第3話 借用書には続きがある
叔母の箱には、リディアを気にかける手紙も、分かりやすい遺産の目録もなかった。
入っていたのは、他人には意味の分からない略号や、角のすり切れた払込控えだった。リディアは一枚ずつ日付を読み上げ、マルタに覚えのあるものを確かめた。薬代、窓の修理、屋根の点検。それぞれに院の暮らしが結びついたが、銀貨二百枚とある四枚の控えだけは、マルタにも分からなかった。
「振込先はベルト商会。でも、摘要が『灯七、元』だけですね」
四枚とも同じ字だった。最初が一昨年の暮れ、最後は今年の夏。別に細長い控えがあり、こちらは『灯七、利』と書かれていた。
元金と利息。帳簿を代筆しているときなら、まずそう読む。しかし読み方が正しいことと、この借用書の返済だと証明できることは別だった。
リディアは四枚を日付順に並べた。
「合計で八百枚、商会へ渡しています。このお金が、請求から引かれていません」
「では、借金が減るんですか」
「その可能性があります。先に確かめましょう」
喜ぶ声に合わせて断言するのが怖くなった。昨日ノアと話したあとではなおさらだった。
次に開いた束から、何枚もの小さな借用書が出てきた。借り手は叔母ではない。見知らぬ名前が並び、どれにも元の貸し手からヴェラへ債権を譲ったという書付が添えられていた。
その一枚に、十三歳という年齢があった。
リディアは顔をしかめた。ノアと同じ年の子へ、叔母は何を貸したのだろう。紙を返すこともできずに見つめていると、斜めに引かれた二本の線が目に入った。隅には『完了』ではなく、『請求を放棄』とある。
「この、ルイーゼという人をご存じですか」
「東のパン屋の職人さんなら。ときどき、売れ残りを分けてくださいます」
年齢の記載は十年以上前のものだった。何があったのかは、これだけでは分からない。リディアは紙の意味を決めつけず、別の封筒に入れた。
◯
役所の保管庫から届いた書類は、請求用の写しより二枚多かった。
エミールは閲覧台へ契約一式を置き、綴じ糸が切れていないことを確かめてから開いた。
「付属する資材明細と、検収票です。ここに契約番号が続いています」
現金の貸付は九百枚。残る三百枚は、修繕用木材の代金だった。明細の下には、資材が院へ搬入され、受領が確認された時点で借入額に算入する、と書かれていた。
リディアはもう一度読んだ。
「つまり、木材が届かなければ、この三百枚は借りたことにならないんですか」
「契約の記載はそうなっています。ただ、検収票には受領済みの印があります」
エミールが次の紙をめくった。
父の名があった。
ロベルト・フェルン。右下の朱い印は、リディアもよく知っていた。店の荷物を受け取るとき、父が息を吹きかけて押していた印だ。若い頃に欠けたという左端の小さな傷まで同じだった。
「どうして父が」
「当時、町の臨時検収を請け負っていた人の一人です。洪水後で、役所だけでは荷物の確認が追いつかなかったためです」
二年前の洪水。父の店が潰れる前のことだった。叔母に告発されたのは、その仕事に関する不正だと聞いていた。しかし父は、妹に陥れられたと言った。リディアはその先を尋ねなかった。
自分が何を知っていたか数えようとすると、父から聞いた言葉ばかりが出てきた。
「この写しを、もらえますか」
声が細くなった。エミールは顔を見るより先に、複写申請の用紙を寄せた。
「契約と付属書類をまとめて。ばらばらにすると、どの取引に属するか分からなくなりますので」
リディアは父の印がある一枚も数に含めた。
待っている間に、叔母が当時提出した異議の控えも見せてもらった。兄の検収が実物に基づかないという訴えは受理されていたが、木材の行き先については記録を求められたままだった。父の検収の不正と、商会への請求訂正は、同じ一つの結論にはなっていなかった。
「叔母が兄を訴えたら、借金も減る。そういう話ではなかったんですね」
「別に、どこへ届いたかを確かめる必要があります。印が不適切だからというだけで、資材が一切届いていないとは決められませんから」
リディアは付属明細の端へ印をつけかけ、慌てて手を止めた。借りた原本だった。エミールが何も言わず余白用の紙を差し出し、リディアは礼を言って、そこに次の質問を書いた。
誰が、何を、どこへ運んだのか。
父を信じるか叔母を信じるか、という問いでは、答えの出ない欄だった。
続いて払込控えを見せると、エミールは記録棚の番号簿を開いた。『灯七』は灯の家の土地と建物に割り当てられた担保物件番号だった。
「借り手が複数の用事を持っていると、短い記号で送金することはあります。ただ、この控えだけで、商会が何へ充当したかまでは分かりません」
「取引組合に、送ったときの記録が残りますね」
「照会には権限を示す紙が必要です。遺産整理の担当者として、こちらで証明を出せます」
手続きが一つ増えるたび、リディアの前に小さな道ができた。知っている人が助けてくれることと、その人に任せれば済むことは違う。どの紙が必要かを選び、何を尋ねるかを書くのは自分だった。
◯
院へ戻ると、ノアが玄関の留め金を磨いていた。道具を置いて立ち上がるので、リディアはそのままでいいと手を振った。
「木材のことで聞きたいの。二年前、ここへ引っ越してきた頃のことを覚えてる?」
「床板のことですか」
「そう。新しい木材が届いたことは」
ノアはすぐには答えなかった。困った様子で庭の方を見てから、マルタを呼んだ。
「僕、途中のことは分からないから」
リディアはうなずいた。覚えていないことを埋めずに済むなら、それでよかった。
マルタによると、新しい床板が届く予定はあった。しかし日程が延び続け、叔母は近所の解体屋で古材を買い、自分で大工を手配したという。
「新材の代金と、古材の代金が、両方あるわけですね」
「ヴェラさんも、そんなふうに言っていました。商会へ何度か行って。でも、届いたことになっているからと」
叔母が何も知らずに支払っていたわけではなかった。訂正を求め、通らなかったのだ。
「その話を、私に最初にしてくだされば」
思わず言ったあと、リディアは口を閉じた。マルタは困ったように両手を重ねた。
「すみません。あのお金とこの借金が、同じことだとは思わなくて」
「いえ。私が何を聞きたいか、まだ説明していませんでした」
資料には、人が知っていることも入る。ただし、聞いた言葉をそのまま金額の根拠にはできない。リディアは古材の領収書を探し、当時の職人の名を書き留めた。
夜、二階の机で父宛ての手紙をしたためた。検収票のことを話してほしい、と書いてから、最後の行を何度も見直した。
叔母が悪い人だったかどうか、教えてほしい。
書きかけたその一文には線を引いた。父にもう一度判定を頼むために、ここへ来たわけではない。
窓の外で洗濯綱が鳴った。リディアは、付属明細、四枚の払込控え、古い債権の書類を、それぞれ違う封筒に分けた。
借用書の数字は同じだった。けれど、その数字が何を表しているのかは、初めて見るときと違っていた。




