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悪女の叔母が遺したのは、孤児院の借用書でした  作者: Atelier Lotus文庫


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9/10

第9話 悪女が遺した勘定

 バザーの朝、サラは食堂の卓へ、いつもの席札を置かなかった。


「今日は、好きなところに座ってもらうの。いつもの椅子は、夕方戻すから」


 そう説明して、青い布の札を箱へしまった。一つずつ向きをそろえ、最後に蓋をする。その手順を見て、リディアは、いつもの場所へ戻せると分かっていることの大きさを知った。


 庭には近所から借りた台を並べた。パン屋は店主が許した分の商品を仕入値で出し、ルイーゼが売り方を教えた。売上を全て寄付にする品と、仕入れた品は札を分けた。古着や食器も集まったが、使えないものまで好意だからと受け取るのはやめた。


 入口の案内には、債務が百十枚に確定したことを書いた。その下に、入った金と費用を閉会後に報告すると添えた。これからの運営費を賄う計画も、一枚にまとめて置いた。


 最初の客は近所の洗濯物を出してくれる女性だった。


「子どもたち、顔を見せなくていいの?」


 責める調子ではなかった。ただ、こうした催しではそうするものだと思っているようだった。


「来たい子は来ています。でも、お礼のために並んでもらうことはしません」


 リディアが答えると、女性は少し考えてから古着を一枚広げた。


「そう。それで、これは直せば着られる?」


「袖に一か所、縫い直したところがあります。ここです」


 女性は縫い目を確かめ、値札の金額を払った。子どもの悲しい話をしなくても、売れるものはあった。もちろん、売れずに残るものもあった。


 昼前、急に風が強くなり、壁の絵が一枚はがれた。ノアが取りに走り、サラが追いかけようとしたので、マルタが呼び止めた。リディアは戸を押さえたまま、紙を捕まえたノアへ礼を言った。


「休憩、まだ取ってないでしょう」


「あと一人、案内したら」


「今、代わるわ。予定どおりでいい」


 ノアは口をとがらせたが、ルイーゼに焼き損じではないパンを渡されると、庭の端へ座った。自分から働きたいと言った少年に、休む番を伝えることも、大人の仕事だった。


 リディアは釣銭を渡しながら、何度も腰の袋を確かめた。百十枚に届いたか、今数えたい。だが、仕入れや材料の費用を引かずに喜んでも仕方がない。閉会まで、約束した数え方を変えなかった。


     ◯


 日が傾き、庭の台を片づけたあと、食堂で金を広げた。


 売上と寄付を合わせて二百六十四枚。そこから、仕入れ、材料、運搬などの費用七十八枚を引く。残ったのは百八十六枚だった。


 マルタがもう一度数えた。リディアは領収書をそろえて引き算を確かめた。


「百十枚を払って、七十六枚残ります」


 自分で言った数字が、すぐには信じられなかった。マルタは目を閉じ、両手を卓へ置いた。誰かが拍手をしたので、子どもたちもつられて手をたたいた。ピノは意味を聞くより先に、サラへ抱きついていた。


「このお金は、全部使わないで取っておくの?」


 ノアが残りを指した。


「急に物が壊れたり、入るはずのお金が遅れたりしたときのために。来月の食費と混ぜずに置いておくわ」


 拍手が収まると、リディアは結果を書いた紙を門へ貼った。家が守れると言うのは、明日、支払いと手続きを終えてからにしたかった。


 翌日、役所の立会いで百十枚を支払った。


 受領書に、残債なしという文言が入った。借用書が返され、係員が担保登記の抹消を処理する。リディアは登記の写しを受け取り、建物の欄に残っていた担保の記載が消されたことを確かめた。


 ベルトは最後まで、叔母への言葉を口にしなかった。リディアも、謝罪を引き出すためにそこへ残らなかった。別に続く調査には、必要な資料を出す。今日の自分の仕事は、この家の返済を終えることだった。


 役所の外へ出ると、風が冷たかった。マルタが肩をすくめ、それからリディアの持つ封筒を見た。


「帰りましょうか」


 帰るという言葉に、今度は同じ家を思い浮かべた。


 玄関では、ピノが小箱を持って待っていた。蓋を開け、丸い石と色の違うボタンを見せた。


「これ、売らなくても、いい?」


 バザーへ出す品を集めた日から、ずっと考えていたらしかった。リディアはしゃがんで、小箱の中をのぞいた。来た日に見た丸い石が、布の上に置かれている。


「売らなくていいわ。あなたのものだから、最初から勝手に売れないの」


「お金、足りた?」


「足りた。今日、払ってきたわ」


 ピノは石を確かめてから蓋を閉じた。マルタが家を残せると皆へ知らせると、廊下の奥で声が上がった。リディアは子どもの手から箱を預からず、そのまま抱えて部屋へ戻るのを見送った。


 最初の日に目録へ作った、持ち主を確認する欄を思い出した。守れたものは、登記に書かれる建物ばかりではなかった。


     ◯


 夜、リディアは叔母の部屋を片づけた。


 机には紙の束がほとんど残っていなかった。使った書類は目録をつけて保管し、説明が必要なものには別の紙を添えた。叔母の字で書かれた略号を、自分が読み解いた意味だけで塗りつぶさないようにした。


 引き出しの奥に、小さな台所用の帳面があった。


 豆は前の晩から水に浸す。ピノは熱い皿を自分で運ぼうとするので注意。サラの席は窓の風が強い。冬は椅子を半歩内側へ。


 どれも、財産や証拠にはならない記録だった。知っている人がその場にいなくなると、伝わらなくなることだけが、短く書いてあった。


 煮豆の頁には、最後に『塩はもっと少なく。皆そう言う』とあった。


 リディアは笑った。笑うと、鼻の奥が痛くなった。


「書いたんなら、次は変えればよかったのに」


 返事のない部屋で、自分の声を聞いた。


 十二歳のときも、叔母は一言尋ねてくれればよかった。父の店の前では、リディアの方が立ち止まっていればよかった。どちらかの正しさで、もう片方の痛みまでなくせるものではなかった。


 リディアは白い紙を机に置いた。


『借金は、払いました』


 まずそう書いた。ずっと報告したかったことなのに、その次に何を書けばよいか分からなくなった。


 謝りたいことがある。聞きたいことも、文句もある。家を守ってくれてありがとうと書けば、叔母の生き方を全部選ぶことになるのだろうか。


 リディアはペンを持ち直した。


『私には、あなたみたいにできないことがあります。嫌だった言葉も覚えています。それでも、ここに来てよかったです』


 インクが乾くのを待ち、紙を畳まず帳面の横へ置いた。叔母に届くかどうかではなく、今の自分がそう思っていることを、残したかった。


 扉が小さく鳴った。マルタが、空いた盆を持って立っていた。


「この部屋、これからどうしましょう」


 相続手続きが終われば、建物の所有はリディアに移る。しかし、家を持つことと、ここに暮らす人の全てを決めてよいことは違った。


「帳簿を見たり、相談をしたりする部屋にしたいです。私一人の仕事部屋ではなくて」


 言ってから、リディアはマルタを見た。


「院の会計を、これからも担当させてもらえますか。代筆の仕事も続けたいので、毎日全部は引き受けられません。できる範囲を相談したいです」


「ええ。私も、一人ではできないことを先にお話しします」


 廊下の先でサラが呼んでいた。しまっていた席札を戻すから、卓を空けてほしいという。


 リディアは台所の帳面を持って立ち上がった。借用書は、机に残しておいた。


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