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君と勇者のいらない世界へ  作者: きびだんご


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17/22

最後に剣へ託したもの

 ヘルゼが見せてくれたのは、遺言ではなかった。


 表紙の端が破れた、薄い点検帳だった。

 城の設備から戻ってきた記録だという。


「戦いの前に、外へ運んでいた分」

 彼女は言った。

「城に残っていたものは、今どうなっているか分からない」


 僕は椅子へ座った。

 リシェが隣で、昨日の図面を広げた。


 頁には、城の地下設備の状態が書かれていた。

 補充先の数。

 取り込んだ量。

 身体へ戻ってしまう負荷。


 最後のいくつかの欄では、数字の横に、同じ注意書きがあった。


 停止時の退避先がない。


 僕は、その言葉を指した。


「退避先って?」


「取り込んでいる魔力を、別の容器へ逃がす場所」

 ヘルゼが答えた。

「身体が動かなくなれば、整えていた力は散る。暴れて設備を傷める分もある。だから、残せるなら残したかった」


「何に?」


 彼女は点検帳をめくった。

 試した容器の一覧があった。


 いずれも容量が足りないか、移す途中で壊れていた。


「城に、間に合うものはなかった」

 ヘルゼが言った。

「ただ、魔力を吸い、封じられる武器があることは、彼も知っていた」


 僕は、横へ置いた聖剣を見た。


 ヘルゼが外側に添えた薄い補強材が、刃の根元を支えている。

 力は戻っていない。

 柄の光は、昨日と同じだった。


     *


「最後のとき、何を見たか、もう一度教えて」


 ヘルゼに言われ、僕は目を閉じた。


 魔王は、僕と戦っていた。

 黒い槍が飛び、ガレスの盾へ当たった。

 その威力は、僕たちを殺せるものだった。


 それは、変わらない。


 僕は踏み込み、剣を届かせた。

 魔王の身体が、少し沈んだ。


 それから、刃を掴んだ。


「刃を抜かせないためだと思った」

 僕は言った。

「最後に、僕も巻き込むつもりだと」


 ヘルゼは、黙って聞いた。


「手を離さなかった。剣に亀裂が入って、それでも。柄が熱くなった」


「力は、どちらへ流れたか分かる?」


 僕は記憶を辿った。

 戦いの最中、剣は何度も魔力を吸っていた。

 いつもの吸収は、僕が引き込む感覚がある。


 最後は、違った。


「押し込まれた」

 言ってから、自分でも確かめ直した。

「引いたというより、向こうから、来た」


 リシェが僕を見る。


 ヘルゼは、刃の亀裂へ目を向けた。

「その傷み方とも、合う」


「魔王が、残そうとしたんですか」


 彼女は、すぐに頷かなかった。


「その可能性が高いと思う。あなたの記憶と、この準備を合わせればね」


「でも、確かではない」


「本人には聞けない」


 静かな答えだった。


 僕は、聞こえなかった言葉を思い出そうとした。

 何かを言われた気がする。

 口が動いた。息が漏れた。


 そこへ、都合のいい言葉を当てはめることはできなかった。


 僕は目を開けた。


「僕を選んだわけじゃ、ないんですね」


 ヘルゼは聖剣を見た。

「その場で、使える容器だったのでしょう。あなたを信じていたかは、私には分からない」


 肩から何かが落ちるような気がした。


 新しい使命を、死んだ相手から与えられたのではない。

 少なくとも、そう決めつけずに済んだ。


     *


 リシェは、点検帳の最後の頁を見ていた。


「これが、あの人の全部の力なんですか」

 聖剣を指さす。


 ヘルゼは首を振った。

「一部です。封じ込められた分だけ」


「生きていたときは、もっと」

「大地から取り込み、整え、配っていた。剣には、その働きはない。入れ物に残った力を使っているだけ」


 僕はエルナで使った量を思い出した。

 ミルカで失った分も。


 補充する本人がいない。

 無限に湧いてくる力ではない。


「使い切ったら、本当に終わりなんだね」

 僕が言うと、リシェは頷いた。


 その顔に、前ほど怯えは見えなかった。

 悲しみはある。

 でも、何かが戻ってくるのを待つ表情ではなかった。


「だから、別の動かし方が要る」


 彼女は昨日の設計図を引き寄せた。


 魔王の名を書いた大きな丸。

 そこへ集まる、いくつもの線。


 その隣には、まだ完成していない分散した図がある。


「これを、あの人の代わりに誰か一人へ集めたら、同じになる」

 彼女が言った。


