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君と勇者のいらない世界へ  作者: きびだんご


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14/22

正しかったと言ってほしい

 翌朝、リシェはいつもどおりに起きた。


 顔を洗い、道具を揃え、昨日の測定結果を見直した。

 朝食の席でも、残さず食べた。


 だから、平気なのかもしれないと思いかけた。

 ただ、鞄の留め金を閉めるのに、三度失敗していた。


「少し歩こう」

 僕は言った。


「点検が」

「始まるまで、まだ時間がある」


 彼女は時計の代わりに、窓の外の影を見た。

 それから、鞄を置いた。


 町の南へ歩いた。

 ここは建物の傷が少なく、通りには朝の荷車が並んでいた。

 洗った布を干す人が、僕たちに挨拶してくれた。


 川沿いの空き地まで来ると、リシェが立ち止まった。


「昨日のこと、話したいんでしょう」


「話せるなら」


 彼女は足元の小石を見た。

 靴で動かしかけ、やめる。


「私、謝ったから、少し楽になりたかったんだと思う」


 僕は隣へ座った。

 石垣は、まだ冷たかった。


「紙を置いて、返事は要らないって書いて。それでも、何か返ってきたらいいと思ってた」


 彼女は自分の手を見た。


「分かったって。そんなつもりじゃなかったのは分かるって、言ってほしかった」


 川の音がした。

 僕は、少し前の自分を思い出していた。


 エルナで、水を汲んでよいかさえ迷っていた。

 子どもを助けたあと、誰かの目が変わるのを期待しなかったとは言えない。


「僕も、思ってた」

 そう言うと、彼女が顔を上げた。


     *


 僕は魔王を倒した。


 その言葉のあとには、続きがあるはずだった。

 だから人が救われた。

 だから、戦ってよかった。


 エルナで花を見たとき、その続きが分からなくなった。


「村の結界を直せたら、僕は間違ってなかったって思えるかもしれない。どこかで、そう考えてた」


 言葉にすると、ひどく小さかった。

 村の人の命を、自分の安心のために使おうとしていたように聞こえる。


 でも、それだけだったと言うのも違った。


「少年を見たとき、助けたいと思ったのは本当だよ」

 僕は続けた。

「ただ、助けたあとで、分かってほしくなった。僕は何もかも壊したいわけじゃないって」


 リシェは黙っていた。


「レムナへ来て、礼を言われて、ほっとした」

 喉が詰まった。

「ここでは、僕がしたことが正しかったと思えた。それで、君がつらそうなのを見ながら、少し楽になってた」


 彼女が膝の上で指を動かした。


「言わなければ、分からなかったのに」

「うん」


「どうして言うの」

「このままだと、君の前でだけ、分かってるふりをしそうだったから」


 川の向こうで、人が荷を下ろしている。

 僕たちが黙っていても、朝の仕事は進んでいた。


 リシェは長く息を吐いた。


「私も、配給の命令を見たとき、嬉しかった」

 彼女が言った。

「ほら、やっぱりって思った。あの人は人間を助けてた。あなたも、それを読んだら分かってくれるって」


 僕は頷いた。

 砦で、彼女が顔を上げた瞬間を覚えていた。


「そのあとで、レムナの命令があった」


 リシェの声が小さくなる。


「なければよかったって、思ったの」


 僕は彼女を見た。


「起きなければよかった、じゃなくて」

 彼女は言い直した。

「見つからなければよかった、と思った」


 言い終えると、目を閉じた。


 僕は何も言わなかった。

 慰めれば、その言葉を急いで片づけてしまう気がした。


 しばらくして、彼女が目を開けた。


「でも、持ってきた」

「うん」

「これからも、捨てない」


 僕は、それに頷いた。


     *


 リシェが初めてヴァルゼンを見たのは、九歳のときだったという。


 エルナの広場で、結界の工事が始まったころ。

 子どもたちは離れているように言われていたのに、彼女は部品を運ぶ荷車についていった。


「怖くなかったの?」

 僕が尋ねると、彼女は少し考えた。


「最初は怖かった。大きかったし、声も低かった。でも、荷車から箱を下ろすのに、手を貸してた」


「魔王が?」


「重い箱だったから」


 彼女の言い方があまりに普通で、僕は一瞬、どう受け取ればいいか迷った。


「私、何が入ってるのって聞いた。触るなと言われた」

「それは、そうだろうね」


「でも、離れたところから見てたら、一つだけ、外した部品を見せてくれた。壊れてるから使えないって」


 リシェは掌を開いた。

 何年も前の、小さな部品の重さを確かめるように。


