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君と勇者のいらない世界へ  作者: きびだんご


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16/22

魔王が諦めた設計図

 レムナを出る前、ダインは荷車を貸してくれた。


 人を乗せるには小さすぎる、二輪の手押し車だった。

 部品と食料を積むには、十分だった。


「研究所までなら、途中に道がある。帰りに使う者がいりゃ、そいつへ渡せ」


「返しに来ます」

 僕が言うと、彼は首を振った。


「それを理由に、道を選ぶな」


 リシェが工具箱を積んだ。

 焼けた接続部も、荷の中へ入れた。


 ダインは彼女を見た。

「次に試すときは、昨日の上限を忘れるな」


「はい」


「もっと細いところが、途中にあるかもしれん」


「先に、確かめます」


 二人はそこで言葉を切った。


 謝罪の返事も、和解の握手もなかった。

 ダインは町へ戻り、僕たちは北東へ向かった。


 それでも、荷車の持ち手には新しい布が巻かれていた。

 掌が擦れないように、柔らかく重ねてあった。


     *


 研究施設は、三日目の午後に見つかった。


 低い丘に、石造りの棟が三つ並んでいた。

 ひとつは屋根が落ち、ひとつは窓が板で塞がれている。

 残るひとつから、煙が上がっていた。


 入口へ近づくと、足元で細い音がした。


「そこから動かないで」


 窓の内側に、人影があった。

 僕は荷車を止めた。


 リシェが名乗り、目的を伝える。

 しばらくして、戸が開いた。


 年配の女性が立っていた。

 細い角が髪の間から二本、後ろへ伸びている。

 片方の手には杖を、もう片方には分厚い手袋をしていた。


「何を持ってきたの」


 リシェが包みを開く。

 古い調整器と、焼けた接続部。


 女性は後者を見て、眉を上げた。


「ずいぶん、無理をしたね」


 リシェが息を吸う。

「はい。何が足りなかったか、知りたくて」


 女性は焼けた断面を確かめた。

 それから、僕の腰へ目を向ける。


「聖剣まであるのか」


 逃げるように手を離すことはしなかった。

 僕は柄に触れず、名を告げた。


 彼女はしばらく僕を見た。

「入って。話は、物を置いてから」


     *


 女性はヘルゼと名乗った。


 ここで、結界の設計と試験を担当していたという。

 研究員は散り散りになり、今は彼女と、世話をする若い職員が残っている。


「記録を運び出したら、私たちも出る」

 彼女は言った。

「全部は持てない。どれを残すか、それを決める方が時間がかかる」


 机の上には、紙の束が積んであった。

 部品を包む箱より、書類の箱の方が多かった。


 リシェがレムナのことを説明した。

 使用した時間。

 目盛りの動き。

 町側の負荷が変わったときに、一度止めたこと。


 ヘルゼは途中で何度も質問した。


「熱くなったのは、ここだけ?」

「こちらの接続部では。向こう側は、記録を頼みました」

「数字の間隔は」

「最初は短く。そのあと、同じ幅で」

「途中で、紙を見なかった時間は?」

「ありました。橋が落ちたときです」


 僕はリシェを見た。

 彼女は失敗を隠さなかった。


 ヘルゼは頷き、焼けた部品を机へ置いた。


「つなぐだけなら、できる。問題は、相手が変わったときに、こちらをどう変えるかだ」


 彼女が立ち上がり、棚から大きな図面を引き出した。


 紙を広げる。

 いくつもの丸が、線でつながっていた。


 町の名前。

 村の名前。

 中継所の印。


 僕たちが歩いてきた場所が、いくつもあった。


     *


「これを、造ろうとしてたんですか」

 リシェの声が、少し上ずった。


 ヘルゼは図の端を押さえた。

「途中までは、造った」


 指を動かす。

「ここから、ここ。小さい範囲で、実際につないだ。違う型の蓄魔石を使う設備も、間に調整器を置けば動かせた」


 僕は、ミルカの温室を思い出した。

「町全体でも?」


「同じようにはいかない。通る量が増えれば、熱も増える。土地ごとに、余った魔力を戻せる量も違う」


 ヘルゼが別の図を重ねた。

 線の太さが、場所によって違っている。


「結界は、外へ壁を立てるだけじゃない。大地から出て、偏って溜まった魔力を、少しずつ戻している。その仕事にも、動力が要る」


「なら、全部に同じ量を送れば」

 僕が言いかけると、彼女は首を振った。


「同じ桶でも、底の穴の大きさが違う。速く戻せる土地と、戻せない土地がある」


 彼女は図の一点を示した。

「戻せないところへ押しつければ、溢れる」


 リシェの顔が変わった。


「レムナで、町側の負荷が増えたとき」

「そう。向こうにも余裕がなくなった。あなたたちが切らなければ、両方とも傷んだかもしれない」


 僕は、灯りを見失いかけた瞬間を思い出した。

 橋が落ちる音に、気を取られた。


 図面の上では、一本の線だった。

 その線のこちら側で、子どもが毛布にくるまっていた。


