第8話 借りたものだけ、返します
債務審査の日、リディアはいつもより遅く靴紐を結び直した。
資料を提出してからの数日は、待つことも仕事になった。追加の照会には答え、主張の根拠を尋ねられれば、目録のどこにあるかを示した。父から聞いた話と、自分が書類で確かめたことを、同じ欄に書かないように直した。
木材の分が認められなければ、バザーだけでは足りないかもしれない。マルタとは、近くの院へ一時的に移る場合の受入れ状況も確認した。子どもたちにも、決まった話ではないが、できる限り通う学校や互いの行き来を保つ方法を探していると説明した。
絶対に守る、と言えれば楽だった。けれど、言えないまま調べ続けることもできた。ノアは説明のあとで、引受先の話を小さい子に勝手に伝えてよいか尋ねた。一緒に話す時間を作ろうと答えると、彼は安心したように席へ戻った。
今日は、その先の答えを持ち帰る日だった。
鏡に映る襟元を整え、書類の順番を確かめる。マルタは、子どもたちへ何度も留守のことを説明していた。今日は大人二人で役所へ行く。ノアが一緒に来ると言ったが、本人の暮らしを守るための説明を、本人の顔に代わってもらうつもりはなかった。
「帰ったら、何が決まったか話すわ」
「今日じゃないと分からないこともある?」
「ある。だから、分かったふりをして行かないようにする」
ノアは少し笑った。リディアも笑おうとして、うまくいかなかった。
役所では、ベルトが先に座っていた。卓には原本の借用書が置かれ、係員が付属明細と照合している。エミールは記録を取る席にいた。廊下で何度も相談した顔が見えたが、彼はリディアへ特別な合図をしなかった。
審査役が、訂正後の請求四百十枚から話を始めた。
「元金返済八百枚について、貸し手は認めていますね」
「はい。帳簿整理の際に確認できましたので」
ベルトの返答に、リディアは指先へ力を込めた。最初は別の取引だと言った。だが、その不満をここで長く述べても、残りの請求の根拠は明らかにならない。
求められた入金記録を提出した。原本と認証写しを、係員が一枚ずつ重ねて確認する。八百枚が元金へ入っていること、これまでの利息が別に支払われていることが確認され、記録された。
「最終期の定額利息、銀貨十枚に争いは?」
「ありません」
リディアは答えた。
次は、木材三百枚だった。
「この費用は現金貸付ではなく、院への搬入を条件とする金額です。付属明細の、この部分です」
用意した紙を指した。審査役は原本の同じ行へ目を落とした。
「検収票には受領済みとありますが」
「その受領は、実際の搬入を示していません」
リディアは荷札の記録を出した。木材が町へ着いた時刻と、父が院で受け取ったとする時刻。それから西三の借主、保管料の記録、同じ荷番号の売却先。最後に、購入した大工の領収書を置いた。
書類が一枚増えるたび、卓が狭くなった。話す順番は何度も練習したのに、実物を広げると、次の一枚がすぐに見つからない。リディアは一度口を閉じ、目録の番号を確かめた。
「急がずに。どの点を立証する資料か、一つずつ説明してください」
審査役の言葉に、息を吸い直した。
「倉庫の出入り簿は、院へ届いたあとで戻されたという説明にも合いません。全量が入庫し、同じ量が一月後まで残っています。父の検収票だけが、それより先に受け取ったことになっています」
ベルトは、担当者間の記載違いの可能性を述べた。リディアは、それなら院へ運んだ記録を示してほしいと答えた。商会が出したものは、父の印がある検収票だけだった。
マルタも、当時、院が新材を待ったこと、その後に古材で修繕したことを話した。古材の領収書は、話を裏づける資料として添えられた。待っていたという記憶だけで結論を出してほしいとは求めなかった。
そのとき、廊下で椅子を引く音がした。
係員が連れてきたのは父だった。リディアは立ちかけ、途中で動きを止めた。父の持つ封筒の端が、指の力で折れていた。
「自分の検収について、説明を出したいと申し出がありました」
審査役がそう告げ、父を別の席へ座らせた。
父は、検収票の印が自分のものだと認めた。木材を見ずに押したことも、金を受け取ったことも述べた。言葉が詰まるたび、リディアは何かを助けて言いそうになったが、黙っていた。
これは父が自分で言わなければならない話だった。
「娘は、知りませんでした」
最後に父が付け加えた。審査役は、その内容も記録するよう指示した。リディアは膝の上に重ねた手を見た。父の言葉に救われたと感じる部分を、認めることまで拒む必要はなかった。
◯
休憩のあと、審査役が結論を読み上げた。
木材三百枚は、借用書に定める搬入条件を満たしていない。これを元金に算入した請求は認められない。残る現金貸付九百枚から、返済済み八百枚を引き、元金は百枚。最終期の利息十枚を加え、最終の支払額は百十枚とする。
リディアは、頭の中で何度もしてきた引き算を、もう一度なぞった。
千二百十から八百、さらに三百。
百十。
「満期までにこの金額を支払えば、担保の抹消に応じること。返済記録の不備と検収の不正については、別途調査に回します」
ベルトは表情を変えず、決定書の写しを求めた。借用書がその場で破られることも、商会が即座に取り潰されることもなかった。正しい額を決めるための審査は終わったが、リディアが払うべき金は残っていた。
審査役が、ほかに求めることはあるか尋ねた。
「支払いをしたときの受領と、借用書の返却、それから担保抹消の手順を、同じ書面にしてください」
情けを願うために来たのではなかった。借りたものは返し、借りていないものは返さない。その先で子どもたちの家が残るところまで、確かめて帰りたかった。
◯
廊下で、父が待っていた。
「言った」
「聞いていたわ」
「五十枚も、返さなければならない」
「そうね。返す先と方法は、役所で確認して」
父は何かを期待するようにリディアを見た。リディアは目をそらさず、先に続けた。
「今日来てくれたことは、ありがとう。でも、全部を前と同じにする約束は、まだできない」
父は長い間黙ってから、うなずいた。マルタは少し離れたところで、二人が話し終わるのを待っていた。
帰る前に、養育助成の窓口へ寄った。再点検を終えた灯の家には認定書が出ていた。支給の開始月と必要な月次報告を、マルタが自分で確かめた。製パンの契約も、午前中にパン屋の店主が署名したものを預けてくれていた。
確かめたかったことが、書面の上で一つずつ決まった。
院へ戻ると、サラたちが食堂で待っていた。リディアは卓に決定書を置いた。小さい子にも分かるよう、数字の少ない話し方を考えていたが、ピノの方が先に尋ねた。
「もう、引っ越さない?」
「あと百十枚、払えたら、この家を残せる。あさってまでに、バザーのお金を数えるわ」
ノアが、壁に貼った案内を見た。
「そこ、金額を直さなきゃ」
リディアは新しい紙を出した。千二百十と書いてあった欄を百十に直し、何が変わったかを添えた。子どもたちが、その横へ自分たちの絵を貼り直し始めた。
残り三日だった。今度は、何に向かって働けばよいかが、はっきりしていた。