「捨てるのなら欲しいと言ったら、持っていけって。あれを何度も分解して、元に戻せなくなって、トーヴに怒られた」


 少しだけ、笑った。


 その笑いはすぐに消えた。

「そういうことを、覚えてるの」


 僕は頷いた。


「怖い人だったって話を聞いても、私が見たあの手まで、嘘にはできない」


「嘘にしなくていいと思う」


 彼女が僕を見る。


「僕が助けた人がいたことも、エルナの花があったことも、どっちも残るんだと思う」

 僕は言った。

「都合よく、一つにまとめなくても」


 リシェは川を見た。

「難しいね」


「うん」


「それで、どうすればいいのかは、まだ分からない」


「僕も」


 何も解決していなかった。

 それでも、どちらかが答えを持っているふりをしなくてよくなった。


     *


 点検に戻ると、設備係の女性が待っていた。


「南の避難所も見てほしい」

 彼女が言った。

「昨夜、入口の石が少し熱くなった。今は落ち着いてるけど」


 リシェが道具を持ち上げた。

 目の動きが、さっきまでよりはっきりしていた。


 避難所は、川の支流を渡った先にあった。

 石造りの古い倉庫を改装したものだ。

 独立した小さな結界がついていた。


 北区画から人が下がると、ここを使う。

 荷車を入れるため、道の途中には広い橋があった。


 僕たちは入口の設備を開いた。

 リシェが測定棒を当て、眉を寄せる。


「蓄えが、記録より少ない」


 女性が帳面を開く。

「先週、これだけあったんだよ」


「減る速さが変わってる。どこかで、漏れてるかもしれない」


 管を辿ると、倉庫の裏で一か所、継ぎ目が緩んでいた。

 僕が土を掘り、リシェが流れを止める。


 大きな損傷ではなかった。

 でも、長いあいだ気づかなければ、残りを使い切っていたかもしれない。


 留め具を直したあと、彼女は周囲の刻印を見た。

「これ、町の南側と同じ工房のもの?」


 女性が頷いた。

「古い設備を移して使ってるからね」


 リシェは帳面へ写した。

 僕も、同じ刻印を覗き込む。


 温室の容器を思い出した。


「つなげる?」

 尋ねると、彼女はすぐには答えなかった。


「少なくとも、入口の型は近い。途中を調べないと、何も言えないけど」


 倉庫の壁に、使われていない管があった。

 地面へ入り、町の方へ伸びている。


「これが、昔の連絡管」

 設備係が言った。

「途中で止めたままだけど、図はあるはず」


 僕たちは顔を見合わせた。


     *


 午後、ダインが避難所へ来た。


 工具箱を下ろし、僕たちの開いた蓋を見る。

 昨日のことには触れなかった。


「図を見たんだろう。こっちは、通せる部分が残ってる」

 彼は言った。

「だが、途中に細いところがある。そこを無理に使うと焼ける」


 リシェは紙を広げた。

「位置を教えてください」


 ダインが指す。

 彼女は、そこへ印をつけた。


 仕事の話だけが進んだ。

 許されたわけではない。

 けれど、必要なことを伝え合うことはできた。


 管の一部を掘り出し、両端の状態を確かめる。

 普段は閉じたままにし、必要なときだけ、少量を渡せるかもしれない。


「本当に使うなら、両側で見張る人がいる」

 リシェが言った。

「片方が落ちそうになったら、すぐ閉じる。逃がす石も挟みたい」


「石はある」

 ダインが答えた。

「ただ、これで町を丸ごと支えるつもりなら、やめとけ」


「しません。避難所の分だけです」


 彼は彼女を見た。

 少しして、頷いた。


 僕は閉じた弁へ、目印の布を結んだ。

 まだ開けない。

 使えると確かめるまでは、ただの準備だった。


     *


 夕方、上流から知らせが来た。


 雨が続き、川の水位が上がっている。

 支流に流木が引っかかり、橋の上流側へ水が溜まり始めているという。


 魔力の観測値も、落ち着いていなかった。

 今夜、大きくなるかどうかは分からない。

 だから、先に北区画の人を避難所へ移すことになった。


 僕は荷車を押した。

 リシェは避難所で、入った人数を確かめた。


 ダインは橋の欄干へ灯りを吊った。

 足元が暗くなる前に、最後の荷を通すためだった。


 川の音が、朝より大きかった。


「この橋が駄目になる前に、全員」

 設備係が言った。


 僕たちは急いだ。

 でも、歩けない人を荷車へ乗せる時間は削れない。

 荷物を全部積むのをやめ、食料と薬を先にした。


 最後の車輪が橋を渡ったとき、雨が降り始めた。


 リシェが倉庫の戸口から、町の方を見た。

 僕は閉じた連絡管の目印を確かめる。


 今夜、それを使わずに済めばいいと思った。


 暗くなった川の向こうで、木が折れる音がした。

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