     *


「どうして、完成しなかったんですか」


 リシェが尋ねた。


 ヘルゼは、図を畳まなかった。

 長い間、指を紙に置いていた。


「王国の設備が必要だった」

 やがて答えた。

「大きな流れを調整する仕組みは、向こうの方が進んでいた。こちらには、広い辺境で使う小さい設備の記録があった」


「合わせれば」

「そう考えて、交渉した」


 彼女は棚から薄い冊子を取った。

 会合の日付と、要求した資料の一覧がある。


 王国側は、都市の結界を止めずに改修できる証明を求めた。

 魔王側は、辺境の設備を調べる人員に制限をつけた。


 共有する情報が足りず、試験の条件が揃わない。

 その間にも、辺境から被害の報告が届く。


「向こうは、都市へ危険が戻るのを恐れた。こちらは、設備の場所を渡せば攻撃されると恐れた」


 ヘルゼは、冊子を置いた。

「私も、全部見せることに反対した」


 僕は彼女を見た。


「戦う前から、敵に弱いところを教えるのか、とね」


 声は平らだった。

 懺悔のために話しているようには見えなかった。


「正しい用心だと思った。でも、それで作れなかった」


 リシェが図面へ目を戻す。

「ヴァルゼンは、どうしたんですか」


「自分で支えると言った」


 ヘルゼは別の頁を開いた。

 そこでは、線がすべて一つの大きな丸へ集まっていた。


 僕はその形を見て、息を止めた。


 魔王の足元。

 決戦のとき、床を走っていた光の溝。


 似ていた。


「彼には、大きな量を取り込み、整える力があった」

 ヘルゼが言った。

「でも、身体が持つからといって、何年も続けてよい仕組みではなかった」


「止めなかったんですか」

 リシェが尋ねた。


「別の方法を完成させられなかった」


 それが答えだった。


     *


 図面の後ろに、戦争が始まってからの記録があった。


 都市の設備を制圧すれば、交渉の条件を変えられる。

 辺境への流れを、強制的に抑えられる。


 会議の記録には、そういう言葉が並んでいた。


 リシェは、レムナの命令書の写しを出した。

 ヘルゼが読む。


 読み終えると、椅子の背へ身体を預けた。


「この報告を見たとき、私は研究へ戻った」

 彼女が言った。

「せめて設備を完成させれば、次の攻撃を止められると思った」


「止まらなかった」

 僕が言うと、彼女は頷いた。


「止まらなかった」


 リシェが紙を握った。

 ヘルゼは、その手を見た。


「彼が守った人がいる。それは、本当だ」

 言葉を切る。

「だからといって、彼の選んだ攻撃を、別の誰かのせいにはできない」


 僕は何も言わなかった。

 その言葉は、僕自身にも向いている気がした。


 僕が救った人がいる。

 僕が知らずに変えてしまった暮らしもある。


 どちらかを言えば、もう片方を見なくてよくなるわけではない。


     *


 午後、ヘルゼに聖剣を見てもらった。


 彼女は刃の亀裂を調べ、柄の結晶へ測定棒を近づけた。

 リシェが今までの記録を並べる。


「吸収側が壊れてるね」

「直せますか」

 僕が尋ねた。


「直すなら、いったん中を空にして、封印の枠を開ける必要がある」


 彼女は刃の根元を示した。

「力を残したまま触れば、ここから漏れる。別の容器へ全部移すのも、今ある設備では無理だ」


 僕は柄の光を見た。

 まだ、三分の二ほどある。


「空にしたら、今の魔力は」

「戻らない」


 リシェが、静かに僕を見る。


 修理できるかもしれない。

 そのために、今救えるかもしれない人の分を捨てる。


 すぐに決められることではなかった。

 でも、ここで全部放出する理由は見つからなかった。


「今は、このままで持ちます」

 僕は答えた。


 ヘルゼが頷く。

「刃の外側を支えることはできる。力を増やす修理ではないが、傷が広がるのを遅らせる補強なら」


「お願いします」


 剣を預けると、腰が軽くなった。

 僕はその軽さを、しばらく確かめていた。


     *


 夕方、リシェは図面を写していた。


 ヘルゼが横で、実際に動いた部分と、紙の上だけの部分を分けている。

 未確認の箇所には、大きく印をつけた。


「全部、できたことにはしないで」

 彼女が言う。

「私たちが、そう見せかけそうになったところだから」


 リシェは頷いた。


 僕は外へ出て、王都へ送る報告を書いた。

 必要なのは、魔王が善人だったという証明ではない。


 つなげる技術があったこと。

 失敗した理由があること。

 王国の設備と記録がなければ、先へ進めないこと。


 書き終えるころ、ヘルゼが戸口へ来た。


「明日、城から戻された記録も見せよう」

 彼女が言った。

「あなたの剣に残っている力について、確かめたいことがある」


 僕は顔を上げた。


 魔王が刃を掴んだ手。

 聞き取れなかった声。


 忘れたつもりのない記憶が、まだ何かを残していた。

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