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君と勇者のいらない世界へ  作者: きびだんご


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13/22

私を救った人なのに

 ダインは、話を最後まで聞いた。


 僕たちは工房の入口で、砦に残っていた記録のことを伝えた。

 レムナへの攻撃に関する命令があり、その写しを持っている、と。


 彼は工具を置いた。

 手を布で拭き、椅子を引く。


「見せてくれ」


 僕は袋から紙を出した。

 机の上へ置き、順番を説明した。


 攻撃の準備。

 現地からの警告。

 続行を認める返答。


 ダインは一枚ずつ読んだ。

 途中で、紙を持ち上げて窓の方へ向けた。小さな字が見えにくかったのかもしれない。


 リシェは僕の隣に立っていた。

 机の縁へ手を置き、動かなかった。


 最後の頁を読み終えると、ダインは最初の紙へ戻った。


「民家があると、書いてあるな」


「はい」


「逃げてないとも」


 僕は頷いた。


 彼はもう一度、続行を認める行を見た。

 顔色は変わらなかった。

 そのことが、かえって怖かった。


「軍の施設を止めるためか」

 彼が言った。

「妻の作業場も、軍の施設だったのかね」


 僕は答えなかった。


 ダインは僕に答えを求めているのではない。

 そんな気がした。


「写していいか」


「もちろん」


 彼は机の引き出しから紙を出した。

 使いかけの、裏が白い紙だった。


 僕が写すと言いかけると、彼は首を振った。


「自分でやる」


     *


 文字を書く手が、途中で止まった。


 ダインは指を開き、閉じた。

 仕事で固くなった関節を、片方の手で揉む。


 リシェが半歩、動いた。

 何か手伝おうとしたのだと思う。


 そのとき、鞄の口から金属環が落ちた。


 机の脚に当たり、乾いた音がした。


 彼女が拾うより先に、ダインが見た。

 配給設備の印だった。


 彼は紙から手を離した。


「それは」


 リシェは環を拾った。

 すぐには鞄へ戻さなかった。


「私の村で使っていた、結界の部品の印です」


 ダインの目が、彼女の手から顔へ上がる。


「魔王の」


「……はい」


 窓の外で、荷車が通った。

 車輪の音が、長く聞こえた。


「私の村は、魔王の結界に守られていました」

 リシェが言った。

「補充が止まって、それを直すために、ここへ来ました」


 ダインは何も言わなかった。


「私は、あの人に助けられたんです」


 その言葉が出た瞬間、彼の表情が変わった。


「だから?」


 短かった。


 リシェの喉が動く。

「だから、あの人がしたことを全部、同じようには――」


 彼女は言葉を止めた。


 遅かった。


「お前の村を助けたなら、俺の妻は何なんだ」


 ダインは怒鳴らなかった。

 静かだった。


 僕は口を開きかけた。

 リシェはそんな意味では、と。


 でも、言えなかった。

 どういう意味であれ、今その言葉を引き受けるのは、ダインの方になってしまう。


 リシェが首を振った。


「そういうことでは」

「俺に、釣り合いを取らせたいのか」


 彼は机の上の紙を指した。


「こっちで何人か死んだ。でも、別の村で何人か助かった。だから、悪いところばかり見るなと?」


「違います」


「なら、今、何を分かってほしいんだ」


 リシェは答えられなかった。


 僕も、答えを持っていなかった。


     *


 ダインは、椅子から立った。


 部屋の奥へ歩き、棚から小さな箱を取る。

 蓋を開けると、木の型が入っていた。


 細い溝のある、掌ほどの板だった。


「妻が作ってた」

 彼が言った。

「焼き菓子の型だ。俺の木工道具を借りてな」


 板の端に、小さな花が彫ってある。


 リシェはそれを見た。

 何も言わなかった。


「形が悪いのは売れないから、近所の子どもへやってた。型の方が悪いと俺が言うと、味がよけりゃいいって」


 ダインは板を裏返した。

 裏に、焦げた跡があった。


「俺は、その日、南の修理に出てた。帰ったときには、家へ近づけなかった」


 僕は、北門から運び出された人々を思い出した。

 誰かが、戻らなければならないと叫んでいた。


「俺を止めた兵士がいた。行けば死ぬってな」

 ダインが続ける。

「その兵士を、殴った」


 彼は僕を見なかった。


「妻は、中にいた。そう思ってた。今も、そう思ってる」


 箱へ型を戻した。

 蓋を閉める指が、少し震えた。


「お前の村が助かったことを、嘘だと言う気はない」

 リシェに向けて言う。

「だが、それを俺に喜べと言うな」


「……はい」


 リシェの声は、ほとんど聞こえなかった。


 ダインは机へ戻った。

 写しかけの紙を、まっすぐに置き直す。


「記録は、置いていってくれ。昼までに返す」

「分かりました」

