第7話 父の印、叔母の沈黙
父と会う前に、リディアは西側の倉庫を見に行った。
町の台帳にある場所を確かめるためだった。川沿いの道に建つ西三の倉庫には、大きな荷車が横づけされていた。入り口の幅は広く、柱に古い番号札が打ちつけてある。院の狭い門とは、見間違えようがなかった。
職人組合で確認した運送人の荷札には、問題の木材をこの倉庫で引き渡したとあった。品目、数量、日付は借用書の付属明細と一致する。受取人はベルト商会の倉庫係。灯の家へ運んだ記録はなかった。
ただ、ここに一度置いたあとで、商会が別の荷車に積み替えた可能性は残る。
リディアは、組合に保管された荷札の続きと、商会が提出した検収票をもう一度見比べた。倉庫への引渡時刻は夕方四刻。父が灯の家で受け取ったことになっている時刻は、その一刻前だった。
同じ荷物が、先に院へ届き、あとから初めて町へ入ってくることはできない。
誤記という可能性も含めて説明が必要だった。リディアは断定する言葉を避け、日付と時刻の対応表を作った。運送人の原簿を管理する組合員から、荷札の番号が続いていることも確認してもらった。
さらに、町が保管料を計算するために付けた倉庫の出入り簿を調べた。同じ荷番号の木材は一月保管され、その全量が別の大工へ売却されていた。数量は途中で減っておらず、灯の家への持出しもない。リディアはその大工を訪ね、購入の控えの写しをもらった。木材を買って階段に使ったという大工は、当時の領収書を引き出しの底から出してくれた。
父の印がなくても、荷物の行き先は記録で追えた。父が話すかどうかを、子どもたちの家が残る条件にはしなくて済む。そのことに安堵すると同時に、話を聞くのをやめてしまいたい気持ちも生まれた。
叔母の照会状は、最後の保管場所を尋ねたところで途切れていた。自分が叔母より賢かったわけではない。残された問いと、今になって集められた記録の上に立っている。それでも、続きを調べなければ、この線はつながらなかった。
◯
父は、下宿の一階の部屋で待っていた。
以前よりも背中が丸く見えた。机の上には二人分の茶があり、リディアの方には砂糖が添えてある。子どもの頃の好みだった。今は入れないと伝えるつもりで、言えなかった。
「痩せたな」
「毎日食べてるわ」
「あんなところで寝泊まりすることはないだろう」
リディアは鞄から書類を出した。父が口を閉じるまで待ち、検収票の写しを一番上に置いた。
「この印は、お父さんのもの?」
父は茶碗へ手を伸ばしたが、途中でやめた。
「昔のことだ」
「二年前よ」
「何も知らないくせに、あいつと同じことを言うな」
声が大きくなった。リディアは反射的に肩をすくめた。父が自分へ手を上げたことはない。それでも店で叱られた頃と同じように、先に謝る言葉が浮かんだ。
代わりに、荷札と対応表を机へ載せた。
「知らないから、調べたの。木材は西三へ届いてる。灯の家で受け取ったとする時刻には、まだ、町の外から来る荷車に積まれていた」
父は書類を見ずに、窓の方を向いた。
「検収の人手が足りなかった。商会で確認したと言うから、私が代わりに」
「見ていないのに、受け取ったことにしたの?」
「どうせ後で運ぶはずだったんだ」
「その後、運ばれたか確かめた?」
返事はなかった。
外で荷車の軋む音がした。リディアは、その音が遠ざかるまで待った。父は両膝へ手を置き、指をこすり合わせていた。
「五十枚、受け取った」
ようやく出た言葉は、机の上で止まるように小さかった。
「印を貸すだけだと言われた。店の仕入れの支払いが詰まっていた。お前にも、苦労をかけたくなかった」
リディアは砂糖の小皿を見つめた。自分のためだという言葉にうなずけば、父は少し楽になるのだろう。リディアも、娘のままでいられるのかもしれない。
「私のためでも、院に届いていないものを届いたことにしていい理由にはならない」
父の指が止まった。
「ヴェラは身内なんだぞ。私を役所へ突き出さなくてもよかった」
「先に、商会へ訂正を頼んだんでしょう?」
叔母の書類には、兄に確認を求めた日付が複数あった。父は目を伏せた。
「私が認めたら、店の信用がなくなる。そう言った。妹なら分かれと」
「それで、認めなかったのね」
「お前まで、私を責めるのか」
その一言で、リディアは自分が今まで何を選ばされていたかを知った。父を愛しているなら、父の話を信じなければならない。傷ついている家族のために、叔母の言葉を聞かずにいなければならない。
だが、父が一人で食事をする姿を寂しいと思うことと、この印を正しいとすることは、同じではなかった。
「お父さんの娘をやめに来たんじゃない。でも、これを隠すために帰ってきたんでもないわ」
父は返事をしなかった。リディアは一度立ち上がりかけ、それでも聞いておかなければならないことを思い出した。
「叔母は、お父さんを告発したあと、何か言っていた?」
「……金が戻ればいいのかと聞いた」
「何て?」
「言う相手を間違えている、と」
父がその意味を説明しなかったので、リディアも代わりに説明しなかった。机の検収票には、灯の家という文字があった。
「役所に、今の話も出すのか」
「今ここで聞いたことは、私の聞き取りとして記す。書類だけで確認できることと分けるわ。お父さん自身が説明するかどうかは、お父さんが決めて」
「私が行かなかったら?」
「それでも、持っている記録は出す」
茶は冷えていた。リディアは一口だけ飲み、借りた湯飲みを自分の側へ戻した。父を抱きしめることも、二度と会わないと言うこともできなかった。
◯
役所の階段に着いたとき、リディアはしばらく手すりから指を離せなかった。
今日出す書類を引っ込めれば、親子の間にあるものは保てるだろうか。父はこれからも、妹に潰された店の話をするのだろう。そのたびに自分は、院の床を歩く子どものことを思い出すのだろう。
エミールは受付の向こうで、提出目録を確認した。
「検収票も、この組合の記録も、同じ取引のものですね。時刻の相違については、審査で双方の説明を求めます」
リディアはうなずいた。
「父の名前を、消して出すことはできませんね」
「名前を消すと、どの検収記録か分からなくなります。公開する範囲は審査側が判断しますが、提出する資料はそのまま必要です」
できない理由を聞いて、少し楽になる自分が嫌だった。これは役所に強制されたから出すのではない。院に負わせたままにはしないと、自分で決めたのだ。
「このままで、お願いします」
受付の印が押された。
院へ戻る途中、雨が降り始めた。リディアは書類の控えを外套の内側へ入れ、濡れたまま玄関に立った。マルタは何も聞かず、乾いた布を持ってきた。
「父が、印を貸したと認めました」
言った途端に、息が乱れた。叔母を責めた言葉がいくつも浮かんできて、今さらその人へ渡すこともできなかった。
マルタが椅子を出した。リディアは腰を下ろし、布で髪を押さえたまま話した。
「叔母は正しかったんですね。でも、今そう言うだけで、私が何も知らずに言ったことまで、済んでしまうのが嫌なんです」
「済ませなくても、いいと思います」
マルタは隣に立ったまま答えた。
「今日出した書類は、ヴェラさんにはもう見せられません。でも、この家には届きます」
廊下の向こうから、サラが、絵をどこまで貼っていいか尋ねた。マルタが返事をし、ノアが壁の幅を測り始めた。
リディアは泣きながら、鞄の中の控えを取り出した。紙の端は乾いていた。