 ヘルゼは何も言わず、頷いた。


 僕は自分の剣を見た。

 これを持って全部の村を回ればいいと、どこかで考えていた。

 減る速さより先に回れば、間に合うのではないか、と。


 その考え方も、同じ形をしていた。


     *


 昼、施設の外で食事をした。


 若い職員が鍋を運び、僕が椀を並べた。

 リシェはヘルゼの椅子を、風の当たらない場所へ移した。


 研究施設の畑には、ほとんど何も残っていなかった。

 それでも、端に小さな葉が生えている。

 職員は、去年落ちた種から出たのだと言った。


 僕は、エルナで踏んでしまった芽を思い出した。


「戻ったら、見てみたい」

 そう言うと、リシェが顔を上げた。

「何を?」


「最初に踏んだ花。まだ、生きてるかな」


 彼女は少し考えた。

「イネスが、たぶん水をやってる。移動するとき、鉢に移したかもしれない」


「そんなことまで頼んだの?」

「頼んではないけど。あの人、見つけたらやるから」


 言い終えて、彼女が少し笑った。


 離れていても、任せられる人がいる。

 そのことを思い出した笑いだった。


 ヘルゼが、空の椀を置いた。

「王都へ行くなら、私の名を書いてもいい」


 僕たちは顔を上げた。


「以前、交渉の席にいた者なら、覚えているでしょう。好かれてはいないかもしれないが」


 彼女は、僕に宛名を書いた紙を渡した。

 王国の結界局。

 その下に、部署と、技術者の名があった。


 セヴリナ。


「当時は補佐だった。今もいるなら、数字を読める人です」


 僕は紙を丁寧に折った。


     *


 午後、持ち出す資料を選んだ。


 設計図だけでは足りなかった。

 どの材料を使ったか。

 どこで止まり、どれくらい熱くなったか。

 何を試して、失敗したか。


 リシェは、成功した試験の束より、失敗の記録を先に箱へ入れた。


 ヘルゼがそれを見ていた。

「重くなるよ」


「同じところで、もう一度焼きたくないので」


 彼女は箱を持ち上げてみた。

 すぐに僕へ半分を渡す。


 僕は受け取った。


 持てる量を分ける。

 そんな小さなことが、少しずつ自然になっていた。


 聖剣の点検帳も写した。

 ただし、最後の行に、僕の言葉で書き添えた。


 残そうとした可能性がある。意図は断定できない。


 ヘルゼに見せると、彼女は頷いた。

「それでいい」


 リシェも読んだ。

 しばらくして、自分の名前を隣へ書いた。


「私も、それを持っていく」


 僕は紙を箱へ収めた。


     *


 出発前、ヘルゼが僕を呼び止めた。


「剣に残った力を、どう使うかは、あなたたちが決めることです」


 僕は柄を押さえた。


「ヴァルゼンが望んだかもしれないことに、全部従う必要はない」


 リシェが、隣で顔を上げる。


「私たちが失敗した図面にも、そのまま従わなくていい。変えるために、持っていってほしい」


 僕は頷いた。


 誰かの願いを引き継ぐ。

 その言葉を、簡単なことだと思っていた。


 守りたいものを受け取り、したことをすべて正しいとは言わず、間違ったところは変える。

 たぶん、その方が難しい。


 リシェが金属環を、鞄の外へ結び直した。

 隠していた印だった。


「これをつけたまま、レムナの記録も持っていく」

 彼女が小さく言った。


 僕は剣帯を締め直した。


 勇者の印も、魔王の印も、そこにあった。

 どちらかを消してからでなければ歩けない、ということではない。


     *


 王都へ向かう道は、途中から広くなった。


 石が敷かれ、道標が立っている。

 荷車の轍も深く、行き交う人が多かった。


 僕たちは途中の宿場から、ガレスへ知らせを送った。

 王都へ向かうこと。

 結界局のセヴリナという人に会いたいこと。

 証言と記録を持っていること。


 使いに渡すとき、僕は一文を付け足した。


 まだ、分からないことが多い。


 書き終えて、少し笑った。

 以前なら、頼りなく見える気がして消していただろう。


 宿場の先で、雨が降り始めた。


 辺境の嵐とは違う、普通の雨だった。

 人々は慣れた様子で布をかぶり、店の軒先へ入る。


 リシェは道端で、雨を掌へ受けた。


「何してるの」

 僕が尋ねると、彼女は答えた。

「冷たいだけだと思って」


 その手を見て、僕は何も言えなくなった。


 王都は、もう遠くなかった。

 彼女が知っている空と、僕が知っている空が、同じものではなかった理由を、これから確かめに行く。

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