねた。


「いつもじゃない。雨も降る」

 僕は答えてから、言葉を足した。

「でも、ひどい嵐で外へ出られなくなったことは、僕がいた間にはない」


 リシェは頷いた。

 何も責めなかった。


 そのことが、かえって重かった。


     *


 ガレスは、宿舎の前で待っていた。


 左腕の包帯は薄くなっていた。

 僕を見ると、右手を上げる。


「遅い」


 最初の言葉は、それだった。


「ごめん」

「道が崩れてるか見るだけのはずだっただろう」


 返す言葉がなかった。

 彼は僕の肩へ手を置き、途中で止めた。


「そっちも傷めたのか」

「少し」

「少し、を数えてみろ」


 僕が黙ると、ガレスは深く息を吐いた。

 そのあとで、リシェへ向き直る。


「手紙で聞いている。ガレスだ」


 リシェは名乗り、頭を下げた。

 ガレスは彼女の鞄と、荷車の箱を見た。


「結界の記録か」

「はい」


「先に、濡れない場所へ入れよう。話は、それからだ」


 彼は僕の荷をひとつ持った。

 負傷した側ではない手で、軽い箱を選んだ。


 僕はそれを取り返さなかった。


     *


 ガレスは、僕たちの話を長く聞いた。


 途中で遮ったのは、日付を確かめるときだけだった。

 どこへ何日かかり、誰から何を受け取ったのか。


 リシェが記録を見せ、僕が出来事を説明する。

 聖剣の残量も、測定の紙を渡した。


 三分の二ほど。

 それを見たときだけ、彼は眉を寄せた。


「残りが分からないまま使ったのか」

「最初は」

「今は?」

「使う前とあとで、測ってる」


 ガレスが頷いた。

「なら、続けろ」


 責められると思っていた。

 彼は、過ぎたことを何度も言い直さなかった。


 レムナの命令書を見せると、部屋の空気が変わった。

 彼は最後まで読み、机へ置いた。


「王都へ送った写しは、結界局に回った。だが、全部はまだ読まれてない」


「会える?」

「明日。セヴリナという人から、先に現物を見たいと返事があった」


 リシェの肩が、少し緩んだ。


 ガレスは彼女へ目を向けた。

「君の村を、俺は知らなかった」


 リシェは、すぐには答えなかった。


「俺たちは、攻めてくる軍を止めようとしていた」

 ガレスは続けた。

「それで守れた人もいた。だが、その向こうで何が動いていたかは、知らない」


 彼女は小さく頷いた。

「私も、レムナを知りませんでした」


 そこで会話が止まった。


 どちらも、相手へすぐに理解を求めなかった。

 僕はその間を、ありがたいと思った。


     *


 セヴリナは、結界局の奥の部屋にいた。


 灰色の上着の袖を捲り、机に図面を広げている。

 髪は短くまとめ、耳には飾りもなかった。


「アルドさん。リシェさん」

 顔を上げて言う。

「最初に、私が何を見ればよいか教えてください」


 挨拶のあと、すぐにそう尋ねられた。


 リシェは、レムナの接続記録を置いた。

 次に、ヘルゼから預かった図面を広げた。


 セヴリナの指が止まる。


「彼女は、生きているんですね」

「施設に残って、記録を整理しています」


 セヴリナは目を伏せ、また図へ戻った。

「会ったのは、ずいぶん前です」


 懐かしむ時間は短かった。

 彼女は焼けた部品を手に取り、断面を窓へ向ける。


「この接続で、一晩?」

「途中で一度止めています」

 リシェが答えた。


「その記録は」

「ここです」


 セヴリナは頁を辿った。

 声に出さず、何かを計算している。


 僕は椅子に座り、二人の手が同じ紙の上を動くのを見た。

 ようやく、話が通じる人へ届いた気がした。


 けれど、安心はまだ早かった。


「このまま町同士へ広げるのは、無理です」

 セヴリナが言った。


 リシェが顔を上げる。

「どこが、足りませんか」


 彼女は図へ、いくつもの印をつけ始めた。


     *


 不足は、一つではなかった。


 大きな量が流れるときの調整。

 離れた場所から、遅れて返ってくる変化。

 一つを止めたとき、隣へ寄る負担。


 リシェは、答えられることと、答えられないことを分けて話した。

 セヴリナも、分からない箇所には線を引いた。


 その途中で、僕は持ってきた地図を出した。


「この場所を、調べてもらいたいんです」


 エルナ。

 ミルカ。

