↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪女の叔母が遺したのは、孤児院の借用書でした  作者: Atelier Lotus文庫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/10

第6話 施しでは続かない

 最初の試作パンは、底だけが黒くなった。


 ルイーゼは焼き上がりをひっくり返し、爪で底をたたいた。乾いた音が台所に響く。院の調理職員が申し訳なさそうに火箸を置いたが、ルイーゼは首を振った。


「普段の鍋と同じ火なら、そりゃ焦げるよ。窯の癖を見ないで入れた私も悪い。もう一回、量を半分にしてみよう」


 窓際で原価を書いていたリディアは、使った薪を数え直した。粉、酵母、薪、包み紙。どれも、寄付で済ませる前提にはできなかった。


 東のパン屋には、朝食用の小さなパンを定期的に納める仕事があった。店の窯だけでは量を焼き切れない。院の台所を使い、院の成人職員が仕込みと焼成を担い、ルイーゼが品質の確認に来る。そういう契約を検討していた。


 問題は、院の職員がすでに忙しいことだった。


「朝を早くすれば、どうにか」


 職員の言葉を、リディアは途中で止めた。


「早くした分、休む時間も決めたいです。毎日寝る時間が減る計算なら、続きません」


 マルタが、自分の担当表を出した。洗濯の受付を昼へ移し、製パンの日にはマルタが院の朝食を受け持つ。追加の作業分は賃金に載せる。売上からそれを引いたあと、院に何が残るかを計算し直した。


 二度目の試作は焼けたが、今度は院の朝食が遅れた。売る分を先に包んだためだった。空腹のピノが台所の入り口に座り込み、職員が慌ててパンを一つ渡そうとした。


「それ、売る分ですよね。今日は私の試作の扱いにしてください」


 ルイーゼは帳面へ一つ書き足した。食べた子に代金を負わせるのではなく、試すためにかかった費用として記す。リディアは、売る仕事を増やした結果、ここで食べる時間が追いやられていると気づいた。


 翌日から、院の朝食を先に仕込み、そのあとに納品分を焼く順へ変えた。受取に来る荷車の時刻も、店主に相談して少し遅らせてもらった。紙では隣り合っていた二つの仕事が、同じ台所に置くとぶつかる。リディアは予定表の時刻を消し、実際に終わった時刻を書いた。


 ルイーゼの指導にも代金をつけた。彼女が、恩返しだから最初の分はいいと言ったとき、リディアは少し迷った。


「一回目の試作を手伝ってもらったことには、甘えたいです。でも、毎週来てもらう分まで、それを当てにしたくありません」


「ヴェラさんにも、そう言えたらよかったな」


 ルイーゼは、焦げたパンを細かく割った。食べられる部分を分けながら言う。


「あの人、無理をするときだけは他人も自分も同じに扱うから。私に厳しいのか、自分が休めないのか、分からなくなるんだよ」


 マルタが小さく息をついた。その言葉は、台所にいる大人三人の誰にとっても、よその話ではなかった。


     ◯


 午後は役所から、養育助成の担当者が来た。


 院には以前から申請資格があった。しかし叔母は、審査で子どもの事情を詳しく求められることを嫌がり、途中でやめていた。マルタは、かつて寄付者に子どもを並ばせた件が、叔母を神経質にしたのかもしれないと話した。


「必要なのは、人数、年齢、養育と就学の状況です。全ての来歴を、公開する書類へ書く必要はありません」


 担当者は、提出先と公開の範囲を分けて説明した。ノアが廊下で耳を澄ませていたので、リディアは彼も呼び、自分の情報がどこへ渡るか質問できるようにした。


「名前は、町じゅうに出る?」


「出ません。私たちが確認する名簿と、外へ公表する運営報告は別です」


 ノアは担当者の持つ二種類の紙を見比べた。リディアが同じことを説明するより、納得できた様子だった。


 審査では、寝室の人数、避難のための出口、厨房の使い方、職員の休み、学校へ通っている記録を確認するという。月の助成は、十二人なら銀貨二十四枚。認定されてからの支給で、今日その金を受け取れるわけではなかった。


「階段の手すりの留め具を、一か所直してください。あと、洗濯の仕事と食事の準備は、道具を分けて置くように」


 担当者の指摘を、マルタが書き取った。リディアは、その紙を月次収支の横に置いた。助成は都合よく現れた贈り物ではない。受け取るために、院が続けなければならないことがある。


 夕方、ノアが木槌を持ってきた。


「手すり、僕が直す」


「明日、大工さんに頼んだわ。緩んでいるところを調べてもらうから」


「でも、僕もできるよ」


 リディアは一度、道具を受け取りかけてやめた。何もするなと言われたいのではないのだろう。自分の住む家に手を出すことまで、取り上げる必要はない。


「大工さんが来たとき、一緒に見ていいか聞いてみましょう。どう直すのか、知りたい?」


 ノアはうなずいた。それから、木槌を机へ置いた。


「パンを運ぶのも、毎日じゃなければやりたい。朝、学校に間に合わなくなるのは嫌だ」


「運ぶ仕事は、大人と契約する。あなたが休むと回らなくなる形にはしないわ。休みの日に見に行きたいなら、別に相談しましょう」


 ノアは少し不満そうだったが、今度は袋に荷物を詰めには行かなかった。


     ◯


 四日かけた試作と見積もりのあと、リディアは卓に三つの数字を書いた。


 今ある収入は五十六枚。製パンの仕事からは、材料や追加の賃金を払ったあとに二十八枚が残る見込みだった。養育助成の二十四枚を合わせれば、百八枚になる。毎月の支出九十六枚を払っても、十二枚を残せる。


「全部、予定です。契約に署名してもらうことと、助成の認定が先です」


 自分へ念を押すように、リディアは二つの数字を丸で囲んだ。


 マルタは、収支より担当表の方を長く見ていた。


「私が全部抱えたままでは、ヴェラさんがいなくなったときと同じになりますね」


「私も、会計だけでも一人で分かっていればいいと思っていました。これからは毎月、一緒に見てもらいたいです」


「ええ。数字の読み方を、教えてください」


 リディアはうなずき、欄の見出しから説明した。マルタが質問するたび、当たり前だと思っていた書き方を直した。自分だけが読める帳簿を残すなら、叔母の箱を増やすだけかもしれなかった。


 バザーの案内もできあがった。現在争っている借金の支払いと、運転資金を確保するための催しと明記した。月々の運営は別の収入で賄う計画を載せ、子どもの来歴は一行も使わなかった。


 サラが案内をのぞき込んだ。


「あたしたちの絵は、貼ってもいい?」


「描いた人がよければ。名前はどうしたい?」


「絵には名前を書きたい。自分で描いたって分かるから」


 リディアは余白を一つ空けた。名前を伏せることも、出すことも、まず持ち主に尋ねる。その小さな手順は、書類を作るより簡単で、油断するとすぐ抜け落ちた。


 夜、役所から封書が届いた。


 照会した西三の倉庫は、ベルト商会が借りていた。問題の木材が運ばれた日にも、借主は変わっていなかったという。


 同じ日に届いた父の返事には、『一度だけなら話す』とあった。


 リディアは二通を並べ、父と会う日を暦に記した。製パンの担当表も、脇へ片づけずに残しておいた。どんな話を聞くことになっても、翌朝のパンを焼く人は必要だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。