 僕が答えた。


「今日の作業は、ひとりでやる」


 僕たちは、工房を出た。


     *


 リシェは、しばらく歩かなかった。


 戸が閉まる音を聞き、鞄の紐を握った。

 落とした金属環は、今度は深いところへしまっていた。


「私」

 言いかけて、止まる。


 僕は隣に立った。

 通りの人が、挨拶してくれた。

 僕は頭を下げた。


 その短いやりとりのあいだ、リシェは顔を上げなかった。


「川の方へ行こう」

 僕は言った。


 彼女が頷く。


 歩き始めると、彼女の靴音がいつもより遅かった。

 僕は先へ出ないようにした。


 川には、小さな橋が架かっていた。

 欄干の一部だけ、色が新しい。


 リシェはそこへ手を置いた。

 水を見下ろしていたが、流れを見ているようには思えなかった。


「言わなければよかった」

 彼女が言った。


 僕は、何を、と聞きかけた。


 助けられたこと。

 魔王を慕っていること。

 あの人がしたことを、全部同じには見られないと言ったこと。


 彼女自身、分けられていないように見えた。


「今、謝りに戻った方がいいかな」


「ダインさんは、ひとりでいたいと言ってた」


 リシェの手が欄干から離れた。


「そうだった」


 唇を噛む。

 僕は川の方を向いた。


 謝れば、聞いてもらえる。

 許されなくても、謝った自分にはなれる。


 そのために戻ろうとしてしまう気持ちは、僕にも分かった。


「あとで、伝えることはできると思う」

 僕は言った。

「でも、今、返事をもらわなくても」


 リシェは頷いた。

 目の端を、巻き布のない方の手で押さえた。


     *


 その日の午後、僕たちは役所の設備係を手伝った。


 ダインとは別の担当者だった。

 北区画の小さな結界を、ひとつずつ確認している。


 リシェは数字を読み、異常のある箇所を書き出した。

 僕は蓋を開け、土を避け、測定棒を持った。


 働いていると、考えずに済む時間があった。

 彼女も、そうだったのかもしれない。


 ただ、いつもより何度も数字を読み直していた。


「一度、休もう」

 僕が言うと、彼女は首を振った。

「あと一か所」


「さっきも、そう言った」


 リシェが僕を見る。

 僕は自分で少し苦く笑った。

「言う側になると、分かるね」


 彼女は測定棒を下ろした。


 設備係の女性が、水を渡してくれた。

「ここ、風が強くなると困るんだよ。今のうちに分かってよかった」


 リシェは椀を両手で持った。


 感謝されるたびに、彼女の顔が固くなる。

 自分がここにいてよいか、何度も確かめているようだった。


 最後の点検を終えたとき、小さな子どもが通りかかった。

 手に、花の形の菓子を持っている。


 リシェの目が、その形に止まった。


 ダインの妻の型と、よく似ていた。


 子どもの後ろから、年配の女性が歩いてくる。

 僕へ渡す菓子を用意してくれた人だった。


「昨日の、食べたかい」


「はい。おいしかったです」


 リシェは、僕より遅れて頭を下げた。

「ありがとうございました」


 女性が笑う。

 菓子の入った籠を持ち直した。


「昔、隣の子に作り方を教わってね。今度は私が、こっちの子たちに教えてる」


 僕は何も尋ねなかった。

 リシェも、尋ねなかった。


 女性と子どもが角を曲がるまで、彼女はそこに立っていた。


     *


 夕方、工房から紙が届いた。


 ダインが写し終えた記録だった。

 紐を新しく結び直してある。


 その上に、一枚だけ別の紙が載っていた。

 北区画の配管図だ。


 古い図で間違っている箇所に、修正が入っていた。

 使えない管には斜線が、まだ通る道には丸がある。


 短く、書き添えてあった。


『設備係へ渡してくれ。ここを間違えると、南まで落ちる』


 リシェは紙を読んだ。

 指で、斜線をなぞった。


「町のために、くれたんだね」


 僕は頷いた。

 僕たちを許したという意味ではない。


 それでも、この紙があれば、誰かが間違えずに済む。


 彼女は鞄から自分の記録を出した。

 今日調べた箇所を、別の紙へ整理し始める。


 僕も机へ座った。

 文字を書く音だけが、しばらく続いた。


 夜になるころ、リシェが小さな紙を一枚差し出した。


『今朝、あなたが失ったものの話より先に、私が救われた話をしました。あの場で理解を求めるべきではありませんでした。返事は要りません』


 最後に、名前があった。


「置いてきても、いいと思う?」


 僕は読んだ紙を返した。


「返事を待たずに帰れるなら」


 彼女はしばらく考えた。

 それから、頷いた。


 工房の戸には、明かりが漏れていた。

 僕たちは戸を叩かなかった。


 紙を、風に飛ばないよう入口の箱へ入れた。


 帰り道、リシェは一度だけ振り返った。

 足は止めなかった。

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