 砦から写した集落の印。


 セヴリナは、局の地図を棚から取り出した。

 僕のものより新しい。

 それでも、載っていない集落があった。


「ここには、人が?」

「います。少なくとも、僕たちが行った日に」


 日付を指す。

 彼女はそれを書き留めた。


 リシェが、各地の嵐の記録を置いた。


「王都の外側へ流れている魔力について、知りたいです」


 部屋が静かになった。


 セヴリナは、しばらく紙を見ていた。

 それから立ち上がり、戸口の職員へ何かを頼んだ。


「説明だけでは足りませんね」

 彼女が言った。

「記録と設備を、両方見ましょう」


     *


 結界局の地下には、大きな調整室があった。


 壁一面に、光る線が走っている。

 人々が目盛りを読み、紙へ書き、交代の者へ伝えていた。


 僕はその場所を、初めて見た。


 王都の空が穏やかな理由を、考えたことはあった。

 でも、それを保つ人たちを、見たことはなかった。


 セヴリナは壁の線を示した。


「戻せる量を越えた魔力を、外へ流しています」


 リシェが、地図の方を見る。

「どこへ」


「東と北東の、人口の少ない地域へ分散する設計です」


 僕は、線の先を辿った。


 僕たちが歩いてきた場所へ、向かっていた。


 セヴリナは逃げずに続けた。

「元の設計では、人の住む場所を避けるとされています。ただ、当時から無人ではありませんでした」


「被害は」

 僕が尋ねる。


「報告があります」


 短い答えだった。

 その方が、はっきりしていた。


 職員が運んできた束に、古い報告書があった。

 避難を勧めた記録。

 補修材を出した記録。

 返答を待ったままになっているものもあった。


 リシェはその中の一枚を見つめた。


 エルナの谷に近い地名だった。


「住んでいないと思ってた、では済まないですね」

 彼女が言った。


 セヴリナは頷いた。

「済みません」


 誰が何を知り、どこで止まったのか。

 調べなければならないと、彼女は言った。


 今すぐ全員の責任を決めることはできない。

 でも、なかったことにはできない。


     *


 僕たちは王都の運転記録と、辺境の観測値を並べた。


 同じ日の、同じ時間帯。

 都市側で大きく外へ流したあと、辺境側の負荷が増えている。


 すべての嵐が、それだけで起きているわけではなかった。

 大地そのものから噴き出す量も変わる。

 風向きも、土地の状態も影響する。


 それでも、無関係ではないと分かった。


「こちらが守られる分、向こうで増える」

 僕が言うと、セヴリナは答えた。

「今の仕組みでは、そうなる場面があります」


 リシェは、長く黙っていた。


 僕は王都の通りを思い出した。

 干された洗濯物。

 笑っていた子ども。

 静かな夜。


 あれが偽物だったわけではない。

 守られていた命は、本当にあった。


 その外で、守られにくくなった暮らしもあった。


 僕は両手を膝の上で握った。

 どちらかの命を、説明の都合で小さくすることはできなかった。


     *


 調整室を出ると、午後の光が眩しかった。


 リシェは階段の途中で立ち止まった。

 壁に手をつき、少しだけ目を閉じる。


「大丈夫?」

 僕が尋ねると、彼女は首を振った。


「今は、大丈夫じゃない」


 僕は隣で待った。


 彼女は深く息を吐き、顔を上げた。

「でも、見せてもらえてよかった」


 セヴリナは少し離れたところに立っていた。

 急かさずに待っている。


 僕は彼女へ向き直った。


「変えられますか」


 問いは短くなった。


 セヴリナは、僕とリシェを順に見た。

「変える方法を調べる必要があります」


「今、外へ流すのを止めたら」


「この都市の中で溢れます」


 空を見上げた。

 雲がゆっくり動いていた。


 守りたい人々が、その下にいる。

 同じように、外にもいる。


 僕は、持ってきた図面の箱を持ち直した。


「両方を守る方法を、ここで話したいです」


 セヴリナは頷いた。

「そのための場を、用意します」


 晴れた空は、答えではなかった。

 これから変えなければならない仕組みが、そこにあった。

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